第59話


第59話

「--礼を言うぞ!よい乗り心地だった!」
 ラムタルで開かれる剣武大会に向かう為にコウェルズ達が飛行船で出発した後すぐに、突然現れたヴァルツにせがまれてニコルは生体魔具の鷹を出した。
 そして生体魔具が飛び上がってから数分後、戻ってきたヴァルツはいつもの元気な姿の中にわずかに大人の表情を含ませながらニコルにそう告げた。
 短時間の間にコウェルズと何を話したのかはわからないが、ヴァルツは魔具が着地していない段階で飛び降りて、そのまま駆け足でミモザの元に向かっていってしまう。
「…元気だね、ヴァルツ様」
「…だな」
 側にいたアリアと共にやや呆れた声で呟いて、同時に目を合わせて。
 アリアの肩には故郷の村長の夫人から譲り受けた小型の伝達鳥が乗っており、灰色の体はアリアの淡い銀の髪をいっそう引き立てるようだった。
 村長が亡くなり、忘れ形見のように譲られた伝達鳥。
 伝達鳥としての能力は低いが、長くニコルとアリアを繋いでくれていた小鳥に指をさし出せば、慣れた小鳥は軽い身体を浮かせてニコルの指に飛び乗った。
「こいつにも名前をつけてやらないとな」
 伝達鳥には基本的に名前をつけない。
 それはエル・フェアリアの習わしのようなもので、伝達鳥達は仕事の引退と共に名前を贈られ、飼い主の側で余生を生きるのだ。
 伝達鳥とはいえ完璧に仕事を全うできるわけではない。飛び立った伝達鳥が野鳥に襲われることも少なくないので、名前を付けてしまったら悲しみが増えるという理由と、伝達鳥自身が付けられた名前を覚えてしまい、それを元に害意ある他者に伝達鳥の持つ手紙や情報を奪われないようにという理由があるのだ。
 だから、引退してようやく名前を与えられる。
「名前は何がいいと思う?」
「お前が良い名前をつけてやれ」
「え、あたしが?」
 この小鳥はアリアの側にいる時の方が長かったのだ。名付けるならアリアの方がいいだろう。
 ニコルは驚くアリアの肩に小鳥を戻してやり、もう一度「決めてやれ」と告げた。
「うーん…何がいいんだろう」
 肩に戻る小鳥に向けてアリアが首をかしげれば、小鳥はアリアの頬に頭を擦り付けて。
「ニコル、アリア。私達もそろそろ戻ろう」
 ふいにそう話しかけてきたのはレイトルだった。
 レイトル達はニコルがアリアの側に来た頃に気を使うように少し離れていたのだが、コウェルズの出発後に解散を始める者達が増えたのでまた近付いたのだろう。
 しかし側に来るのはレイトルとセクトルだけで、モーティシア達他の護衛部隊のメンバーはすでにニコル達に背を向けてしまっている。
「あいつらは?」
 なぜ来ないのかと思えば、アリア達三人の少し驚いた視線が向けられて。
「…なんだよ」
「いや…あ、そっか!君は知らなかったね」
 変な視線を向けるなと眉をひそめるニコルに、レイトルが何かに気付いたように声を上げた。
「アクセルがコウェルズ様に頼まれ事をされたんだよ。それが珍しい術式の解読らしくて、モーティシアとトリッシュも興味津々なんだ」
「…頼まれ事?」
 コウェルズがアクセルだけに。
 ニコルの中のアクセルはモーティシアやトリッシュに比べると頼りない箇所が目立つ魔術師なので、そのアクセルが選ばれたことに驚きは自然と溢れた。
「リナト団長が変な鉄の短剣を持ってきたんだ。何でも短剣に術式が練り込まれてるらしくて、それを解読しろってよ」
 レイトルに続いて説明をくれるセクトルは、少し名残惜しむようにアクセル達の離れていく背中に目を向けている。
 元は魔術師入りを請われていたほどのセクトルだ。不思議な術式の解読に興味を引かれているのだろう。だがそれよりニコルが気になったのは。
