第92話


第92話

「ーー頭の魔具付けてないって、どんな感覚なんだ?」
 問いかけられて、ルードヴィッヒはブリッジ姿勢から戻りながら少し額を掻いた。
 夕食前の賓客室内はルードヴィッヒとダニエルしかおらず、ジュエルは今も寝室に篭って何かを作業中だ。
 ジャックも大浴場に向かってからまだ戻らず、コウェルズは先ほど、ラムタルの侍女から呼び出されて部屋を出て行ってしまった。
 呼び出したのはラムタルのバインド王だったが。
 そんな中で静かに待つことも出来ず、かといってもう訓練らしい訓練もさせてもらえず、仕方なく柔軟運動をひたすら行なっていた頃に。
 大会の為に集まった各国の者達と、ちょくちょくと自国の茶葉のお裾分けをしたりされたりしていたらしいダニエルが、少しずつ各国の茶葉を試飲しながら訊ねてきたのだ。
 頭の魔具とは、ルードヴィッヒが魔具訓練の為にずっと付けていた魔具の装飾のことなのだろう。試合中は魔力の使用は禁止されている為にルードヴィッヒも今朝からもう魔具を生み出すことは止めたが、どう、と聞かれると首を傾げてしまう。
「慣れてきていたものなので、ふとした時に違和感を感じます。ですが、気にならない時の方が多いです」
 魔具の装飾はカチューシャやピアスなど、訓練を始めた頃を思い返せばとても豪華なものになっていた。
 首周りや腕にも生み出してみることがあったので、何も知らない者が見たなら派手に着飾った女性に見えたことだろう。
 魔具は魔力の塊である為に色合いは黒一色だが、それでもルードヴィッヒの努力は魔具を研磨された黒水晶のような見た目にまで進展させていた。
 レイトルが見せてくれたような柔らかな魔具はまだ少しも上達していないが。
 無くてもあまり気にはならないが、ふとした拍子にひどくむず痒くなるような、装着したくなるような、気持ちの悪さに似たもどかしさがあった。
「今は気になってるか?」
「いえ、今は。身体を動かしていたり、別のことをしている時はあまり気にしていないと思います。なので試合中でも心配はありません!」
 なぜダニエルがそんなことを気にしてきたのかを考えると、明日の試合が理由だとしか思えなくて。
 はっきりと大丈夫だと宣言するルードヴィッヒに、ダニエルが少しだけ笑ってきた。
「…明日は試合前に身体検査があるが、検査役の者は女性になる。あまり気にするなよ」
「え、女性なんですか?」
 少しだけ驚いてしまったのは、大会の検査役は今まで男性の役目だったからだ。
「どうして…」
「今年は剣術試合に一人、女性が出場するだろう?今後も女性の戦士達の台頭を考えて、女性の検査役も増やすことになったみたいだ」
 言われて、他国に一人、人目を集める剣士がいたことを思い出した。
 エル・フェアリアから随分と離れた場所にある中規模国家レフールセントの女戦士。
 大会史上初の女性出場者ということで話題に上がったその人は、アリアよりも背が高く見えて少し驚いた。
 ルードヴィッヒは訓練場で見かけた程度しか知らないが、ジュエルは大浴場で挨拶されたらしく、ベリーショートという短い髪が男っぽく見せるのに、物腰の柔らかさや気配りは優しい女性特有のものがあってとても綺麗だったと感想を言っていたのを思い出す。
「女性戦士…増えていくのでしょうか」
 素朴な疑問には、ダニエルもわからない、と曖昧に濁して。
「まあ、そういうことがあったから、女性の検査役を武術出場者にも充てがうことになったんだ」
「……その充てがわれる戦士が、私ですか」
 不満はあるが、納得は少しだけした。
「未成年の出場者も大会初だからな」
「私はすでに成人しています!」
「それはエル・フェアリアでの話だ。ラムタルでは、まだ子供なんだ」
 ルードヴィッヒも、エル・フェアリアの出場者という以外に注目されている箇所があった。
