第100話
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「…あれは……いいのかい?」
コウェルズは思わず呟いてしまい、隣でダニエルが腕を組んで盛大なため息を吐く。
ジュエルが不安そうに肩をびくつかせるから、イリュエノッドの女性サポートに頼んで後ろに下がらせてやった。
ルードヴィッヒとウインドの試合は、最初こそ良い流れだった。
瞬殺で終わる予想は良い意味で裏切られて、それどころか試合の流れはルードヴィッヒにあった。
恐らく不死の呪いを抑える為の魔術がウインドに掛けられているからだろう。
彼の治らない傷を見ての予想だが、そのおかげでウインドは普段の力を発揮できずにいるはずだ。
何にしてもルードヴィッヒに優勢なのは有り難かった。
だが、流れは突然不穏に渦巻いた。
エル・フェアリア武術をベースに立ち向かうルードヴィッヒと、少し個性の強いラムタル武術を使うウインドの試合だったはずなのに、途中からただの掴み合い馬乗り合い殴り合いに変わって。
観客達は最初こそどよめいたが、喧嘩だとわかるとやがて大爆笑へと変化していった。
さすがに審判が止めに入ったというのに、改善はされなかった。
「二人とも棄権になるかな?」
「いや……このままどちらかが勝つまでやらせるでしょう。強引に試合と見なした様子ですし」
戦闘場のすぐ下ではジャックが頭を抱えて、隣にいるラムタルの武人が慰めているような状況で。
ひたすらボコボコに殴り合い続けているルードヴィッヒとウインドには悪いが、観客達は別の意味で大喜びとなっている。主に男性客がだが。
大会出場者や関係者達もエル・フェアリアとラムタルの二大大国同士のただの喧嘩に指をさして笑う始末だ。
「ーー俺あれのどっちかと次戦うのかよ…」
後ろではクイだけが嫌そうに顔を顰めていた。
最初こそルードヴィッヒの好戦のお陰でウインドの戦術が見れたと喜んでいたが、今となっては別の意味で恐ろしく感じているらしい。
突然始まった喧嘩に引いている者も多いが、大半は良い見せ物だとばかりの喜びようだ。
観客達の煽りの声援は、果たして二人に届いているのだろうか。
「……あ」
「決まったな」
ダニエルと同時に呟いたのは、二人の渾身の拳がそれぞれの頬に見事にヒットしたからだった。
背の低いルードヴィッヒの拳は顎側から、ウインドの拳はこめかみ付近に。
一瞬で闘技場が静まり返り、中央の二人は置物のように固まり。
『…二人とも白目だぞ!』
視力の良いらしい誰かが叫ぶと同時に、ルードヴィッヒとウインドが床に落ちた。
「……同時に気絶?」
「みたいですね」
倒れた二人に起き上がる気配がないことを察するのに数秒放置され、審判員がそれぞれの様子をうかがって。
『ーーラムタル、エル・フェアリア両名、同時の戦闘不能により結果は持ち越しとなります!ルールに則り、次の試合までに先に目覚めた者の勝利となります!!』
起きない二人を放置して、審判員が叫ぶ。
あまりに突然の戦闘不能に、歓声は一気にブーイングの嵐となった。
だがルードヴィッヒとウインドが担架に乗せられて運ばれていく様子に次第に拍手が湧き始める。
「…ちょっと行こうか」
大丈夫なのかと駆け寄ろうとするが、担架の隣に付いたジャックがこちらに気付いて手の平を向けてくる。来るな、の合図にダニエルがコウェルズの身体を腕でやんわりと制止した。
「あなたは試合優先です」
「…だね」
いまだに観客席は異様な興奮状態で、このまま剣術試合に進むには出場者に酷な状況だ。
コウェルズの試合は第三試合の二戦目だが、一戦目の者達に目を向けて見れば、やはり観客達の醸し出す特殊な空気に押されて気まずそうな様子が窺えた。
「これは…試合の流れに戻るには少し時間がかかるかな?」
まさか喧嘩ひとつがここまでの騒ぎになるとは。
今のままでは国の威信をかけた試合などできない。無理やり強行しても観客達の目に面白おかしい見せ物に映りかねない状況に戸惑えば。
「……なんだ?」
呟いたのはダニエルだった。
「ん?どうかした?」
一点を見つめるダニエルに気付いて同じ方向に目を向ければ、ジャックが一人で戻ってくる所で。
