第85話
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「…あ……と…」
第一姫ミモザの応接室から一番最初に退室したアクセルは、巨木のような存在感で無表情のまま見下ろしてくるミモザ付きの隊長に、無意識に後退ってしまった。
「アクセル殿、ジョーカー隊長は見た目とは裏腹に温厚な人だ。警戒する必要はない」
優しく教えてくれるのはミシェルだが、少し見た目をいじるような物言いに隊長は不貞腐れたようにミシェルを睨みつけた。ミシェルも身長に恵まれているというのに、さらに一回り以上大きいので迫力は凄まじいものがある。
「やめてください、ジョーカー隊長。これ以上ミモザ様に目をつけられたくはありません」
いまだに茜を頭に乗せたままのニコラがため息をつくが、それはお前の責任だ、と言い返されていた。
ミモザによって退室を促された全員が応接室を出て、最後にモーティシアが出ると同時にジョーカーが扉も閉めてくれる。
「兄妹だけでミモザ様と対話か?」
「はい。デルグ様が亡くなった事で、アリアがひどく落ち込んでいますので、恐らくその為かと」
ジョーカーとモーティシアの隊長同士の会話のはずだというのに、騎士達と比べれば線の細すぎるモーティシアではあまりにも拙く見えてしまった。
年齢も関係しているとは思うが。
「これからどうする?二人が出てくるまで待つ?」
「……そうですね」
しばらくこの場で待機になるのかと問うてみたが、モーティシアは少し考えて。
「アクセル、あなたは幽棲の間に行ってみますか?」
「え、いいの?」
「貴殿はまた!!」
気になっていた幽棲の間の名前を出されて思わず声を上げてしまうが、ミシェルが同時に怒りながらモーティシアを睨みつけた。
「護衛に立つ間は護衛に集中していろと何度も言っただろう!」
「アリアの護衛は二人体制としています。今はニコルも共にいるので、あと一人残っていれば充分なんですよ。それにアクセルはコウェルズ様直々に危険な術式の解読を命じられており、幽棲の間に向かうことも大事な任務です」
真面目に怒るミシェルと、理由があると告げるモーティシアと。
「も、モーティシア…俺なら後でいいから…」
「いや、任務があるなら離れても構わないだろう」
幽棲の間を調べるくらいなら後でもいいと思ったが、意外にもジョーカーが肯定してくれた。
「隊長!」
「ここに大所帯がいる方が不必要に注目されてしまうからな。それにコウェルズ様が命じられた奇妙な短剣のことは私も聞いている。少しでも早く解読が終わるなら、そちらの方がいいだろう」
ジョーカーが味方についたことにより、モーティシアは満足げな笑みをミシェルに見せ、ミシェルは不満そうに睨みつけていた。
護衛のあり方について何度かミシェルとやり合ったとは聞いていたが、軍配が上がったモーティシアの笑みはなおさら輝いて見えた。
「他に行きたい人は?」
「俺はやめとく…なんか幽棲の間って雰囲気が苦手なんだよ」
手を挙げて残ることを希望するのは意外にもトリッシュだった。
「私も、ここにいようかな」
レイトルは当然のようにアリアの側を選び、セクトルは少し考えている。
「セクトルもモーティシアも行ってみれば?あの短剣のこと気にしてたし」
「私はニコルとアリアの側を離れるわけにはいきません」
セクトルだけでなく、モーティシアも気にしていただろうと気を遣ってくれるトリッシュに、賛同してくれるのもまたジョーカーだった。
「そこまで気にするな。ニコルは一応副隊長なんだ。事足りる」
なぜモーティシアが残ろうとしたのかを察してくれて、現状を理解してくれる。
仏頂面のままではあったが、確かに物腰の穏やかな様子が不思議な好感を持たせた。
「…ありがとうございます。ですが私もここに残りますよ。今後のアリアの仕事についてトリッシュと話し合いたいですし。…セクトルは行ってください。短剣への魔力の攻撃時のように、あなたの力が必要になるかもしれません」
「俺はいいけど、幽棲の間に入るなら許可を得て鍵を借りなきゃいけないだろ。時間かかるんじゃないか?」
「あ、それなら大丈夫だと思う」
ニコル達がいつ出てくるかわからない状況でセクトルは時間を気にするが、アクセルが感じた呪いの波長は幽棲の間に繋がる扉から漏れていたのだ。
「変な波長が扉から出てる時と出てない時があったから、もし出てなかったらここに戻ってくるよ」
アクセルも今がどれほど緊張すべき時かは理解している。こんな時に自分に与えられた任務にだけ集中するつもりはない。ただ少しだけ、胸に引っかかるような気掛かりさえ取れたら。