「…短剣の術式?」
 おかしな短剣。
 ニコルには心当たりがあった。
 ファントムとの戦闘で、パージャが手にしていた不気味な短剣だ。
 壊れたパージャは、その短剣でナイナーダを圧倒した。
「変な剣だったよ。リナト団長ったら“取り扱いには気を付けろ、絶対に刃に触れるな”って何度も言うの」
 アリアもその短剣を目にしたらしく、当時を思い出してリナトのおかしな態度を教えてくれる。
 普段は剽軽なリナトがいつになく真面目な姿だったのだろう。
 短剣についてニコルはあまり教えられていないが、特別な術式のかかった短剣なのだとそれだけ理解する。
「なんでその短剣をアクセルに任せたんだ?他にも魔術師はいるだろ」
 ニコルには術のことなどさっぱりわからないが、御国にとって大切なアリアの護衛であるアクセルが選ばれたことには疑問しか浮かばない。
「アクセルはああ見えて、術式の解読は魔術師達の中でダントツなんだってさ」
 その疑問を解消してくれるレイトルも少し信じがたいというニュアンスを含ませており、護衛内でのアクセルの頼りなさを表していた。
「…まあ、得意分野は誰にでもあるだろ」
 珍しくセクトルがフォローに回るが、拗ねた口調は隠せてはいない。
 それほど見てみたかった珍しい術式なのだろう。
「じゃあモーティシア達はいないとして、ミシェル殿はどうしたんだ?」
 魔術師三人が護衛に立たないということはわかったが、ニコルが抜けた穴埋めに来てくれているミシェルまでいないことにもニコルは首をかしげる。アリアへの思いは理解しているので、この場にいないことが不思議でならなかった。
 そうでなくてもミシェルはミモザ付きの騎士なのだ。最も任務を生真面目にこなす部隊のメンバーがアリアの側にいない理由がわからない。
 ナイナーダに襲われたミモザの元に戻った様子も無かったので、離れているということはそれなりの理由があるはずだろうが。
「ああ、ミシェル殿はね」
 言いにくそうに口を開くレイトル。レイトルの言葉と同時にアリアが目を伏せたのは偶然ではないだろう。
「妹のジュエル嬢がコウェルズ様達と一緒にラムタルに出発することをガブリエル嬢には隠していたらしくて、その説明に向かったよ」
 ガブリエル。その名前が出たとたんにニコルも無意識に眉をひそめてしまうのは、それだけのことをされたからだ。
 イニスに媚薬香を持たせてニコルに嗅がせた張本人。それだけでなくアリアにも嫌がらせを続けているのだから。
「…話してなかったのか」
 だがそれよりも、兄妹であるはずなのにジュエルの出発を話していなかったことに驚いた。
「ジュエル嬢にも口止めしてたみたいだよ」
「…なんで口止めなんて」
「言ったらガブリエル嬢が反対したからじゃないかな。剣武大会は侍女が危険な目に合う可能性の高くなる大会だし、そんな場所にまだ未成年のジュエル嬢を連れていくんだから」
 華やかな剣武大会の影の不祥事は確かに毎年後を絶たない。明るみにならないだけで泣き寝入りをする娘達も多いのだから。
 それでも毎年開催されるのは各国の威信をかけた大会だからというだけで。
「ミシェル殿も、口には出さなかったけど不満そうだったから」
「ずっと不安そうでしたもんね」
 大切な妹が危険な場所に向かうのだ。不安にもなるだろう。
「…でもよくミシェル殿は反対しなかったな」
 ニコルでももしアリアが向かうとなったら反対しただろうが、ミシェルは不満こそあれど反対はしなかったのだ。それどころか、絶対に駄目だと煩いだろうガブリエルには黙っておくように言っていた。
 反対しなかった理由を考えてみても、これといった理由は思い浮かばず。
