第88話
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必要な情報を得てすぐに彼らから離れ、ファントムの飛行船である空中庭園を介してリーンの元へと戻った。
ルードヴィッヒの記憶の中に、彼はいた。
アリアと行動を共にして、ニコルとも親しげに話していた若者。名前は、アクセル。
ルクレスティードにとってアクセルは恐ろしい存在だったが、ルードヴィッヒから得たあまり多くない彼の情報は、どこか間抜けそうで、弱そうで、とてもアリアを守る戦力にはなりそうにない存在だった。
ルードヴィッヒの中にあるアクセルの情報は本当に微々たるもので、彼が魔術を使うところすらない。
リーンの部屋で合流してから、不安そうな母に抱きしめられ、そしてルードヴィッヒから見えた記憶を直接リーンの脳に見せて。
ルクレスティードの後ろではソリッドとウインドが少し緊張した様子で見守っている気配があり、イヴはガイアの隣に、アダムはリーンの隣でそのぐらつく細い体を支えていた。
「ーーなるほど…珍しいものだ」
アクセルという存在を見て、リーンはクスクスと笑う。
「珍しい?普通の人みたいだよ?」
「いや、普通には程遠い。だが安心するといい。彼の目の力は、ここまで届かないものだからな」
千里眼の能力を受けて少し疲れたのか、休むようにアダムを背もたれにしながら、リーンは何度か瞼を重そうに閉じる。
「いったい何が…」
ガイアが自身の不安を取り除くようにルクレスティードを再び抱きしめて、リーンの説明をせかして。
「千里眼の対となる能力…原子眼だ。恐らく二つの能力が突発的に強く引き寄せられたのだろう。ルクレスティードの目の怪我がすぐに癒えなかったのは、繋がり合った互いの目が傷付き、向こう側の目はすぐに治らなかったからのはずだ。向こうにアリアがいたのなら、アリアが治してやったのだろうな。でなければ二人とも、下手をすれば永遠に目を失っていた」
淡々と説明されるおぞましい内容に、一番表情を強張らせたのはソリッドだった。
「…俺が目を潰したから」
「……否定はできない。だがそれがなければ、ルクレスティードの能力がどうなっていたかもわからん。ルクレスティードの視界だけが永遠に戻らなかった可能性や能力を奪われたかもしれないことを思えば、良い判断だった」
結果が今であるなら、最良だったと。
それでもソリッドは俯くが、言葉はもう無かった。
その隣でウインドは少し困っているかのような様子で頭の後ろを掻く。
「それでその原子眼?なんでここまで能力が届かないって言えるんだよ。ってか原子眼って聞いたことも無ぇぞ」
千里眼なら誰もが一度は聞いたことがあるだろう。今までその力を持つ者がいたのだから。
「遥か遠くのものを見る千里眼の真逆と言えるだろう。非常に近いものを、より鮮明に見ることが出来ると言われている。可視光の外側も含めて全て、な」
「…なんだそれ?」
「我々の目に映る世界が物質の全てではないということだ。この者には恐らく、光が極彩色の粒のように…音が震える波のように見えていることだろう……」
理解し難い説明に、誰もがどこか不安そうに眉を寄せる。
「ルクレスティードが安全だといえる理由はどうして?」
ガイアの質問の頃にはすでに、リーンの意識は半ば夢の中へと落ちそうになっていた。
「原子眼は…千里眼のように遥か遠い世界を目に映すことは出来ない。あくまでも自分の視野の範囲での能力だ…今回はルクレスティードが原子眼の側まで視界を飛ばしたことで能力同士が絡み合ったのだろう…」
そこまでがリーンの限界だった。
完全に全身をアダムに委ね、夢の世界に沈んでいく。
アダムはすぐにリーンをベッドに寝かしつけてやり、誰もが中途半端な説明に困惑することしか出来なかった。
「…ガイア様、リーン様は安心しろと仰っていましたが、万が一を考えて、ルクレスティード様はリーン様と共にここに居てもらったら…陛下もきっと許して下さいます」
未だにルクレスティードから手を離さないガイアだったが、イヴの提案には少しだけ表情を緩めていた。
「…心配事が無いんなら、あいつらと接触する必要も無かったじゃねーか」
ウインドは力が抜けたかのように座り込みながら呟くが、誰もに強く睨みつけられてグッと言葉を詰まらせていた。
「お母様…」
安全だろうと言われても、ルクレスティードにはその目に受けた終わらない激痛が恐怖として今も強く残っている。
不安を紛らわせるようにガイアにしっかりと縋り付くルクレスティードを抱きしめ返しながら、ガイアはひたすら、ロードが早く戻ることを願っていた。
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ダニエルとルードヴィッヒが戻ってきた時、コウェルズはすでにジャックから一連の流れを聞いていた為に驚くことはなかった。
全員が揃う中で、何があったのかを聞かされる。
