第98話
第98話
エル・フェアリアに充てがわれた賓客室の部屋で一人静かに天井を見上げるルードヴィッヒは、ズキズキと鈍く痛む額の傷を勝利の余韻と共にゆっくりと味わっていた。
味わいたくない痛みではあるが、勝てたのだ。
二回戦を。
一日目を無事に勝ち終えたのだ。
思わず口元が緩むが、ハッと我に返るように表情を引き締めてまた天井を見上げた。
治癒魔術師を連れて来ていないエル・フェアリアはルードヴィッヒの額の傷についてラムタルの治療待ちをしているのだが、比較的軽度の傷である為に後に回されているのだ。
三日間続く大会の中で第一試合と第二試合がある一日目に最も怪我人が集中するのは当然のことで、手当を受けられるだけ感謝しなければならない。手当は勝者優先なので、当日に受けられるルードヴィッヒはまだ良い方なのだから。
第二試合で腕を切り落とされたらしいコウェルズはファントムの仲間だろう人物から治癒を受けており、今は傷ひとつ存在しない。
それでも何があったのかを詳しく話せとジャックとダニエルに捕まって懇々と説教混じりの話し合いが行われているはずで、ジュエルはルードヴィッヒの為にタオルを濡らしに行ってくれている。
自分の為に動いてくれていることが嬉しくてまた頬が緩もうとするので、グッと力を込めた。
明日の試合の為にも思考を今日の試合に戻そうと頭を回転させる。
第一試合はこの際どうでもいい。まさか対戦相手のバオル国出場者がルードヴィッヒより弱いなど思いもしなかったから。
相手の戦闘力を見極める目などまだルードヴィッヒには備わっていないが、それにしても全力で戦ってはいけない試合もあるとは知らなかった。
ただそれは特殊な事例だろうが。
二回戦の相手は、確実にルードヴィッヒより強かったのだから。
ヤタ国のバックス。
試合中に酷い侮辱を行った最低な戦士。
侮辱、と言っていいのだろうか。
ルードヴィッヒの嫌な過去を引き摺り出しただけでなく、ジュエルをも口にした。
キレてただろ、とは試合後ジャックに言われたことだが、それは違う気がしている。
確かに怒りが全身を包んだ。だが頭の中は冷静だったのだ。
普段の自分の思考より冴えていた。
どう動けばいいかもわかった。そしてその通りに動けた。
ルードヴィッヒが悩み続けた自分自身の未知の動きも、はっきりと理解できたのだ。
あまりにも自分の身体を自由に動かせるものだから、段々と楽しくなってきた。
風を打つ戦闘着の音、早く軽い身体、鋭く重い技。
全部全部、自分のものだった。
あんな快感、きっと滅多に味わえない。
エル・フェアリアに戻れたら、先輩騎士達はルードヴィッヒの思う存分に訓練を付けてくれるだろうか。
今日みたいな快感を得られるほどの訓練を。
ニコルならきっと付けてくれる。あの人も訓練で身体を激しく動かすことが好きだから。
ミシェルも煽れば乗ってくるだろう。
スカイはいつも途中で見切りを勝手に付ける。それはスカイだけではないか。ベテラン騎士達は部下が酷い怪我をしない程度に済ませるから。
他は、誰がいるだろう?
