第96話


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『ーー勝者、エル・フェアリア国、エテルネル!!』
 優雅な笑みを浮かべながら剣を鞘に収めた瞬間、観客席からは盛大な拍手と女性達の華やかな声が甲高く耳に飛び込んできた。
 大会の観客席を埋めるのは九割近くがラムタル国民達で、コウェルズの正体は知らないはずだ。だが遠くからでもわかるほどの黄金の髪と美貌に、ラムタルの女性達は“エテルネル”の虜となった。
 声援は有り難いとばかりに観客席へと手を振れば、さらに声は甲高いものとなっていくのが面白かったが審判達に止められて。
「…完敗です」
 ふと聞こえてきた母国語に、コウェルズは無意識にそちらへと顔を向けていた。
 声の主はたった今コウェルズが打ち負かした相手だ。
 年頃ならコウェルズよりも少し上程度の、若い青年。
「…こちらこそ、貴殿と戦えたことを幸運に思います。素晴らしい技術と経験を与えてくれる試合でした」
 感謝と共に手を差し出せば、対戦相手も剣を鞘に収めてから握り返してくれる。
「我が人生の宝となるほど勿体ないお言葉です。…大会終了後は自慢してもよろしいでしょうか?」
 その言葉に、彼がコウェルズの正体を知っているのだと改めて実感する。
「勿論です。貴殿の栄誉の為にも、勝ち進むと約束いたしましょう」
 長い握手と、お互い遺恨のない笑顔と。
 その様子に歓声の黄色さがさらに増すので、二人して審判達に戦闘場から追い出されてしまった。
 観客席を見渡せば、各国の王族や要人達が剣術試合の観戦に来ていることが知れるが、バインド王の姿はない。
 見てくれていなかったことに少しだけ不満を感じたのは、幼少期から親交があったからなのだろう。
「エテルネル!お疲れ様でした!!」
 ぱたぱたと軽やかに駆け寄ってくれるジュエルからタオルを受け取り、試合結果に満足そうなダニエルに微笑み返して。
「いかがでしたか?」
「予想以上に相手が強かった様子だな」
 純粋に褒めてほしかっただけなのだが、剣術の生きる伝説はコウェルズの戦闘中の機微を見逃してはいなかった。
 確かに対戦相手はコウェルズが予想するより遥かに強かった。
 相手に対して侮っていた。だがすぐに考えを改めて何とか勝ちを得た。
 それらをダニエルは見逃してはいなかったのだ。
「良い経験を得られて良かった」
 そのまま背中を見せて先に立ち去るダニエルは、恐らくは今の対戦相手に会いに行くのだろう。
 ダニエルと話したそうにしていたから、サービスを兼ねたコウェルズの正体の口止めだ。
「さて、二回戦まで時間がありますし、私達は先に合流場に行って少し休みましょうか」
「あ、はい…」
 残されたジュエルと共に屋内の休憩所に行こうとするが、返事はどこか上の空で。
「ルードヴィッヒ殿が心配ですか?」
「え、そんな…あの…」
 言い当てられて、動揺して声が震えている。
 その心配の理由が知りたくなった。
 ラムタルに訪れてからルードヴィッヒがジュエルへ恋愛感情を見せてくれたことは非常に喜ばしいことなのだが、ジュエルはどうなのか。
 この二人が結ばれてくれたなら、良質な魔力を持つ次代が産まれることは確実だ。しかもルードヴィッヒもジュエルもまだ若い。ジュエルの両親を見る限り、産む数も三人程度で済ませることはしないはずだ。
 そこまで考えて、まだジュエルの胸中がどうなのかわかっていないと自分を戒めて。
 命じればジュエルはルードヴィッヒとの婚約を受け入れるだろう。だが心の伴わない関係がジュエルの心を壊してしまっては意味がない。
 そう思えるようになったのは、自分がサリアを愛しているから。そして、ニコルを愛していたエルザが壊れてしまったからだ。
 心などどうにでもなると思っていた。
 だが実際は、身体よりも、思考よりもどうにもならない。
 理解は出来ても納得は出来ないことが多々あるように。
「彼は勝てると思いますか?」
 質問を変えてみても、ジュエルは困ったように眉を顰めるばかりで。
 ここで「勝てる」と言ってやらない辺り、かなり心配しているのだろうとは思えた。
「……ミシェルお兄様が…」
 ふと呟かれた名前は、ジュエルが甘える実兄だ。
