第91話
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アン王女との穏やかな朝食の後、戻ってきたジュエルは自分に割り当てられた寝室に引きこもっていた。
明日から本格的に始まる大会。
本来なら外で最終調整をする時だが、他国の目から離れる為にエル・フェアリアの陣営は誰も賓客室から出はしない。
コウェルズはダニエルと、ルードヴィッヒはジャックと、それぞれ最終調整はしているだろうが、ジュエルはサポートとしての役割を飲み物の準備だけに留め、寝室に篭ったのだ。
我が儘でこうしているわけではない。命じられて、謹慎のように。
昨夜はコウェルズ王子をひどく落胆させてしまったから。
昨日はルードヴィッヒがファントムの仲間から奇妙な攻撃を受けた。
攻撃されたとはいえルードヴィッヒに何の変化も傷も無かった為に様子見とはなったが、問題はそれ以外にも山積みで、さらにジュエルは昨日の朝方に勝手をやらかしてしまっている。
大変な時期だとわかっていながら、ジュエルは感情に流されてアン王女の後ろ盾となると我が儘を口にしたのだ。
昨夜コウェルズと改めて二人だけで話し合った際に、崇高だとさえ思っていた自分の考えがいかに我が儘であったかを強く思い知らされた。
藍都の出自とはいえ、成人してすらいない、たかが末の子が。
可哀想な王女様を守る力など無いというのに、マガをエル・フェアリア側に無理やり会わせるという無礼を働いたバオル側の肩を持ったのだ。
稚拙極まりない行動。
ジュエルを守って動いているジャックをも危険に遭わせる行為だった。
ただでさえ、ジュエルはコウェルズに対して思いつきの言葉で前科を作っているのに。
ルードヴィッヒによって傷めた手首と肩を癒してくれた美しい女性に憧れてしまい、ぽろりと口をついて出た言葉。
「治癒魔術師を目指したい」
何の前触れもなく口にしてしまった説得力の無い言葉の後で、今度はアン王女達という他者がいる前で撤回出来ない言葉を口にしたのだ。
ただの子供同士の会話なら誰もが聞き流せた。
しかしジュエルもアン王女も互いに立場がある。
その場にいたバオル国の者達も、ジュエルの言葉を子供の戯れ言と笑うには状況が切実すぎた。
分別の難しい幼子だったなら仕方なかっただろう。だがジュエルは、成人前とはいえエル・フェアリアでは国の為に立派に働く侍女だ。そして藍都の娘。
言葉の重みは、同年代の子供と比べても段違いに強い。
コウェルズは最初こそジュエルの言い分も聞こうとしてくれた。
機会はあったのに説明できなかったのはジュエルだ。
自分がいかに幼稚だったか、浅はかだったか、危険だったかを強い口調で教えられた。
ジャックも同じことをジュエルに話していたのに、ジャックの話しは聞き入れなかったことも強く叱責された。
せめて涙は見せまいとして、でも結局グズグズと泣いてしまって。
せめて、アン王女のことだけはやれるだけやってみせろ。
ようやく泣き止んだジュエルにコウェルズが命じたのは、バオル国ではなくアンという一人の少女に対しては責任を持てということだった。
エル・フェアリア国としてバオル国を助けるわけではない。ジュエル個人として、アン王女の手助けとなってみろ、と。
幼かろうが双方立場のある人間だから国の名前が出るのは仕方がない。だが国に迷惑は絶対にかけるな。
出来ないとは言わせない。やり遂げてみせろ。
コウェルズのその言葉を最後に、ジュエルは今に至るまでコウェルズと最低限の挨拶しか交わせていない。
気まずいのも勿論ある。怒らせてしまい、怖いと思う気持ちも。
ルードヴィッヒはジュエルを心配してくれたが、ジャックとダニエルに止められて、静かに見守る程度に落ち着いて。
「…私に出来ること…」
一人ぼっちの寝室内で、ぽつりと呟く。
寝室とはいえ、ラムタルが用意した賓客室の一室は豪奢を極めている。
寝室の向こうではやけに張り切るルードヴィッヒの声が何度か聞こえてきており、それぞれの最終調整も大詰めなのだとわかった。
明日になればきっと、ルードヴィッヒとコウェルズは特別に誂えた戦闘服を身に纏うだろう。
大会本番ではいつも、国々によって素晴らしい戦闘服が見られた。
その国に合わせた、目を惹く一級品ばかりが。
三年前のエル・フェアリアでの大会でも、訓練ではいつもよれた兵服ばかりのニコルでさえ国が用意した戦闘服を着たのだから。
ガウェは当然ながら、純白に銀縁の戦闘服を着たニコルは、今も侍女達が語り継ぐほどだ。
「…戦闘服…」
戦闘服は、何も男だけの特権ではない。
ジュエル達にとってはドレスが戦闘服に当たるのだ。