優しいガウェは甘すぎる。それに武術や剣術より魔術を教えようとする。
誰かいないだろうか。誰か、ルードヴィッヒに素晴らしい訓練を付けてくれる人は。
「ーールードヴィッヒ様?痛むのですか?」
先輩騎士達との訓練を思い出していた時、突然額に濡れたタオルを当てられてハッと我に返った。
目の前には可憐な少女。
ルードヴィッヒの為に額を優しく抑えてくれている。
いつの間にか部屋に戻って来ていたジュエルが、清潔な水の入った桶とタオルを自分の隣に置いてルードヴィッヒと向かい合って座っている。
「あ、ああ……少し痛む…かもしれない」
痛くなどないと言いたかったのに、ジュエルの不安そうな顔が可愛すぎて、思わず甘えてしまった。
「…ラムタルの治癒魔術師様が来られるまでは簡単な手当しか出来ませんから、我慢してくださいませ。…あと私の使うベッドなんですから、血で汚さないで」
最初は優しい口調だったジュエルだが、ふと視線がルードヴィッヒの手元に向かい、一瞬で嫌そうに眉根を寄せる。
無意識に額の傷に触れて、そのまま腰掛けていた場所で拭ってしまったようだ。
ここは、ジュエルの寝室だというのに。
「うわ!す、すまない…」
「……もういいですわ」
いつもなら責め立てられるか蔑みの眼差しで睨みつけられるかしただろうが、今日ばかりはジュエルも優しい。
勝てたからか、怪我をしたからか、それともその両方か。
「戦闘着も明日までには綺麗にして差し上げますから、大人しく座っていてくださいな」
タオルを濡らして絞るジュエルの視線が壁に向かう。そこにあるのはルードヴィッヒの血濡れた大切な戦闘着だ。
汚れてしまった戦闘着がここにある理由は、清潔に戻す為の魔術を扱えるのがジュエルだけだったからだ。
汚れを分離させる魔術は非常に細やかで繊細な作業の為、騎士達には数日かかるほどの苦手分野だ。
とくに元々の器用さも必要な術式なので、コウェルズに至っては壊滅的だ。
試合が終わって改めて鏡で自分の姿を見た時、ルードヴィッヒはヒッと喉を絞った短い悲鳴を上げてしまい、ジュエルが洗濯を引き受けてくれたからこの部屋にあるのだ。
試合終了後は全員揃って賓客室に戻ってきており、そこで脱いだ戦闘着をジュエルが寝室に持って行って、ルードヴィッヒも服が気になって付いて行ってしまい、呆れたジュエルが入室後に入室許可をくれて、と。
何とも情けない気もするが、自分達は思い合っているのだからやましいことはないはずだ。
コウェルズ達は部屋の中を覗き込んで苦笑いを浮かべた後は話し合いの為にとっとと離れていった。
こんな形で二人きりになれるとは。
「…私の試合はどうだった?」
大会一日目は観戦に来れないだろうと思っていたのに来てくれたジュエルは、ルードヴィッヒの戦いぶりをどう思ってくれたのだろうか。
ドキドキと心臓が脈打つから、今すぐ爆発してしまいそうだ。
最初はやられていたが、後半は巻き返せたし何より勝利を掴んだのだから。
格好良く映っていればいいのに。
そんな期待を込めてジュエルを見つめれば、彼女の方はうーんと首を可愛らしく傾げているところだった。
「…実はあまり見ていませんの…試合とはいえ怖くて…」
期待はずれの返答に、肩が少し落ちる。
「そうなのか…」
「あ、でもお祈りはしておりましたわ。無事に勝てますようにって」
その後屈託なく微笑まれて、落ちた肩はすぐにまた持ち返した。
ジュエルが自分の為に祈ってくれるなんて。
「明日も必ず勝つから!!」
「期待しておりますわ」
クスクスと笑ってくるジュエルが、額にまた濡れたタオルをそっと当ててくれる。
血はまだ止まらない。とはいってもゆるく滲み続ける程度だが。
鼻血はすぐに止まったのだが、額は少しの傷でも血が出やすいと聞いた。パックリと割れているわけではなくてよかったが、ジュエルは傷が怖いのかタオル越しの小さな手は少し震えている。
話を逸らせたらいいが、何か話題はないだろうか。
こんな時に気を利かせる言葉が浮かばないのが歯痒い。
パージャのように上手く言葉が出てきたらいいのに。
ふと思い出す敵だったかつての仲間に、気持ちは一気に沈みそうになった。
ラムタルではパージャの気配を感じたから、なおさら。
「…私は…強くなれているだろうか」
ポロリと呟く言葉に、返答はない。代わりに戸惑うような気配が見えて、困らせてしまったかと少しだけ笑った。
ジュエルにわかるわけがない。
でも強さに固執するのは、大切な者を守る力が欲しいからだ。
ルードヴィッヒはミュズを守れなかった。自分すらも守れなかった。