「お兄様が…ルードヴィッヒ様のレベルだと間違いなく一回戦で敗退すると…」
「…………」
 なんてことを吹き込むのだと思ってしまい、ジュエルの兄の言葉を信じきる様子にもため息を吐いてしまい。
「…私は彼が一回戦で敗退するとは思えませんね。あの実力には天性の才がありますから」
「…でも」
 未熟さが残るのは当然だ。ルードヴィッヒは若すぎる。だがあの年齢では凄まじいほどの実力がある。
 それでもジュエルは心配一色だ。
 これは相当、兄の影響力が強い。
 ジュエルは素直すぎて相手の言葉をそのまま鵜呑みにしてしまう難点がある。
 そしてどうやらミシェルはそんな妹の難点を上手く使っている様子が垣間見えた。
 このままミシェルの庇護下にい続ければ、ジュエルにとっても良くはないだろう。
 他社の言葉ではなく自分の意思を強く持たせるにはどうすればよいのか。
 考えて、ふと思い出すのは、ジュエルが自ら「治癒魔術師を目指したい」と告げてきた時のことだった。
 思い付きだろうと相手にしなかった言葉ではあったが。
「…お嬢様……以前、治癒魔術師を目指したいと仰られましたよね?目指して、何をしたいのですか?」
 あの時は、コウェルズがその件について訊ねるまで話すなと命じた。
 今ふと訊ねたコウェルズに、何と話すのか。
 ジュエルはまさか人目も耳もあるこの状況でその話題を振られるとはと動揺して、しかしすぐに表情を引き締めていた。
 その表情は、コウェルズの想像していなかったものだ。
 まるで、コウェルズがその話を切り出すことを待っていたかのような。
「エル・フェアリアを、より強固にいたしますわ」
 強い口調。それはジュエル本人の芯からなるものだとわかるほど。
「ここへ来て、多くの国々の皆様とお話しする機会を得て気付きました。我が国を見くびる国々の多さを。理由は沢山あるでしょうが、そのうちのひとつに治癒魔術師の少なさが挙げられます。……なので…」
 流暢に話せたのはそこまでだった。
 緊張がジュエルの視線を泳がせる。だが逃げる為ではなく、説得の為に言葉を必死に探しているからだと気付くことは出来た。
 思い付きで治癒魔術師を目指したいと告げてきたわけではないと、国を思っているから伝えてきたのだとわかる。
「……国の為に、私に何が出来るかはずっと考えていました。ワスドラートお兄様は時期藍都領主になる為に今も学ばれていますし、お姉様達も地方の孤児や病気や怪我で働けない者達の為の保護活動を行っていらっしゃいます。ミシェルお兄様はその活動の為の資金をハンカチの販売などによって賄っていると教えてくださりました。…私だって、出来ることを探さなければならないのですわ…」
 そして、ジュエルの心の内を。
 何も知らない子供のままではいたくないと切に願っていた少女が見つけた、自分にも出来る事。
「私の魔力の質量は、藍都で最も良いのでしょう?」
 優れた魔力があるから。
「私という存在を以て、エル・フェアリアの安全をより強固にしたいです」
 ジュエルの言葉に、ガンと頭を殴られたような気がした。
 コウェルズはジュエルの上質な魔力を、次代の為に使うことしか考えていなかったから。
 ジュエル本人を見ていなかったのだ。それに今気付かされた。
 ジュエルという存在そのものを蔑ろにしていたのだ。
「……ジュエル…お嬢様」
 呼び掛ければ、緊張した表情で見上げてくる。
 涙が浮かんでいるのは、己の思考の未熟さに悔しがっているからなのだろう。
「…後には引けませんよ」
 その意思を認める、と。
 目を見開くジュエルはその場に硬直してしまう。
 ジュエルの為に用意しなければならないものは大量になるだろうが、エル・フェアリアの将来を考えるなら安すぎるほどの投資だ。
 自立心の芽生えているジュエルにとっても、ミシェル離れの良い機会となるだろう。
 物事を良い方向に運ばせる為にも。
「さあ、休憩所に向かいましょう。ルードヴィッヒ殿も試合が終われば来るはずですからね」
 合流の為にも先へ向かおうとエスコートの腕を出せば、ジュエルは今まで見たこともないほどの笑顔を浮かべながらも、凛と大人っぽくコウェルズの腕に手を添えた。

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「ーーお待たせいたしました!」
