第86話
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明かりをぎりぎりまで落とした救護室、ベッドと簡易ベッドで静かに眠るアクセルとアリアを眺めた後、ニコルはようやく落ち着いた空を窓から見上げた。
朝から騒がしく飛び続けていた伝達鳥達も深夜ともなればさすがに数を少なくして、国王の死が国中に完全に広まったのだと伝えてくる。
外の鳥を気にするニコルに嫉妬するように、小鳥が膝に着地した。
「お前は眠くないのか?」
訊ねてみても、撫でてほしそうにニコルの手のひらに身体を擦り付けるばかりだ。
まだ名前の決まらない小鳥はようやくセクトルの茜に慣れてきた様子を見せたが、さきほどレイトルが訪れた時に連れて行かれた茜が名残惜しんでくる姿には冷めた目を向けていた。
「…お前と茜、交尾できんのか?」
失礼な質問は完全に無視される。
それぞれ小型と中型の伝達鳥だが、種類が違うので子供は残せないのだろうとぼんやり考えて。
子供。
ニコルがテューラを求めたのはメディウム家の男の本能も強いと、レイトルの言葉を思い出す。
ニコルの母とアリアの母は共にメディウム家の人間だ。
その人の血を受け継いでいるとでもいうのか、たしかにテューラを孕ませたい気持ちは強くあった。
エルザへ長年抱いていた淡い思いとは違う、アリアへ向けた歪な感情とも何かが違う。
何としても手に入れたいと渇望した。今も焦りに苛まれるほどの、最も優先順位を上げるほどの諦められない本能。
彼女に会いたいと願う。そばに置きたいと。
その願いを宥めるように、深くため息をついた。
何者かの気配が近付くのに気付いたのは、少し経ってからだった。
小鳥がテーブルの上に向かい、広げられた紙の上で休み始めた頃。
扉が叩かれる前に開ければ、そこに立っていたのはモーティシアだ。
先に扉を開けられた事に驚いたのか目を丸くしながら、胸元まで上げていた腕を下ろして。
「あなたは起きていたのですか。アクセルの容態はどうです?」
「大丈夫そうだ。目の痛みも引いたらしい」
「それはよかった」
少し疲れた様子で、室内で眠る二人をちらりと覗き見てくる。
「…今まで話し合ってたのか?」
「ええ。決めるべきところ、集めるべきもの、早ければ早いほどいいでしょう」
「レイトルがぼやいてたぞ」
「それは知りません」
クスクスと小声で笑ってくるが、レイトルには笑い事ではない。
モーティシアの思考回路は誰よりも先を進んでいくから、みな追うのに必死だった。今日は特にレイトルが被害者だっただろう。
治癒魔術師訓練生第一号に魔力量の少ないレイトルを選ぶなど、誰が想像つくというのか。
「少し話せますか?」
「ああ」
モーティシアを中に入れても、アクセルとアリアは起きる気配を見せなかった。それだけ二人は頭をフル回転させていたのだろう。
「明かりは…」
「いりませんよ。それよりニコラ殿は?」
眠る二人に気を遣って小声になりながら、先ほどまで共にいた騎士の居所を訊ねられた。
「レイトルと一緒にセクトル達を手伝いに行った。準備物がかなりあるみたいだ」
「おや、申し訳ないことをしましたね」
ニコル達と騎士団の摩擦を緩和する為に共にいてくれたニコラだったが、あまりの準備物の多さにレイトルに強引に連れて行かれた。
アクセルを中心にしてニコルがアリアと話し込んだ、治癒魔術師を育成する為に必要な物や場所や時間。書き出せば書き出すほど、必要なものは膨大に膨れ上がっていった。
トリッシュの婚約者であるジャスミンが覚えているかぎり用意した治癒魔術に関する書物も膨大な量で、それを遠く離れたミモザの応接室に運ぶとなるとさらに時間と人を費やすことになった。
「治癒魔術を会得させるにも、手探りばかりですからね。レイトルならよい実験体になってくれるでしょう。忙しく見せることでアリアの気も散らせますし」
その辺りのこともレイトルから聞かされていたので、ニコルはただ頷くだけにしておいた。
アリアはレイトルに治癒魔術を教えることについて満更でもなさそうだったが、忙しく見せなければならないほどアリアの目は盲目的になるのだろうか。
あまり想像できないが、ニコルの頭の半分以上をテューラが占めてしまったことをアリアに当てはめれば、仕方ないのかとため息をつく。
メディウム家の性質とはいったい何なのか、これからわかっていくのだろうか。
エレッテから両親の話を聞いた時は、親父の方が母に執着していたように聞いたが。
「……なあ、メディウム家って、王家とも血が混ざってるのか?」
ふと気になって訊ねてみる。訊ねた後でヤバいとビビるが。