あんな情けない姿を二度と晒したくなくて、ここまで懸命に努力を続けた。
「……私にはルードヴィッヒ様の思う強さの定義はわかりませんが……あなたが勝った時にダニエル様は誇らしげに笑っていらっしゃいましたわ。大会の八強は実力者の証だと」
大会の、八強は。
「…………あれ?」
「はい?」
今、八強と言わなかったか。
盛大に馬鹿な声を発したルードヴィッヒに、ジュエルはこてんと首を傾げてくる。
「……八強?」
「そうですわよ?」
「……なんで?」
「なんでって…第三試合は八人しかいないからではなくて?」
ジュエルのごもっともでありながらも的外れな返答に、ゾクリと武者震いのような興奮が全身を覆う。
ただひたすら、戦って勝つことを目的としてきた。
目指すのは優勝だ。
だが八強というリアルな言葉が、自分の感情を全て喜びに変えていこうとする。
額の痛みすらも。
どうしようもないほどの喜びだった。
嬉しすぎて頬が緩む。
第一試合と第二試合を勝てたという喜びよりも、八強に入れたという喜びの方が。
八強入りは強さの証だとは幼少期から度々聞かされてきた。
国内の大会でも、誇るべき上位なのだと。
それが、世界的な大会で。
大会に出場する各国の戦士達は、大半が自国での選抜試合を勝ち抜いた猛者達ばかり。選ばれた者しか出場できないこの大会において八強入りしたのだから。
「……ジュエル」
嬉しくて、嬉しすぎて。
「私は強いんだ!!」
目の前にいる立った一人の少女に堂々と宣言する。
自分でもわかるほど顔が笑っているとわかる。
「…とっても強かったですわ!」
そしてジュエルも。
見ていなかったと言っていたのに、ルードヴィッヒに釣られるように、嬉しそうに頬を少しだけ赤くして笑ってくれた。
「ご褒美でも差し上げましょうか?」
隣に座るジュエルが、表情も挑発的な笑みに変化させてくる。
傲慢と名高い藍都の者達の微笑み。
イタズラの一種なのだろうが一瞬ムッとしてしまったのは、まるでルードヴィッヒの勝ちがここで止まると言われているかのようだからだった。
明日はウインドと戦うのだ。絶対に勝ってみせる。
そんなことを言い返そうとしたが、ふと思考は逸れた。
理由は、壁側にかけられたルードヴィッヒの戦闘着の隣にあるドレスが目に入ったからだ。
淡い藍色の、普段のジュエルが着ているドレスからは想像もできないシンプルなドレス。
シンプルだが、大人びて美しい。
「……本当にくれるのか?」
「え……まあ、私が叶えられるご褒美でしたら?」
ルードヴィッヒの返答もジュエルの予想に反したものだった様子で、傲慢な笑みは困惑に揺らいだ。
「……大会後の夜会で…ファーストダンスは私と踊ってほしい…」
揺らぐ瞳を真剣に見つめて、緊張から掠れるほどの低い声で。
夜会で何が行われるのかはジャックやダニエル、そしてガウェからも聞かされた。
ルードヴィッヒとジュエルは夜遅くまでは参加出来ないが、それでも充分なほどゆっくりと楽しめる時間がある。
大会関係者全員で楽しむことを許された、貴族も平民も関係のない無礼講の夜会。
それでも一定の礼儀礼節は必要となり、ダンスタイムも当然ある。
最初や最後に踊る相手は特別な人と、なんて礼儀はエル・フェアリアには存在しないが、あの綺麗な薄藍のドレスを纏うジュエルを一番最初に独り占めしたくて。
「…えっと……ごめんなさい」
だというのに、ジュエルの返答は残酷なものだった。
「なぜ!?」
思わず大声で聞き返してしまい、ジュエルはビクッと肩をすぼめた。
「大声出さないで!!…最初はバインド陛下と踊るよう命じられたからですわ」
ルードヴィッヒの声にジュエルも怒った顔になるが、理由は教えてくれた。
「…バインド陛下って……どうして」
「髪飾りを下さったお礼がしたいと伝えていましたの。そうしたら……エテルネルから、夜会でファーストダンスを陛下と踊ることで手を打つ、と。ラムタルではファーストダンスは意味のあるものだそうで、ラムタルの王妃の座を狙う方々を牽制したいのだとか…」
ラムタル国の騒動にジュエルの貴重なファーストダンスを与えるというのか。いくらエル・フェアリアではあまり意味を為さないとしても、ジュエルの意思は無視するというのか。
「…君はそれでいいのか?」
「え?だってダンスだけでいいなんて、とても簡単ではなくて?藍都の秘蔵のレース刺繍を求められてはどうしようとヒヤヒヤしていましたもの」
ルードヴィッヒの心情とは裏腹に、ジュエルは心底安堵した様子を見せる。
ルードヴィッヒを思ってくれているのなら、少しくらい優先しようとは考えてくれないのだろうか。
