第94話
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リナト、クルーガー、ヨーシュカの三人を前にしながら、慣れない威圧感に首を少し縮こめる。
リナトに呼び出されて皆から離れたアクセルは、同じ階の別室に足を運んですぐに新たな違和感に気付いていた。
三団長に加えて、女性が一人。
アクセルよりも少しだけ歳上だろうその女性はヨーシュカと同じ魔術兵団のローブに身を包み、アクセルと団長達の四人分の水をそれぞれの前に置いてくれた。
女性などアリアとジャスミンくらいとしか関わりがないが、愛想笑いなども全くなく、最初から今に至るまで無表情のままなのがアクセルの緊張をさらに増幅させてくる。
ここにいるということは原子眼について何か知っているのだろうかとも思ったが、ヨーシュカの座る椅子の後ろ側に立ち、待機姿勢を取るだけで口を開く素振りは全くなかった。
「それで、ニコルからは何か見えたか?」
最初に口を開いたのはヨーシュカで、新たな人物の説明もなしにニコルの件を訊ねられてさすがに口籠る。
「…あの、そちらの方は?……知らない方の前でニコルの話をするのは、さすがに…」
誰だかわからない以上は話せないと伝えれば、ヨーシュカは身体ごと後ろへと目を向けた。
リナトとクルーガーも同じように女性を見つめて。
「小僧、ワシを見た時と同じように、彼女も見てみろ」
「え?」
「ワシやエルザ様と同じ黒い糸があるかどうか調べてみてくれ」
低く静かな声だったが、有無を言わさぬ迫力に背筋がゾクリと震えた。
リナトやクルーガーもどこか緊張した面持ちを見せてくるものだから、さらに恐怖が増していく。
この女性が誰であるのかわからないままなので固まるが、女性の方は一度アクセルと視線を合わせると、後はアクセルがやりやすいようにゆっくりと目を閉じて俯いてくれた。
その顔の作りに、誰かを思い出しそうになる。
誰かと似ている。そう思いはしたが、ヨーシュカ達に注目されてしまい、慌てて女性をしっかりと網膜に焼き付け始めた。
じわり、じわりと見えてくる光や音。体温による空気の揺らぎは皆無で、止めているかのように呼吸も浅い。
全体的に存在感の薄い人。その中に。
「--…あります。ヨーシュカ団長とほとんど同じような絡まり方です」
本能が見たくないと告げてくる不気味な黒い糸は女性の身体にまとわりつき、心臓部へと伸びていた。糸の先のもう片方は、床へ。恐らく、地下にまで伸びている。
その糸がアクセルを認識するかのように奇妙に揺らいだものだから、すぐに目を閉じて逃げた。
ちりちりとした痛みは無いが、しばらくは目を閉じていたいような怖気。
「アクセル…大丈夫か?」
「……平気ですけど、あと少しだけこのままいさせてください」
すぐにリナトが目を閉じたままのアクセルを労ってくれるが、数秒だけ自分の目を優先させた。
数秒かけて、怖気を感じなくなってから目を開ける。
視界に映る中に、黒い糸はもうなかった。
女性は無表情のままアクセルに目を向けており、目が合うと数拍置いてからそっと視線を下げた。
「…ヨーシュカ、お前を含めて魔術兵団員は全員、黒い糸が刺さっていると考えていいんだな」
クルーガーの険しい口調が、アクセルでは理解出来ない事の重大さを告げる。
ヨーシュカはクルーガーの問いには答えず。
「リステイル、もう戻っていいぞ」
命令口調を放ったヨーシュカに従うように女性はゆっくり頭を下げてから、そのまま立ち去ろうとした。
半信半疑だったが、本当に魔術兵団員だったのか。
存在すら疑われている魔術兵団に、まさか女性団員がいるなど。
「…待て」
扉に手をかけようとしたリステイルへと、クルーガーが声をかけて。
「…リステイル嬢、というのか。…家名を教えてもらえるか?」
クルーガーも、そしてリナトも彼女を知らないのだろう。二人の視線を受けてリステイルはまたこちらに無表情を向けてくるが。