アン王女にも話したことだ。
アン王女が国に戻る時は、美しいドレスを沢山贈ると話した。
権威ある女にとってドレスは最上の戦闘服なのだから。
アン王女が憧れる牡丹姫のドレスも。
「…牡丹姫…」
妖精国の牡丹姫。
ラムタルで出版され、今や世界中の少女達の愛読書となった色美しい絵本をふと思い出す。
花をイメージした色鮮やかなドレスがなぜか鮮明に思い浮かんで。
「ーー…」
思い出すより先に、ベッドから飛び降りて荷物を漁った。
ジュエルが侍女仲間達や兄から渡された他国との交流の為の準備物が入った大きな箱がいくつもある、その最奥の箱に手を伸ばした。
見た目以上に重かったせいで足をふんばらせながらこちらに引き寄せ、装飾の美しい上蓋を開ける。
箱の中には淡い藍の絹布がみっちりと入っているが、目的はさらにその中だ。繊細な絹によって何重も保護されたそれは。
「…ありましたわ」
淡い藍色の、愛らしくも美しいドレス。
兄が用意してくれた、大会後の夜会の為のものだ。
用意周到な二番目の兄はいつだって予備も用意してくれているはずで。
ドレスを丁寧に箱から取り上げてベッドに並べた。
一着、二着、まさかの三着目。
形はよく似ているが、細部が少しずつ異なる。
ジュエルの為というよりは、ジュエルに着せたいミシェルの好みがふんだんに詰め込まれた、花のように愛らしいふわふわとしたドレス達。
美しく繊細なレースと刺繍達。
所々あしらわれているパールは、その美しさからスアタニラ産であることがすぐわかった。
どれもこれもジュエルの為だけに用意された、ジュエルの身体に合わせ、ジュエルが最も愛らしく着こなせるドレス。
ジュエルは同世代の子達よりも細身というか、あまり肉付きが良くない。
アン王女は、少しだけ肉付きは豊かだ。
ジュエルがアン王女に出来ること。
それは。
「……お兄様、ごめんなさい」
別の箱を開けて、鋏と針と糸を見つける。
ミシェルや他の兄姉よりも、ジュエルの裁縫技術は拙い。でも、自分は藍都の姫だ。
鉄の取れない唯一の土地で、鉄に代わる特産を発展させてきた。
藍都にいる職人達に敵う技術など持たないが、それでもジュエルは大好きな兄を近くで見てきた。
自分なりにアレンジしたカチューシャやリボンタイを作ったこともある。
まち針や定規なども引っ張り出して採寸し、手近な紙にドレスがくれる多くの情報を書き出していった。
ジュエルが本当に着たいドレスはシンプルで上品なものだ。ミシェルがいつも選ぶ可愛らしいふんわりとしたお姫様のようなデザインではない。
でも今は目の前の三着のドレスが有り難かった。
まるで妖精国の牡丹姫のドレスが目の前に現れてくれたかのようだ。
ドレスは背中が編み込みになっているものなので、サイズに関してはそこまで手直しする必要はないだろう。
でも、アン王女が着てこそ美しくなるドレスに変えたい。
いや、変えてみせると。
見た目にはほぼ同じではあるが、それでも一番シンプルなものを自分用に置いておく。
そして一番布を多く使っているドレスをアン王女の為のドレスに決めて。
一番装飾の多いドレスを、目の前に置く。
恐らくこのドレスが、ミシェルがジュエルに一番着せたかったドレスだろうとわかった。
沢山の淡い花の飾りの美しいドレス。薄藍色を美しく引き立たせるパールと、ピンクダイア。
「……お兄様…ごめんなさい!!」
自分に出来ることを探したいから、ジュエルはドレスの花飾りのひとつを一気に鋏で切り取った。
ジュエルの拙い頭では相手に思っていることを上手く伝えられないから、せめて行動で、形で、ジュエルにも出来る技術で、総力を上げて。
その後もドレスの装飾を丁寧に、しかし大胆に切り離していく。
ジュエルの為に用意されたドレスを少しも無駄にさせないようにしながら。
頭をフル回転させて、何度も紙に書き記して、ドレスとデザインを何度も確認して。
止まることなく続いていく作業。
ジュエルのベッドは、あっという間に沢山の花飾りとほつれ糸で埋もれていった。
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「…あの、ジュエルは何を?」
いつの間にか昼を少し過ぎてしまった頃、さすがに昼食にしようとルードヴィッヒがジュエルを呼ぶ為に寝室の扉を叩いたが、応答はなかった。
まさか泣いているのではとゆっくり扉を開ければ、室内は盗賊にでも荒らされたかのような凄まじい状況で、だがジュエルはこちらに全く気付かず必死に何かを制作していた。
どういうことなのかとコウェルズ達を呼んで、皆でこそっと見守って。
ジュエルは何を?
