第97話
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「ーーギリギリ間に合ったね」
コウェルズが駆け足で辿り着いたのは武術試合が行われている闘技場内で、間に合えばという願いが叶って何とかルードヴィッヒの試合開始前にジャックと合流することが出来た。
「ジャック殿!」
エテルネルの仮面は外さないままにジャックに呼び掛ければ、彼の隣にいたトウヤが先にこちらに振り返り、その後なぜか恐る恐るジャックの方に目を向けてから苦笑いを浮かべて、そろりと離れて行ってしまった。
トウヤはルードヴィッヒの試合を観戦する為に、親しくなった他国の戦士の所に合流していた。
「…ジャック殿?こちらは無事に第二試合を勝ちましたよ。ルードヴィッヒは今からみたいですね」
こちらを見ようともしないジャックに話しかけながら隣に立ち、少しだけ遅れてダニエルとジュエルも横並びに訪れて。
「…………ダニエル、ちょっといいか?」
何故かジャックは一度もこちらを見ることをせず、どこか怒りを我慢しているような声で双子の弟に訊ねるのは。
「問題児の腕が落ちたと聞いたんだが?」
情報伝達の早さに、一瞬だけ呼吸を忘れてしまった。
「…ラムタル国の治癒魔術師が綺麗に繋いでくれた。今は傷ひとつ無い」
そしてコウェルズの隣に立ったダニエルも少しキレ気味で。
ダニエルがキレているのは、コウェルズの試合終了時からなのだが。
ダニエルの怒りから逃れたくてルードヴィッヒの試合観戦に急いで来たというのに、両横を鬼に挟まれてしまった。
「その治癒魔術師は、本当にラムタルの治癒魔術師だったのか?」
「それは今晩ゆっくりと聞くつもりだ」
二人分の怒りに、コウェルズは口を閉じ続ける。
コウェルズの腕を治した治癒魔術師の女性に面識のあるジュエルも、コウェルズと同じように強く唇を閉じて俯いて。
今晩は眠れないかもしれない。
一度目の花火が打ち上がるのを見上げながら、コウェルズはそれよりもさらに遠い場所を見たい気分になった。
「……あなたはいつになれば、我々を信頼してくださるのですか」
花火の音に紛れて、ジャックの言葉が耳に入り込む。
一人で行動するなと、今まで何度言われてきたことだろう。
それがどれほど忠臣を苦しめているか分かってきたはずなのに、また繰り返した。
これからも何度も繰り返すのだろうか。
信頼していないわけではないのだが。
コウェルズが行動した方が確実で早いと思ったから。
だから。
「…………すまない」
試合開始を告げる二発目の花火が打ち上がると同時に、コウェルズはコウェルズとして、ジャックとダニエルに謝罪を口にした。
すまない。その後に心の中だけで、だが、と付け足して。
観客が沸く声を聞きながら、こちらは男性客の方が多そうだと声援から察した。
試合開始と同時にルードヴィッヒは先手必勝とばかりに姿勢を沈めて相手に向かう。二戦目の相手はヤタ国のバックス。
ヤタ国といえば、深い山々に囲まれた国だ。その戦闘スタイルは千差万別の樹木の生い茂る中で磨かれた素晴らしい武術や弓術で、代わりに剣術はあまり磨かれてこなかった。
どうやらバックスはルードヴィッヒに奇妙な視線を向けている様子で、無事に試合が終われば良いのだがと願ってしまう。
「ひっ…」
ジュエルの小さな悲鳴は、ルードヴィッヒがバックスに捕まったところで聞こえてきた。
そっと小さな身体に目を向けると、ジュエルは両手を握りしめて戦闘を見ないように俯いていて。
ジュエルが怖がっている姿に気付いたのはコウェルズだけではなかった。
さすがにこの距離からの観戦は近すぎたのだ。それにジュエルは、コウェルズの二戦目で血を見ている。
治癒魔術師になりたいと言うならば酷い怪我にも慣れるべきなのだろうが、蝶よ花よと育てられた彼女にはまだ衝撃の方が強いのだろう。
ジャックとダニエルと一瞬だけ視線を合わせて、ダニエルがジュエルを陣営まで下がらせた。
「…ルードヴィッヒ殿はどこまで力を発揮できるでしょうか」
「そうだな…戦闘スタイルを見ても相手が悪いが…向こうはルードヴィッヒを舐めている様だから、そこを突けば勝機を見つけられるかもな」
未熟ゆえに舐められている、その一点が、今のルードヴィッヒにとっては幸いとなっていると。