その視線が、ほんの微かに悲しげに揺れた。気がした。
「構わん。行け」
立ち止まったリステイルを、ヨーシュカは再度命じて部屋から退出させる。
クルーガーもリナトも文句こそ口にはしなかったが、強い眼差しでヨーシュカを睨みつけていた。
その視線を受けながら。
「家名を教えたところで、お前達は思い出しもしないだろう」
「何だと?」
「言うだけ無駄なことをわざわざ言って、いったい何になる」
冷めた口調に、二人分の怒りが渦巻いていく。
「あ、あの!!ニコルの件を!!」
思わず止めに入り、目元の険しいままの三人分の視線にヒッと呼吸をしばらく止めてしまった。
「…すまんかった。それで、ニコル殿にも黒い糸は絡まっておったのか?」
最初に険しい表情を緩めてくれたのはリナトで、アクセルと同じように話題を変えてくれる。
黒い糸は絡まっていたのかどうか。確認の為にニコルだけでなく、仲間達全員を見た。
結果は。
「いいえ。ニコルに黒い糸は絡まっていませんでした」
呪いなど無かった。
その答えに、険しいままだったクルーガーの表情が落ち着いた。
ほっと胸を撫で下ろすように微かに俯き、すぐにアクセルに視線を戻してくる。
「…ヨーシュカ団長…私はあの黒い糸は呪いなんだと思ってます。でも団長は、心臓に誓約が施されていると言ってましたよね」
昨日ヨーシュカが教えてくれた事だ。魔術兵団には心臓に誓約が施されていると。だから、リステイルという女性にもあの黒い糸が絡まっていたのだろう。
ここへ連れてきた理由は、その黒い糸が誓約であると確信する為なのだろうか。
「魔術兵団のことはよく知りませんけど…エルザ様も魔術兵団の一員なのですか?」
エルザに絡まる糸はヨーシュカ達とは比べ物にならないほどの量だったが。
答えてくれるのだろうか、少し不安にはなったが。
「…違う」
ヨーシュカは答えてくれた。
エルザは魔術兵団員ではない。
「何か関係があるとか…」
「…無いとは言い切れんな」
魔術兵団員ではないが、関係がないわけでもない、と。
ヨーシュカのまどろっこしい会話にクルーガーが苛立ち始めるが、アクセルは視線だけでクルーガーに留まるよう願った。
「……昨日、私がエルザ様にまとわりつく黒い糸が見えると話したら、エルザ様だったのか、って言ったましたよね?どういう意味なんですか?」
まるでそうなる存在を探していたかのような言葉だった。
自分の眉間に皺が深く刻まれるのを感じながら、この言葉は絶対に聞き逃してはいけないものだと確信をもって強く訊ねる。
ヨーシュカはしばらく黙り込むが、やがて身を乗り出すように座ったまま前屈みになり、アクセルに少しばかり近付いた。
「小僧…アリアは確認したか?」
「え…」
予想もしていなかった言葉に困惑する。
なぜここでアリアの名前が出てくるのか。
「貴様!アリアにまで目を付けておるのか!?アリアは魔術師団員だぞ!!」
リナトが激昂して、クルーガーもヨーシュカを睨みつける眼差しを強くした。
「アリアにも黒い糸は絡んでおらんかったか訊ねただけだ。ワシら魔術兵団は、エルザ様ではなくアリアにこそ“誓約”がかけられていると踏んでいたからな」
二人の射殺すような視線を軽く受け流しながら、理解し難い言葉を並べ続けてくる。
「……なんで、アリアが」
「アリアに黒い糸は絡んでおったのか?どうなんだ」
「い、いえ…アリアには何も…」
恐怖に怯えるように、心臓が全身を内側から痛いほどに殴り始める。
「……貴様…いい加減に全てを話せ!!」
とうとう目の前で乱闘が始まった。
リナトがヨーシュカの胸ぐらを掴み、ヨーシュカもその腕を握りつぶすほど強く掴み返す。
クルーガーが間に入るが、リナトと同じようにヨーシュカを睨みつけていた。
団長同士の争いを見せつけられて萎縮する。
完全に恐怖に飲み込まれて、止める為の言葉すら浮かばなかった。
