第92話


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「ここは初めての場所だね…」
 連れて来られたシンプルな小部屋を見上げながら、コウェルズは後ろを歩くジャックにも同意を求めた。
「私も初めてです」
 護衛のように立つジャックは辺りの警戒を解かないまま同意し、準備の為に少しだけコウェルズに近付いたラムタルの侍従を強く睨みつけた。
 王族に仕える為に鍛えているだろう侍従でもビクリと肩を震わせるそのひと睨みに、コウェルズは苦笑しながらもジャックを視線で嗜める。
 ジャックは敵意があった訳ではないだろうが、ダニエルと違い表情や口調が喧嘩腰に見えるので相手を誤解させがちなのだ。
 ジャックもそれは理解しており、申し訳なさそうに苦笑いを浮かべていた。
 初めて入る部屋なら警戒して当然だが。
『--この小部屋は今朝出来たばかりの部屋だ。この規模なら明日にはまた消えているだろう』
 準備途中ではあったが主が到着し、ラムタルの者達とジャックはいっせいに頭を下げた。
『よい。早く準備を』
 気を使うなとの合図を受けて再度動き出す者達の足取りは速く、みるみるうちに準備が進んでいった。
 今朝完成した部屋なら、まだ準備が済んでいなくて当然だろう。
 ラムタル王城は城自体がいくつもの絡繰りの集合体で、よく新たな小部屋を勝手に生み出しては取り壊していた。
 その部屋を残しておきたい場合は小物でも何でも一つだけ残しさえすれば壊されずに残るらしいから、本当に上手く出来ている。
 絡繰りの城はエル・フェアリアの天空塔のように本当は生き物なのではないかと思うが、何度聞いても「それはない」らしい。
 飾り気のないシンプルな部屋に、円テーブルと椅子が三脚。
 用意された食事はいくつかの大皿にまとめられ、飲み物類は別テーブルに準備されたが明日の為にか酒類は用意されていなかった。
『もし呑みたければ用意させるが?』
 先に着席しながら訊ねてくるバインドには
、コウェルズもジャックも会釈だけで済ませた。
 コウェルズの椅子はジャックが引いてくれて、ジャック自身はまだ座らずにコウェルズとバインドの飲み物を用意してくれる。
 バインドの指先の合図だけで侍女と侍従達は静かに下がり、扉が閉まった瞬間に感じた空気の滞る密閉感は、異様なものがあった。
『この部屋の能力を調べたところ、完全に音を遮断する部屋だとわかった。今日の使い心地によっては明日以降も残す予定だ』
 ジャックの用意した果実水を受け取りながら、自信たっぷりな様子はこの部屋を気に入っていると暗に告げている。
 ジャックがコウェルズの分の果実水も用意した後で食事も取り分けようと動くが、バインド王は静かに制して座るよう促した。
『今日呼び出したのは、明日の激励も兼ねて純粋に食事を楽しみたかったからだ。肩の力を抜いて楽しめば良い』
 王としての覇気の強い笑みに、ジャックは似合わない紳士的な笑みを返していた。
『ではコウェルズ様の分だけ取り分けさせていただきます。明日の為に調整が必要ですので』
 大会に出場するコウェルズの為に万全の準備を欠かさないジャックが、コウェルズの分だけを綺麗に取り分け始める。
 サラダには一粒だけトマトを入れられてしまい、コウェルズはその瞬間だけ表情を強張らせた。
『なんだ、まだトマトが苦手なのか』
 表情の変化をバインドは見過ごさず、諦めて強く眉間にシワを寄せて。
『こんなもの、人の食べるものではありませんよ。青臭いし、食感も受け付けません』
『まったく…エル・フェアリア王家の者は皆これを嫌うのだな…』
 バインドはやれやれと肩をわざとらしくすくませるが、嫌いなものは嫌いなのだ。トマトに関してだけは好きな人間の気が知れない。
『健康にはとても良い野菜です。偏りなく食べてください』
『身体に悪い野菜なんて聞いたことも無いけどね』
 今日くらい外してくれてもいいじゃないかと不貞腐れるが、ジャックはトマトを外してはくれなかった。
 色取りよく取り分けてくれた小皿がコウェルズの前に置かれ、小ぶりなものを一粒で許してくれる辺りはダニエルより優しく感じる。
『お前が優勝した暁にはトマトから作った果実酒を贈ってやろう』
『嫌がらせですか?』
 妙に上機嫌なバインドに絡まれて、本気で逃げたくなる。
