第58話
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出発の準備の整えられた裏庭はコウェルズが許した者達だけが神妙な面持ちでコウェルズを待っていた。
髪を綺麗に整えられたルードヴィッヒとジュエル、そしてジャックとダニエルの姿がある。
サリアと妹姫達と王族付きも勢揃いしており、それ以外では三団長と各部隊長、医師団長に侍女長、大臣達高官。そして肩に小型の伝達鳥を乗せたアリアとその護衛達に、コウェルズが厳選した捜索部隊の騎士達と魔術師達の姿があった。
これだけの顔ぶれが集まる場所が裏庭だなどと、事情がなければあまり考えられないだろう。
兄の姿を見つけてそわそわと落ち着きを無くすアリアの元にニコルを向かわせて、コウェルズは高官達から順に最後の言葉を交わして周る。
フレイムローズは幼子のようにコウェルズの後について離れず、ガウェは勝手知ったるとばかりにとっととルードヴィッヒ達の元に向かって。
「--出発する前に、君たちには詳細もなくうやむやなまま置いていくことを謝らなければならないね」
コウェルズがそう話しかけたのは、ファントムとの戦闘に力を使ってくれた優秀な捜索部隊の前に訪れた時だった。
コウェルズの背後には三団長が立ち、労うような眼差しが捜索部隊の数十名に向けられる。
「ファントムについてはまだ詳しくは話せない…だが先の私とファントムの会話で薄々気付いたものもいるだろうから、これだけは告げておこう」
いずれも優秀な王城騎士達だ。
コウェルズは一人一人の顔をしっかりと目に焼き付けながら、
「ファントムは、エル・フェアリア王家の人間だよ」
極めて重要な事実を告げた。
しかしその重要な事実を耳にしてわずかに気を張りこそすれ動揺を見せる者達はいない。
いずれもコウェルズとファントムの会話を深く考えたのだろう。
「それ以上の詳しいことは…エル・フェアリアだけに留まらない事件に発展してしまうから、どうか今はここまでで許してほしい…隠し事ばかりですまない」
さすがにファントムが悲劇の王子ロスト・ロードであると気付けるものはいないだろう。コウェルズの謝罪に数名が目を伏せ、コウェルズは彼らへの説明はそこまでに留めていくつかの言葉を交わし、次の顔ぶれのもとへ向かった。
アリア達と話し、各部隊長とも話し、ようやく最後にサリアと妹達の元に訪れたと同時にコレーとオデットに抱き付かれてコウェルズは動きを止めた。
「お兄様、やっぱり行っちゃいやですわ!」
「お兄さま…いやです」
寂しそうにコウェルズのお腹に顔を埋めて、二人の幼い妹はコウェルズを王城に留めようとする。
その後ろではフェントが落ち着きなく両手の指先を胸の前で合わせながらコウェルズを窺うように見上げていた。
「ごめんね、残れないんだよ。でもすぐに帰ってくるから」
コウェルズは片膝をつくと妹達に視線を合わせ、木漏れ日に輝く藍と紫の髪を撫でてやる。
虹の色をそれぞれ持って生まれた妹達。今は緑のリーンが欠けてしまっているが、必ず取り戻さなければと、幼い妹達の不安な表情を瞳に焼き付けながらコウェルズは強く決意した。
不安から本心を告げてくれたコレーとオデットもすぐに理解したように兄から離れ、背後に控えていた獅子に似た絡繰りに身を寄せる。
それはヴァルツに強引に貸し出すよう命じた護衛用の絡繰りで、ミモザには五体、妹達にも一体ずつ従えさせている。
万が一に備えた絡繰り。だがヴァルツの姿はここにはなかった。
「兄様、試合に出るなら絶対優勝してよね!」
前に出られないフェントの背中を押しながら喝を入れてくれるのはクレア以外にはいない。
「あはは、そのプレッシャー、ルードヴィッヒにもかけたろ?さっきからガチガチの姿なんだけど」
「当然でしょ!周りの言いたい放題で終わらせないようにって言ったわよ!」
それがどれほどルードヴィッヒの緊張を掻き立てているか。
コウェルズはガウェに話しかけながらも固まったままのルードヴィッヒにちらりと視線を向けてから、緊張を解くのにどれほど時間を使わなければならないかと空笑いを上げるしかなかった。
「ほら、フェント!」
その間にクレアはフェントの背中をポンと押し、顔を戻せばフェントが少し頬を赤らめていて。
「あ、あ、あの…」
わずかに吃ってしまい、フェントはトントンと自分の胸を軽く叩く。
そして深呼吸を二回ほと行ってから。
「が…頑張って勝ってくださいませ!」