ルードヴィッヒを大会に出場させたのは、彼の実力の蓋を強引にこじ開ける為だったが。
「…一戦目も二戦目も、相手が悪かったな」
ニコルとパージャの命を狙った前黄都領主バルナ・ヴェルドゥーラのせいで酷いトラウマを植え付けられた。その恐怖を払拭させて、若い騎士達を引っ張る実力者にしたかったが。
「一戦目は相手が弱すぎて、二戦目はルードヴィッヒ殿のトラウマを刺激しかねない…八強には入ってほしかったのですがね」
「アドルフ隊長も俺も、それくらいのレベルには育てたつもりだったがな」
ルードヴィッヒの大会出場を決めてすぐに、訓練はコウェルズの護衛部隊長であり王族付き総隊長でもあるアドルフに付きっきりで任せ、ラムタル出発から今に至るまではジャックに任せてきた。
ルードヴィッヒが未熟であることは隠しきれない事実で一回戦敗退も覚悟はしていたが、目標としては今大会の八強を狙ってはいたのだ。本人の負担とならないようルードヴィッヒには伝えていないが。
各国の戦士が集まるこの大会は、名実共に国の威信がかかっている。
ファントムの登場とリーンが攫われたせいで失墜した大国の名声を取り戻す為にも、大会でそれなりの成果を上げることは必須だった。
恐らくコウェルズの実力ならば八強には入れる。もちろんそれ以上を狙ってはいるが。
だがルードヴィッヒが八強に入ってくれたならば。
大会の記録を更新することになるのだから。
16歳のルードヴィッヒは、エル・フェアリアでは成人を迎えていても、ラムタルやいくつかの他国では未成年でもある。
今までの大会史上最年少は十数年前の19歳。
ルードヴィッヒは出場しただけでも最年少記録を塗り替えはしたが、それだけでは足りないのだ。
今回エル・フェアリアでは、正規の選出を行なっていないのだから。
毎年国内で大会出場者を決める試合が行われていたが、今年はファントムの件もあって見送られた。
その隙をついて出場したルードヴィッヒは、単に大会開催国の顔を潰さない為の選出だと思われているのだ。
エル・フェアリアでも高貴な血筋である紫都の子息なのだから。
だから実力もあるのだと知らしめなければならない。
その為には大会史に記録を残す必要があるのだ。
史上最年少の箔を。せめて八強に入りさえすればその名声は手に入る。
二戦目の相手であるバックスはルードヴィッヒを弄んでいるかのような動きを見せ、本気を出していないことは明らかだ。
途中途中で何やら話しかけている様子を見せるから、ルードヴィッヒからは怒りや苛立ちが見え始めている。
「ルードヴィッヒ殿が相手より優れているのは体力くらいのものですね…」
コウェルズの二戦目とよく似ている。
コウェルズの二戦目も、それなりに相手が悪かったから。
そう思っての発言だが、ジャックはコウェルズよりルードヴィッヒがよく見えている様子だった。
「体力だけじゃない。気力に根性、あいつはその面では誰よりも優れている。その辺りはスカイのしごきが効いているみたいだが、おかげでアンデットなみに喰らい付いてくるからな」
不屈の精神力と負けず嫌いは大会一だろう、と。
「…それでも、やはりものを言うのは実力だがな」
結局は勝てそうにない、とジャックが口にする通り、ルードヴィッヒが首筋を掴まれて床へと叩き付けられた。
ここに至るまで健闘した方だと讃えたい。
トラウマを克服させ、戦士としての能力を開花させてやりたかったが、まだ早かったのだ。
ルードヴィッヒが沈みきらずに馬鹿力を発揮して腕の力だけで起きあがろうとしているので審判員も様子を伺っている状況だが、長くは見守ってくれないだろう。
誰の目にも明らかな戦力差と戦況があれば、審判は試合に見切りを付ける。
そして観客達も状況に気付いている様子で、ルードヴィッヒの健闘に拍手が上がり始めていて。
「…充分だーー」
ジャックも諦めの言葉を口にした、その瞬間だった。
闘技場中に広がる、風を打つ凄まじい音が響き渡る。
パンッ、と、布が風を打つような。
その音は試合中何度かルードヴィッヒが素早く動く度に聞こえてはいたが、今ほどの音量ではなかった。
そして。
目の前に広がる光景に、闘技場内が静まり返った。
バックスの拘束を抜けたルードヴィッヒが、顔中を血まみれにしながら、静かに立っていた。