「ジュエルがね、すごく喜んでたの。重要な大会のサポートに自分が同行できるんだって。侍女長が決めたらしいんだけど、家の位が高い侍女達の中から優秀な侍女が選ばれることになってたんだって。それに選ばれたから、ほんとに嬉しかったみたい。あんな嬉しそうにされたら、ミシェルさんなら反対できないと思うな」
 ジュエルが喜ぶから、ミシェルは反対できなかったのだと教えてくれながら。
「それに、小数とはいえコウェルズ様とジャック殿にダニエル殿も一緒なんだ。心配は軽減されたんじゃないか」
 セクトルの最後の言葉でニコルもようやく頷くことが出来た。
 コウェルズはともかく、ジャックとダニエルは剣武大会において今なお越えるものが現れないほどの史上最高の高成績で優勝している実力者なのだ。生きた伝説と言われる二人がいるとわかれば、不貞を働こうとする輩も二の足を踏むだろう。
 王城を追放された双子騎士が戻ったという情報も他国には流されているのだから。
「そういうわけだから、今日のアリアの護衛は私とセクトルなんだよ。ニコルはどうする?今日はこの後は大した予定は無いけど、一緒に行動する?」
 辺りを見渡せばすでに人の姿はほとんど無くなっていて、ニコルは最後にアリアの肩に留まる小鳥に目を向けた。
 小鳥も視線に気づいたかのようにニコルを見上げて、まるで仕事を渡されるのを待つようだった。
 だがこの小鳥は、もう伝達鳥として仕事をする必要はないのだ。
「そうだな…こいつに名前をつけてやりたかったからな」
 それだけ話せば、レイトルもセクトルも察したように表情をわずかに憂いに滲ませた。
 小鳥の元の飼い主である故郷の村長が亡くなったことは伝えてある。そして伝達鳥に名前をつけるのは、伝達鳥の引退という意味を知るからだ。
「何がいいかな?女の子だから可愛い名前がいいよね」
 アリアも少し寂しそうに笑いながら、小鳥の嘴の前にそっと指を出す。
 その指先はツンと嘴でつつかれて、小鳥も名付けられるのを待つようだった。
「…なら、鳥小屋に行かないか?」
 ふと提案をしたのはセクトルだ。
「鳥小屋?…こいつは王城の鳥小屋で飼うつもりはないぞ?」
「ああ、違う。俺の伝達鳥がいるんだよ」
 王城には個人の伝達鳥が暮らす鳥小屋が用意されており、セクトルはそこにいる自分の伝達鳥に用があると告げる。
「あいつ、まだ仕事はできるけど、ちょうどいいからあいつにも名前つける」
「え、引退させるのかい?」
「違う。名前つけたところであいつは変わらないだろうからな。子供の時にもらったやつだから、俺がつけてやりたいんだよ」
 まだ仕事は出来るが。
 驚くレイトルに引退はさせないと否定しながら、セクトルは仕事をさせる為の鳥だというには可愛がりすぎたと苦笑を浮かべた。
 セクトルが中型の青い伝達鳥に舐められている姿はよく見かけていたが、文句を言いながらも可愛かったのだろう。
「12歳の誕生日にもらった伝達鳥だったよね。すごく羨ましかったの覚えてるよ」
 レイトルも懐かしそうに目を細めるから、セクトルだけでなく二人にとって大切な鳥なのだろう。
「レイトルさんは伝達鳥いないんですか?」
「個人的には持ってないよ。家の伝達鳥はいるけどね」
 自分も個人の伝達鳥が欲しいよ、と笑いながら、レイトルもアリアの肩に留まる小鳥に目を向けた。
「じゃあ、みんなで行こうか」
 向かう場所は決まった。
 やるべきことも決まった。
 名前は何がいいかなぁと小鳥に話しかけるアリアを中心に添えるように、久しぶりに最初の護衛メンバーに戻ったことを笑いながらニコル達はようやく王城裏庭を後にした。

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