これで幽棲の間に向かうのはアクセルとセクトルの二人だと思っていたが。
「よし、じゃあ私も向かおう。ミモザ様の命がある。行動を共にしておきたいからな」
茜を頭に置いたままのニコラが腕に抱いた小鳥をレイトルに預けながら歩み寄ってきた。
「…ミシェル殿、一緒に来てくれませんか?」
ニコラとミシェルがアリアの護衛達と騎士団の摩擦を緩和する任務を与えられているというなら、王城にいる以上アクセル達側にもどちらかがついてきた方がいいのだろう。
ニコラは自ら共に来てくれると立候補してくれるが、セクトルがひどく顔を顰めてミシェルに頼み込んでいた。
「…どうする?」
困惑するミシェルがチラリと目を向けるのもニコラの方で。
「まったく、俺の優しさがわからないからお前はいつまで経っても低身長のままなんだ」
「はぁ!?」
身長を持ち出されて瞬時にキレるセクトルの背中をレイトルがクスクスと笑いながら押して。
「アクセル、ミシェル殿、小さなセクトル君を頼みます」
「子守りが面倒になったらいつでも言ってくれ」
突然タッグを組むレイトルとニコラに、セクトルがさらに怒りで顔を赤くした。
「お前ら、後で覚えてろよ!」
捨て台詞を響かせながら、セクトルが階段へと先に歩き出してしまう。慌てて追いかけるアクセルの後ろを、ミシェルは涼しげについてきていた。足の長さが羨ましい。
「…ニコラ殿とセクトルは仲が良いんですか?悪いんですか?」
「二人は幼少期からの古い付き合いだからな。レイトル殿と共にふざけ合っている姿は騎士団内でもよく見かけたものだ」
「そうなんですか」
仲が悪い様子ではなかったので安心するが、セクトルは怒りに任せて先へ先へと進んでいってしまう。
「それよりも、幽棲の間に何があるんだ?」
ミシェルとは個人的にはあまり話したことが無かったので無言の時間が始まると思っていたのに、意外にも気になる様子で訊ねられてしまった。
彼も騎士団入りする前は魔術師団入りを請われていたと耳にしたことがあるので、魔力が高い分、術式などに興味がないわけではないのだろう。
「えっと、何かあるってわけじゃないんですけど…変な短剣にかけられた術式の解読を任されてて、ただどうも単なる複雑な術式じゃなかったんです」
なるべく分かりやすく話したいとは思うが、モーティシアやトリッシュのように上手く説明できないのが歯痒い。
「…呪いと言っていたな」
「はい。あの波長は術式じゃなくて呪いです。呪いなんてあんまり見たことないですけど、すごく異質だったんで、これが呪いなんだなってわかりました」
術式と呪い。似ているようで、あまりにも違う二つ。
術式は魔力を持つ者が扱えるもので、呪いは恐ろしいほど深い憎しみがあれば魔力を持たなくても発生してしまう。
「それで、どこかで見たことあるなと思ってたら、何度か幽棲の間の扉から微かに漏れてたことを思い出して」
「幽棲の間から……その波長とはどんなものなんだ?どういう風に見えるものなんだ」
身を乗り出すように問われて、困惑する。実際には見えていないものをどう説明するべきかと。
「え…っと、なんかこう、見えません?空にかかる虹色の防御結界みたいな感じで」
「…………いや」
「えぇ…」
一番うまい例えだと思ったのに、首を傾げられて困ってしまった。
「セクトル殿は見えるか?」
アクセルの困惑を察したように、ミシェルは前を進むセクトルに呼びかけるが。
「全く。そもそもアクセルの説明もいまだに理解できてませんので」
「そうだったんだ…」
一番手伝ってくれていたセクトルにも伝わっていなかったと知って肩を落とした。
「何て言ったらいいんだろ…色とか形とか…そういったものじゃなくて、頭に直接見えるというか」
「それ、モーティシアとトリッシュは見えるのか?」
「…前に二人にも説明したけど、首かしげられたからたぶん見えてない」
魔力の質が良ければ見えるというものでもなさそうで、そうなってしまえばアクセルにもどう説明すればよいのかわからずお手上げとなってしまう。
「魔術師達の訓練の賜物というわけではないんだな」
「子供の頃からそういうの見えてたんで…同じ魔術師なら見えるものなんだと思ってました」
「アクセル、それ、霊感的な能力なのかもな」
「やめろよ!幽霊とか見たことないから!」
苦手な分類の話をされて、思わず身震いしながら拒絶した。幽霊なんて信じるものか。
そうこうする間に一階の幽棲の間の扉前に到着するが、残念ながら今は何も漏れ出てはいなかった。
それでも目を凝らして静かに観察をしてみる。
幽棲の間に繋がる扉自体に精密な魔力が込められているので、それとは異なる波長を探すのは難しかった。