額と鼻から出血して、肌色の箇所はほとんど無い。
ガウェから譲ってもらえたと嬉しそうにしていたのに、戦闘着も無惨に赤に染まってしまって。
痛ましい姿だが、ルードヴィッヒは無表情のまま、というよりも今まで見たこともないほど冷静に見えた。
審判に何か話しかけられて、コクンと頷く。
恐らくはこのまま続けられるのか訊ねられたのだろう。
まだ負けていない。
喜ばしいはずなのに、静かすぎるルードヴィッヒの様子が気がかりだった。
「…いったい何が…」
普段のルードヴィッヒはスカイに似て暑苦しいほどの戦闘スタイルだというのに。
観客達はルードヴィッヒがバックスの拘束から逃れたことに歓声を上げていたが、試合を見守る戦士達は様子が変化したことを察して注意深く静観し始めた。
バックスと一定の距離を保っていたルードヴィッヒが、顔の血を拭わないまま体勢を低くする。
最も近くでその変化に気付くのは戦闘中のバックスで、今までは気楽に躱していたというのにルードヴィッヒの構えに合わせて自らもヤタ国の武術の構えを見せた。
どちらが先に動くのか。
突如先の読めなくなった展開に息を殺して見守る。
「…キレたな」
ボソリと呟いたジャックの言葉に、コウェルズは無意識に眉を顰めてしまった。
ルードヴィッヒは異常なほど冷静に見えるのだから。
皆に見守られる中で先に攻撃を仕掛けるのはバックスだった。
鋭い眼差しでルードヴィッヒの肩関節を狙うが、その手が触れるより先にルードヴィッヒが一歩分身を引き、開いたスペースに向けて膝蹴りを。
空を蹴るかのようだったが、ルードヴィッヒの手はバックスの前髪を掴んでいた。
エル・フェアリア貴族達の習う武術としては反則に近い技だが、髪を掴まれたことにより前のめるバックスの顎に膝蹴りが見事に決まる。
「あんな技、どこで…」
ジャックも驚いているが、コウェルズはその品のない戦術に見覚えがあった。
「……ニコルだよ」
騎士団に入る前は、争いの残る地域の最前線にいたニコル。彼の訓練はいつだって、綺麗事など許さなかったから。
誇りや高潔さなど不要だと切り捨てる、生き残る為だけの戦術。そのひとつまみが、ルードヴィッヒの中で芽吹いた。
バックスは見事に顔面に膝蹴りをくらって一瞬目を回すが、その隙をルードヴィッヒは見落とさなかった。
鮮やかな赤がルードヴィッヒと踊るように舞う。
それはルードヴィッヒの血がこびりついた戦闘着だ。
エル・フェアリアの貴族らしい豪華で軽く上等な生地をふんだんに使用した戦闘着が、ルードヴィッヒの動きに合わせて舞い踊る。
時おり風を打ち、耳に心地よい布の音が歓声に掻き消されることなく響き渡っていく。
素早く凄まじい動きにバックスは完全に翻弄されていた。
ここまで動けるなど、誰にも想像できなかったはずだ。
ふらりと傾ぎ続けるバックスを、四方八方から素早く動くルードヴィッヒが連撃していく。関節技を駆使するバックスより速く動いて身体に手が届く時間を与えていないのだ。
しかも連撃の一発一発が、かなり重い。
小柄とはいえルードヴィッヒの全体重がかかっているだろう力技に、さらに速さの衝撃が加わるような。
上半身や頭を狙い撃つからバックスが防御の為に腕で頭を覆えば、すかさず今度は身を低くして足首を狙う。
たまらずよろけたバックスが場外へ落ちそうになり、観客達は凄まじい歓声を上げた。
ここで最後の一発として蹴るなり打つなりすれば、バックスは場外に落ちて負けが決まる。
だがルードヴィッヒは打たなかった。もちろん、蹴り技も。
またも後頭部の髪を掴んで、戦闘場側へと引きずり倒す。
その顔は、恍惚とした微笑みを浮かべていた。
「あいつ…笑ってやがる」
まるで楽しいおもちゃを手に入れた無邪気な幼子のように、残酷に。ぺろりと、自らの唇にまで届いた血を舐めて。
バックスも何かを悟ったように表情を変えた。
戦闘場に尻を付いた状況。ルードヴィッヒが手を伸ばして近付くから、体勢を整える間もなく情けなく後退っていた。
それでもルードヴィッヒの手が届く方が早く、逃げようとするバックスの腕を掴んでから開いた拳で顔面を打とうとして。
『ーーそこまで!!勝者、エル・フェアリア国ルードヴィッヒ!!』