 それが、未成年という年齢だ。
 エル・フェアリアでの成人は15歳だが、ラムタルでは成人は17歳なのだ。
 レフールセントの女性剣士は28歳ということで大会の新しい風として各国から好意的に受け取られていたが、16歳のルードヴィッヒに関しては「大切な大会に子供なんて馬鹿にしている」と否定的な国もあると聞いている。
 その否定を払拭する為には勝ち進む事が最も重要だとわかっていたが、まさか自分に女性の検査役が付くなど思いもしなかった。
「身体はしっかり仕上がっているから、魔具のことが気にならないなら大丈夫だろう」
「そんなに魔具の装飾は重要なんですか?」
「……慣れ、っていうものがあるだろう?不慣れからくる微量な違和感すら、サポートとしては感じてほしくないからな」
 ダニエルが魔具の装飾を気にする理由を、漠然と察して。
 充分な力が発揮できなければ、それは自分のせいではないかとルードヴィッヒは思うが、サポートとして側にいてくれた者達にとってはまた別の捉え方があるのだろう。
「明日の試合は勝ちます!必ず!!」
 拳を握りしめてダニエルに誓えば、また笑われてしまった。
 そこへ部屋の扉を叩く軽い音がして、ダニエルは試飲のカップを置いて扉へ向かった。
 誰が来たのかはわからないが、ダニエルは扉の向こうで少しだけ話して戻ってくる。
 頼んだ夕食の時間にも少しだけ早いので何かあったのかと思ったが、戻ってきたダニエルの表情は険しいものではなかった。
「エテルネルが移動途中にジャックと出くわしたみたいで、ジャックも向こうで夕食を取ることになったと報告されたよ」
 それはジャックもコウェルズとバインドの二人と共に食事をとるということで、コウェルズはまだしも、突然バインド王と食事をすることになるなんて、自分だったら緊張がひどくて食事に手がつかないと思えた。
「私とジャックは何度か食事を共にした事がある。気にするな」
 ルードヴィッヒが何を考えているかをダニエルは瞬時に理解して、経験はあると伝えて。
「王族付き騎士はいつ何時、他国の王家の方々との食事会に招かれるかわからないんだ。候補とはいえ王族付きに選ばれているなら、せめて表面上だけでも堂々と振る舞えるよう努力するんだぞ」
 優しい口調で、諭すように。
 ルードヴィッヒは所属こそ王城警護の第四部隊だが、第六姫コレー付きのスカイとトリックを教官に持つ王族付き候補でもあるのだ。
「コレー様はセヴィラニータ国のグレイン王太子殿下が婚約者だったな…候補とはいえ、いずれ食事会に招かれるかも知れないぞ。紫都の息子なら、向こうも招けるなら招きたいだろうからな」
「私もですか?」
「可能性は多いにある」
 優雅に新しい茶葉に手を伸ばすダニエルには、ルードヴィッヒの今の緊張はわからないだろう。
 しかしダニエルの言う通りだと己を奮起させる。
 ルードヴィッヒはいずれガウェのような素晴らしい騎士になりたいという夢がある。
 ガウェが黄都領主の道を選んだなら、ガウェが騎士団内に置いてしまう心残りを全て受け止めて代わりに叶えたいと思っていた。
 その為には、エル・フェアリア王家の恥とならないよう努めるのは当然のことだ。
「ど…努力します!」
「ん?ああ、頑張れ」
 ダニエルの方は軽い口調だったが、ルードヴィッヒにとってはとても重要な助言のひとつだった。
 いずれ他国王家の方々とも。
 訓練にばかり目を向けてはいけないのだとふと痛感する。
「あの、他には何かありませんか?」
「他?…何が知りたいんだ」
「王族付きとして必要な全てです!私は身体を鍛えさえすれば良いと思っていましたが…」
 素直に訊ねれば、そうだな、とダニエルは茶葉を選定する手を止めて。
「上位貴族として他国の言語はもう完璧に習得済みだろうし…武術剣術魔術の腕も悪くない、むしろ良い方だ…後は……」