「…私は君と踊りたい」
思わず本音を呟いてしまい、きょとんとした顔で見つめられてしまった。
「あ…いや、その……」
「では今踊ります?」
「へ?」
突然の提案に、頭は働かず。
「ドレスに手を加えたので、きちんと完成しているか確認したかったのですわ。ルードヴィッヒ様が今踊ってくださるなら、私も夜会で一安心できますもの」
「え、でも私はこんな格好で…」
「戦闘着を今すぐ綺麗にして差し上げますわよ。ガウェ様から譲られた特別な戦闘着なのでしょう?」
決めたなら早速とばかりに、ジュエルは水桶と共に戦闘着の側まで小走りで向かってしまう。
慌てて付いて行き、一人分離れた斜め横からジュエルと戦闘着を見守った。
ジュエルが魔術に長けているのは知っているが、それでも心配になってしまうからそわそわと落ち着きなく見守る形になってしまい、一度振り返ったジュエルから鋭い睨みを効かされて硬直した。
固まるルードヴィッヒが見守る中で、ジュエルの魔術による洗浄が始まる。
水桶の中の水がジュエルの魔術によりゆっくりと浮かび上がり、ぷよぷよと不思議な透明の物体と化した水がルードヴィッヒの血で汚れた戦闘着に到着した。
浮かぶ水に手をかざし続けていたジュエルが、そこにさらに自身の魔力を増やして高度な術式を組む。
水は戦闘着の汚れた箇所に吸い寄せられるように張り付き、ゆっくりと移動しながら汚れを吸着していく。
動くたびに汚れていく水と、入れ替わるように戦闘着は元の美しい色合いを取り戻して。
じっと、恐らく数分は見守り続けた。
「……これで大まかな汚れは取れたはずですわ」
水が最後の汚れの箇所に張り付いた後にまた水桶へと戻り、ジュエルの言葉と共にパシャリと元の水へと戻った。
元の水とはいっても、黒褐色に汚れてしまっているが。
「君の魔術は…本当に凄いんだな」
「当たり前ですわ。ミシェルお兄様が直々に指導してくださったのですもの!」
感心の言葉に被せるように、ジュエルは自慢げに二番目の兄の名前を口にする。
ルードヴィッヒを目の敵にする、苦手な男の名前を。
「ミシェルお兄様は魔術師団入りを切望されたこともあるほど魔術に長けていますから、いずれ二人目の魔術騎士に選ばれるはずです!」
「…え」
そして自慢の言葉は止まらず、聞き逃せない単語に耳が敏感に反応した。
「……魔術騎士に?」
「ええ。…あ!内緒にしていてくださいね、実はお兄様、トリック隊長から個別の訓練を受けておりまして、魔術騎士を目指していらっしゃいますの!」
「……トリック隊長から?」
「ええ!」
無邪気なまま自慢するが、ルードヴィッヒには新たに聞き捨てならない内容を聞かされて眉間に強く皺が寄ってしまった。
第六姫コレーの護衛部隊長であるトリックとペアのスカイは王族付き候補であるルードヴィッヒの上司兼指導者のはずだ。
護衛のいろははあまり教えてもらえていないが、訓練に関しては候補仲間達も嫌がるほどの厳しい指導を受けている。
主にスカイから。
いつもトリックはコレー姫に付き従うか他の任務に就いているかで、たまにルードヴィッヒといてくれる時でも基本的に指導はスカイに任せていた。
トリックはルードヴィッヒを見ずにミシェルを見ていたというのか。
しかも魔術騎士には、スカイが「目指してみろ」と言ってくれている。
エル・フェアリアに戻ったらトリックに厳重に抗議しよう。そう心に決めたルードヴィッヒの顔を、ジュエルは首を傾げながら覗き込んできた。
「どうしましたの?」
「……なんでもない」
ものすごく不貞腐れた声を出してしまうが、ジュエルはいっさい気にすることもせずにとっとと戦闘着の隣に掛けられた自分のドレスを自身に引き寄せた。
「……このドレス、似合いますか?」
そして少し不安そうに訊ねてくる。
どうしたのだろうと思うが、ジュエルの身体に当てられたドレスはよく似合っていた。
「いつものよりシンプルだが、似合っていると思うけど」
思ったままを口にすれば、少しだけ嬉しそうに表情は綻んだ。
「…では着てくるので、ルードヴィッヒ様はここで戦闘着に着替えてくださいな」
「え、ここで!?」
「……私は湯浴み場で着替えますわよ」
同じ部屋で着替えるのかと一瞬勘違いしてしまい、ジュエルが一気に眉を顰めた。
自分のしくじりに同じように眉を顰めてしまう間に、ジュエルは隣接する湯浴み場へと向かい、扉を閉めて。
壁一枚挟んだ向こう側で、ジュエルが着替えを始める。その事実にカッと下半身が熱くなろうとするから、両頬をバシバシと何度も強く叩いてから綺麗になった戦闘着へと手をかけた。