 武術の第一試合が全て終わった後、ルードヴィッヒは合流地点と決めていた休憩所にいたジュエル達へと一目散に駆け寄っていった。
 コウェルズが勝利したことは早々に聞かされていたが、ルードヴィッヒが勝ったことはジュエル達は知っているのだろうか。
 全力で向かい、ジュエルの目の前で止まって。
「か…勝てました!!」
 呼吸を整える前に言えば、コウェルズもダニエルも安堵の笑みを浮かべてくれた。
 ジュエルにいたっては少し涙目で、自分の為に思ってくれていたのだろうかと胸が高鳴ろうとする。
「そっちも無事に勝てたみたいだな」
 後ろから付いてきていたジャックが余裕を見せながら笑えば、そうでもないぞ、とダニエルは意地悪く笑う。
「最初から慢心を見せて、下手をすれば一手目でやられていた。すぐに気持ちを切り替えたから何とか勝てたようなものだ」
 コウェルズのミスを指摘して、コウェルズも苦そうな笑みを浮かべて。
 そんなことがあったとは驚きで目を見張ってしまい、コウェルズに頭を小突かれた。
「そちらはどんな試合でしたか?」
 自分のミスはあまり話させないようにして、ルードヴィッヒの戦闘を訊ねてきて。
「相手はバオル国でしたでしょう?やり返せましたか?」
 バオル国の武術出場者は堂々とエル・フェアリアを見下した。その怒りは上手く返せたのかと問われて、ルードヴィッヒはジャックを見上げる。
 どう話せば良いのかわからない。
 まさか、圧勝だなどと。
「圧勝だったぞ」
 ルードヴィッヒが言い淀んだことをとっとと言われて、一番驚いたのはルードヴィッヒ自身だ。
 コウェルズ達も嬉しそうに驚いているが。
 どんな試合だったのかを話すジャックに、一番笑うのはコウェルズだった。
 相手が負けを認めずに異例の二戦目を行い、一発で意識ごと吹き飛ばされたのだから。大会で今後も語り継がれるレベルの笑い草だろう。
「弱い相手との闘い方を教えていなかった俺のミスだ…」
「……ですが手加減など、相手に失礼ではないでしょうか?」
 もし自分が逆の立場だったなら、手加減されたくはない。その思いがあったので本音で話すが、そういう問題じゃないとすぐに返されてしまった。
「強者には強者の戦い方があるんだよ」
「……ですが」
 自分が強いとは到底思えないので、あまり喜ぶことも出来なくて。
 そしてその気持ちを汲み取るように、ダニエルがまぁまぁとジャックを宥めてくれた。
「ルードヴィッヒが特別強いわけじゃない。相手が少し…な。他の戦士達は強い奴らばかりだろうから、今はあまり深く考えなくていいぞ」
 硬くなるな、と優しく言われて、しぶしぶ納得して。
「それより…最後まで見ていたんでしょう?彼はどうでした?」
 話題を変えるのはコウェルズで、知りたがっている人物は一人しかいない。
 武術試合の最後の戦闘は、ラムタル国の代表としてウインドが出たのだから。
 ファントムの仲間である彼はどんな試合をしたのか。
 ルードヴィッヒはウインドが出てきてから去るまでの様子を、睨みつけるように見続けていた。
 試合のぎりぎりに現れたウインドは、悪目立ちしていた目に煩い柄のバンダナを頭に巻いてはおらず、人を何人か殺してきたかのような凄まじい眼力のまま戦闘場に現れた。
 共には誰も付けず、ラムタルの陣営にいた者達がウインドの勝手に慌てるほど。
 戦闘は一方的とすら言えなかった。
 一瞬。
 たった一瞬のうちに、対戦相手がウインドの足元に伏し、意識も手放していたのだ。
 力技と流れ技で相手を沈めたとジャックが説明してくれたが、ルードヴィッヒだけでなく共にいたトウヤやクイも技が見えなかったと言っていた。
 ルードヴィッヒの試合後に合流していたラジアータだけはウインドの技が見えていた様子だが、流しながら力を込めるなんて自分には無理だと感心していて。
「…凄まじく手強い相手ということだね」
 ウインドの戦闘を聞いたコウェルズも、想像も付かないかのようだ。
「もしルードヴィッヒ殿が今日の第二試合で勝つことが出来たら…明日は彼と当たるでしょうね」
 勝ち上がれたなら。
 刻一刻と近付く第二試合、そして明日の第三試合を考えてしまい、身体が力むようだった。
「……少しだけ、離れます」
 一人になる時間がほしいと伝えれば、誰も留めずにいてくれたのは有り難かった。