その可愛らしい激励に真っ先にやられたのは控えていたフェントの騎士達だった。
内気な姫が懸命に声を出す姿はさぞ健気に映ったことだろう。
「ありがとう。フェントの応援があるから優勝したも同然だよ」
「兄様、気が早い!」
すかさず入るクレアの突っ込みにまた笑ってから、妹達に先を譲った上のミモザとエルザに顔を向ける。
ミモザは少し疲れた様子を見せるが気丈な立ち姿でおり、隣に立つエルザの不安げな表情の方が庇護欲をくすぐるようだった。
フェントの頭を撫でてクレアと頷きあい、胸中最も不安に駆られているだろうミモザの元に向かう。
「…きちんと食事は取るんだよ」
「言われなくてもわかっていますわ!」
軽口のような心配の言葉はすかさず凛とした声で返され、コウェルズはエルザと苦笑を浮かべ合った。
「離れることは本当にすまない。とっとと終わらせて帰ってくるから…絶対に一人になってはいけないよ」
普段通りに見せようとしても、今のミモザは支えてやらなければ簡単に倒れてしまいそうなほど危うく見えた。
それを表すように、ミモザは幼い妹達と同じくすがるような眼差しをコウェルズに向ける。
たった一瞬だ。だがたった一瞬だとしても、普段のミモザを知る者達からすれば有り得ないことなのだ。
「…フェントの新しい眼鏡も向こうについたら預かるから、終わればすぐに帰ってくる。不安かもしれないが、誰にもミモザを狙わせはしないよ」
同じことを二度も告げて、ミモザにも幼い妹達のように頭を撫でて。素直に撫でられるミモザの隣でエルザも真摯な眼差しを向けてくるから、コウェルズは目線だけでエルザと、そしてクレアも呼び寄せた。
現状ミモザの最も側にいられるのはエルザとクレアだけだろう。クレアはスアタニラ国に嫁ぐ準備も控えているが、任せずにはいられない。
「私がいない間、ミモザを頼むよ」
短い言葉。だがそれだけで充分事足りる。
エルザとクレアは同時に強く頷き、コウェルズは二人の妹の肩を頷いたと同じほどの強さで叩いた。
ミモザを頼む。改めてそう告げるように。
そうして妹達との対話も終えたコウェルズが最後に向かったのは、大切な人だと改めて認識した婚約者のサリアのもとだった。
サリアもエルザ達と同じように強い眼差しでコウェルズを待ってくれていて。
ミモザとはまた違う強さを見せるサリアを、コウェルズは言葉をかけることもせずに腕を引いて抱き寄せた。
あまりに突然の抱擁に周りの空気は色めき立つようにざわりと騒ぎ、腕の中にしまいこんだサリアが石のように固まる。
「あぁあなた様っ…」
コウェルズを呼んだのは無意識か、震える声に腕の力をさらに強めて。
病とは無縁のはずの元気なサリア。しかし魔術兵団長ヨーシュカは、コウェルズが王座に就けばサリアの身に異変が訪れると告げた。
まるで呪いのように。父はその呪いに耐えられなかったのだと。
「…体に気を付けるんだよ。エル・フェアリアはこれから冬が訪れるから…君のいた暖かな国とは訳が違うんだからね」
端から聞いただけなら不馴れな土地に住むサリアを労っただけに聞こえただろう。
だがコウェルズの言葉はあまりにも重苦しい。
その重さに、サリアは普段の勝ち気な態度も叱責することもせず、身動きの取りにくい体勢から何とかコウェルズを見上げてきた。
その健気な姿がたまらなく愛しくて、人目も憚らない行動に出る前にサリアを離す。
ほんの半月ほど留守にするだけだと自分に言い聞かせて、全員の顔を見て。
「さあ、出発しようか」
コウェルズはルードヴィッヒ達の待つ開いた空間に向かうと、ジュエルが手綱を握っていた絡繰りの大型犬を預かって開けた場所で新たに魔力を注ぎ込んだ。
そうすれば昨日と同じように大型犬は瞬く間に飛行船に姿を変え、初めてその姿を見た者達を圧倒する。
力自慢の騎士達が手際よく飛行船に荷物を運び、侍女たちはジュエルに細かな指示を与える。それが終わればルードヴィッヒ達が次に搭乗して。
「…こんな時期に留守を任せてすまない。みんな、頼んだよ」
後ろにずっと貼り付いていたフレイムローズを残し最後に飛行船に乗り込んだコウェルズの言葉に、皆が頭を下げた。
その様子を目に焼き付けて、名残惜しむ時間は勿体ないだけなので船内に入り扉を閉める。
出発の時となった。
「さてと、じゃあこれから約半月、よろしく頼むよ」
出入口近くでコウェルズを待っていたルードヴィッヒとジュエル、そして双子騎士のジャックとダニエルに笑いかけて、コウェルズは緊張したまま固まるジュエルを窓の近くへと促す。