互いに思い合っているとはいえ、まだ成人を迎えていないジュエルになんて欲望を向けようとするのだと、自分自身に叱責する。もちろん、心の中で。
訓練着を強引に脱いで、戦闘着に袖を通して。
今日一日着ただけで、ずいぶんと身体に馴染んだ気がする。
ふと思い至って今日の試合の動きを行ってみれば、バサ、と風に流れてから、パン、と乾いた布の打つ音が部屋に響いた。
そして少し考えてから、エル・フェアリア武術の型をひとつ行う。すると先ほどと同じように布が風を打った。
ようやく理解する。
この戦闘着は、全て計算し尽くされて作られているのだ。
正しい動きを行えば、戦闘着は最も美しい様子を見せる。
まるで三年前のエル・フェアリアで行われた大会の武術試合の時のように、ガウェを優勝に導いた時のように。
武術の型は戦闘にまつわる動きの縮図。それに合わせて作られた、武術の為の戦闘着。
明日またこの戦闘着で試合を行える。その事実に心臓が改めて鼓動を早めようとした頃に、コンコン、と湯浴み場の扉からノック音が響いてきた。
「ルードヴィッヒ様、もう着替えられましたか?」
「あ、ああ!」
ジュエルも着替えが済んだ様子で、ルードヴィッヒの返事を聞いた後でゆっくりと戻ってきてくれる。
薄藍のドレスを纏った、花の妖精のように美しい少女が。
「ーー…」
あまりの可憐さに、呼吸を忘れそうになった。
「髪型は当日きちんとしますけど…変ではありませんか?」
「……………………すごく似合っている!…いつものドレスとは違うけど…すごく綺麗だ……」
普段の可愛らしさを最大限に発揮するかのような愛くるしいドレスももちろん似合っていたが、無駄のないドレスはシンプルで、だからこそ大人びて見えて、本当に綺麗で。
ルードヴィッヒの返答はジュエルにとって満点だったようで、嬉しそうな笑顔がとても可愛かった。
「私、本当はこういった大人びたドレスを着たかったんですの」
「…でもいつもは」
「いつもはミシェルお兄様が選んでくださいますの。もちろんお兄様の選んでくださるドレスも好きですけど…」
少し言葉がもごつくのは、兄の選んだドレスを悪く言いたくなかったからだろう。
「ドレスを作り替えたこと、お兄様には内緒にしてくださいね」
不安そうにしながら、シーっと口元に人さし指を添えながら。
「も、もちろんだ!!」
こんなに綺麗で可愛い姿を独り占めできた事実が嬉しくて、しかも普段とは異なる美しいドレスを着たジュエルを初めて見たのが自分であることが嬉しくて、今にも走り出したくなるほど興奮しそうになった。
「普通に動く分には何も違和感はないのですが、踊るとなると不安でしたの」
くるりとその場で軽やかに回って、そのままルードヴィッヒの元に訪れて。
嬉しそうな、照れたような笑顔で見上げてくる。
「さ、踊りましょう!」
両手を出してくる無邪気な姿に、心臓が爆発しそうになった。
「だ、だが…曲がないと…」
自分からダンスを申し込んでおきながら後ずさってしまい、ジュエルが少しだけ頬を膨らませた。
「歌って差し上げますわ!」
強引に両手を合わされて、触れ合ったその指の小ささに驚いて。
抱きしめられる距離にいるジュエルが、可愛らしい鼻歌で歌い始めた。
ルードヴィッヒの耳にも馴染むその曲は、エル・フェアリアの子守唄だ。
ゆっくりとした優しい歌に合わせて、穏やかにステップを踏む。
ジュエルはドレスの出来を不安に感じていたが、共に踊る限りでは何も不備は見えなかった。
薄く軽いレースの生地が少し踊るだけでもふわふわと波打つように舞い上がる。
甘い香りは、どこから溢れてくるのだろうか。
最初こそ緊張でドキドキと胸が高鳴りステップを間違いそうになったが、次第にルードヴィッヒもジュエルとの二人だけのダンスタイムを楽しめるようになってきた。
ラムタルに到着してから大会の為にピリつき続けた精神が優しくほぐれていくような。
思わずジュエルの鼻歌に合わせて子守唄を歌ってしまい、ジュエルは嬉しそうに見上げてきながら鼻歌から歌声に変えて。
まだルードヴィッヒも幼かった頃、こうやってジュエルと歌って踊った記憶が蘇る。
あの時はジュエルに合わせてあげていただけだ。
でも今は、心から楽しいと思える。
ジュエルも同じ気持ちだろうか。
優しく歌いながら、やわらかく踊りながら、この時間が長く続けばいいのにと心から強く願ってしまった。
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