第100話


第100話


 試合二日目の朝も無事に快晴となった。目の覚めるような青空を見上げながら、ルードヴィッヒは早鐘を打とうとする心臓を何とか呼吸で整える。
 二日目の身体検査も無事に終わり、レフールセント国のディオーネも無事に二回戦を突破していたので二人で互いの健闘を讃えた。
 二日目からは剣術武術試合は同じ闘技場で行われる為に、目的地までは共に向かって。
 昨日とは比べ物にならない巨大な闘技場に足を踏み入れた瞬間、まだ関係者入り口だというのに観客達の熱気が凄まじく伝わってきた。
 場所は昨日と同じはずで、たった一晩で絡繰りの闘技場が合体したのだと悟る。
 戦士達の殺気を打ち消すほどの活気と熱量に、ルードヴィッヒの胸の鼓動が別の意味で早くなりそうだった。
『すごいわね…』
 それはディオーネも同じ様子だったが、表情は非常に落ち着いている。
『じゃ、私達は自分のところに行くわね。しっかり頑張ってね、ルードヴィッヒ君』
『もう子供じゃありません!!』
 爽やかに子供扱いされてしまい、すぐに反論するもケラケラと笑われてしまった。
 昨日バインド王に「我が国で立派なお子様だ」と言われてしまってから周りの目がどうも甘い気がするのだ。
『ジャック様!昨日の件しっかり考えてくださいね!明日まで良い返事待ってまーす!』
 少し離れたディオーネはさらにジャックに大声で子種の件を隠しながらも叫んでくるものだから、ジャックはそっと頭を抱えていた。その隣では案内で共にいたイリュシーが強くジャックを睨みつけている。
「…今の、何か面白い事でもあるのかい?」
 ディオーネが離れてすぐに話しかけてきたのはコウェルズで、面白いことになっていそうなジャックに詰め寄り始める。
「……お気になさらず」
 凄まじく嫌そうなジャックも、さすがにコウェルズの前でため息は我慢した。
 口調はすでに、王子と臣下のものとなっている。
 昨日の時点でコウェルズの正体は完全にバレたので、もう良いだろうとのことだ。
「そちらこそ、今日の身体検査は無事に済んだのですか?」
「当然じゃないか」
 爽やかな笑顔を心から浮かべるコウェルズの後ろでは、ダニエルとイリュエノッドのサポートの二人が同時に首を横に振っていた。
 ジュエルを守る為に身体検査場には入らずにいたダニエルに代わり、イリュエノッドのサポートの者達がコウェルズに付いてくれたのだ。
 その二人の顔が疲れ切っていたので、短時間でかなりコウェルズに振り回された様子だった。
『では私は大会運営に戻ります。エル・フェアリアの皆様もイリュエノッドの皆様も、ご活躍を期待しております』
 もうここで案内は不要だろうとイリュシーは深くお辞儀をして、近くにいた他のラムタルの者とさっさと合流してしまった。
 顔には出さないが仕事が山積みなのだろう。
 さらにバオル国のアン王女の世話もある中でエル・フェアリアの面倒も見てくれていたのだから感謝ばかりだ。
『皆様、我々も陣営に向かいましょう。イリュエノッドはあちら側です』
 イリュエノッドサポートの二人が先を歩いて皆で陣営に向かう中で、ルードヴィッヒはすぐにジュエルの隣を手に入れる。
 昨日は美しいドレスを纏ったジュエルと踊ったのだ。その記憶が、今も鮮やかに思い出される。
 重ね合わせたジュエルの手は本当に小さくて、守ってあげなければならないと本気で思った。
「…おでこはもう綺麗に治りましたわね」
 隣を歩き始めた途端にジュエルはルードヴィッヒを見上げてきて、昨晩癒してもらった額が綺麗になっていることを喜んでくれた。
 ラムタルの治癒魔術師が治癒の為に訪れてくれた時間帯はなかなか遅くなってしまい、ジュエルは睡魔に負けて立ち会えなかったのだ。
 朝からも忙しなく準備があったので、ゆっくりと確認できてホッとしている様子が嬉しかった。
「もう大丈夫だ!…戦闘着も、綺麗にしてくれて助かった」
「いつでも任せてくださいな」