素直に従うジュエルだが、窓の向こうにミシェルを見つけたとたんに表情を少し崩して不安げに「お兄様」と呟いたことに、全員で苦笑を浮かべた。
優秀とはいえまだ12歳の少女には荷が重すぎるが、後戻りは出来ないのだ。
「船内探検は出立を見届けられてからにしようか」
他の者達にも窓近くに寄るよう告げて、五人で窓の外に目を向ける。
絡繰りはそれを待っていたかのようにゆっくりと浮かび上がり、七姫達とフレイムローズが手を振ってくれたのでコウェルズも利き腕を上げた。
一度浮かび上がれば一気に地上は遠退き、窓の向こうにエル・フェアリア王都が広がり。
「…ヴァルツ殿下は来られませんでしたね」
ジャックの言葉に、コウェルズは小さなため息をひとつ溢した。
祖国で政務に関わったことのないヴァルツの痛いところをついて、喧嘩にもならない諍いを行ったのは今朝前だ。
しかし拗ねたわけではないとコウェルズは確信している。
ヴァルツがそんなうじうじとした性格でないことくらい理解していて、
「彼は単純だからね。もうじき来るよ」
「…それは、いったい?」
理解しているからこその言葉に、ジャックとダニエルが目を見合わせていた。
子供組のルードヴィッヒとジュエルはすでに外の景色に目を奪われて、こちらの声は聞こえてはいない。
そして上昇を止めた飛行船が進み始めると同時に、ルードヴィッヒが「あ」と小さな声を上げた。
「コウェルズ様、下から」
ルードヴィッヒの言葉が最後まで話されるより先に、ニコルの鷹の魔具に一人で乗るヴァルツが窓に近付いた。
「…ヴァルツ殿下」
「ね、言った通りだろ?」
「のんきにしていないでください!危険なのに!」
呆れるジャックと笑うコウェルズを置いて、ダニエルが慌てながら窓に手をかける。
「この窓は開かないのですか!?」
「少し離れてくれ。私が開けるよ」
注がれた魔力の主の指示に従うはずなので、コウェルズはダニエル達が窓から離れてから壁に手を添えて窓が開くよう念じてみた。
そうすれば窓は端に吸い込まれるようにガラスを無くし、外の冷たい風が一気に船内に入り込む。
ヴァルツも見計らったように生体魔具から手を離して窓に手をかけるが、中に入ってくる様子ではなく。
「…私に何か用?」
ヴァルツの視線はコウェルズだけに睨み付けるように注がれていた。
その視線を冷やかすようにコウェルズも挑発して、ヴァルツがムッと不機嫌そうに表情を歪ませて。
「君に何が出来るのか、きちんと考えてきたのなら聞いてあげるけど」
コウェルズとヴァルツにしかわからない会話を、ジャックとダニエルは普段通りの様子で、ルードヴィッヒとジュエルは緊張しながら静かに見守る。
ヴァルツは少しだけ視線を逸らしたが、すぐに顔を上げてコウェルズをまた睨み付けた。そして。
「まだ何もわからん!半日でわかるものか!だがな、ミモザは私が守る!貴様の出番など無いものと思え!!」
一気に言い放ち、窓枠から手を離してニコルの生体魔具ごと飛行船から離れていく。
離れていくというより、コウェルズ達の乗る飛行船が進んでいくと言った方がいいだろう。
コウェルズが窓から顔を出せば、ヴァルツも生体魔具の背中からコウェルズ達を見送って。
その姿はものの数秒で手のひらよりも小さくなってしまった。
「…ある意味言い逃げかな?」
気の抜けるようなため息と共にこぼれた言葉に、ジャックがコウェルズの腕を掴んで船内に引き戻しながら「そうですね」と相づちを打つ。
ミモザには婚約者のヴァルツが傍にいるから、兄のコウェルズはいらないと。
たかが半日で答えが出るほど政務は甘くはない。
ヴァルツがエル・フェアリアで出来ることを考えるにはたっぷり時間があるのだと自分で気付いたのだろう。そんな先のことを考えるより、今はミモザを優先するのだと。
明け方近くにコウェルズが言い放った事実程度でヴァルツが落ち込むとは思っていなかったが、ミモザを守るためにコウェルズなど必要ないと豪語する姿の中にある勇ましさには拍手を送りたくなった。
無垢なヴァルツの光はコウェルズには存在しない。
コウェルズが持たないものを駆使して、どこまで自分の力だけでミモザを守れるのか。
「楽しみだね」
冷めながら、期待も確かに存在する声はコウェルズ自身の耳にだけ届いて。
「さあ、私達は船内探検を始めようか。ラムタル到着までの二日間、よろしくね」
改めて半月行動を共にする四人に向き直り、コウェルズは人工的な光の笑顔を浮かべた。
第58話 終