第97話
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二回戦準備の指示を受けてイリュエノッドの陣営を出れば、コウェルズの姿を見た一般の観客達から凄まじいほどの声援を浴びた。
甲高い超音波のような声援が全て自分に向けられているとわかり、さすがのコウェルズも苦笑いを浮かべる。
それでも悪い気はしないのでサービスのつもりで一番近い場所にいる観客の娘達に手を振れば、ギャアァァというあまりよろしくない悲鳴と共にラムタル語で『王子様』と叫ばれた。
エテルネルとして参加しているというのにまさか一般客にもバレたのかとギクリと固まれば、どうやらラムタルの観客達はコウェルズの見た目だけで単に「王子様」の称号を与えた様子で。
周りの陣営からも物言いたげな半笑いの視線を受けながら、コウェルズは歩みを再開した。
「エル・フェアリアでは剣術は女性達に不人気なんだがな」
一部始終を見守っていたダニエルがコウェルズの後ろからぼやき、ジュエルは奇声に近い声援にドン引きながら怖がるようにダニエルに身を寄せて。
「二回戦でこれだと、最終日が恐ろしいですね」
開き直ってダニエルに向けてにこりと微笑めば、調子に乗るなと眉を顰められた。
「あの…一回戦より観客の皆様が増えていませんか?」
ジュエルがそんなことを聞いてくるものだから改めてぐるりと見渡せば、確かに増えている。しかも、女性ばかりが。
現状を見る限り、大半のお目当てはコウェルズで間違いないはずだ。
お陰でエル・フェアリア出発直前にエレッテのせいで萎れた己の見た目の自信を取り戻せそうだ。
「気を引き締めるんだぞ。一回戦のような馬鹿な失敗は二度とするな」
「わかってますよ」
せっかく清々しい気分に浸っていたのに、ダニエルに現実に引き戻されてしまった。
立ち入り規制のロープをコウェルズだけが越えて、戦闘場へと上がって。
ちらりとダニエル達に目をやれば、ダニエルはあまり不安を感じていないかのように笑いかけてくれたが、ジュエルは不安が勝るのか両手を胸元で握りしめて見上げてくるところだった。
剣術においては凡人であると、ダニエルからははっきりと言われてしまっている。
それでもそれなりに腕が立つのは、王子であるコウェルズの為に多くの天才達が指導に当たってくれたからだ。
大会出場者や関係者達にはコウェルズの正体がほとんどバレている状況で、1日目で負けるわけにはさすがにいかない。
それはコウェルズのプライドと、そしてこの城のどこかにいるリーンの為に。
リーンを救う為にここまで来たのだと、強く抱きしめて伝えたい。
妹が七人いたとしても、誰一人欠けてはいけなかった。
だというのに五年前、コウェルズはリーンを失った。
五年間も苦しめてしまった。
リーンが居なくなってしまって、残された六人の七姫達はそれぞれが二度と愛する者を失わないようにと切に願い生きてきた。
コウェルズもだ。
ここで負ける程度の実力しか持たないなら、誰も守れないだろう。
自国を背負う大会は、国の為、そしてコウェルズの実力を示す為。
深呼吸をして、集中する。
観客達の声援を自分から切り離し、同じ戦闘場に立つ対戦相手と目を合わせた。
一回りは歳上だろう相手は、コウェルズを前にしても緊張も警戒もしていなかった。
初戦の相手とは全く異なる。
それは彼がかなりの実力を持つからなのだろう。
相手もコウェルズに負けるつもりがないのだ。
コウェルズより長く剣の腕を磨いたであろう相手に、どう戦うべきか。
頭の中に何通りも戦術を思い描いて、緊張からわずかに笑みを浮かべて。
審判の合図で、互いに鞘を抜く。剣の柄には、サリアがコウェルズの為に作ってくれた剣穂が揺れる。
ーー必ず勝つ
己の為に、リーンの為に。
一度目の花火が打ち上がり、観客達の歓声がいっそう強くなって。
コウェルズと対戦相手の試合は既に始まっているような状況の中、開始の合図である二度目の花火が盛大に打ち上がった。
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エル・フェアリアの剣術試合が始まるのを、遠くから眺めていた。
遠くからとはいえ、闇色の藍の髪は魔力で銀に変えて。
視線の向かう先でガイアの大切な息子だったコウェルズが、剣を握りしめて対戦相手と向かい合う。