突然現れた敵側の者達が、何を知る為に接触してきたのか。
結局何が知りたかったのかわからずじまいになってしまった結果に、ため息をついたのはジャックだった。
そのため息はダニエルを非難するものではなく二人の無事に安堵するもので、ジュエルだけは心配そうにルードヴィッヒを見つめている。
「ーーそうか…リーンが無事だという言葉だけでも、万々歳…なのかな?」
相手の接触理由はわからなくても、リーンの近況は知れた。
順調に回復しているという言葉にもどかしさを感じて頭を抱え、同じ気持ちだろうジャックに肩を叩かれて慰められて。
リーンの無事を喜びたいのに、素直に笑えない理由は何なのか。
「…私がもっと有意義な質問が出来ていれば…」
「いや、そんなことはないよ」
ダニエルの謝罪は完全に不要だ。
知りたいことは山ほどある。欲しい情報を上げればきりがないほど。
そんな中でたった一つだけ、何にでも質問に答えると言われてしまったら。
冷静な理性より心が勝るのはコウェルズも同じだっただろう。
何もかもが、いつもいつも突然襲いかかってくる。
コウェルズ達はきっと、次々と降りかかる難題に足掻けている方だ。
「…ルードヴィッヒ、君に怪我は本当に無いんだね?」
「あ、はい…強い光を浴びただけなので…」
ルードヴィッヒに何の用があったのか。
検討も付かないが、ルードヴィッヒが何か知っていることのはずだとは思う。
「しかも、目の光を浴びたのはこれで二度目…何か君で実験でもしているのかな?」
「私でですか!?」
驚くルードヴィッヒはひどく狼狽えるが、目が強く光ったという説明に妙な既視感を覚えた。
フレイムローズの魔眼とは異なる。
だがどこかでそんな内容を読んだようなーー
「あ、七代前の…」
思い出すと同時に思わず呟いてしまい、全員の目がコウェルズに集まった。
「…歴代の国王と王妃の文献を持ってきてるんだけど、たしか七代前の王妃がそんな力を持っていたと記されていたんだ」
「…どうしてそんな貴重な文献を…」
持ってきている理由はひとつだけだ。だがその理由は笑顔で隠して。
「それで、いったいどんな力を?」
身を乗り出すように訊ねてくるダニエルは、ルードヴィッヒを相手の攻撃に晒してしまった負い目があるのだろう。
「確か…千里眼という能力を持っていたとか」
文献に記されていた、短命の王妃達の一人。
息子と娘を一人ずつ産んで亡くなった王妃は、不思議な能力で遥か遠い国々を眺め、国の利益にした、と。
「…千里眼とはいったい…」
ルードヴィッヒの問いには、ジュエルがひどく蔑むような視線を向けていた。
なぜ知らないの?そう言っているかのような視線に、ルードヴィッヒがグッと唇を引き結んで。
「簡単に言えば遥か遠い場所、千里先まで見渡すことの出来る能力だな。エル・フェアリアでも確かに今まで何人か、千里眼の能力者が産まれていると歴史文献にもあるぞ」
ジャックの説明にも、ルードヴィッヒは唇を引き結んだままだった。
真面目ではあるが、歴史や特殊な魔力、能力についての勉強からは逃げてきたのか疎い様子を見せる。
「訓練次第では視界の撹乱や他者の過去の記憶まで見渡すことが出来ると読んだことがあるね。…もしその少年が千里眼の持ち主で、なおかつ訓練も受けていたのなら…君の記憶から何かを読み取ったのかも知れない」
憶測とはいえ、ルードヴィッヒを光で襲ったその能力は、千里眼だと考えれば辻褄が合う。
問題はルードヴィッヒから何の情報を得たのか、だが。
「…ファントム達が知りたがりそうな情報を君が持っているとは思えないんだけどね…」
コウェルズの呟きには、ルードヴィッヒ以外全員が同時に頷いた。
ルードヴィッヒも最初こそ憤慨しそうになっていたが、すぐに己を察するかとようにため息をつく。
「…狙うなら、コウェルズ様を狙います」
「だね。でも君を選んだ。ということは君の中に情報があるんだろうけど…」
わからないものはわからないまま。
「…ラムタルの武術出場者から危害を加えられた、と揺さぶりをかけてみようか」
わからないなら他から攻めてみるかと提案した内容には、ジャックとダニエルに数秒考えた後で否定されてしまった。
「ただでさえ今はエル・フェアリアの訃報で他国含めてラムタル王城全体が揺れています。…もう大会までは動けませんよ」
これ以上の悪目立ちは危険だと。
「…そうだね。他国からの干渉が思っていた以上に多かった」
バオル国が特に酷かったが、スアタニラやイリュエノッドからも軽く喰らってしまった状況なのだ。
それさえなければ、もう少し自由に動けたはずなのに。
「…仕方ないね。明後日までは我慢するよ。じゃあ君たち二人は向こうの部屋でルードヴィッヒの訓練を見てあげて。私は少し、ジュエルと話したいことがあるからね」
次にどう動くべきかを考えながら、ひとまずはルードヴィッヒを大会に集中させる為に指示を出して。
名指しされたジュエルは、なぜ話があると告げられたのか理解するかのように表情を固く引き締めていた。
第88話 終