第85話
ーーーーー
王城へ戻れば、正面門前はすでに人だかりが出来始めていた。警備も王都兵が駆り出され、等間隔に城を囲んで。
まだまばらではあるが、人の多さにアリアが尻込みする。
ニコルはレイトルに目線で合図を送ると、門から離れて人の少ない場所へとアリアを誘導した。
「セクトルの所に戻れ。…こいつも連れてってくれ」
共にいた茜に小鳥を託せば、二羽は素直に跳び上がり、空から先に王城へと戻っていく。
ニコルは鷹の生体魔具を出すから、アリアが不安顔で促されるままに鷹の背に乗った。
「門から戻れないの?」
アリアが問うのも仕方ないことだが、正門の隣に設置された出入りの門は、すでに多くの関係者で入り乱れ、騎士達の検問で大慌ての状況だ。
「お前の安全確保が最優先だ。…俺の件もあるから、下手に絡まれたくない」
今現在、ニコルはきっと騎士団内では犯罪者扱いだろうから。
そこまでは言わずにレイトルも鷹に乗せ、ニコルは鷹を操作して空に舞い上がった。
人々の視線に晒されながら城壁を越えて門前に降りれば、内側も混乱を極めていた。
朝から政務官達が走り回る姿など、四年前にクリスタル王妃が亡くなった時以来だろうか。
そこへ、アリアを目に留めた政務官の一人が慌てて駆け寄ってきて。
何かしらの用事だろうかとニコル達もそちらに向かってみれば。
「ーーアリア様!国王が危篤だったというのにどこに行かれていたのですか!?」
「え……」
掴みかかる勢いの政務官を制するのはレイトルで、ニコルはアリアを背に隠した。だが言葉までは止められない。
「あなたが治癒魔術を怠っていなければ!!」
「何言ってんだお前!!」
アリアを責め立てる言葉に、ニコルは政務官を強く怒鳴りつけた。
だがそこで我に帰る。国王デルグが既に死んでいた事実を、大半は知らないのだから。
そしてそれは、アリアも同じで。
「…アリア、お前のせいじゃない!気にするな!」
振り返れば、アリアが俯きカタカタと震え始めていた。
顔色を白くして、呼吸が浅くなっていく。
「アリア!」
「…あたし…のせい?」
「違う!!」
こんな時に何を言えばいいというのか。既に王は死んでいたなど、ここで言える言葉ではないのに。
「アリア、とにかくお前の責任じゃない」
ニコルはアリアを落ち着かせる為に少し屈み、その間にレイトルが政務官を強く引き剥がす。
レイトルが引き離した先で別の政務官達が回収してくれていたが、その彼らの視線もアリアの方を向いていた。
王の死を、アリアの責任と取るものがいるなど、思いもしなかった。
「ーーニコル!アリア!」
新たな声は、反対側から。
その声は耳に馴染んだ声で、ニコルはアリアと共にモーティシア達が駆け寄ってくる姿に無意識に安堵のため息を吐いてしまった。
アリアの護衛は全員揃い、その中にミシェルとニコラの姿を見かけて再び警戒して。
ミシェルはまだ理解できる。だがなぜミモザ姫付きのニコラまでいるのか。
警戒しながら皆を待ち、その間にレイトルも戻ってきてくれて。
茜はセクトルの頭に留まっており、小鳥はアクセルの腕の中からアリアの元へ戻ってきた。
そしてアリアの顔色の悪さを心配するように、嘴でそっと頬を撫でて。
「…戻ってすぐにアリアが政務官から責められた…どうなってるんだ?」
ニコルの問いに、モーティシア達は一瞬言葉を詰まらせていた。
「……とりあえず場所を移しましょう。急いでください」
「どこに?」
「…ミモザ様の専用応接室です」
ミモザ姫の元に向かう。それを聞いて、なぜミモザ姫付きの二人がここにいるのか納得ができた。
それにミシェルはまだニコルへの不信感を切り離してくれるだろうし、ニコラはレイトルの親戚筋でセクトルとも昔馴染みの兄貴分だ。二人の為にも理性を保ってくれると思えた。
「執務室でなく応接室なのかい?」
レイトルの質問には、モーティシア達はさらに互いに視線を送り合って。
「…今アリアを政務棟には連れて行けないということです」
ミモザの応接室は王城中部にも用意されている。
政務棟にある執務室や応接室でなく王城のミモザ専用応接室に向かう理由に、ニコルはレイトルと共に嫌な予感を感じた。
「…アリア、行きますよ」
「あたしが…お城を離れたからなんですか?」
アリアを促す。だがアリアは身を強ばらせたまま。
「…とにかくミモザ様の元へ向かいますよ。そこで多くを教えてくださるでしょう」
「モーティシアさん!あたしっ…」
まるで自分の責任であると言い出しそうなアリアの肩をニコルは抱いて、だが何と話してもアリアの耳には届かない気がして。
「…アリア嬢、国王陛下が最後にミモザ様達の前に姿を見せたのがいつなのか知っていますか?」
静かな声は、ニコラのものだった。
涙ぐみながら顔を上げるアリアに、ニコラは一瞬怯むように目を逸らす。
「デルグ様が最後にミモザ様達の前に姿を見せたのは、ファントムの噂が流れ始めた頃、もう数ヶ月も前です。それがなければ、年単位で王のお姿を誰も見てはいません。…あなたが城にいたとしても、救うことはできなかったでしょう。もし責任を問うとすれば、王の側にいたはずの魔術兵団の責任です」
淡々と、事実を述べるように。
そもそもアリアは王と面会すら叶っていないのだ。
「なので自分の責任と感じる必要はありませんよ」
気に病むなと、真面目な声で優しく告げてくれる。でも。
「…実際はそう思っていない者達が多いから、応接室に向かうんですね?」