「誓約だのアリアだのエルザ様だの!貴様は隠すばかりで何も話そうとはせん!!隠すことしか脳がないなら二度とワシらの前に現れるな!!」
「誓約のせいで話せないと何度言わせるつもりだ?我々魔術兵団から情報を得たいなら…王にそう頼んでみるがいい。…次に王となる者も、真相を知れば口を閉ざすだろうがな」
「貴様ぁ!!」
本当に血が流れそうなほどの状況で、息を顰めることしかできなかったアクセルの眼に奇妙な揺らぎが映る。
揺らいでるのは、ヨーシュカの眼球だ。
「お前達は無意味に動き回っていればいい」
違う。
眼球の奥に潜む何かが、音波のようにあらゆる波となりアクセルの眼に届く。
波長の情報はアクセルの眼球から脳内に入り込み、奇妙な映像を見せた。
波長が情報を見せるなど、初めてだ。
そして情報の中に見えたものは、一人の若い娘だった。
苦しそうに泣きじゃくる、アリア--
「--なんでアリアなんですか!?」
泣き姿が悲しすぎて、思わず叫ぶと同時に映像は綺麗に脳内から消え去った。
自分のものとは思えないほどの大声に、自分自身で驚いて。
団長達も驚いたように手を止めてアクセルに目を向けていた。
一瞬しか見えなかったので、何なのかわからないが。
よくよく思い返せば、アリアと似てはいるが、何か少し違和感がある。
アリア本人だとは言い切れないような、奇妙な違和感。
「小僧…輪廻転生という言葉の意味がわかるか?」
団長達の手が止まったことには安堵するが、ヨーシュカの言葉にまた混乱する。
「…生まれ変わること…ですよね?」
なぜそんな事を聞いてきたのかは分からない。
今必要とも思えないが、アクセルはヨーシュカの言葉の全てに注視する。
リナトは全てを話さないヨーシュカに怒り、クルーガーも苛立っているが、アクセルにはヨーシュカの全身から醸し出される波長から悟った。
ヨーシュカには本当に話せないものがある。だが、話せる範囲で、話そうとしてくれている、と。
言葉の全てがヒントだ。
「ヨーシュカ…いい加減に」
「リナト団長!俺に任せてください…」
団長達の前だというのに思わず一人称を素に戻してしまうが、全身が感じ取る得体の知れない恐怖に打ち勝つ為に懸命に拳を握り締め続けて。
「…お前達などよりこの小僧の方がよっぽど頭に柔軟性があるな。それともその原子眼で何が見えているのか?」
軽口を叩きながらも、ヨーシュカには軽く汗が滲んでいた。顔色も悪く、話せない内容を伝える上での誓約の呪いが身体を蝕んでいるのだろうと推測する。
「…ニコルにもアリアにも黒い糸はありませんでした。それと、一瞬ですけど、ヨーシュカ団長の目から出た波長が鮮明に見えて、そこではアリアによく似た人が泣いていました…」
ひとつひとつ、慎重に説明しながら、ヨーシュカの言葉も思い出す。
「アリアは誰かの生まれ変わりなのですか?」
だから、エルザ様ではなくアリアに目星を付けていたのか。
ヨーシュカもアクセルが漠然と話せる事と話せない事の重要性を悟ったことに気付いた様子で、話せないものには無言を貫いて。
「…黒い糸は生まれ変わりに関係があるんですか?」
無言には改めて触れる事はせずに、次を問えば。
「……本当に頭の良い子だな」
初めて小僧と呼ばれなかった。
その口調に、ニヤリと笑う口元に、アクセルの問いに肯定したのだと察する。
アリアは誰かの生まれ変わりで、黒い糸も関係していて。
「では--…」
だが、黒い糸が絡んでいたのはエルザ姫だった。思考が一瞬停止する。
アリアとエルザの共通点がわからない。
ヨーシュカはアリアが誰かの生まれ変わりであることに気付いてアリアを注視していて、だが実際に黒い糸が絡んでいたのはエルザ姫で。
エルザ姫に絡みつく黒い糸の量は尋常ではなかった。全てを黒く覆い潰していたのだから。
ヨーシュカ達魔術兵団に絡む糸の量とエルザに絡む糸の量の違いは何なのか。
唇を噛んで、自分の脳をフルに動かし続ける。
「アクセル…」
リナトの不安そうな小さな声すら、今は邪魔になる程だった。