 本格的に首を捻るダニエルだったが、あ、と思い出したような声を上げる。
「趣味は何かあるか?」
「え…趣味ですか?」
「趣味というか…教養に近いものだな。ミシェルの手芸技術だって、国によっては貴婦人の教養だ。私とジャックは絵を描いていたし、ガウェは器用だから指先を使うものなら絵も音楽も手芸も全般的に上手い。ニコルだってハープを使った弾き語りは有名な吟遊詩人のお墨付きだぞ」
「ぅえ!?そうなんですか!?」
 最後のニコルのくだりで変な声を上げてしまった。
 ガウェやミシェルの得意なことはもちろん知っていたが、ニコルにもそんな技術があるなんて知りもしなかった。
 というか見たことも聞いたこともない。
「昔もあまりやりたがらなかったからな…ラムタルからバインド王とヴァルツ殿下が来られた時の舞踏会でエルザ様にせがまれて披露したのを一度だけ見たことがあるが、ハープの腕前も声の良さも…あれはモテるわけだと思ったな」
 何やら思い出して、ダニエルは遠い目をしながら半笑いを浮かべている。
「…そうなんですか」
「まあ、強いて言うなら音楽に触れるのが一番良いかもしれないな。歌でも楽器でも、音楽はどの国でも共通の教養になる」
 ニコルでさえ戦闘以外にも得意分野があると知って、はたして自分には何があるのかと焦ってしまう。
 訓練付けの毎日で、趣味や特技は何かと聞かれても訓練に繋がること以外浮かばない。
 ダニエルとジャックでも絵の才能があるなら、自分には鍛えた肉体以外に何があるのかと落ち込んだ。
 その鍛えた身体でさえ、最強には遠く及ばないというのに。
「……教養なんて、考えたこともありませんでした」
 王族付きになるべく何が必要か知りたがったのは自分だが、自分には何もないと落ち込んでしまう。
「そうだなぁ…得手不得手を考えると“絶対にこれをすればいい”という助言は難しいからな…読書で知識を詰め込んだ者もいたし、ひたすら珍しい生き物の生態を追ってた奴もいたし……教養というよりは、何か自分が夢中になれるものを突き詰める、と言った方が良いのかもしれないな」
 ダニエルも話してくれながらも自分の中で考えを巡らせている様子で、ルードヴィッヒは言葉通りに自分が夢中になれるものを探してみた。
「……今夢中になれるのは訓練…することばかりで……ですがそういった教養がどうして役に立つのですか?」
 純粋な問いかけには、ダニエルもポカンと少し静止していた。
「…話題…なんだろうな」
「話題?」
「ああ。結局のところ、人と人とのコミュニケーションは対話だ。自分の得意とするものがあれば、話せるだろう?他国との外交だって、ひたすら難しく同盟関係の話し合いをしているだけじゃないからな。相手の懐に入るにも、自分が気を許すにも、まずは相手を知って、相手に自分を伝えることが重要になってくる。得意分野は自分にとって、そういった面で重要な役割を果たしてくれるんだ。お前が“武術訓練こそ得意分野なんだ”と突き詰めれば、それだっていつかは重要な役割を果たすようになる」
 それだけってわけでもないがな、とダニエルは笑うが、ルードヴィッヒにとっては貴重な助言だった。
「ガウェもミシェルも、一日二日で出来るようになったわけじゃない。好きなことだから自然と身についてしまったものだ。ニコルは弾き語りについては嫌そうにしてたが、お前もあまり深く考えずに、自分と向き合ってみればいいさ」
 自分と向き合う。
 その言葉のシンプルな難しさが、ルードヴィッヒの心に強く残った。
 カチャ、と寝室の扉が開いたのは、ルードヴィッヒが自分の得意分野を探そうとした時だ。
 ジュエルが使う寝室の扉が開いて、ものすごく疲れ切った表情のジュエルが出てくる。