ルードヴィッヒのその問いかけには、誰も答えてはくれなかった。
とりあえずそっとしておこうと扉を閉めて、昼食を持ってきてもらうようダニエルが侍女に伝えて。
「…えっと…エテルネル殿…昨日はジュエルに何を話したんですか?」
いまだに呼び慣れない名前でコウェルズを呼べば、ソファーに座って優雅にリラックスしているコウェルズが「んー?」と呑気な声を聞かせてくる。
昨夜、ジュエルはひどく泣き腫らした顔でコウェルズとの対話から戻ってきた。
そのままダニエルに入浴へと連れて行かれたのだから、他国からはエル・フェアリア王の訃報を聞いてジュエルが泣いてしまったということになっているらしい。
しかしそんなはずがないことはルードヴィッヒもわかっている。
昨日はジュエルが勝手な宣言をしたものだから、その叱責だったはずだ。
だというのに、今のジュエルはどういうことか。
今朝またアン王女との朝食に向かい、戻ってきた後はルードヴィッヒ達のサポート準備もそこそこに寝室に篭ってしまって。
謹慎のようなものだとは、ジャックからコソッと耳打ちされた。
だが謹慎にしては、ジュエルは荒ぶりながら何か作業を続けている。
「…できもしないことは口にもしない、っていう話を昨日したつもりなのですが…お嬢様はもしかしたら別の解釈をしたのかもしれませんね!」
お手上げだとばかりにコウェルズはエテルネル口調で笑い、ちょうどジャックがコウェルズとルードヴィッヒの間に座ってコウェルズにお茶を注いでやった。
「女に泣かれると、こっちの言葉も曖昧気味になるもんだ。解釈違いも起きるだろ。それでなくても一回で正確に伝わる会話なんてほとんど無いからな」
ジャックはコウェルズが昨夜何をジュエルに話したのか知っている様子で、苦笑いを浮かべている。
その言葉は経験が故なのだろうが、曖昧な説明しかくれない二人にルードヴィッヒは強くむくれた。
「状況からして布を切り裂いて何か作ってるみたいだが…ルードヴィッヒ、お前の明日の戦闘服、ジュエル嬢はどんなデザインか知ってるのか?」
「大会用のものならジュエルには伝えています。三年前の兄さんの戦闘服を譲っていただけたので、少し手直しして私のサイズに合わせました!」
訊ねられたから話したとはいえ、ガウェから貰えた戦闘服を自分が着られることに興奮して声が大きくなる。
「三年前か…俺とダニエルは見ることができなかったからな…よし、今ちょっと着てこい」
「え!?」
ジャックの命令に動揺するが、さすがにコウェルズがまあまあ、とジャックを宥めてくれた。
「昼食で汚してしまったらルードヴィッヒ殿が可哀想です。明日にしましょう」
暗に「こぼす」と言われてムッとしてしまった。
「仕方ない、明日の楽しみだな。それにしてももしかしたら、お前の戦闘服に何かしら装飾でも作ってくれてるのかも知れないな」
「…ジュエルがですか?」
「ああ。剣に取り付ける剣穂みたいなものとかな。エテルネルだって自分の使う剣に婚約者のくれたものを付けてるだろ?」
言われてコウェルズの剣に目を向ければ、見えやすいようにかざしてくれた。
柄の端に、確かに揺れる独特の紋様の飾り。
「出発前夜にいただきましたよ」
微笑みの中に、どこか自慢するような嬉しそうな表情が読み取れる。
サリア王女がくれたものがそんなに嬉しいのだとしても、ものすごく羨ましく思えた。
「なるほど…確かに昨夜は“自分に出来ることを”と話して聴かせましたので、ルードヴィッヒ殿の為に装飾を準備している可能性はありますね」
そしてジャックの予想にコウェルズも太鼓判を押す。
「…………ジュエルが、私の為に?」
想像してしまい、頬がにやけた。