そしてそれに気付いたように、クルーガーがリナトを止めてくれる。
「クルーガー…ロスト・ロード様は、ご活躍されていた頃に何と言われていたか覚えているか?」
その微かな仕草を目に留めていたのはヨーシュカで、新たな名前を口にして。
「ロスト・ロード様か?」
クルーガーは怪訝そうに眉を顰めるが。
「…初代国王ロードの再来とはよく言われていたな。その名前も、最初はロストなど付いていなかった。後妻の王妃がそう名乗るよう命じた為だ」
当時を思い出すようにクルーガーは語る。
アクセルもよく知る話だ。
リナトもたまに思い出して愚痴を溢していた。
ロスト・ロード様。初代国王ロードの再来。名前を変えるよう命じられ、周りの者達が反発しながらも彼はそれを受け入れた。
後妻の王妃に暗殺された、大戦を大勝して終わらせた英雄。
「…まさか…ロスト・ロード様は初代国王ロード様の生まれ変わりで…アリアはロスト・ロード様の生まれ変わりなのですか!?」
「違う」
突然ロスト・ロードの名前を出すものだからそう予想したが、間髪入れずに否定された。
「……黒い糸は、暗殺されたロスト・ロード様の恨み?」
「有り得んな」
頑張って答えを探そうとしているのに、鼻で笑われて少しだけムッとした。
「でもロスト・ロード様とロード様に関係はあるということですよね?リナト団長もよくロスト・ロード様のことは話してくれてましたし…」
「ふん。あの愚かな女さえいなければ、ロスト・ロード様は名前を変えられることなど無かったのだ。クルーガー、お前さんだって今もまだ納得していないだろう」
「…そうだな」
ロードからロスト・ロードへ名前を強制的に変えられた。出来の良いロスト・ロードに比べて自分の産んだデルグは平凡だった為に嫉妬したのが理由らしいが。
「…どうして“ロスト”を今も付けたままなんですか?」
ふと浮かんだ素朴な疑問を口にする。ロストとは、古代語で失われた事を指す言葉だ。
「王妃様が処刑されたなら、ロスト・ロード様が亡くなったとしても、記録だけでもロードに戻して良いはずですよね?」
酷い王妃に暗殺されてしまった、哀れな英雄。死後になぜ名前がそのままだったのか。
名前が変わったのも、ロスト・ロード王子が成人した後だ。
クルーガーやリナトは王子に仕えてきたのだから、言い慣れているのはロード王子の方ではないのだろうか。
「リナト団長もクルーガー団長も、納得できないとは度々口にしてましたけど、絶対にロストを付けてきましたよね?」
この二人だけではない。どんな場面でも、改めてロードと呼ぶ者はいなかった。
ふと浮かんだ疑問だったが、三人の顔色は一瞬で変化した。
「--…隠し名か…」
呟いたのは、リナトだ。
自分自身を証明する名前を隠すことによって、自分を守る大昔からの風習。
古臭い風習だが魔術師団には今も残り、アクセルも魔術師団入りすると同時に隠し名で本来の名前を覆った。
「名前を隠さず変えることは、その者を強く守ることに繋がる」
クルーガーも呟き、
「……あの女、ロスト・ロード様を守っていたのか…今の今まで、愚かな女だとばかり…」
ヨーシュカが呆然と魂が抜けたかのように一瞬だけ肩を落とした。
「え、どういうことですか?」
話しについていけないアクセルを置いたまま、クルーガーが立ち上がった。
「リナト、今すぐカトレア王妃の記録を調べ直すぞ」
「待て!殆どが処刑後に焼かれている!」
「王妃の私室を改めて調べる。カトレア王妃は書き記すことを続けていた。何か残っているかも知れん」
王妃の私室は歴代の王妃達に用意される場所で、今は王妃が不在の為に主人のいない場所だ。
クルーガーとリナトはそれ以外は見えなくなったとでも言うかのように、慌ただしく部屋を出て行ってしまった。
元々は自分の原子眼についての話し合いだったはずなのに、アクセルの手には負えないほどの規模になり始めていると背筋に悪寒が走る。