「結婚という意味でしょうか?それなら大昔から何度もあったみたいですよ」
知らなかったことを怒られるかと思ったが、モーティシアは普通に教えてくれた。
そしてニコルが訊ねた件を、モーティシアなりに察した様子で。
「…エルザ様があなたに深く執着するのも、メディウム家の血が関係あるのかも知れませんね」
言われて、心臓を強く掴まれるように気分が悪くなった。
ニコルが考えていたのは父と母のことだったが、たしかにエルザにも当てはまるのだろうと思えたから。
「…まあ、あまり深く気にする必要はありません。それを言い始めてしまうと、上位貴族も必ずメディウム家と繋がりがありますし、中位貴族も少なからずメディウム家と繋がりましたからね。この国は古い歴史がありますから、どこまでメディウム家の血が入り込んでいるのか、もはや想像もつきませんよ」
「…そうなのか?」
「……それ以上訊ねるなら、あなたに渡した本をどこまで読んで理解しているか改めてテストさせていただきますが、よろしいですね?」
じろりと睨まれて、モーティシアが教えてくれたのは優しさからなのだと理解した。
「…悪い。ちゃんと目を通す」
まだアリアが王城に到着する前に渡された五冊の本の行方を必死に思い返しながら、モーティシアから強く目を逸らした。
「まったく…まあ、いいでしょう。あなたも大変な状況でしたからね」
「……悪い」
「かまいません。それでは私は一度自宅に戻りますので、また明日ミモザ様の応接室で会いましょう。アクセルには体調を優先するよう伝えてください。無理して仕事する必要はありませんから」
「ああ。伝えとく。……あ、それと!」
立ち去ろうとするモーティシアを、頭の整理がつく前に先に呼び止めた。
無意識のように呼び止めて、すぐにテューラとの会話を思い出して。
「家でマリオン嬢を匿ってるんだろ?…テューラがすごい心配してるんだ」
ニコルがテューラと再会した早朝、彼女は親友の行方を追って彷徨っていたのだ。
あの時の涙を思い出してしまい、胸が強く疼く感覚に陥る。
テューラの話では、マリオンはモーティシアの自宅に身を隠していると。
どんな状況なのかわからないが、ニコルにとって大事なのはテューラが安心することで。
「ああ……そうですね。…どこまで話せばいいか……」
モーティシアらしからぬ口籠る様子に、少し不安がよぎる。
「大丈夫なのか、出来れば正直なところで教えてくれないか?本当に心配してるんだ」
「……そうですね。テューラ嬢はマリオンの為に最後まで動いてくれましたし」
「どういうことだ?」
「…マリオンが暴漢に襲われたことは聞いたのですよね?」
問いを問いで返されて、緊張したまま頷く。
「その暴漢が闇市の人間だということは?」
「それも聞いた」
「…テューラ嬢達とは王都兵舎で会ったのですが、マリオンを私の家に連れて行く時、テューラ嬢は闇市の人間達の目を撹乱させる為に、衣服を交換してマリオンになり代わり、遊郭に戻ってくれたのです。聞いていませんか?」
友のために身代わりになっていたなど初耳で、無意識に視線を落とした。
下手をしたら遊郭に戻るまでに襲われたかもしれないのに。だがテューラならやりそうだ。
「…マリオンは……正直なところ、あまり良い精神状況とはいえません。…外を怖がって、窓にも近付けない状況です。…私もその暴漢に襲われたようなものなのですが…私がいなければ、マリオンは本当に殺されていたでしょうから」
「一緒にいたところを襲われたのか?」
「ええ。…今は私以外の人間にひどく怯えていて…」
視線を逸らしながら、モーティシアはマリオンの状況の危うさを教えてくれる。
「…一人で大丈夫なのか?」
「大丈夫ではないでしょうが、私でなければ駄目な様子で。なので定期的に家に戻る事にしたのです」
少し眉尻を落としながら申し訳なさそうに笑うモーティシアに、どう言葉を返せばいいのかわからなかった。
ニコルが見たマリオンは、明るい性格だったというのに。
モーティシアに好意を持っていることも知っていたが、モーティシアがマリオンにここまでしてやるとは思ってもいなかった。
「…俺達を介して、テューラとマリオン嬢の手紙のやり取りとか出来るか?」
状況がどうなっているのかわからないので、テューラが安心できるよう、せめてそれくらい出来ないか問えば、モーティシアも少し考えを巡らせて。
「…伝達鳥にも怖がっていましたが、それならマリオンも大丈夫でしょう。家に戻ったらマリオンに、テューラ嬢宛に手紙を書くよう伝えますよ」
得られた了承に、ほっと胸を撫で下ろす。
「…というか、これだけ忙しい状況で、家でも女を匿うって…休めるのか?」