「ーーはいはい、あまり期待はしないさせない。ジュエル嬢の昼食は後で改めて用意してくれるみたいだから、先に食べてしまおう」
戻ってきたダニエルが注意をしてくるが、ルードヴィッヒは頬が緩まり続けるのを止められなかった。
思い返せばジュエルへの気持ちを理解してから、ジュエルもルードヴィッヒを見てくれていると感じることは何度もあった。
嫌いだと言われてしまったことも、改めて訊ね返せばもう嫌いではない、好きだと言ってくれた。
コウェルズが昨夜ジュエルに叱責してくれたというなら、アン王女やマガに目を向けるのではなく、自分のやるべきこと、つまりルードヴィッヒを最も考えてくれているとしてもおかしくはない。
いや、むしろそのはずだ。
ジュエルはルードヴィッヒのサポートとして共に来たのだし、仲違いさせてくるミシェルもここにはいないのだし。
トウヤも、ルードヴィッヒを応援してくれた。
耳打ちしてくれた重要なアドバイスは、深く深く胸に刻みつけている。
「さあ、食べて少し休憩したらまた調整だ」
ラムタルの楚々とした侍女達が丁寧に昼食をテーブルに置いてくれるのを、前のめりながら見守り続ける。
「…ルードヴィッヒ、邪魔になってるぞ」
焦りすぎている身体をジャックに静止されて、額を強く押されて背中をソファーの背もたれにくっ付けられた。
その状況にラムタルの侍女達がクスクスと笑ってくるから、恥ずかしくなって顔が赤くなるのを感じて。
「焦っていると視野も狭くなって、明日の試合もすぐ終わる結果になりますよ」
コウェルズにも鼻で笑われてしまい、流石に落ち着く為に深呼吸をした。
「ーーでは、ごゆっくりとお楽しみください」
豪華な昼食は、明日の出場者たちの為に準備された最高のものばかりだ。
ルードヴィッヒの好みもいつの間にか知られていたらしく、少量ではあるが生クリームの乗ったパンケーキまである。
ラムタルの侍女達が退出するのを見送ってから、改めてテーブル上の昼食を眺めて。
朝からの訓練で空腹は最高潮に近く、最初から肉を頬張りたかったが、先手を打つようにダニエルにサラダを皿に盛られてしまった。しかも山盛りだ。
「食べる前にその魔具の装飾を外しておけ。というかもう全試合終了まで付けるなよ。魔力は実質禁止だからな」
「あ、はい…すみません…」
ジャックにコツンと魔具の装飾を小突かれて、慌てて魔具を消失させる。
慣れ親しんだ魔具訓練ではあるが、確かに大会期間中は魔力の使用は禁止されている為、魔具の装飾を付けているだけでも失格になる可能性が高い。
大会終了までの間はもう装飾を付けられないとなると、ひどくもどかしいような、肌が寂しいような感覚に陥りそうだった。
「ジュエルの分は気にする必要はないからたくさん食べるんだぞ」
ダニエルは優しく笑ってはくれるが、ルードヴィッヒが食べたかったのは美味しそうな香りの漂う肉だったのだが仕方ない。
コウェルズの分もダニエルが取り分けてくれたが、自分とジャックのサラダを取り分けている間にコウェルズがトマトをこっそりルードヴィッヒの皿に乗せてきた。
好物なので文句は無いが、今食べたいのは肉なのだが。
「じゃあ、明日の予定だがーー」
昼食の始まりと共に明日の動きの再確認があり、ルードヴィッヒはひたすら聴きに徹しながら手と口を動かし続けた。
大会の宣誓は昼前にあり、その後ようやく試合の対戦相手と順番を決めるクジがある。トーナメント試合ではあるが第一試合と第二試合は剣術武術同時に始まり、明日はそこまで。その翌日の第三試合は午前に、午後は準決勝となる。
剣術と武術も、上手く時間が分けられる。
そしてさらに翌日が最終日。
決勝戦は武術から始まり、その後に剣術。