『…では、改めまして。バインド陛下、食事の席に招待してくださり、誠にありがとうございます。私も突然だというのに参加を許してくださり、光栄に存じます』
『よい。本当はダニエル達も招待したかったのだが、紫都の三男にいらぬ緊張を与えたくはないからな』
『お気遣い感謝いたします』
 当然の呼び出しには驚いたが、本当に単純に食事がしたかっただけなのか。
 コウェルズ達にはバインドを警戒する充分な確信がある。
 それに数日前にコウェルズだけがバインドに呼ばれた際は、マガを含めたバオル国の件や、ファントムが乗っていた飛行船の話など、重い話題ばかりだったというのに。
 バインドの空気感は本当にただ単純に楽しもうとしているかの様子だったが、そうはさせない為にジャックも無理やり連れて来たのだ。
 最初、食事の席に呼ばれたのはコウェルズだけだった。
 機会を逃すものかと二つ返事で了承し、移動の途中でうまくジャックと合流出来たのだ。
 ジャックは何故かマガと共にいて、マガは涙の跡を頬に大量に残した状態で。
 奇妙な光景だとは思ったが、何があったのか訊ねるよりも先にマガはラムタルの者達に改めて保護されて離れていった。
 その後は早々にこの部屋に通されてしまったので、結局話す機会など無くて。
 それでもジャックもこの機会を逃すつもりはないだろう。
 聞きたいことは山ほどある。その為にラムタルへ来た。
 リーンを取り戻す為に。
 笑顔の裏に隠した緊張感を見せないように、先に食事に手を出したのはコウェルズだった。
『ジュエルが髪飾りをとても喜んでいました。改めて感謝しますよ。お陰で危険な視線からも遠ざけることが出来ました』
 サラダに手を伸ばしながら、最初に伝えておきたかったことを伝える。
 危険が迫った時に身を守ってくれる絡繰りの髪飾りは、バインド手製だった。
 花の形の髪飾りは、バインドが気に入った者達やその妻子に特別に贈ることは有名で、防御の為の髪飾りではあるが、バインドの手製というそれだけで抑止力となっている。
 いくら他国の者とはいえ、大会に訪れるほどの者達がその情報を知らされていないわけもなく、ジュエルは本当の意味で大会での安全を手に入れていた。
 バオル国への牽制の意味合いが強くはあったが、やはり多くの者が集まる大会。子供に性的な目を向ける者などいないと思っていたが、ジュエルに向けられた危険な視線はラムタルに訪れてすぐに感じていた。
 エル・フェアリアの藍都の末姫に近付こうとするほどの愚か者はいなかったが、白百合の髪飾りを付けてからは視線すら感じなくなったのだ。
 心からの感謝に値する価値がある。
『ジュエルも夜会で改めてお礼が言いたいと』
『ふむ、気にするほどのことでも無いだろうに…我々からすれば、藍都の特産のお陰で国の娘達に活気が戻ったのだからな。感謝したいのはこちらの方だ』
『それは兄さんの手腕によるところも大きいでしょう』
 親しみを込めて兄と呼べば、バインドの笑みも少し柔らかさが増した。
 前王の統治時代のラムタルでは、無力な娘達は貴族達の目に留まることを恐れて着飾ることなどいっさい出来なかったのだから。
 貴族の目に留まってしまえば最期、無理やり親元を離され、国王へと献上され、二度と戻ることは無かった。
 それほど荒れていた大国。
 女の子が産まれたことを隠すほどの国を、バインドは数年で見事に立て直してみせた。
 今では娘達は可愛らしく着飾り、安全な国を自由に謳歌している。
 バインドでなければ、これほど早く立て直すことは出来なかっただろう。
『では、夜会ではジュエル嬢にファーストダンスを頼むとしよう。宰相達が身内の娘を充てがおうと必死でな…』
 疲れた声に、本気で嫌なのだと思わず笑ってしまった。
『たしかにジュエルが最初のダンスの相手なら誰も文句は言えませんし、やっかみにも繋がりはしませんね。伝えておきますよ』
『頼む』
 ジュエルも感謝を伝えたいと言っていたので、こんな形で礼を返せるなら喜ぶだろうと思えた。
『それで、明日の大会は上位に食い込めそうか?我が国の剣術出場者もようやく戻って来た。お前の強さは知るところだが、一筋縄では行かんぞ』
 不敵に笑うバインドに、コウェルズはそういえばラムタルの剣術出場者が誰なのか知らないことを思い出した。
 各国の出場者達をあまり意識していなかったので、特に目についた戦士もいないのだが。
『私は先ほど会わせていただきました。マオット家のイデュオ殿ですね』
 そこへ、静かに耳を傾けるに徹していたジャックが口を開く。