バックスの腕を掴んでいたルードヴィッヒの腕を審判がさらに掴み、早口で強引に試合を終了させた。
花火も打ち上がり、勝者を宣言する。
途中で戦闘が止められて観客からはわずかにブーイングが出たが、バックスが戦意を喪失したことによる正当な判断だった。
「…これは……勝ちでいいのでしょうか?」
素直には喜べない異変にコウェルズは首を傾げるが、勝ちは勝ちだとジャックもため息混じりの半笑いだ。
確かにそうなのだろう。
ルードヴィッヒの状況がわからないが、キレていようが何だろうが、この試合には勝てた。
「…なら次の対戦相手は、恐らくラムタルのウインドですね」
ラムタル国の試合は一番最後なのでまだ試合結果はわからないが。
第一試合すら見てもいないのにウインドなら余裕で勝つだろうと思えたのは、リーンを奪われた日にウインドの力量を見ているからだ。
試合が終了したのでジャックが線引きのロープを越えてルードヴィッヒの元へと走って向かうから、コウェルズもその後を歩いてついて行く。
ちらりと後ろに目をやればダニエルとジュエルも駆け寄ってくるのが見えた。
「ルードヴィッヒ!!」
ジャックはルードヴィッヒの元に到着した様子で叫ぶように名前を呼んでいる。
また目線をルードヴィッヒに向ければ、勝ったというのに喜びもせず、動こうともしないルードヴィッヒがいた。
戦闘場の上で、尻餅をついたままのバックスを前にして動かない。
やはり様子がおかしい。これほど静かにキレているなど、何があったのか。
コウェルズも向かっている最中にルードヴィッヒが一歩バックスに近付こうとして、審判が緊張した様子でルードヴィッヒを止めに入っていた。バックスは赤黒いアザの出来た顔を青白くしながらずりずりとルードヴィッヒから逃れようとする。
様子がおかしすぎる。
コウェルズも歩みの速度をやや早めて到着すれば、ルードヴィッヒは審判に背中を押されて戦闘場からようやく降りてきた。
『…ヤタ国のバックス殿が試合中に酷い侮辱行為を…エル・フェアリアとして抗議なさいますか?』
俯いたままのルードヴィッヒの後ろから、試合中に何があったのかを審判が教えてくれる。
どんな侮辱行為だったのかまでは話さないが、審判の顔を見る限り本当に酷いものだったのだろう。
ジャックが俯くルードヴィッヒの顔を覗き込んで、血に染まってしまっている中から傷を探す。
幸い深手は無さそうで、ジャックは自分の袖で半ば強引にルードヴィッヒの顔の血を拭き取った。
そして一度ちらりとバックスを目に映してから審判に顔を向けて。
『いや、抗議はやめておく。どんな侮辱行為かはわからないが、挑発も立派な戦術ではあるからな。それにヤタ国側も…馬鹿なことをしたと身を以て理解しただろう』
ジャックの静かながらの怒りの声。
怒りを押し殺せているのは、ルードヴィッヒが試合中に自らバックスに分からせることが出来たからだ。
完全に戦意を喪失して動けないでいるバックスを、ヤタ国のサポート達が訪れて慌てながら回収していく。
サポート達はこちらに目を向けはしたが、目が合うと逃げるかのようにサッと顔を逸らしていた。
「ジャック殿、我々も戻りましょう」
次の試合が押してきているので静かに伝えて、ルードヴィッヒを真ん中にして三人並んで戦闘場を背中に回す。
ルードヴィッヒは素直に着いて来るが、無言のままだ。
怪我の手当もしなければならない状況で、今はとにかくどうするべきか。
考えを巡らせようとした頃合いで、ルードヴィッヒが突然パッと顔を上げた。
何事かと思えば。
「ルードヴィッヒ様!!」
ロープを越えない場所でダニエルと共に待っていたジュエルが、ルードヴィッヒに懸命に呼びかける。
その声に我に返るかのように、ルードヴィッヒの目には普段の様子が戻ってきていた。
「…ジュエル……私の試合を見てくれたのか?」
血まみれの顔とは不釣り合いの、年相応の驚いた顔と声。
ジュエルはルードヴィッヒの痛ましい姿に涙を流しながらも、何度もコクコクと頷いた。
「来てくれたのか……わ、私は勝てた!!」
血まみれの顔面のまま、嬉しそうにへらりと頬を緩めるルードヴィッヒに。
「そんなのっ…見ればわかりますわーー!!」
ジュエルの泣き声が闘技場中に響き渡って、しばらくは誰の耳からも離れなかった。
第97話 終