 無邪気に笑ってくれるジュエルの何気ない言葉が染み渡る。
 いつでも、なんて。どこまでルードヴィッヒを思ってくれているのだろうか。
 緩む頬を懸命に引き締めながら、人々で溢れかえる大会関係者用の入り口ホールを抜けて、闘技場のグラウンドへ向かって。
『ーールードヴィッヒ君!ちゃんとトイレは済ませたかい?』
『子供扱いはやめてください!!』
 通り過ぎた他国の戦士に揶揄われて、すぐに顔を顰めて叫んだ。
 仲良くしてくれた戦士達はルードヴィッヒの返事に笑いながら自分の陣営に向かっていく。
 やはり誰も彼もがルードヴィッヒを子供として扱ってきている。
「仕方ありませんわ。私たちはラムタル国だけでなく、他の多くの国々でまだ未成年なのですもの」
「だが……」
 ジュエルに諭されても、やはり納得出来ないのはエル・フェアリアでは正式に成人を迎えているからだ。
 ムッと表情を顰め続けながら、昨日より倍以上大きなグラウンドに到着した。
 あまりの広さに口が開いたまま呆然としてしまう。
 ラムタルは国土も広大だとは知っていたが、ラムタル王城はエル・フェアリア王城の敷地よりもさらに大きいのだろうと瞬時に理解した。
 グラウンドに響き渡る活気と歓声は、観客達の目当ての戦士が出てくるたびにひときわ大きくなる。
「すごいですわね!!」
「ああ!!」
 必然的にこちらも声を張らなければ相手にも自分にも聞こえないほどだった。
 そんな中でルードヴィッヒの後に続いてグラウンドへとコウェルズが出てきた途端に、女性達の金切り声のような声援が大爆発のように広がった。
 ルードヴィッヒとジャックは意味がわからずあまりの大音量に固まるが、コウェルズとダニエルは互いに顔を見合わせて苦笑いを浮かべていて。
「昨日からですわ!観客の女性の皆様が、コウェルズ様の容姿に、こうなってしまったんです!!」
 所々から聞こえてくる「エテルネル王子様」という言葉を聞きながら、コウェルズの正体がバレたわけではなく、その端麗な容姿が原因なのだとジュエルが大声で説明してくれる。
「うわ、何!?」
 説明後すぐに背後でコウェルズが困った声を出したので振り返れば、紙のような綺麗な包みが雨のようにコウェルズへ向けていっせいに投げられていた。
 突然のことにジャックとダニエルはすぐにコウェルズを守る態勢となり、コウェルズは自分に投げつけられて地面に落ちた紙の包みをひとつ拾い上げて開く。
 ルードヴィッヒも気になって拾って、恐る恐る開いて。
「何なんですの!?」
 紙に描かれていたのは可愛らしい容姿の女性。そして名前と、時間と、場所。
『…観客達のお誘い、ですね』
 同じように近付いてきたイリュエノッドのサポートもルードヴィッヒの手の中の手紙に目を向けて、いまだにバラバラと投げつけられ続けている紙の雨の正体を教えてくれる。
 コウェルズの視線の先に留まろうと、裏若い娘から妙齢の淑女までもが自身の数割増しの似顔絵と共に。
「困ったな…」
 全く困っていなさそうな笑顔を浮かべながら、コウェルズは観客席に手を振る。
 二度目の歓声の大爆発はすぐに起きた。
『エル・フェアリアの皆様!!早く陣営に入ってください!!』
 さすがに見過ごせないとラムタルの運営者達が走ってきて、まるで追い払うかのようにしっしっと手をふるいながら先へと急かしてきた。
 途端に観客達は運営者達に向けてブーイングをかましてくるが、コウェルズ達はさっさと指示に従って、拾った手紙も運営者に渡してイリュエノッドの陣営へと向かった。
 ルードヴィッヒがちらりと振り返れば、手紙の山は運営者達によって拾われている最中だ。
 ただでさえ忙しいだろうに不要な仕事まで増やしてしまい申し訳なく思ってしまった。
「陣営近くの観客達は大丈夫だろうな…」
「ラムタル側も何かしら手は打ってくれてるだろ…」
 ジャックとダニエルの言葉も、爽快な朝には不釣り合いなほど疲れ果てていた。