『ほう、あれに会ったのか。大会の生ける伝説として、あ奴はどうだ?』
『残念ながら少し会話をした程度で腕前までは。ですが一筋縄ではいかないという言葉の意味は、はっきりと伝わりましたよ。腕前も元来の素質も、上位に食い込むでしょう』
 腕前は知らないと言ったはずの口で、ジャックはラムタルの剣士を絶賛する。
『なら一つ、面白いことを教えよう』
 バインドは果実水の入ったグラスを手にしながら、また不敵に笑い。
『あれはオリクスに勝てた試しがない』
 笑っているというのに、自国の者が他国の者に負け続けている、と。
『…喜んで口にすることですか』
 コウェルズは思わず呆れてしまうが、バインドは気にもしなかった。
『スアタニラ国の武術出場者も数年越しの大会名物を引き起こしたと聞いている。今大会は、なかなか楽しめるのではないか?…お前達もその為に来たのだからな』
--牽制された
 そう直感した。
 本当の意味で一筋縄ではいかない相手に対して、冷や汗が浮かびそうになる。
 ちらりとジャックに目を向ければ、口元だけ笑い、目は笑ってなどいなかった。
『すでに各国の王族達も観戦の為に揃いつつある。デルグ王の訃報を知らぬ者もいない。お前への注目は凄まじいことになっているぞ』
『…王族がわざわざ、ですか』
『ああ。一度で済ませたいと言っていただろう?完璧に済ませることが出来るよう、同盟国には全て声をかけておいた』
 感謝しろ、と。
 バインドの笑みの裏に、これ以上の詮索はするなという声が出て聞こえるようだった。
 リーンを探す為に動いていたことに気付かれていたのだ。
 いや、コウェルズ達がリーンの居場所についてラムタル王城を怪しみ、探す為に動くだろうとはバインドも予想していたことだろう。
 だが何かがあった。
 これ以上コウェルズ達には動いてほしくない何かが。
 それは、コウェルズ達があと一歩でリーンを取り戻せる所まで来ているからか、それともバインド側に何かあっただけか。
 前者のはずだ。きっと。
 バインドに訊ねたいことは山ほどあった。
 しかしただ訊ねるだけではのらりくらりと躱される。
 決定的な一撃を、まだコウェルズは掴んでいない。だがこのままでは、バインドは完全に口を閉じてしまう。人前以外、会うことも叶わなくなるだろう。
『--』
 突破口を得る為に口を開こうとした、その少し早く。
『ここに来る前に、バオル国の者達が人目のつかない場所で公には出来そうもない密談をしているのを陰から見つけました』
 ジャックが食事の手を完全に止めて、バインドに話しかけた。
『…ほう、どんな内容だったのだ?』
『お恥ずかしい限りではありますが、私はバオル国の言語を学んでおらず、会話までは…ですが私と共にいたマオット家のイデュオ殿とイリュシー嬢がしっかりとバオル国の者達の会話を聞いていましたよ』
 報告のような口調に、バインドも食事の手を止めて真剣に聞き入ってくる。
 いったい何を話そうとしているのか、コウェルズも静かにこの場をジャックに任せた。
『途中でマガが泣き崩れてしまい、私はイリュシー嬢に頼まれてマガを王城内に戻し、そこでコウェルズ様と合流したのですが』
 あくまでも世間話のような雰囲気を残す報告。
『イリュシー嬢が腕に装着していた金糸のような絡繰りを使っていたのですが、あれには一体どんな機能があるのですか?』
 コウェルズからすれば、本当にそんなことが今聞きたいのかと問いたくなる内容。
 バオル国の密談も、イリュシー嬢の持つ絡繰りも、いっさい不要の情報だ。
 そこから何をどう繋げたいのか。
 静かに見守るコウェルズの方は気にせずに、バインドはジャックに笑いかけた。
『あれか…あれは試作中の絡繰りではあるが、短時間だが風景と音を記録することが出来るものだ』
『…記録、ですか?』
『ああ』
 想像もつかない新たな絡繰りに、コウェルズとジャックは互いに目を見合わせた。
『言語を覚えさせて相手に伝える伝達鳥に、映像も同時に追加したものだと思えばいい。スアタニラから良質な水晶が手に入った後、フェントの新たな眼鏡を製作中に思いついて試作してみたものだ』
 さらりと教えてくれるが、かなり難しい技術のはずだ。
『それを、イリュシー嬢に?』
『イリュシーは優秀ではあるが、同時にまだ未熟でもあるからな。試作のものを試作と伝えて使わせるには打って付けなのだ』
