第86話


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「レイトル、少しこちらへ」
 アクセルの休む救護室を出た後、レイトルはモーティシアに手招かれて別の救護室へと入った。
 セクトルが少し気にする様子を見せてくれるが、トリッシュと共に先に向かっていく。
「…人気のないところで話すってことは、重要なこと?」
「ええ」
 扉を閉めて、いつになく真剣な目を向けられて。
「先ほど、ビデンス殿からニコルの…メディウム家の男性の性質を聞いたと言っていましたが…アリアのことは聞きましたか?」
 それは、レイトルが伝えたメディウム家の真実だ。
 レイトルがビデンスから今朝聞かされた真実。モーティシアは話して聞かせただけが全てではないと悟ったのだろう。
「…聞いたよ。……教えてくれた」
 重要で、危険な。
 目下モーティシアが聞きたいことは、アリアの妊娠率についてのはずだ。古い文献に記されていたメディウム家の女達の特徴。それはアリアを守る手がかりにもなるものだから。だが。
「メディウム家の女性達の妊娠云々については、ビデンス殿でもわからないみたいだ。当時はメディウム家は数が揃っていたから、国が夫を無理矢理決めて充てがうなんてしなかったらしい」
 モーティシアがジャスミンのお陰で見つけた不妊の可能性について、ビデンスはわからないと告げた。
「…順調に産まれていたということなのですね」
 喜ばしいはずの妊娠。だが今知りたいのはそれではない。不安が不妊に繋がるというのはどういうことなのか、真実なのか、知りたいことは知れないまま。
「あと…」
 眉間の皺を深くしながら考え込むモーティシアに、レイトルは話そうか迷ったもう一つの件も話すことにした。
「…さっきはメディウム家の男性のことを話したけど、女性にも似たことが言えるみたいなんだ」
 どういうことだと顔を上げるモーティシアに、さすがに恥ずかしい気持ちが先に来て言葉を濁しそうになり、しかし伝えなければと軽いため息をついて。
「…メディウム家の女性達も、好きな男が出来たら迫ってくるようになるんだって。…男女共に、好きな相手との子供を欲しがると教えられた」
 昨夜の積極的なアリアを思い出して少しだけ頬を熱くしながら、なんとか冷静を装う。
「……あなたまさか」
「誤解しないで。手は出していないよ…今のところはだけど」
 踏み込んだ話などしたくない。だがモーティシアにアリアとの深い繋がりを疑われ、さすがに否定した。
「アリアを大切にしたいから、今はまだ我慢するべきだとわかってる。…ただ、昨夜はかなりグラついたんだ。今まで見たこともないほど積極的に甘えられたから。恐らくそれが、ビデンス殿が教えてくれたメディウム家の性質なんだと思う」
 話せる範囲で、可愛すぎたアリアの行動を話す。
「問題なのは、ビデンス殿が騎士として王城にいた頃のメディウム家は、四六時中相手から離れず共にいたって話しで…」
「つまり、アクセルやセクトルがアリアに好意を持っていることにして周りの目を欺いたとしても、アリアの目があなたから離れない可能性が高いということですね」
「……そうなるかもしれない」
 すぐに察した様子で、モーティシアがことの重大さに表情を暗くする。
 もしそうなれば、いくらレイトルやモーティシア達がアリアを守ろうとしても、強制的にレイトルはアリアと離されるかもしれないから。
「…わかりました。では先ほど伝えた通り、一度リナト団長達の元へ向かいましょう。治癒魔術師の今後や外出休暇について話しておきます」
「え、もう?」
「アリアには申し訳ありませんが、王城ではあなたが目に入らないほど忙しく働かせます。…外出時などにあなた達が共にいられるようにしますから、安心してください」
 レイトルの説明だけでどこまで理解したというのかわからない。
 もし逆の立場だったなら、レイトルならもっと話し合って解決策を探ろうとしたはずだ。
 なのにモーティシアは、聞きたいことは全て聞けたと言わんばかりにとっとと救護室の扉を開けて廊下へと出てしまう。
「待って。どう説明するつもりなんだい?」
「…臨機応変、という言葉を知っていますか?」
 問いを問いで返されて、思わず言葉に詰まる。
「大切なのはアリアの未来、そして今後増えていくだろう治癒魔術師達の未来です。あまり深く考えすぎてしまうと、考えた以外の出来事が起きた時に身動きが取れなくなりますよ」
 促されるままレイトルも廊下へと出ながら、モーティシアの言う柔軟な思考というものに頭を巡らせる。自分もそこまで頭が固いつもりはなかったのだが。
「…それで失敗したことはないの?」