 アン王女との朝食から戻って今までずっと閉じこもっていたジュエルは、眉間に皺を寄せて口元もぎゅっと引き結んだ何とも言えない顔をしていた。
 肩や頭には糸屑やハギレが乗っており、いつも身だしなみを整えてるジュエルとは思えないほどだ。
 ジュエルはルードヴィッヒとダニエルしかいない状況を確認してから、少し重そうな足取りでソファーまで歩いて座り込んだ。
「あ、ジュ……」
「昼食も抜いているから、お腹が空いてるいるだろう。じきに夕食だが、少しだけ先に食べるか?」
 ルードヴィッヒが話しかけるより先に、ダニエルは疲れているジュエルの前にお茶を注いで出した。
「いえ、お腹は空いてませんわ…少しだけ頭を休めに来ましたの……」
 口調に力がなくゆっくりとしているので、随分と疲れている様子だ。
 今にも眠ってしまいそうな様子で頭も揺れているので、相当頭を働かせていたのだと思えた。
「なら甘いココアを淹れてあげよう。ルードヴィッヒ、そのお茶は代わりに飲んでくれ」
 指示されて、少し慌てながらジュエルの隣に立ってカップを手に取ろうとしたところで。
「…座ってくださいませ」
 くい、と服の裾を掴まれて心臓が跳ねた。
「え…」
 弱い力で何度も引っ張ってくるものだから素直に隣に座れば、ジュエルはくたりとルードヴィッヒの肩に頭を預けてきた。
 軽いのに、存在感のある淡い藍の髪が間近にある。
 ふわりと頬に触れたのは、甘いミルクの香りのような。
「え!?」
「…煩いですわね…」
 驚きすぎて声を上げてしまったが、ジュエルは文句を言いながらもそのままで。
 普段は綺麗に背筋を伸ばすというのに、本当に疲れ切っている様子だった。
 心臓が早鐘を打つ中で、助けを求めてダニエルに目を向けるが、ダニエルはココアを作りながら微笑ましそうに見守ってくるだけだ。
「えっと…ジュエル……」
「はしたないことくらいわかってますわ…でもエテルネルがいないなら…少し休ませてくださいませ」
 不貞腐れたような声。でも少し恥ずかしそうな、甘えてくる声。
 コウェルズ王子がいない状況で、ルードヴィッヒには弱った一面を見せてくれて。
 こんな特別なことを許されるなど思いもしなかった。
 鼓動の音が速まり続けるが、ジュエルに聞こえていないだろうかと心配になる。
 寝室で何やら製作していたのは知っているが、まさか本当にルードヴィッヒの為に何か作ってくれているのだろうか。だから今こうして、ルードヴィッヒに甘えてくれているのだろうか。
「…えっと……何を作ってたのか聞いても構わないか?」
 眠りそうではあったが、眠りたくないのかモゾモゾと微振動を繰り返していたので思い切って訊ねてみれば、自分の袖についた糸屑に気付いて指で摘み取りながら、ゆっくりとした口調で話してくれた。
 何を作っていたのか。それは。
「…私に出来ることを実行していますの。…ア…あの子に、ドレスをあげたくて…」
 アン王女の名前はギリギリで出さずに、ドレスを製作中なのだと教えてくれた。
「ドレス?」
「ええ。ミシェルお兄様が夜会用に三着も準備してくださっていて…そのうちの二着を使って。…今は簡易のものしか作れませんが、エル・フェアリアに戻ればもっときちんとしたドレスを贈りますわ」
 ジュエルの製作していたものが何であったのかを知り、早鐘を打つ鼓動が落ち着いていく。
 ルードヴィッヒの為に何か作ってくれていたわけではなかった。その事実が、胸を抉るようで。
「…………そうか」
 声は必然のように掠れた。
「あと……」
 しかしジュエルの会話は止まらなかった。
 ルードヴィッヒの肩に頭を預けたまま、こちらを見ることもせずにジュエルが両手に何かを乗せてルードヴィッヒの前に見せてくる。
 藍と紫の糸で刺繍を施された、レースの、飾り紐のような。
「えっと…これは?」