 円形の巨大なグラウンドのぐるりに等間隔に割り当てられた陣営は、昨日の敗者の国の分も用意されているので人の数が凄まじいことになっているはずだというのに、それでもすっぽりと収まるほどの収容量は圧巻だ。
『あちらです!』
 イリュエノッドのサポートの指差す場所に、ジャックとダニエルは同時に笑みを頬に貼り付けてしまった。
 観客達は入り込めない場所の真下だ。
 ラムタル王バインドの為の豪華な鑑賞席。
 その周りはラムタルの上級貴族達の席が囲むので、一般客のコウェルズへ手紙をぶつける行為からは守られるだろう。
『…一番良い場所ですね』
『はい…昨晩突然通達があり…』
 ダニエルがイリュエノッドのサポートに訊ねると、イリュエノッド側も突然の調整だったと教えてくれた。
 危険を察知してのことだろう。本来ならその場所にはラムタルの陣営が設けられるはずなのだから。
 確かに観客が熱狂しすぎてコウェルズに殺到してしまうことは避けたいが。
「まさかこんなことになるなんてね…」
 さすがにコウェルズも己の置かれた状況を理解した様子で、面白がるような笑顔を封印した。
 イリュエノッドの陣営に合流すれば、クイがレバンから調整を受けている様子が見えた。残念ながらイリュエノッドの剣術出場者は二回戦で敗退しており、彼は戦闘着こそ着ているが剣は外し、クイのサポートに回っていた。
 和やかさと、ピリつきと。
 まだ試合の開始前なので多くの者達が談笑しているが、第三試合が控えている戦士達はやはり瞳がギラギラと殺気立っている。
『おはようございます!!』
 誰よりも先にイリュエノッドの者達に挨拶をするルードヴィッヒにも、注がれた視線は少しばかりきついものが多かった。
 いくら昨日はお子様扱いをラムタル王からされてしまったとしても、ルードヴィッヒも八強入りした実力者なのだ。
 昨日の試合は、誰の目にも凄まじく残っている。
『おはよう、エル・フェアリアの諸君。試合に出る二人はきちんと眠れたか?』
 クイから手を離したレバンが低くもよく通る声で訊ねてくるから、ルードヴィッヒは『はい!』と大きな声で返事をして。
『私も安眠出来ました』
 コウェルズの返事の後に、レバンは昨日コウェルズが切り落とさせた左腕に触れる。
『…見事に繋がっているな。さすがラムタル。凄まじい治癒魔術師がいるのだな』
 昨日コウェルズの腕を繋げた女が誰であるのかは知らない様子で、感心したままするりと薬指の指輪に触れた。
『魔力増幅装置も無事か。……都合良く対の指輪の効果だけを外すことも出来なかったようだな』
『……失礼ですが、あなたは…』
 イリュエノッド国の者達はコウェルズの存在に初期から気付いていたはずだというのにコウェルズ相手に威風堂々とし続けるレバンに、コウェルズが少し不満げに訊ねた。
 やばい、とジャックが慌てるが、レバンは余裕の笑みを浮かべたままで。
『お互い正面から顔を突き合わせるのは初めてだな。姪のサリアが世話になっている』
『姪……サリア…』
 サリアの伯父に当たる人物など、この世で一人しかいない。そのことにコウェルズも気付き、サァ、と顔色が悪くなった。
『…………お会い出来て光栄です…レバン様…』
 いくらコウェルズでも、いくらイリュエノッドが小国でも、一国の王兄相手に尊大ではいられない。しかもレバンは姿を表に出さずとも、実力者として他国でも有名なのだから。
 島国の小国イリュエノッドを守る要であり、サリアが慕う伯父。
 そして、いつの日だったか幼いサリアから聞いた、サリアの初恋の相手。
 頬をひくつかせながらも何とか笑顔を浮かべて、他人行儀な握手を求めて。
『ルリアの事は止められず、申し訳なかったな。大人しくはさせたから、試合に集中するといい』
『…はは……感謝します…』
 元々力が強いのだろうと思わせる硬い手との強い握手に、コウェルズの手にも自然と力が加わった。
『サリアが強引にエル・フェアリアに押し入ったとはいえ、部屋も用意せず婚約者だからと言いくるめて寝室を共に使わせていると報告を受けた時はどんな男かと思ったが…まあ、いいだろう』