原子眼という不思議な力でエルザ姫の呪いを解けたらとは思っていたが、ロスト・ロードだの初代国王だの王妃だの、混乱ばかりに苛まれる。
乱暴に締められた扉を眺めてから、アクセルは一人残ったヨーシュカにまた恐る恐る身体を向けて。
「…あの、どういうことなんですか?」
この人と二人きりにはなりたくなかったが、警戒しながらも訊ねてみた。
はたして話せることなのか、それとも話せないことなのか。少しだけ無言の時間が続いて。
「……ロスト・ロード様を暗殺したのは王妃ではない。…当時のエル・フェアリア王だ」
学んだ過去とは異なる歴史の闇に、ヒュ、と呼吸を止めるように静かに驚き固まってしまった。
「……え、どういう…ことですか?」
「当時のエル・フェアリア王がロスト・ロード様の暗殺を企て、カトレア王妃に全ての罪を被せたのだ」
机に置かれた水を一気に飲み干して、ヨーシュカは言葉の終わりと同時に俯いた。
「……本当なんですか?…嘘なんじゃ…」
「どうだろうなぁ?なんせ、ワシらが魔術兵団入りする以前の話だ。ロスト・ロード様ほどの実力者を殺すには…魔術兵団が何人も犠牲にならねばならなかっただろうな。…そしてワシらが魔術兵団入りしたのは、それより前の魔術兵団員が全て消えたからだ」
意味深な言葉。事実が語る真実。
「…あの人も?」
気になったのは、さっきまでここにいた、女性の魔術兵団員のことだった。
まるで人形のように静かで、生者特有の波長が無かった人。
不気味というよりは、物悲しい雰囲気を持っていた。
「リステイルのことを聞いているのか?」
他の魔術兵団員など知らないので、小さく頷いて。
「…リステイル嬢のこと、教えてもらえますか?」
何が黒い糸の情報に辿り着くかわからない。聞ける話は全て聞いておきたかった。
「…ここだけの話にしておけ」
ヨーシュカも少し考えてから、念押しと共に口を開いてくれる。
無表情の中にわずかに悲しみを含ませて去っていった彼女は。
「……家名はミシュタト。リステイル・ミシュタトだ。…魔術兵団入りする前は、騎士団初の女騎士として剣を振るっていた。そしてクルーガーとは…結婚の約束もしていたな」
ミシュタト。
その家名に、リステイルを前にした時に感じた既視感を思い出す。
たしかにレイトルと似ている。
ミシュタト家だったなんて。だが、レイトルから身内に魔術兵団の者がいるなど聞いたこともない。戦闘職としては珍しい女性でもあるのに。
「…え、待ってください…クルーガー団長と結婚の約束って?…歳が離れすぎていませんか?」
ミシュタト家だという言葉が頭を強く占めたせいでそれ以外を聞き逃してしまいそうになったが、強く残る違和感はすぐに頭の中を混乱で埋め尽くした。
今と過去を上手く結びつけることができない。リステイル嬢はどう見ても、クルーガーとは親子以上に歳が離れている。
「…あれも相当愚かな分類に入る女だったからな。魔術兵団入りと同時に魅入られ…時間も奪われた。…あんな見た目だが、ワシやクルーガーと同じ、大戦時代を生きた婆さんだ」
見た目と実年齢が合わないなんて、有り得ない。そう思おうとした頭が思い出すのは、ファントムの情報だった。
嘘のような情報。
ファントムとその仲間は、不老不死の力があると。
「…リステイル嬢は、ファントムの仲間なんですか?」
「ーーっはぁっははははははは!!」
訊ねると同時に大笑いを返されて、びくりと肩が跳ねた。
「な、なんで笑うんですか…」
「お前…頭は柔らかいが、柔らかすぎて思考が飛び散っているようだな…普通は“嘘だ”と警戒するものだ」
あまりにも笑い続けるものだから、嘘をつかれたのかと頭が新たに混乱してしまう。だがヨーシュカの話しは、嘘などではないと漠然と信じることができた。
今までの会話や見たものを懸命に思い出して、自分の中で答えを新たに見つけて。
ファントムの仲間ではないのだと笑われ方で察した。なら、純粋にただの魔術兵団として。