「………………アンクレットですわ」
 ジュエルの声は今まで聞いたこともないほど小さく、至近距離にいるというのに聞き取ることが出来なかった。
「…え?」
「アンクレットですわ!」
 今度はちゃんと聞こえた。
「あなた、明日は魔具の装飾を付けられないでしょう?ブレスレットも考えましたが、手元の邪魔になってはいけませんし、足元なら大丈夫かと思いまして…」
 右肩にジュエルの頭が乗るから、左手でそっとアンクレットに触れる。
「余り布と糸で作った即席ではありますが…恐らく明日の試合は見守ることが出来ませんから…」
 ジュエルも考えてくれていたのだ。
 ルードヴィッヒと同じことを。
 そして、ルードヴィッヒの為に。
「…私の為にこれを?」
「………もし試合の邪魔になってしまうようなら付けないでくださいませ」
 アンクレットを手にしたとたんに、ジュエルの小さな両手のひらは離れていき、ルードヴィッヒの手には手作りの贈り物だけが残った。
「私は…私がきちんと出来ることをしたいんですの。自分に出来ることを見極めて、自分に出来ることは全てやり遂げますわ」
 昨日コウェルズに何を言われたのか全てはわかならい。
 それでもジュエルの言葉には強い芯があった。
 まだ子供のはずなのに、その精神面はルードヴィッヒより大人なのではないかと思わせてくる。
 少し悔しくて、でも凄いとも思う。
「…ジュエル、君に話したいことがあるんだ」
 本当はもう少し時間をかけた後で伝えようと思っていた。
 でもジュエルが、あまりにも早く先へと進んでしまいそうに見えたから。
 話したいこと、伝えたいことがある、と。
 ジュエルの頭が肩から離れていき、間近のまま見上げられて。
 真剣な眼差しで、見つめる。
「…ジュエル…私は……」
「わかってますわ」
 伝えたかった言葉はしかし、先にジュエルによって遮られた。
「え…」
「あなたの言いたいことくらい、わかってます」
 動揺して言葉が途切れてしまった間に、ジュエルはルードヴィッヒを真剣に見つめてくれた。
「お兄様には私から話します。あなたの話をするお兄様の言葉を全て鵜呑みにしていた私も悪いのですから」
 ルードヴィッヒの言いたいところは全部わかっていると。
「…それは、つまり…いや待って、ミシェル殿には私から!!」
「あなたとお兄様が?話が拗れるだけですわ」
 ジュエルの予想は的確だろう。
 真剣に取り合ってくれるなど思えない
「こういった大切な話し合いには順序があるんですもの。まずお兄様には私がきちんと話します。その後で改めて話してくださいな。お兄様もあなたを誤解している面がある様子ですから」
「あ、ありがとう……なら私はガードナーロッド家に挨拶を!!」
 アンクレットを握りしめれば、ジュエルが楽しそうに吹き出してしまった。
「私のお父様とお母様なら、あなたを誤解なんてしてませんわよ。ずっと“仲良くしなさい”と言われてたんですもの」
「ずっと!?」
 沈んでいた鼓動の早鐘が再発を始めていく。
 まさか藍都の領主と夫人が、ルードヴィッヒとジュエルを繋げようとしてくれていたなんて。
「じゃあ、私たちは!!」
 それ以上の言葉は、ダニエルもいる手前、今は恥ずかしくて言えなかった。それでもジュエルは楽しそうに笑顔を浮かべ続けてくれる。
 まさか、両思いだったなんて。
「--話し合いの最中に悪いが、ルードヴィッヒ、侍女達に夕食の準備を早めるように伝えてきてくれないか?ジュエル嬢はココアを飲んで少し休もう」
 突然会話に割り込まれたが、むしろ興奮しすぎて爆発しそうだった感情を落ち着かせてくれる割り込みだった。
 ダニエルに何度も頷いて、アンクレットを握りしめたまま立ち上がる。
「ジュエル、このアンクレットは絶対に付けるから!」
「ふふ…作った甲斐がありますわ」