 握手の距離でボソリと呟かれるのは、サリアの扱いに対する牽制だ。
『……彼女の意思を尊重したいと考えています』
 急だったとはいえサリアの為に貴賓室を用意すべきだったところを、不要だと用意させなかったのはコウェルズだ。
 わざわざ遊郭に連絡して女性を用意させる手間が省ける、初日こそ本気でそう思っていたのは事実で。
 サリアと身体の関係は持てていない。だがそれを信じる者はいないだろう。
『これでそちらがルリアにしでかしたことと同じ事をしようなら、どうなるか考えたか?』
 それは、一方的に婚約を破棄したらということか。
 かつてコウェルズが、ルリアは病弱だから妹のサリアがいいと勝手に婚約者を変更させた過去があるから。
 手垢だけ付けられて捨てられた第二王女、など各国の嘲笑のネタには最適だろう。
 だとしても、今の言葉は聞き流すことが出来なかった。
『…絶対に有り得ません。エル・フェアリアの新たな国母に、サリア以上の者はこの世のどこにも存在しませんから。…それに彼女は魂まで含めて全て、私のものです』
 手放さない。国としても、男としても。
 強い眼差しで、レバンにも渡さないとでも言うかのように。
 それを聞いて、レバンは突然豪快に笑い出してコウェルズにさらに一歩近付いた。
『そこまで言うならもう、女に無条件に笑顔を振り撒くのはやめておけ。“エテルネルではない”と各国が気付いてからずっと、国母の座を狙う者が息を潜めていたことにも気付けんで…』
 ボソリと耳元で囁かれて、思わず辺りを見渡す。
 巨大な闘技場の広大なグラウンドには、各国の代表とサポート達。
 こちらの情報を得ようとする者達から声を遮断する為に何度も術式を広げて防音に努めてきた。
 各国がどんな情報を欲しがっているかなど興味はなかったが、そのうちのひとつにコウェルズの隣の座を狙う国々もあったなど。
 特に中規模国家などは、小国のサリアなどより自国の姫を充てがおうと平気で薄汚い計画を画策したことだろう。
『我が国に感謝しておけ。よこしまな者達は排除してやったのだからな』
 コウェルズにはすでに魔の手が迫っていたというのに、イリュエノッドは水面下でコウェルズを守っていたのだと。バオル国の件などで不要に絡まれたと思っていたが、下手をすればもっと絡まれてリーン捜索などいっさい出来なかった可能性があったのだ。
『…気付かずにいたことを心から恥じます』
 グッと唇を噛んでから、素直に頭を下げた。
 イリュエノッドは王も王兄も、コウェルズより何枚も上手だ。
『……さあ、大会を楽しめ。二日目からこそ本試合なのだからな』
 強い力で一度だけ背中を叩かれて、コウェルズはジャック達の元へと押された。
 二日目からこそ本試合。
 それは本当のことだ。
 出場選手は誰もが国の代表として訪れるが、一日目は八強を決める為の前試合とも取れるのだから。
 より強い者だけに絞ってから、本格的に豪華に盛大に、一試合一試合を盛り上げる。
 昨日も豪華だった闘技場が今日さらに豪華になっているのもその為だ。
 観客達のボルテージは上がっており、今か今かと始まりを待つ。
 ルードヴィッヒはジュエルと共にクイと談笑しながら闘技場を見回し続けており、時おり打ち上がる小さな花火の余興に盛り上がっている。
「お話はもう済みましたか」
 ジャックとダニエルが含み笑いと共に話しかけてくるから、二人はレバンが来ていることを知っていたのだとわかった。
「…教えてくれてもよかったじゃないか」
 不満を溢せば、さらに笑われてしまった。
『ーー全員揃ってるな!』
 そこに合流してくるのは隣の陣営に到着したばかりのトウヤで、辿り着くなりこちらに寄ってきてクイの足元へとしゃがみ込んだ。
『治ったかー?』
『当たり前だろ!!話しかけるな!!寄るな!!』
 テテの件があるのでキッと睨みつけるクイに、トウヤも負けてはいない。
『諦めろよお兄様!残念だがもう俺はテテの心を手に入れたぜ』
