第88話


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 遊んでやるつもりが、完全に遊ばれた。
 ふつふつと込み上げる怒りを腹の奥に溜め込みながら、ウインドは立ち入りの制限された区画を堂々と進んでいった。
 ファントムが鬱陶しいパージャを連れてどこかへ行ってくれたから少しは気分が晴れるかと思ったのに、怒りも苛立ちも冷めない。
 気持ちの悪いミュズも静かになり、新たに訪れたソリッドも大半の時間はアエルとかいう女に付きっきりだ。だからウインドの神経を逆撫でする存在など今はいないはずなのに。
 エレッテがいない。それだけで、目に入る世界中の全てが腹立たしい。
 試合が始まりさえすれば、怒りの矛先などいくらでもある。
 頭ではわかっていても。
「…なんだ?」
 ふと視界にちらついた違和感に、無意識のように足を止めた。
 角を曲がってすぐ。
 広々とした廊下になどいるはずのない少女を中心に、見慣れた仲間達が集まっていた。
 緑の姫リーンは、バインド王が用意した鳥籠のような部屋で身体を休めていたはずだというのに、美しい緑色の鴉の背に乗りながら廊下に出ていた。
 あれが彼女の生体魔具なのだろう。
 エル・フェアリアでの一戦で一瞬だけみたガウェ・ヴェルドゥーラの魔具の烏とよく似た形は、既視感よりも違和感よりも、妙な納得感があった。
 鴉に乗ったリーンに、ガイア、ルクレスティード、アダム、イヴ、そしてなぜかソリッドまで。
「……いったい何の集会だ?俺なんも聞いてねーぞ」
 比較的平和な分類に入る仲間達の集いに苛立ちが少し落ち着くのを感じながら近付いていけば、気持ちの落ち着いてきたウインドとは正反対に皆の顔には強張りがあった。
「…なんだよ。俺なんもしてねーぞ」
「ウインド、あなたエル・フェアリアでリーン姫を奪還した日、天空塔にいた騎士や魔術師達を見てるわね」
「はぁ?」
 説明もなく突然ガイアに訊ねられて頭を掻く。
 何のことだと訊ね返すより先に、ガイアがルクレスティードに合図をし、ルクレスティードは不安そうに見上げてきながらウインドに千里眼を向けてきた。
「なーー」
 何なんだ、そこまで言えない状況のまま。
 バチン、と強く眼球を直接引っ叩くような痛みに襲われて、一瞬にして奇妙な映像を脳に貼り付けられる。
 激しい衝撃と共に与えられたのは、争いとは無縁そうな、いかにも無害そうな若者の姿だった。
「な…んだよ、こいつ……」
 ルクレスティードが見たものを千里眼の力で無理やり見せられたのだと理解はしているが、こんな毒にも薬にもならなそうな若者など一切知らない。
「彼に見覚えは?」
「あるわけねぇだろ」
「思い出して!!」
 ガイアとは思えないほどの強い叱責に、思わず肩がびくりと跳ねて背筋が伸びた。
「……何なんだよ…先に説明しろよ!!」
 急に奇妙なものを見せられて、理解できないまま話だけを進められて思い出せもクソも無いだろう。
「……お前が今見た者が、つい先ほどルクレスティードを襲った」
「…は?」
 最初の説明はリーンがして。
「さっきね、千里眼でエル・フェアリア城内を見てたんだ。そしたらその人が視界に映ったとたん、千里眼の力が言うことを聞かなくなって……千里眼を止めようとしても止まらなくて…」
 後に続くルクレスティードの説明に、強く眉を顰めた。
「ルクレスティードの千里眼と、その者の何かしらの力が繋がった様子だった。私が断ち切ってはおいたが、いつどこでまた繋がるかわからん。お前は私を救出する際、その者を見ておらんか?」
「……はぁ?わけわかんねぇ……エル・フェアリアの奴らから攻撃されたってことなのかよ?」
「攻撃というよりは、向こう側の防御といった方が近いかも知れないな。それで、今見えた者の記憶は?」
 説明を受けても訳がわからないまま、ウインドは過去を思い出す。
 しかしエル・フェアリアの天空塔に降り立った時、騎士や魔術師達はフレイムローズの魔眼の力に押さえつけられていて顔など見えているわけもなかった。
「…覚えてねぇよ」
「……少しも?」
「あの状況で一人一人見てるわけねぇだろ」
 ウインドの記憶にないものはない。
 ガイアはルクレスティードを抱きしめながら不安そうに俯くが、記憶をたぐろうとも若者の顔など見覚えはないままだ。
「だいたいあんな弱そうな奴が騎士なわけあるかよ」
「恐らく魔術師団の者だろう。私の記憶にも存在しないということは、私のいなかった五年のうちに魔術師となったはずだ」
「マジかよ。魔術師団ならあんな弱そうな奴でもなれるなんて、エル・フェアリアも終わってんな」
 鼻でせせら笑うウインドを、誰もが咎めるように見つめる。ガイアに至っては、珍しいほど強く睨みつけてきた。
「……何だよ!」
「その弱そうな存在に、ルクレスティードは怪我を負わされたのだ。短い時間とはいえ、治らん傷としてな」