「……そうですね。最終的には全て成功させていますから」
 にこりと微笑むモーティシアは、自信に満ちている。
「君の家にいる女の子も?」
 訳ありの遊女を家で匿うことになったとはレイトルも詳しく聞かされていたので訊ねてみれば、少しは崩れるだろうと予想していたモーティシアの表情は、ほんの少しも崩れはしなかった。
「お陰様で、欲しいと思っていた使用人を雇えて万々歳というものです」
 本音か建前かはわからない。
 だがモーティシアの微笑みは、今まで見たこともないほどの満足感があった。
「意趣返しのつもりで聞いてきたのでしょうが、今は私のことよりもアリア達のことですよ。アクセルの不思議な目の能力のこともありますからね」
 少しだけ前を歩くモーティシアが、ひどい怪我を負ったアクセルの目の能力を口にする。
 本当に酷い怪我だった。
 出血を続ける赤の中に浮かぶグズグズに潰れた眼球など、誰が見たいというのだ。
 それも、親しい仲間の怪我など。
 顔面蒼白となったアリアを思い出すが、恐らくレイトル達も血の気の引いた顔色になっていたはずだ。
「…千里眼なら聞いたことがあるけど…原子ってことは、その逆ってことなのかな」
「わかりませんね。…千里眼も、今はどの国にも産まれていないそうですから」
 特殊な能力を持つ者が産まれれば、公言せずとも他国に知れ渡る。フレイムローズの魔眼然り。それは国力となるからだ。
 世界の果てまでも見通すといわれる千里眼の持ち主が生きていたのは、はたしてどれくらい前なのだろうか。
「アクセルが不思議な目の持ち主だとしたら、他にもまだ知られていない能力があるんだろうか」
「考えられますね。アクセル本人が自分の目について自覚していなかったのですから。…今後どうなるかはわかりませんが」
 隣を歩きながら、まだ頼りなさばかり目立つ仲間を思いながら。
「…アリアの夫候補、フレイムローズは魔眼を持つから外されたんだよね。だったらもしかして、アクセルも外されるってことはあるのかな」
 ふと気付いてしまった疑問だが、モーティシアはあまり気にするそぶりは見せなかった。
「わかりません。リナト団長の反応次第でしょうね。その事については、ちょうど探りを入れてみるつもりでした」
 頭の中ですでに考えていたらしく、あまり気にしていない様子に脱帽する。
 恐らくモーティシアの頭の中では、レイトルが想像する疑問や不安の全てに対処できる一手があるのだろう。
 レイトルが騎士として肉体を鍛え続けている様に、モーティシアは魔術師として思考回路を鍛え続けているのだ。
 どれほどの速度で情報処理がなされているのか、想像もつかない中で。
「……レイトル」
 ふと何か思い浮かんだように、モーティシアかぴたりと足を止めた。
「…あなた」
 何を言うつもりなのか。
 静かに待ってみれば。
「あなた、治癒魔術の訓練を行ってみませんか?」
 まるで名案でも浮かんだかのように、パンと両手を一度叩きながら。
「…何言ってるんだい?」
「あなたの魔力操作術はよくアリアを助けてくれました。その繊細な技術はもしかしたら治癒魔術に生きるかも知れません。幸いあなたもまだ若いですし、ラムタルに続く癒術騎士となれるでしょう」
 突然何を言い出すかと思えば、なんて突拍子もないことを。
「…忘れているのかも知れないけど、私の魔力量は最低値なんだよ?」
 レイトルの魔力は、本来なら騎士にもなれないほどの底辺だ。だというのにモーティシアはいっさい気にする様子を見せなかった。
「そうがどうしました。魔力操作は最高値なのですから、魔力量など関係ありません。そうしましょう。そうしなさい」
 まるで決定事項であるかのように、またとっとと歩き始めて。
「え、本気!?」
「大真面目に言ったんですよ」
「確実にたった今考えついたことだろ!?」
 さすがに声を張り上げるが、モーティシアにはどこ吹く風だった。
「最善の手とは思いませんか?あなたにとっても、アリアにとっても、この国にとっても」
 全てを語らないまま有無を言わせないほど爽やかに微笑まれて。
「全て任せておいてください。リナト団長とクルーガー団長には上手く話してあげますよ」
「はぁ!?」
 どうやらモーティシアの中で本気で決定したらしい重要事項に、頭は完全に思考を停止してしまった。
 少ない魔力を補えるほどの操作力を身に付けたのはレイトルだが、それが治癒魔術に生きるなど思えるわけがない。
 だというのにレイトルより自信ありげに進んでいくモーティシアに、慌てながら後を追いかけることしか出来なかった。

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