 ふわふわと笑ってくれる笑顔が眩しくて、すぐに部屋を飛び出して。
 廊下に待機していると思っていた侍女の姿が見えなくて、ルードヴィッヒは心の軽さを実感しながら、足取りも軽く侍女達を探す為に広い廊下を駆けた。

---

「…ほら、ゆっくり飲んで」
 ルードヴィッヒが出て行った後でココアを手渡せば、ジュエルは眠りそうになりながらも両手でカップを持ち、少し熱かったのかちびりちびりと飲み始めた。
「とても美味しいです…ありがとうございます」
 本格的に目元がとろみ始めて、でも眠るまいと必死に目をしばたたかせて。
 ダニエルが先ほどのルードヴィッヒと同じ位置に座れば、ジュエルはゆっくりと頭を預けてきた。
 やはりか、と内心でため息をつく。
 アン王女の為にドレスを作っていたというのなら、朝から今までのこの長時間と、凄まじい集中力。
 脳内疲労はピークをとっくに越しているのだと容易に想像がついた。
 今のジュエルには、身近な存在が全て優しいミシェルにでも見えているのだろう。ルードヴィッヒだけでなくダニエルにも甘えてきたのがその証拠だ。
 ルードヴィッヒとの会話も全て聞こえていた。
 どうも噛み合っていないことにも。
「…ジュエル嬢、ルードヴィッヒには何を話したんだ?」
 一応訊ねてみたのは、ダニエルの早とちりの可能性もあったからだ。
 ルードヴィッヒは確実に、自分とジュエルの将来について話していた様子だったが。
「…ミシェルお兄様の誤解を解くお話です」
 誤解、それはジュエルが先ほど何度も口にしていた言葉だ。
「…何か誤解があるのか?」
 ミシェルがジュエルを大切にしていることはコウェルズからも聞かされていたが、どんな誤解があるというのか。
「…ルードヴィッヒ様に言われたんです。ミシェルお兄様が、ルードヴィッヒ様に酷い扱いをしてくる、…いじめてくる、と。…私はお兄様から、ルードヴィッヒ様の性格ががあまり良くないと聞いていましたが、ルードヴィッヒ様はとても真面目で努力家なのだとわかりましたから…」
 そこでジュエルが一度、大きなあくびを見せた。
 こんなあくびすら見せてくるなど、ジュエルはほとんど夢現を彷徨っている状態なのだろう。
「きっと…お兄様は何か誤解をしているんですわ。ルードヴィッヒ様もお兄様と和解したいと話してくれましたし…私が間に入って二人を…私に出来ることはそれくらいですし……」
 和解?とダニエルも首を傾げる。
 ルードヴィッヒがジュエルに向ける感情が今現在何であるのかわかっているからこそ、ダニエルはルードヴィッヒが何を言いたかったのか気付けたが、脳内疲労に加えてほとんど眠っているに近いジュエルにはそこまで頭が回らなかったのだろう。
 自分に出来ることを、とジュエルはまた口にする。
 昨日コウェルズとジュエルがどんな話をしたのかはわからないが、コウェルズの言葉もまた、本来の意味合いとは形を変えてジュエルに深く響いたのだとわかった。
 どうするべきか。
 迷ったダニエルは、次の瞬間慌ててジュエルの手からココアを取り上げた。
 ジュエルはそのままコテンとダニエルの膝に身体を沈めて、深い眠りにつく。
 本当に、どうするべきか。
 話が噛み合わないだけならまだ良いが、ルードヴィッヒの誤解はかなり危険だ。
 ルードヴィッヒとジュエルの婚姻は国が望むものではあるが、ジュエルの気持ちが伴っていない状況で進んで良いものでもないから。
 しかしルードヴィッヒに事実を伝えて、明日に響いても危険で。
 せっかくルードヴィッヒが良い流れの中にいるというのに、現実を伝えて流れを滞らせたくはない。
 深く眠るジュエルの肩が冷えないように自分の上着を脱いで掛けてやりながら、ダニエルはひとまずはコウェルズ達が早く戻ることを願った。

-----
 
1/3ページ
スキ