モーティシアが王城でどれほど多忙を極めているか、そして現状さらに多忙となってしまった事実に、さすがに疲労を心配する。
王城でも家でも気を張るとなれば、どこで休めるというのか。
「…あなたまさか、私が休憩も取れていないと思っているのです?」
「いや、実際そうだろ……いつ休んでるんだよ」
「あなたに心配されると背中が痒くなるようです」
せっかく心配しているというのに、モーティシアは面白そうに笑ってくるので、眉間に皺が寄った。
「すみません。心配された事に少し嬉しくなってしまっただけですよ。安心してください。食事と瞑想で心身を休めていますから」
「…………瞑想?」
「ええ。案外良いものですよ。今度やり方を教えてあげましょう。あなたにも必要でしょうからね」
多忙を極めながらも動ける理由を教えられても、想像もつかない単語のせいで眉間の皺がさらに深まるだけだ。
そんなもので心身が休まるとは到底思えないのだが。
「…あと、私からもひとつ、お聞きしたい人がいるのですが」
「人?俺も知ってる奴か?」
「ええ。…ユージーン・ラーブル殿について、どんな人物なのか知りませんか?」
突然訊ねられた名前に驚いた。
その名前がここで出てくる理由がわからない。
「…クレア様付きの護衛副隊長だろ?俺よりレイトルやセクトルの方が詳しいぞ」
「……あなたがテューラ嬢と親しいよしみで聞いているのです。どうもマリオンにおかしな執着を見せてきて、絡まれたところなので」
「嘘だろ!?」
思わず大きな声を上げてしまい、ハッと我に返ってアリアたちに目を向けた。
アリアとアクセルはしっかり夢の中にいるままで、ほっと安堵して。
「……どういうことなんだよ」
「私が聞きたいですよ…王城から自宅に戻る際に突然呼び止められて、私の家を教えろと迫ってきたんですから。マリオンに訊ねても“出禁になった客”としか聞かされませんでしたし…どうも個人的にマリオンを調べている様子なので、また絡まれても困るので」
さすがにうんざりとした表情になるモーティシアに、ニコルはどうしても想像が付かずに困惑した。
ユージーン副隊長といえば、騎士団で一番、何を考えているのかわからない人物に挙げられるからだ。
「…俺が知る限り、ユージーン副隊長は王族以外は物扱いするような人だぞ。天空塔でクレア様の怪我を癒す時、アリアに対してもそうだったからな」
訓練でたまに手合わせする以外、滅多に関わりのない人物だ。最近話したとすれば、天空塔で第六姫コレーが魔力の暴発を起こした際に怪我人の治癒で呼ばれた時になる。
女性絡みの話など噂でも聞かないし、そもそも女に興味があるとも思わなかった。
「テューラ嬢に会った時で構わないので、ユージーン殿がどんな人物だったのか訊ねてくれませんか?レイトル達に聞くのは少し……」
「…わかった。聞いてみる」
遊郭内での出来事からユージーンがモーティシアに絡んできたというなら、確かに元部下であるレイトルとセクトルには聴きづらいだろう。
「…でも家がバレたらやばくないか?マリオン嬢が一人の時に家に行かれたらどうするんだ」
ニコル自身がユージーンをあまり知らないし、こんな時にモーティシアが嘘をつく性格でもないことをわかっているので心配するが、
「クルーガー団長に釘を刺しておいたので、大丈夫だと信じますよ」
「は?団長に言ったのか!?」
行動が早すぎるモーティシアに驚いた。まさか団長相手に直に告げるなど。
「私の家で女性を匿ったことはもう国側には知られていることでしょうから。今回騎士団が起こした暴力事件がありますし、これ以上こちらに危害が加わることのないよう“お願い”しました」
「…なんでそんなことまで知られるんだ」
「私もアリアの夫候補なのですよ。上質な魔力を持つ私を、国が放置するはずがないでしょう」
にこりと微笑む表情と、言葉の重さが噛み合わない。
「…そうかよ。じゃあまた、何か変なことが起きそうなら教えてくれ」
何もかもが不穏しかない状況。ニコルがモーティシアに出来ることは限られるだろうが。
「ええ。と言いたいところですが、諸々の問題の中心があなたなので、あなたにわざと伝えないことも増えてくるでしょう。そこは許してくださいね」
せめての手助けも、今のニコルが足を引っ張る。嫌味でそんなことを告げたわけでないことを痛いほど理解して、自分の置かれた状況に改めて唇を噛んだ。
「…悪い」
くぐもる声が、今の自分の情緒を伝えるようだった。
モーティシアも微笑む程度に留めて。
「…では、私は家に戻ります。明日ミモザ様の応接室で会いましょう」
去っていくモーティシアを見送り、明日は何も起こらないことを祈ることしか出来ない自分がひどく惨めに思えてしまった。
第86話 終