 そう言いながら、イリュエノッドの陣営の奥にいたテテへと盛大に手を振るトウヤに、クイの顔色が変わる。
 テテの方はクイを気にしてかトウヤに背中を向けるが、一瞬見えたその頬は恋をする乙女のように薔薇色に染まっていた。
『……トウヤお前…昨晩どこにいた?』
『え?どこでもいいだろ?』
『お前が一瞬消えたって連絡来てんだぞ!!』
『えーー?……っはっはっはっは』
 笑って誤魔化すトウヤにクイが掴みかかろうとするから、イリュエノッドとスアタニラの両サポートが同時に二人を止めに入った。
『離せ!今すぐぶち殺す!!』
『テテはいつまでも小さな子供じゃないんだよ!!そろそろ姪っ子離れしろ!!』
『うるさい!お前を殺さないと俺が姉ちゃんに殺されるんだよ!!』
 テテを守るのは自分の身の為でもあると本音を口にしながら、取り押さえてくるサポートの者達すら引きずってトウヤに近づこうとして。
「あ!」
 青空を見上げながら声を発したのは、ルードヴィッヒだった。
 ルードヴィッヒの声の後、一拍置いてから空一面が華やかな極彩色に彩られた。
 花火の音と同時に、楽団の演奏する音楽が一斉に奏でられる。
 昨日も豪華だった。だが昨日を上回る豪華さが目の前に広がった。
 昨日のオープニングセレモニーとは全く異なる、戦士達の士気を鼓舞するようなテンポの速い音楽。
 空を彩るのは花火だけではなく、訓練された色とりどりの鳥達と絡繰りも。
「すごいです…」
 ルードヴィッヒの隣で呟いたジュエルに、隣にいたからギリギリ聞こえたルードヴィッヒだけが頷いていた。
 そして、空いていたグラウンドの中心が突然動いて盛り上がり、歯車を合わせていくかのように戦闘場が作り出されていく。
 戦士達が腕を競う為のステージ。
 見事、という言葉がこれほど相応しい戦闘場は他にないだろう。
 歯車の中から現れたあらゆる大きさと形の色とりどりの絡繰り達が、音楽に合わせて舞い踊る。そしてパズルピースのように重なりながら、美しい模様を描いて滑らかな足場となった。
『ーー大変長らくお待たせいたしました!!只今よりラムタル国主催、剣武大会二日目を開始いたします!!』
 滑らかな足場に颯爽と現れた巨大な絡繰り馬とその背に乗った化粧の濃い美女が、堂々と始まりを告げる。
 その容姿はどこかイリュシーに似ているが、体型は似ても似つかぬほど抜群だった。
 観客、とくに男達の歓声を聞きながら、美女はサービスとばかりに大きく手を振る。そうすれば豊かな胸が上下左右に凄まじく揺れてさらに歓声が湧き上がった。
『……妹が申し訳ありません…』
 全員があらゆる意味で釘付けになっている所へ申し訳なさそうに現れたのは、ラムタルの剣術試合代表であるイデュオだった。
『…妹ということは…イリュシー嬢の姉妹でもあるのか』
 どうりで面影があると呟いたジャックに、はい、とさらに申し訳なさそうにイデュオが落ち込んだ。
『マオット家の長女のドロシーです…あ、ちなみにイリュシーは四女です』
 イデュオは真面目な性格なのかしっかりイリュシーの情報も与えてくれるが、その情報はラムタルに到着した日に本人から告げられている。
 ドロシーは午前中の第三試合は前半武術、後半は剣術だと伝え、午後の準決勝も同じく武術、剣術の順番だと朗々と話し、時折りサービスかのように色香を振り撒いていた。
『…いいのかあれで』
『あれでもバインド様の右腕の一人です。見た目に騙されてうかつに触ると秒で死ぬタイプの優秀な毒です。なので皆様ご注意を』
 妹を褒めているのか貶しているのかわからない言葉選びだが、ドロシーがイデュオに気付いて投げキッスをしてきた時には膝を抱えてうずくまった。ドロシーがバインドのそばでどんな役目を担ってきたかはうっすら気付いたが、うかつに触りたくなる気持ちもよくわかった。
 他国の者達も、ドロシーの登場にソワソワと視線を投げかけている。
ーー馬鹿そうだし、行けるんじゃないか?