随分と遠い所から、ダニエルに向かって指先で「こっちに来い」と合図してくるジャックに、コウェルズとダニエルは目を合わせた。
騒然とし続ける観客達はジャックを見ただけでまた笑い始める始末だ。
それもそうだろう。ジャックはルードヴィッヒを止めに入った、コントの出演者のようなものなのだから。
「…私だけを呼んでるみたいですね。あなたは陣営から出ないでください。ジュエル嬢!私は少し離れるので、彼のそばに!」
呼ばれたなら行くしかない、とダニエルは指示を残して駆け足で向かって行ってしまう。
「どうしたのですか!?」
喧嘩が怖くて奥に隠れていたジュエルが代わりにコウェルズの隣に来るが、首を傾げることしか出来なくて。
ルードヴィッヒに何かあったとしか思い付かないが。
ダニエルはジャックと合流し、周りにいるラムタルの運営と何やら話し続けている。
その間も観客達の面白おかしそうな気配は津波のように押し寄せて、引く気配はない。
ルードヴィッヒのことも気になるが、このまま試合の流れがおかしいままの状況も気がかりだ。
どうするつもりなのか。
どうなるのか。
観客達とは異なりグラウンドにいる各国の者達は状況に険しい顔をしている。
その中で。
「……何だ?」
闘技場から見える晴天の空に黒いシミのようなものが横切ったと思うと、それは急降下して、巨大な鳥の絡繰りが闘技場の足場の上空に制止した。
鳥の絡繰りの背に乗るのはウサギのような耳を付けた際どい衣装に身を包んだドロシーで、絡繰りの巨鳥から優雅に飛び降りて豊かな胸を揺らしながら観客席へ向けて深いお辞儀をした。
『ーー皆様!武術試合はお楽しみいただけましたでしょうか?突然ではありますが、これより剣術試合の準備が済むまでの間、エキシビジョン戦を開始致します!出場者は剣武大会の生きる伝説と名高いエル・フェアリア国のジャック・サンシャインとダニエル・サンシャインの二名です!!』
ドロシーの堂々とした宣言と同時に、ジャックとダニエルが同時に戦闘場に飛び乗った。
「…は?」
「……え、どういうことですの?」
コウェルズとジュエルは突然のことに固まり、観客達も静まり返る。
が。
ーーぅうおおおおおおおおおおおおおおおおっっっ!!!!!!!
地響きのような野太い声が、各陣営から溢れ返った。
『ご存知の方々も多いとは思いますが、ここで改めて説明を!長く続いた大戦の終結から続くこの剣武大会史上最も素晴らしい成績を残して優勝した二人の戦士をご存じでしょうか!?』
ドロシーの演説の横ではジャックとダニエルが真剣な面持ちで準備運動を始めており、状況を察した大会出場者や関係者達が一気に戦闘場近くまで押し寄せる。
コウェルズ達がいるイリュエノッドからもクイを含めた何人かが我先にと戦闘場へと全力で走って行った。
『今から18年前、エル・フェアリアから出場した二人の戦士が、全試合三秒以内に一発で相手を気絶させて優勝を手にしました!その迅速かつ華麗な強さはいまだ破られることなく記録に残され、多くの戦士達の憧れとしても胸に刻まれています!!』
ダニエルはラムタルの審判から長剣と短剣を一本ずつ貸し与えられ、ジャックは身体の要所に軽微ではあるが鎧を装着され。
「…まさか、試合を?」
突然のことに騒然となる中で、コウェルズは二人から目を離して辺りをぐるりと見渡した。
ジャックとダニエルが大会に出場したのは18年前の他国だが、見たことはなくても噂を聞いた者も多い様子で、観客席の空気も変わり始めていく。
何より戦士達から戸惑いが消え、士気が目に見えて上がっていた。
戦士達は誰もが爛々と瞳を輝かせながらジャックとダニエルを見上げており、まるでヒーローを前にした少年のようで。
『二人の戦士の実力は今も健在であることは、ここにいる大会出場者の若き戦士達が身を以て実感しています!』
先程までルードヴィッヒとウインドの喧嘩騒動に笑い転げていた観客はもういなかった。
まるで自分が試合に出るかのように固唾を飲んで見守りながら、ドロシーの演説に耳を傾けている。
『剣術の生きる伝説、ダニエル!!』
ドロシーがダニエルに手を振りかざすと、ダニエルの背中側から盛大な花火が打ち上がった。
『武術の生きる伝説、ジャック!!』
次はジャックの背中側から。