 呼吸を落ち着ける為に深呼吸をして、一番近い場所にあった窓から空を見上げて。
 第一試合の一戦目の記憶を、ルードヴィッヒは手繰ろうと記憶を掘り下げる。
 つい先ほどの試合だったというのに、まるで自然の流れであるかのように曖昧で思い出し辛かった。
 二戦目のことははっきりと覚えているのに。
 バオル国の武術出場者がやり直しを乞うた一戦目、自分はどんな動きをしていたのか。
 戦闘場へと登り、試合開始の花火が打ち上がるのを聞いて、相手が先に攻撃を繰り出してきて。
 相手の隙を見つけたから、そこへ足技を。
 そうするとうまい具合にヒットして、相手は戦闘場から落ちて。
 一連の流れは思い出せるのに、どうして霧がかかるかのように曖昧なのか。
 まるで、ラムタルに到着する前の飛行船の中で起きた出来事の時のようだ。
 突然飛行船が強く振動して、ルードヴィッヒはジュエルの上に倒れた。なのに気付けば、ジュエルを庇って自分が下にいた。
 きっとこれが、ジャックも教えようとしてくれていた受け流しの力なのだと思う。
 思うのに、自分の意識下で正確に行ったものでないから上手く掴めない。
 考えても考えても、逆に身体は力んでいくばかりなのだ。
 どうすればあの感覚を自分のものに出来るのか。
 わからなくて、ため息をついた。その次の瞬間。
『ーー何の用だ』
 突然背後からジャックの声が聞こえて、すぐに振り返った。
 目に映るのは、ジャックの大きな背中。
 ジャックが話しかけたのはルードヴィッヒではなくて。
『…いえ。せっかく次に戦う者同士、少し話せたらと思いまして』
 身体をそらしてジャックの背中越しに向こう側を見れば、そこにいたのはヤタ国のバックスだった。
 レフールセント国のディオーネ嬢を覗き見ようとした、最低な男。
 バックスも第一試合を勝ち上がっていることは知っている。なのでルードヴィッヒがこの後戦うのは彼だが。
『…私に何か?』
 ジャックが間に入ってくれているということは、バックスがルードヴィッヒに近付いたから止めに来てくれたということで。
 ルードヴィッヒが問いかければ、バックスは嬉しそうに微笑みを浮かべた。
『……あぁ、その声も随分と可愛らしいものだ』
 微笑みというよりも恍惚とした表情で呟かれて、ゾクリと背筋に悪寒が走る。
『君と話せる時をずっと心待ちにしていたんだ…次の試合、とても楽しみにしているよ』
 それだけを伝えて、なぜか歩き辛そうに前屈みになりながらバックスは去っていく。
「ルードヴィッヒ!」
 その後すぐにダニエル達が駆け寄ってきて、不気味なものを見るようにバックスの背中に目を向けていた。
「…彼は?」
「ヤタ国の武術出場者だ」
「ヤタ国?…たしか女性剣士の身体検査を覗こうとしたとか聞いたけど…彼かい?」
 ジャックの説明に、コウェルズは驚いて。
「……ルードヴィッヒの次の対戦相手だったね…あれはもしかして…女性剣士が狙いじゃなかったということかな?」
 小声で、どこか緊張しながら訊ねてくるコウェルズに、ジャックが小さく頷いて。
 何かを察したような様子に、ルードヴィッヒは首を傾げる。
「あの男が何なのですか?」
 試合開始前もそうだった。
 何か言いたそうなまま言葉を隠したトウヤとクイ。ジャックにも「お前はそのままでいろ」と言われて。
「…厄介なことにはならないだろうね」
「それはヤタ国にも伝えています」
 ルードヴィッヒを無視して話し込むコウェルズ達に、不満がまた募りそうになるが。
「ルードヴィッヒ様…」
 ジュエルに不安げに話しかけられて、すぐに意識をそちらへと向けてしまった。
「…勝ち上がってくださいませ」
 見上げてくる表情が本当に可愛くて、一気に頬が熱くなった。
「あ、ああ!見ていてほしい!」
「いえあの、見ることが出来ないから…」
 観戦の代わりの応援だと改めて伝えられて、頬の熱が少し冷めた。
 とにもかくにも、じきに第二試合が始まる。
「ルードヴィッヒ…試合以外で俺から離れるんじゃないぞ」
 ジャックに念を押すように強く言われて、その奇妙な雰囲気にまた背筋に悪寒が走ってしまった。

第96話 終
 
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