試合開始の合図である花火が打ち上がると同時にガイアが出来たことは、怯えて強く目を閉じることだけだった。
怪我をしないようにと切実に願って。
本当は闘技場に訪れるつもりはなかったのだが、コウェルズの第二試合が始まると聞いてしまい、ガイアの魂に寄り添うクリスタルの魂が強くコウェルズを求めたのだ。
今はルクレスティードのそばにいてあげたかったのに、最低な母親だと自分自身を非難する。
ロードにルクレスティードを頼んで、少しだけコウェルズの姿を。
行くなと止められるかと思ったが、ロードはガイアを止めはしなかった。そしてルクレスティードからは「どんな戦いだったか後で教えてね」と。
聡いルクレスティードは察したのだろう。コウェルズと自分の関係性を。
闘技場に向かう道のりでは遠くから少しだけと心に伝えて、記憶の中の幼いコウェルズを思って。
コウェルズの幼少期の記憶はクリスタル王妃のものだったが、今はまるで完全に自分の記憶であったかのように自然と思い出すことが出来る。
他人の記憶のはずなのに。
それともコウェルズがガイアにとって特別だからなのだろうか。
ガイアの手から無理やり奪われた二人目の息子を思い、無事を願い。
「ーーガイア様、こちらでご覧になられますか?」
ふと話しかけられて、ガイアを知る数少ない人物に顔を向けた。
バインド王に忠誠を誓った、ラムタルの剣術出場者のイデュオ。
後ろから話しかけてくれた青年は、観客席ではなくグラウンドに来てしまったガイアをラムタルの陣営に招待しようとしてくれる。だが首を横に振って拒んだ。
ガイアがいることがバレてしまってはいけないから。そしてすぐに立ち去るつもりでいたから。
イデュオはガイアとコウェルズの関係を知りはしないが、ガイアの表情から何かしらは感じ取った様子が窺えた。
アダムとイヴにしろ、イデュオにしろ、バインドに忠誠を誓う若者達はみな、他人の感情に敏感すぎて少し困る。
迷惑というわけではないのだが。
イデュオはもっと近くで試合を見てくると話してからすぐに戦闘場近くへと向かい、ガイアもその場から動くことなくコウェルズへ改めて目を向けた。
始まっている試合と、白熱する声援。
圧倒的に女性達の声が多いのは、コウェルズの見目が麗しいからなのだろう。
兄弟だからか、ニコルと似ている箇所はある。でもそれ以上に、ロードの面影が強くあった。
幼少期は貧しい生活を送った為か野生的なニコルとは全く異なり、王家としての誇りと自信を強く持つからか。
ガイアは剣術などからっきしだが、コウェルズの剣技もロードとよく似ていた。
ロードよりも遥かに技が軽い気がするのは、圧倒的に経験値が不足しているからだろう。
ロードは、大戦を生き抜いたのだから。
対戦相手の方はコウェルズよりも剣術に長けている様子が目に見えて、不安がより強くなった。
圧倒的に分が悪い。それでもコウェルズは相手より上回っているのだろう体力を武器に攻め続けていく。
身軽さには、相手も少し苦戦しているようで。
何よりも相手の剣先がコウェルズを切り裂く寸前で見事に逃れるものだから、その度に観客席からも感嘆の声が溢れていた。
どうか、無事に勝って。
そう強く願ってしまい、すぐに離れるはずだったのに足は立ち止まったままで。
この試合だけ。
今だけ。
産んだ記憶すら奪われた大切な息子が、これほどまでに逞しく成長してくれていたのだから。
ガイアの感情と、クリスタルの魂の感情が昂っていくようだった。
その感情に全身がコウェルズに集中する状況の中。
「ーーっ…」
視線が。
あまりの出来事に呼吸が止まる。
一瞬だが、試合中のコウェルズと目が合ってしまった。
コウェルズはすぐに相手へと集中した為に試合の妨げにはならなかったが、完全に目が合ったと確信できた。
どうしよう、と肩が震える。
今すぐ離れなければ。
コウェルズがガイアに気付いたかはわからない。髪の色は変えているし、何より遠くてガイアの顔を確認できないはずだから。
それでも。
ーー離れよう
これ以上は危険だと自分に言い聞かせて、最後にコウェルズをひと目見ようと視線を戻した時だった。
血飛沫が視界に映る。
鮮やかすぎるほどの真紅が、コウェルズの腕から。
一瞬で闘技場は静まり返り、落ちていくコウェルズの左腕が床に付いた時にはゴトリと音が聞こえたような気がするほどだった。