歓声は、グラウンドにいる戦士達から始まり、伝染するかのように観客席からも響き始めた。
「考えたね…一気に闘技場の空気が試合に戻って来たよ」
面白おかしい喧嘩コントの面影など、もう存在してはいなかった。
誰が言い出したかはわからないが、ジャックはすぐ了承したはずだ。そしてダニエルも。
喧嘩をやらかしたのが自国の戦士なのだから当然ではある。
それに何より、大会において最も重要な存在である戦士達の困惑が消えた。
今はただ、目の前の伝説同士の試合に釘付けになって。
『エキシビジョン戦の為、試合は最長十分とさせていただきます!本試合と同じく薬物、術式、暗器の使用はいっさい認められません!』
そこで蠱惑なうさぎ姿のドロシーが再び絡繰りの巨鳥に跨って戦闘場から降り、変わって審判が中央に立つ。
誰もが楽しみに見守る中で。
『ーー始め!!』
審判の合図と共に盛大に花火が打ち上がり、二人の試合が始まった。
今までで最も大きな凄まじい歓声の中、戦闘場にいる二人は互いに睨み合ったまま構えを取るだけで動こうとはしない。
だが見せ物試合であることを理解しているかのように、十秒ほど経ってからどちらともなく突然一気に動いた。
「っ!!」
隣でジュエルが強く目を閉じるが、コウェルズも試合が見たくて。
無駄な動きなどせず素早く相手の急所を狙うのが二人の戦術だというのに、今回に限っては凄まじい動きを見せつけてくれた。
がむしゃらに動くわけではない。
武術の良さも剣術の良さも、全てが見える演武のような。
さらに途中でジャックは武術の戦士達へ、ダニエルは剣術の戦士へと「鼓舞しろ」と合図を出し、戦士達のボルテージも上がっていく。
それはすぐに観客席へも伝染し、一気に凄まじい熱気へと変わっていった。
大会の空気感を取り戻す為とはいえやり過ぎなほどの熱量だが、熱源が戦士達であることほど重要なことはないだろう。
試合としては互いに一歩も譲らず凄まじい攻撃と防御を見せつけて、パフォーマンスとしては双子ゆえに息の揃った最高の見せ物で。
『ーーそこまで!!』
十分間はあっという間で、二人が足を止めると同時に闘技場中から花火が何発も打ち上がった。
開会式よりも盛大に思えるほど、凄まじい熱量の歓声が湧き起こる。
二人も全力で試合とパフォーマンスを行ったのだろう。ジャックはしゃがみ込んで大笑いし、ダニエルも長剣を杖のように床に立てて身体を支えて笑い転げそうなほどだった。
グラウンドからも観客席からも歓声は収まらず、二人も手を振りながら歓声に応える。
『皆様、エキシビジョン戦をお楽しみいただけましたでしょうか!?これより少しの休憩の後に剣術第三試合を行わせていただきます!では改めて、大会の生きる伝説達に盛大な拍手をー!!』
割れんばかりの歓声と拍手が、さらにさらに大きくなる。
「…すごいな」
隣でジュエルがようやく目を開けて辺りを見回す中で、コウェルズは肩の力を抜きながら笑うことしか出来なかった。
完全に大会の熱量が戻っている。
もはや先ほどのルードヴィッヒとウインドの喧嘩試合を思い出して笑うものなどいないほどの熱量は、少しの休憩を挟んで改めて剣術試合が始まるまで消えはしないだろう。
むしろ休憩を挟むことで少しは落ち着くはずだから、試合の空気感としても最高なほどだ。
五年前にリーンを亡くしたと同時に二人の騎士も去ってしまったが、戻ってくるまでの間に二人の腕は戦士としての実力を損なわないまま、新たな力まで身に付けていたのだ。
人々を前向きに楽しませる力を。
戦士達の瞳はいまだに少年のように輝いていて、伝説達の実力を前に興奮が冷めることは無さそうで。
「ルードヴィッヒが戻ったら悔しがるだろうね。こんなすごい試合を見られなかったんだから」
「…そうなのですか?」
ジュエルだけは目を閉じていた分だけ二人の凄さがわからない様子だったが、それも仕方のないことだと笑って。
「なんにせよ、助かったかな」
ルードヴィッヒのやらかしは、これで帳消しに出来たはずだから。
戦士達に囲まれながらこちらへ歩いてくるジャックとダニエルを待ちながら、コウェルズは久しぶりに素晴らしい演舞を見れた興奮を、自分の胸の内でも熱く感じていた。
第100話 終