信じられないような話だが、本当に年齢がヨーシュカ達と同じだとして。
結婚するはずだったクルーガーに家名を聞かれた時、リステイル嬢は表情を悲しみに崩した。
「…魔術兵団入りをしたから、クルーガー団長に忘れられてしまったんですか?」
魔術兵団入りすれば、存在を忘れられてしまうと聞いた。リナトやクルーガーがヨーシュカを思い出さないように。リステイル嬢を思い出せないように。
「……忘れられてしまうことが、呪いなんですか?」
呪いを誓約なんて言葉で誤魔化しはせずに問えば、答えは返ってこず。
それは恐らく、正解だから答えられないのだろう。
だが忘却が呪いの根源なら、エルザはどうなるというのか。
考えて、考えて。
忘却だけではない。呪いに通じる言葉の制限、他にもきっと何かがある。
「…これ以上探るのは、今はやめておけ。お前の能力の加減もわからん状態で、制約にお前まで絡め取られたくはない」
深く考えようとしていた思考を止めるのは、ヨーシュカのどこか優しい声だった。
魔術兵団に入らないかと口にしていたのに、アクセルを守るように制止するなんて。
不気味な呪いを恐れる気持ちが、その言葉にもたれ掛かろうとする。
自分が臆病な性格であることは理解している。
でも。
「…状況を確認しながら、また話しを聞かせてもらえませんか?」
好奇心や勇気がないつもりもない。
「コウェルズ様から奇妙な短剣について調べるよう命じられています。その短剣と、幽棲の間と…皆さんに絡まる呪いが繋がっているから…えっと……」
考えを上手く整理して饒舌になれないのは、自分の実力不足だ。
「…とにかく、また会ってください!原子眼についても自分自身で研究していくつもりですので!」
魔術師団にはそれぞれ、魔力に関する研究も課されている。アクセルは今まで術式に関する研究を行っていたが、自分に不思議な魔力が宿るなら、それは研究者として自分自身で探究していくべきものだ。
訳のわからない呪いに怖気付いてなどいられない。
真剣な眼差しでヨーシュカを見つめ続ければ、やがて向こうからフイと視線を逸らされてしまった。
駄目なのだろうか。
困惑しそうになる前に。
「…これをやろう」
ヨーシュカが手のひらを上向けながらアクセルの前に差し出し、シワの深い無骨な手から魔力が形を成しながら溢れて。
黒い霧が、黒いまま生物の形に変わっていく。
それは霧のようにふわりと漂いながら、ゆらゆらとアクセルの周りを囲むように取り憑いた。触手の長い、柔らかそうな。
「……クラゲ?」
手のひらほどの傘の部分を指でつついてみると、黒いクラゲは不思議な感触を残しながら空中を水中であるかのようにふるりと震えた。
「…ヨーシュカ団長の生体魔具でしょうか?」
「そうだ。ワシと話したければそれに話しかけろ。可能なら会いに行ってやる」
いとも簡単に生み出された生体魔具が、まるでアクセルに懐くように周りを漂い続けている。
「リナトがいると、進む話も進まんからな」
そしてヨーシュカはイタズラを楽しむような笑みを浮かべて。
「…あの」
「ワシももう行く。何かあれば気楽に呼び出せばいい。…呼び出しには応じるが、お前達の会話が届くわけではないから安心しろ」
ゆっくりと立ち上がり、さらりと去っていく。
残されたクラゲだけがアクセルを守るように漂う中で。
生体魔具であるクラゲをじっと見つめれば、見えてくるのはどんな術式よりも細かく複雑な粒子同士の結合だ。
弾けて、繋がって、また弾けて、隣の粒と繋がる。まるでその一粒一粒が生きているかのように、繊細になめらかに動き漂う。
「…これも、俺にしか見えてないのかな」
思わず呟いたのは、自分自身の能力に、置かれた現状に、他者とは異なるという線を引かれた気がして。
漠然とした孤独に襲われたからだった。
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