 弟を守るかのように、リーンの口調も険しい。
「治らねぇって…俺と同じ呪いか?」
「わからん。…父上がいない以上、またルクレスティードが攻撃されると厄介だ。下手をすれば能力が奪われる可能性がありそうだからな」
「……は?千里眼がか?」
 リーンの説明に思わずルクレスティードへと目を向ければ、ルクレスティードも小さく頷いて肯定してきた。
「よくわからないんだけど…目を引っ張られるみたいな…取られそうって感覚があって……」
 痛みを思い出すように白い頬がさらに青白くなり、またガイアへとすがる。
「マジかよ……」
「せめてその者の能力を掴めれば我々で対処出来ただろうが…お主にその者の記憶が無いなら仕方ない。父上が戻るまで、ルクレスティードも我が部屋の結界の中に入れよう」
 バインド王がリーンを守る為に張った結界が、こんな形で役に立つとは。
 そう思っていると。
「…なぁ、誰かがそいつを見た記憶を持っていたら、その千里眼って能力でどうにか出来たのか?」
 いまいちルクレスティードの能力を理解していないソリッドの質問が、どこか間抜けに聞こえた。
「千里眼とは全てを見通す能力だ。千里先、万里先まで見通す他、脳に焼き付いた他者の記憶も垣間見ることが出来る。ルクレスティードがそこまで訓練を積んでいるかはわからないがな」
「できるよ!…少しくらいなら」
 リーンの説明にルクレスティードは噛み付くが、後半は少し言葉がくぐもっていた。
「…なら、エル・フェアリアから大会の為に来てる奴らの記憶は見れないのか?王子サマは近付くのも危険だとしても、それ以外なら確実だろ」
「残念だが私の騎士達は私が土中に埋められていた五年間、王城を追放されていた身だ。接点が無い可能性の方が高い」
 私の騎士達とリーンが口にしたのは、大会の伝説と呼ばれる二人で間違いない。そうすれば残るのは。
「…ひ弱そうなあいつを狙ってみるか。弱そう同士、知り合いかも知れねぇな」
 幼い少女の方はわざと考えないようにして、残るのは女顔をした武術出場者の弱そうなチビだけだ。
「待って!もうルクレスティードを危険な目に合わせないで!!」
 ガイアは我が子を強く抱きしめて否定するが、その肩にリーンが手を置いた。
「ルクレスティードは相手の能力と一度繋がってしまったのだ。次は向こうからこちらに接触を図ろうとしてくる可能性が高い状況で、父上が戻るまで守り切れるとは思えない。相手の能力が分かれば、ルクレスティードを守る手札が増えて安全性も増すだろう。ルクレスティードを守る為にも、私はこの国に訪れているエル・フェアリアの者達から記憶を探る方に賭けたい」
 年齢に似合わないほどの老いを感じさせる深い声で、リーンはガイアを説得する。
「…お母様…僕もこのままなのは恐い…」
 ルクレスティードもガイアを見上げながら、怯えながらも現状のままは嫌だとはっきり告げた。
「……我々がエル・フェアリアのルードヴィッヒ様を安全な場所にお一人で呼び出しましょうか?」
 アダムの提案には、リーンが「いや、」と即座に否定する。
「ラムタルが関与しているとは知られたくない。…だからウインド、穏便におびき出せるか?」
 エル・フェアリアからラムタルに訪れている者達には、大会以上に重要な目的がある。
 それはファントムとその仲間、そしてリーンを見つけ出すことだから。
「……いいぜ。元々俺とルクレスティードは前にあいつらに顔見せてるからな。簡単に釣ってやるよ」
 つい先ほどウインドを虚仮にした男を思い出して、改めて苛立ちを湧き上がらせて。
「…ソリッドよ、お前も付いて行ってくれ。我々の目的を深く知らずとも、お前の冷静さはウインドの役に立つだろう」
 ルクレスティードの腕を掴んでとっとと立ち去ろうとするウインドの後ろで、リーンがソリッドにそう命じた。
「チッ…あのチビから記憶探るだけだってのに…好きにしろよ」
 見張りが付くようで気に入らないが、深くは考えないようにしたのは今以上に苛立ちたくなかったからだ。
「ウインド!」
 ソリッドも後に着いてきて、ようやく進もうとした所で今度はガイアに呼び止められて。
「…ルクレスティードを守ってね」
 不安でたまらない母の声で、ガイアは切実に訴えてくる。
 これではまるで、正義のヒーローみたいじゃないか。
「わかってる!」
 気恥ずかしくて、苛立ったような声で返事をして。
 まさかこんなに早く再戦になるとは思わなかった。
 ひ弱そうなチビよりも、ウインドに一発喰らわせてきた大会の伝説と言われる男を思い出しながら。
「…とりあえず、何があったのか最初から全部ちゃんと説明しろよ」
 ウインドの問いかけに、ルクレスティードは後ろを歩くソリッドへと不安そうな目を向けていた。

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