 バインドに忠誠を誓うマオット家の者ではあるが、まだまだ幼い、と。
『…もう二年も王城に仕えていると聞きましたが、まだ未熟なのですか?』
 ジャックの含みのある言葉に、バインドがわずかに目を細める。同時にジャックが何を言おうとしているのか、コウェルズは気付いた。
『…イリュシーが未だに未熟である理由は、お前が一番わかっているのだろう?』
 バインドも、ジャックの言葉の先手を打つ。
 ジャックはイリュシーの身体を暴き、情報を得た。
 バインド達にもその報告が入っていたのだろう。
『確かに、従事中だというのに恋心の傷心から別の男に身を委ねるような侍女は、未熟としか言えませんよね、兄さん』
 ジャックが突いた突破口を、コウェルズが受け取る。
 優雅に微笑んで、バインドからは目を離さないで。
『ファントムの噂が立っていないとはいえ、ラムタルも重要な技術の詰まった絡繰り船の設計図を奪われていますよね。…だというのに、ファントムの仲間がまだラムタルにいたのなら…他にも何か狙われているのではありませんか?』
 同じ立場であるかのように話すのは、バインドを泳がせる為。同時に、会話を終わらせない為だ。
『パージャは我が国にも潜入していたファントムの仲間です。リーンを攫い、ラムタルの技術の詰まった巨大な飛行船で逃げた。そのパージャが、この王城にいたのです』
 コウェルズはファントムもこの城で目にした。絡繰り妖精の悪戯によって突如飛ばされた場所で。そのことは口にはせず、バインドの表情の変化を探すように見つめ続けた。
『パージャだけじゃない…ラムタル代表である武術出場者…ウインドも、ここにいる』
 バインドは口を開かない。
 数秒もの長い時間を。
 まるでバインドもコウェルズの反応を見ようとするかのように。
 その様子が、以前感じた虚しさを増幅させてコウェルズの胸の奥を締め付けた。
 なぜ何も言わない。なぜこちらの様子を窺う。
 なぜ、取り繕いさえしないのだ。
 この人は、事実を見せはしないが、隠すこともしなくなった。
 それが答えなら。
 腹の探り合いとなるはずだった時間を、蹴り捨てる。
『……リーンは無事に回復しているそうです。…知っていますよね?』
『コウェルズ様…』
『いい。…もういい。憶測でも構わない』
 本当は会話の端々からじっくりと観察するつもりでいた。
 どのみちバインドが口を割るはずなどないのだからと。
 だが時間の無駄だと悟った。
 バインドが隠す素振りすら見せないなら、こちらがいくら探りを入れても無駄足だ。
『…私の知るあなたは、物事をうやむやにする人ではなかった。…リーンを返してください』
 掠れた声が密閉された室内に響き渡る。
『…エル・フェアリア王城が安全である保証はあるのか?』
 そして同じように低く掠れた声が。
 驚いた表情になるのはジャックだけだった。
 まさか肯定するとは思っていなかったのだろう。
 それもそのはずだ。
 たかが数秒の沈黙程度で、バインドが取り繕いさえしていないと気付けたのはコウェルズだからだ。
 長く、目標にしてきた人だから。
 ジャックが口を開きかけ、言葉を見つけられずに黙り込む。
『五年もの長い時間、お前達はリーンを救えずにいた。今またエル・フェアリアに戻して、同じことが繰り返されないと言えるのか?』
 辛辣な言葉に、ジャックが強く椅子を倒しながら立ち上がる。
 握りしめた拳は、今にも血管が千切れそうなほどだ。
『守りも出来なかった者に何が出来る?』
 そんなジャックを見上げながら、吐き捨てるように。
 守れなかったのは事実だ。
 そのせいで、リーンは生きたまま土中に埋められた。
 五年もの間。コウェルズ達の足の下に。
 ジャックの表情が強張り、青褪めていく。
 リーンを失った頃を思い出すように。
『……それでも…返してください』
 失ったのはコウェルズも同じだ。
 二度と同じ目になど合わせない。
『一つだけ、お前達の思い違いを直してやろう。私はファントムと仲間になった覚えはない』
 リーンがこの城にいると肯定しておきながは、バインドはリーンを攫ったファントムを拒絶する。
『あの者は、私が産まれるより前から既にこの城にいたのだからな』
 そして、信じ難い事実を。
 バインドはコウェルズを見つめる。
 なぜそこまでコウェルズに話したのかはわからない。
 本当に仲間ではないのか。
 それとも仲違いでもあったのか。