「…セクトル殿、何か感じるか?」
「いえ…ミシェル殿は?」
「何も…微かに術式を感じるくらいだな」
「俺もです」
二人もアクセルのように呪いを感じ取ろうとするが、すぐに断念していた。
「…今日は出てないみたいだ…幽棲の間に入れたら、見つかるかな…」
どこを見つめても無いものは仕方ない。
ため息を吐きながら少し疲れた目を擦れば、
「ーーお前達、そこで何をしている」
ふと聞こえてきた覇気のある声に、三人同時に振り返った。
普段なら騎士達はすぐ気配に気付くというのに、二人とも驚いた顔をしている。
「クルーガー団長…」
「リナト団長!」
罰悪そうなミシェルの声とアクセルの声が重なり、二人の団長と共に歩いている見知らぬ人物に無意識に三人で頭を下げた。
身に纏うのは魔術師団に支給される衣服に似ているが、騎士団のように動きやすそうな。
「まさか…魔術兵団長?」
眉を顰めたミシェルの呟きに、初老の男は面白そうに笑っていた。
魔術兵団の名にアクセルは思わずセクトルに目を向けるが、セクトルも初めて見る人物らしく無言のまま微かに首を横に振る。
王にのみ使える護衛部隊、魔術兵団。姿を見た者も少ない部隊だ。
王がいないから、出てきたのだろうか。
「…ここで何をしているんだ?」
改めて問うてくるのはクルーガーで。
「ニコルとアリアが戻りましたので、ミモザ様にご挨拶にうかがっています。我々はアクセルの任務を優先して行動を別にしている所です」
セクトルがしてくれる説明に、おお、とリナトがこちらに近付いてきた。
「アクセル、なにか分かったのか?」
「いえ、まだ分からないんですけど…もう少しといいますか…ここからあの短剣と同じ波長を感じたので…」
まだはっきりと解明はできていないのでどう伝えればと迷ったが、それでもリナトには察するものがある様子だった。
「幽棲の間から…ということか」
「はい、あの短剣にかけられているのは術式ではなかったんです。確証はないのですが恐らく呪いで…しかもそれと同じものがここから。…ただ呪いの波長がいつも漏れているわけではなくて、今は何も見えません」
術式などではなく、呪いであると伝える。
それがどれほどおぞましいものであるか、アクセル以上にリナト達は想像できただろう。
彼らは大戦中を生きた人物で、凄まじい戦火の中では呪いも発生していたと聞く。
リナトとクルーガーが互いに顔を見合わせる中、ふらりとアクセルに近付いてくるのは魔術兵団長だった。
「…小僧、呪いの波長と言ったな…それを感じ取ることが出来るのか?」
ゆらりと近付く様子が恐ろしくて思わず一歩下がってしまい、相手が団長であると思い出して何とか踏ん張って。
「感じ取るというか、見えるので…今は見えませんけど」
「見えているのか!?」
「うわあああっ!!」
突然眼前まで近付かれて、容赦なく節くれた手で頭を掴まれた。あまりに突然の出来事に恐怖が浮かび、その後すぐに掴まれた頭が痛みを訴えて。
「離せヨーシュカ!!」
すぐにリナトが腕を引き剥がしてくれて、クルーガーが無言のまま老いてなお逞しい背中に隠してくれた。
「おい、大丈夫か…」
「……え…」
突然すぎて心臓が強く速く打ち付けてくるから、心配してくれるセクトルの声もどこか遠くて。
「…小僧、ここから何が見えているんだ?なぜ見える?」
「いい加減にせんか!貴様に教えることなど何もない!」
「小僧は呪いが見えると言ったのだぞ!!」
なおも詰め寄ろうとしてくる魔術兵団長ヨーシュカをリナトは一喝し、しかしさらに上から被せるほどの怒声でアクセルの発言を問題視する。
「…本当に呪いが見えるのか?」
睨み合うリナトとヨーシュカを尻目に、低く深い声で訊ねてくるのはクルーガーだった。
「…あの……はっきり見えるわけじゃなくて……」
何と言えば良いのかなどわからないまま。
「呪いは術式とは別の形で見えるというか…よく似てるけど、まったく別物なんです。それで呪いだと気付きました」
概念に近いものを、どう伝えればよいのか。
わからないまま告げたアクセルの“見えるまま”に。
三団長は、同時に目を向けてきた。
「……あの…リナト団長?」
「アクセル…お主、まさか…」
ありえないものを見るように近付いてくるのはリナトだ。
先ほどヨーシュカがしたように、アクセルの目元に手を近付けてくる。
思わず閉じた瞼にそっと指先が恐ろしそうに触れて。
「…まさか、原子眼の持ち主なのか?」
離れた指先を、開けた目で見つめる。
「……え…」
初めて聞いた言葉に、ただ不安の声を上げることしか出来なかった。
第85話 終