 聞き捨てならない異国語がどこからか微かに聞こえてきて皆が思わずイデュオに目を向けるが、聞こえているのかいないのか、イデュオは進行を務めていく妹をただ見守り続けていた。
「まずは武術の第三試合だが、ルードヴィッヒ、お前は最後の四戦目だ。他の試合を見るのは構わないが、下手に身体が冷えないように注意しろよ」
「はい!」
 試合の時間が刻一刻と近付き、各国の陣営内でも奇妙な静けさが溢れ始める。
 二戦目に試合を行うトウヤは準備の為に先に移動を始め、途中でテテと視線を合わせていた。
 どうやら本当に、昨晩何かしらのアクションを起こした様子だ。
『俺たちが勝ったら、午後に手合わせだな』
 トウヤとテテの視線が絡んだことに気付かなかったクイが、ルードヴィッヒに話しかけてくる。
 クイは三戦目なので、クイが勝ち上がってルードヴィッヒも勝ち上がることが出来れば、午後は互いが相手となるのだ。
『私は絶対に勝ちます!手合わせを楽しみにしています!!』
 拳を強く握りしめて言えば、クイも強い笑顔を見せて。
『ーーは?クソチビお前、俺に勝つ気でいんのかよ』
 また新たに現れた声の主に、ルードヴィッヒだけでなくコウェルズやジャック、ダニエルも瞬時に警戒して相手を睨みつけた。
 全員の視線を一気に向けられても、ウインドは微かな緊張感すら持たない表情をしていた。
 腕を伸ばして肩をほぐしながら、嘲笑うかのような笑みを口元に貼り付けてルードヴィッヒを見下してくる。
 ルードヴィッヒは昨日のように突っ掛かりこそしなかったが、誰よりも強い眼差しでウインドを睨みつけ続けた。
『…なんだよ。言いたいことあんなら言えよチビ』
 ウインドの方は面白がることをやめないままルードヴィッヒに手の届く距離まで近付いてくるものだから、ラムタルのサポート達がいっせいに間に入る。
『…我が国の不名誉になることは控えろと何度言わせるんだ』
『は?知らねえよ。出たくて出てるわけじゃねーんだよ、こっちは』
 厳しい口調で注意をするイデュオを睨みつけてから、ウインドは面倒臭そうに離れていき、ラムタルの陣営に用意されていた水を一気に飲み干す。
『おい、話しを聞けウインド!!』
 イデュオはさらに注意をしに陣営に戻り、ルードヴィッヒはそれとなくジャックに背中を押されて離された。
『…ルードヴィッヒの対戦相手は一回戦からずっとやばいのばかりだな』
 呆れたクイはウインドを目にしながらため息をこぼし、他のイリュエノッドの者達も頷いて。
 ラムタルの陣営はイリュエノッドの隣にスアタニラを挟んだ場所だ。
 姿は確認出来るがもう声は聞こえず、だがラムタル陣営全員から厳しい目を向けられてイデュオからは注意を受けているウインドは誰の目から見ても浮いていた。
『あいつ、ラムタル人じゃないって噂もあるぞ』
『マジかよ…でもラムタルの神官なら元は大半が孤児だろ…有り得るかもな』
 イリュエノッドの剣術出場者が伝えてくる噂も、深くは知らないクイは鵜呑みにする様子を見せる。
 そんな噂が立つほどウインドが周りの目に強く映っているということだ。
『体術はラムタル武術っぽいんだけど、なんせ二戦とも一瞬だったからなぁ…』
 困ったように頬を掻いたクイは、ウインドの試合をしっかり見ていたらしい。
 相手の力量を測りたくても、試合時間が一瞬ではどうしようもない。
「…ルードヴィッヒ、そろそろこっちに集中してろ」
 クイ達の話しが気になるルードヴィッヒの頭を両手で挟んで戦闘場の方へと向けるのはまたしてもジャックで、周りはコウェルズ達に囲まれてしまう。