『リーンを救いたければ、後の時間はもう大会だけに集中していろ。リーンがどれほど安全な場所で無事に身体を回復しているかを知れたのだ。これほどの収穫はないだろう』
 これ以上の詮索を許さないという命令。
 それは今までのコウェルズ達の動きをバインドが直々に許していたという事実。
『--…リーン様に、ひと目会わせてください』
 ジャックの言葉は切実だった。
 立ったままで、両手のひらをテーブルにあてがい、項垂れるように俯く。
 吐息のような声だというのに、密閉された室内によく響いた。
 そして。
『もし会わせてくださるなら…マガを引き取りましょう』
 コウェルズには何の相談も無しに、重要な取り引きを。バインドは一瞬だけコウェルズに目を向けてきたが、静かにジャックに視線を戻して次の言葉を待った。
 コウェルズが命じた取り引きではないと、コウェルズもジャックに目を向けている様子から気付いたことだろう。
 ジャックが何を言うつもりなのか、大まかに予想は出来たが。
『ただ引き取るわけではありません。彼には才能がある。バオル国とその近隣諸国の古語に精通しており、視力も凄まじく良い。ファントムと古代兵器の繋がりを探るフェント様の力となれるでしょう。身体能力も申し分なく、その産まれが流浪民族にルーツを持つというなら、ファントム対策として流浪民族の持つ武力と情報を得られるかもしれない。彼の能力に見合う報酬も用意します』
 コウェルズも知らないマガ個人の情報を、ジャックは口にする。
 いつ知ったのかと一瞬思考を巡らせ、ここに来る前に聞き出したのかと納得した。
 だが大切な妹であるフェントの力にさせようという言葉だけには、ぴくりと眉が引き攣った。
 古語に詳しかろうが、視力が良かろうが、一国の王女に毒を盛った者がフェントに近付くことを、コウェルズが許すと思っているのか。
 それでもジャックは言葉を止めはしない。真っ直ぐにバインドを見据えて。
『リーン様と会わせてくださるなら、私が責任を持って彼を引きとりましょう。…もしリーン様と会わせていただけないなら』
 まるでバインドを脅すかのような口調で、
『…やりようはいくらでも』
 ニヤリと笑った。
 ハッタリなどではない。
 コウェルズに何の報告もなく口にした提案ではあるが、今は使えるものだ。
 リーンがここにいるとわかった今なら、マガの件は充分にコウェルズ達の手札となる。
 そしてマガの犯した罪を知るコウェルズ達にとって、やりようはいくらでも存在するのだ。
『…私はお前を見誤っていたようだ。…ただ情に厚い男なだけだと思っていた。まさか凍てつく面も持ち合わせているとはな』
 バインドも降参だとばかりに両手を上げて見せた。
『座れ、ジャック』
 さすがにバインドを見下ろしたまま話し続けるなと先に着席させてから、コウェルズも改めてバインドに向き直った。
『私も、兄さんを誤解していました。あなたに情などありはしないと思っていましたから』
 人好きのする笑みを浮かべながら、冷めた声で。
 バインドもクスクスと愉快そうに笑っていた。
『…先ほども言ったが、私はファントムと仲間というわけではない。リーンを守りたいだけだ。…大会後に会わせてやろう。お前達と、ダニエルをな』
 三人には譲歩してやる、と。
『わかったなら、後はもう大会にだけ集中していろ。ファントムの動向まで探ろうとはするな』
 それ以上の介入はするなと改めて伝えてくるバインドに、コウェルズは何も言わず静かにフォークを手に取った。
 リーンの居場所さえわかったなら万々歳だなどと、そこで満足するつもりはない。
 しかしそれをわざわざ口に出す必要もない。 ちらりと横目で見るジャックの表情にはわずかな安堵の色が見えて、彼にとってはリーンの安全の確認こそが最も重要なのだとわかった。
 リーンが攫われた日のことをジャックは知らない。土中から掘り起こされたリーンの発した痛ましすぎる声も聞いてはいない。
 それでも、ジャックにはリーンの現状を誰よりも知りたがる理由がある。
 ジャックと、ダニエルには。
 リーンの護衛だったのだから。
『…オリクス殿には早速伝えるつもりですか?』
 条件と引き換えにマガを引き取る約束を、すぐにでも話すのだろうか。
 コウェルズの問いかけには、バインドも口を開かず微笑むだけに留めていた。

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