あまりの出来事に誰もが固まるーーコウェルズ以外。
コウェルズは対戦相手に出来た隙を見逃しはしなかった。
剣を持つ右腕で鋭く相手の喉を突く。
本当に突いたわけではない。だが相手は己の剣を落とした。
騒然とする中で、勝者に捧げる花火が打ち上がる。
審判が奮い立たせるような声で“エテルネル”の勝利を宣言する。
血濡れた戦闘場に立つコウェルズに多くの者達が急ぎ集まっていく。
その全てが、今のガイアの目には映っていなかった。
「いやああああああぁぁ!!!!」
叫んで、走る。
涙が滲んで、視界が滲んで、それでも全速力で我が子の元へと向かった。
苦悶の表情を浮かべて唇を噛み痛みを我慢しているコウェルズはその場に膝をつき、左腕を心臓の位置より高くして止血の為に右手で強く押さえている。
怪我人の為に待機していたラムタルの治癒魔術師達が落ちたコウェルズの左腕を拾ってすぐに治療に掛かろうとしていたが、治癒の為の魔力も質も、何もかもがもたついて見えた。
「ーーコウェルズ!!」
叫んで、治癒魔術を魔力弾のようにコウェルズに向けて放ち、すぐに戦闘場に上がって、邪魔な者達をかき分けて。
「どいて!!」
とろくさい治癒魔術師からコウェルズの腕を奪った時にはもう先に放っていた魔力弾で止血は完全に終わっていた。
その場にいる全員の視線がガイアに集中する中で、ガイアは全神経を切り離された腕に集中させた。
己の魔力を迅速かつ繊細に操り、腕の繊維を全て間違えることなく繋ぎ合わせていく。
『……早い』
見守られ続ける中で、呟いたのは一人だけだった。
血濡れの状況では視認が難しく多くの治癒魔術師がもたつくだろうが、ガイアには見ずとも最速の道がわかる。
ボロボロに溢れていく涙が頬を濡らしていく中で、ひたすら腕に治癒魔術をかけ続けて。
独特の白い魔力がどこにも逃げないまま全てコウェルズの傷に向かい、やがてピクリと、切り離されていた手の指先が動いた。
無事に腕が繋がったのだとホッとするよりも先に、逃がさないとでも言うように治療を施した左の手がガイアの腕を強く掴んだ。
『…感謝します。お礼をさせていただけませんか?』
まるで怪我など無かったかのようにニコリと微笑まれるが、その顔色は失った血液の量だけ青白くなっていた。
「…ぁ……」
我に返り動揺するガイアの腕を、コウェルズは離そうとしない。
妖艶な笑みも、ロードによく似ていた。
コウェルズの背後には、たった数日前に出会ったジュエルがおろおろとコウェルズとガイアを見下ろしていて。
まさか、全て計算の上での行動だったのか。
ジュエルからガイアの話しを聞いていて、かつ試合を見に来ていたガイアを誘き寄せる為にわざと腕を斬らせたのか。
そんなはずないと思えないのは、あまりにもロードとよく似た表情をするからだった。
ラムタルの城の階段で、たった二度だけ顔を合わせただけのガイアを覚えていたのか。
掴まれた腕を少し引くが、コウェルズの手の力が増して絶対に離さないと告げてくるようで。
迂闊だった。
大会では怪我は日常で、とくに剣術試合では切られた身体をすぐに繋ぐ為に武術試合側より治癒魔術師が待機している状況なのに。
ガイアが助けずとも、時間がかかろうがコウェルズの腕は繋がったのに。
どうすればいいのか。
こんな人前で逃げる手段もわからない中で、思わずコウェルズの後ろに立つジュエルに目を向けてしまった。その数秒後だった。
『…………っ…え、エテルネル!!無事ですか!?』
ジュエルがコウェルズの左腕に強くすがりつき、その弾みで掴まれていたガイアの腕がコウェルズから離れた。
まるで助けてくれたかのような状況に甘えてすぐに離れるガイアを誘導するように、すぐ近くにいたイデュオが自然な動作でコウェルズから逃してくれた。
一瞬の隙を付くように逃げて、その後振り返っても、もうコウェルズの姿は人に溢れて見ること叶わなくて。
『…早く離れてください』
イデュオから耳打ちされて、背を向ける。
騒然とし続ける闘技場の中で、ガイアは小走りに離れながらも改めて身震いをした。
大切な我が子。
でも。
手段を選ばないその思考はあまりにもロードに似ていて、ゾッと背筋に悪寒が走った。
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