 気を逸らすな、とでも告げてくるような中でルードヴィッヒも改めて目に映すのは豪華な戦闘場と、人が一人乗れるほどの円形の小さな足場が二つ。
「…あれは何でしょうか?」
「見ていればわかる」
 ドロシーが豊かな胸を揺らしながら試合の開始を告げて離れていき、観客席から一段と声が上がった。
 武術試合第三試合一戦目の開始を告げる盛大な花火と、絡繰りの鳥達の空での舞遊。
 同時に一戦目を戦う国の代表がルードヴィッヒの気にしていた小さな足場に上がり、審判員が二人の戦士の名前と国名を告げる間に足場が動いて戦闘場と合体した。
 その演出には隣でコウェルズが羨ましそうな声を上げる。
「あんな絡繰りの技術がうちにも欲しいね」
 三年前のエル・フェアリアの大会でも鉄の加工技術を使った素晴らしい足場を組んでいたが、コウェルズにとって隣の芝生は非常に青そうだ。
「…近くに行ってはいけませんか?」
 今日も昨日と同様にグラウンドにいる参加者達向けの最も近い観覧場が用意されていたが、ジャックもダニエルも首を縦に振ってはくれなかった。
 二戦目に出場するトウヤと対戦相手はラインぎりぎりのロープの前にいるが、それ以外では武術剣術含め、八強入りした戦士の姿は少ない。
 観戦よりも己の準備を優先しているからなのだろう。
 そうとは理解するが、やはり間近で見たくて身体が次第に疼き始めた。
 審判も戦闘場へと上がり、試合開始の花火が上がる。
 一層大きくなった歓声と同時に、二人の戦士が即座に動いた。
「……ルードヴィッヒ様、我慢してくださいな」
「わ、わかってる!!」
 前のめる身体をジュエルに押さえられてしまい、身体に熱が籠りそうになった。
 だがすぐにルードヴィッヒの注意は試合に向かう。
 凄まじいの一言しか言えないほど、殺気が溢れかえっていた。
 互いに殺す気で、死ぬ気で戦っていると一目でわかるほどの。
 国を背負っているのだと、理解する。
 剣武大会での成績はそのままその国の実力と見なされ、狙われやすい小国であれば敵対する近隣諸国への牽制にすらなる。
 敵がほぼいない大国に生まれたルードヴィッヒにはわからないほどの重積を背負った戦士が、ここにはいるのだ。
 聞かされた知識でしか知らなかった事実を、試合から溢れ返る殺気という形で痛感させられた。
 国を背負うという本当の意味を理解する。
 己のことしか考えていなかった自分が浅ましく思えてしまい、唇を噛む。
 そして、ひたすら試合を目に焼き付け続けた。
 小国同士の戦士だと誰かが呟いて、やはり、と納得する。
 戦士達の国は隣接せず離れてはいるが、それぞれ小国が故に狙われやすい土地柄ではあるらしい。
 八強に入ったのだから、実力はかなりのものだ。だが四強に入ればさらに強さの証明となる。準優勝なら、優勝なら、さらに、さらに。
 それだけで国を、愛する人を守れるほどの安全を手に入れられるから。
 大戦が終わった現代において、この剣武大会は戦争の縮図とでも言えそうなほどに。
「…エル・フェアリアは毎年優勝候補だとは聞きましたが…一回戦で負けたこともあるのですか?」
 戦士達の殺気を全身で感じながら思わず聞いてしまったのは何故だろうか。
「……そうだな。相手の気迫に押されて負けた奴は…けっこういるぞ」
 ルードヴィッヒが何を聞きたいのか、何を知りたいのか、理解してくれたジャックの短い言葉の中には答えの全てが詰まっていた。

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