試合の日程は順当に進めばたった三日間。だが勝ち進む為の道のりはあまりに長いだろう。
明日ジュエルはルードヴィッヒとコウェルズ、どちらの試合を見守ってくれるのか。
ふと不安になって、サラダの最後の一口を口に入れながらコウェルズを見てしまった。
優雅に食べているかと思ったが、眉間に皺が寄っている。
サラダの盛られた皿にはトマト。
ダニエルにバレて改めて盛られたらしい。
コウェルズの設定したエテルネルという人物はジュエルの護衛をしていたことになっているから、ジュエルが明日はコウェルズの試合を見に行く可能性は高い。それでなくてもコウェルズはエル・フェアリアの王族だ。ルードヴィッヒが上第三位ラシェルスコット家の息子だったとしても、コウェルズの足元にも及ばない。
「…人の顔を見ながら盛大にため息を吐かないでいただけますか?今ため息を吐きたいのは絶対に私の方です」
皿に最後まで残ったトマトを見ないようにしながら、コウェルズが絡んでくる。
「……すみません。明日ジュエルが私とエテルネル殿のどちらの観戦をするのか気になってしまって…」
隠さず伝える本音に、三人全員がポカンとルードヴィッヒを見つめた。
「……………あー…まあ………諦めろ」
言いづらそうに、ジャックの声が。
「勝てばいいんですよ。そうすれば明後日の試合を観戦していただけますよ」
コウェルズは嫌がらせのように爽やかだ。
どうしようもないことだとダニエルも曖昧に笑って誤魔化してくる。
やはりジュエルはコウェルズの観戦をする。
嫉妬と、苛立ちと、俄然湧き始めるやる気。
コウェルズの言う通りだ。
勝てばいい。
勝てば、ジュエルはルードヴィッヒを観てくれる。
「このトマトを食べてくれるなら、明日お嬢様がそちらに行くように…」
「いえ結構です!ダニエル殿!メインを頂いてもよろしいでしょうか!?」
沸き立つやる気の火力をさらに強くする為にも、力を蓄えたい。
ダニエルは仕方ないとばかりに笑いながら、メインとなる肉料理を全て少しずつ皿に取り分けてくれた。
「エテルネルはそれを食べないと次に進めないぞ」
ついでとばかりに急かされて、コウェルズは諦めてようやくトマトを口に入れて丸呑みにしていた。
コウェルズよりも先に食べ終わって、早く最終調整をしたい。
額の辺りに魔具が消えた違和感がいまだにあったが、早く慣れる為にも身体を動かしたかった。
訓練も本気の手合わせなどは怪我の可能性を考慮してさせてもらえない状況で、戦闘欲求は爆発寸前まで溜まっている。
走り込みすら軽度で済まされるものだから、エル・フェアリアでスカイに扱かれていた頃が懐かしいほどだ。
明日になれば全力を出せる。
全力で、対戦相手に挑める。
「ーー食べ終わりました!デザートを頂いてもよろしいですか!?」
「馬鹿言うな。大人しく待ってろ」
自分自身を急かすルードヴィッヒの頭をジャックが叩いて、不満を露わにしながらも我慢して。
「早食いも身体に悪い。大会に勝ち進みたいなら、落ち着くことをしっかり覚えないといけないな」
ダニエルからも注意を受けて、さらに不貞腐れて。
自分が食べるのが早いわけではない。周りが遅すぎるのだ。
大会は明日だというのに、なぜ落ち着いていられるのかもルードヴィッヒにはわからなかった。
早く食べ終われ、食べ終われ、そう念じ続けてみたが、三人は明日の話し合いに夢中になってしまい、結局ルードヴィッヒがデザートを食べることができたのは随分と後になってからだった。
そしてそれまでの長い時間、ジュエルが出てくることもとうとうなかった。
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