ニコルが思ったことを、レイトルも口にする。
ミモザの執務室では多くの政務関係者達とすれ違うから。
問いかけに、ニコラは俯きを返した。
「…書類しか見ない政務官達に私達の働きぶりなど見えていない。さあ、ミモザ様が早朝から待っている。皆行こうか」
最終的に全員の足を動かしたのは、ミシェルの言葉だった。
アリアを周りの視線から守るようにニコル達で囲み、ミシェルとニコラが前と後ろを進む。
「…アリア、髪を切ったんだな。とても似合っているよ」
アリアに優しく微笑みかけるミシェルは、前を歩きながら気を紛らわそうとしてくれるようで。
「……はい…すみません」
それでも今のアリアには何を言っても無意味だと悟り、そのまま前を向いて放っておいてくれた。
普段より少し早い足取りで、無言のままひたすら進む。
誰も口を開かず、あまりにも重い空気。
途中途中に送られてくる政務官の目はやはり険しさが強く、そして王族付き騎士達の視線は射殺すような強さでニコルに向けられてきた。
「…モーティシア、大事な話があるんだけど、後で全員で話す時間あるかな?」
王城に入った時、まるで人の少ない場所を見計らうようにレイトルが小声でモーティシアに話しかけた。
「急ぎですか?」
「なるべく早い方がいい。ビデンス殿が良い事を教えてくれたからね」
「…ガウェ殿の邸宅のですか?」
「そうだよ」
「…わかりました。今日中に話せる時間を作りましょう。皆さんいいですね」
モーティシアの問いに、皆が頷き合って。
「待ってくれ。我々はミモザ様から、しばらくの間は治癒魔術師と護衛部隊達と行動するように言われているんだが、その話は我々も聞いていいのか?離れていた方がいいのか?」
ニコラが戸惑うように口を開いてきた。
「…え、ニコラずっと側にいる気かよ…」
気安い口調で嫌がるのはセクトルだ。
「あのなぁ、お前を殴ったクラークを俺がまた殴ってしまったから、その罰でここにいるんだよ。“そんなに心配なら暫くは治癒魔術師護衛部隊の側で他の騎士達との揉め事を見張ってろ”って」
「は?」
唐突なニコラの事情に、全員の足が止まった。
「何だよそれ…どういう事だよ」
一番戸惑うのはセクトルだ。
「…昨晩、ニコラがクラークに詰め寄って、喧嘩に発展したんだ。事情が事情だから、クルーガー団長とミモザ様から、君たちと行動を共にするよう命じられた。…私はニコラのとばっちりだ。君たちとつかの間とはいえ行動していたからな」
二人が共にいる深い訳。それは、ニコラが弟分の為に相手を殴ってしまったから。
「…こんな時に暴力って、何考えてんだ!」
「だから今後はその暴力が無いように、俺達がお前達と暫く行動するんだよ」
騎士団内に広がる不穏な空気が、また別の喧嘩に発展していたとは。
「…そういう事だ。悪いが暫くは仲裁者として側にいることになる。それで、私たちはその話し合いの席には居ない方がいいか?」
ニコラに掴みかかろうとしているセクトルを止めながら、ミシェルが訊ねるのはレイトルだ。
「……そうですね。できればまだ内密でいたいので」
「わかった。その時は席を外そう。だが他の騎士達が来そうな場所ではやめてくれ。出来れば我々が扉前で待機できるような状況がいい」
「わかりました」
本当はミシェルをアリアに近付けたくはないが、こればかりは仕方ないと全員が目を合わせた。
それからまたしばらく無言の時間が始まる。
姫達が城内にいるのか多くの姫付き達が忙しそうに駆け回るのは、突然父王を亡くした姫の為に何かしら命じられているからなのだろう。
お陰で誰もニコルに絡む者はいなかったが、強い怒りの眼差しも、あえて存在を無視するかのように目を合わせない者もいて、それぞれがニコルに思うところがあると暗に告げていた。
「…ニコル殿、あまり気に病むな。男女のことだ、理解している者もいる」
途中でニコラが慰めるように肩を叩いてくれるから、力無く微笑み返すだけに留めた。
ニコラはセクトルが巻き込まれて殴られたからまだ仲裁側でいてくれるのだろうと思えたから。
そうでなければ、やはりエルザ姫の肩を持ったはずだ。
守るべき姫の涙に騎士達がどれほど弱いか、ニコルも充分すぎるほど理解している。
「……あ、待って」
歩き進めて階段を登ろうとしていたところで、ふとアクセルが足を止めた。
皆で同じように足を止めて、アクセルが目を向ける先を探して。
「…どうしたんです?」
一点から目を離さないアクセルに、モーティシアが眉を顰めた。
アクセルが目に映している場所は。
「……あそこ。…幽棲の間」
王城地下に存在する幽棲の間に繋がる、閉ざされた大きな扉。
ニコルはその中で起きた恐ろしい体験を思い出して無意識に一歩後ずさるが、誰もがアクセルの指差す方向を目にしていた為に気付かれはしなかった。
「あそこがどうしたんだよ?」
トリッシュはわざとらしく背伸びをして眺め始めるが、アクセルの表情も漠然と理解できていないかのようで。
「ううん…今調べてる短剣の術式、たぶん呪いだって言っただろ?その呪いと同じ波長をどこかで見た気がしてたんだけど…幽棲の間からたまに漏れてくる波長と似てる気がするんだ…」
首を傾げながら、自分でもあまりよくわかっていないように少し不安げな声で。
「呪いの波長って…その目に何が見えてるんだよ」
「うわ!やめて!」
おどけながらアクセルの目元を手の平でこするトリッシュの後頭部を、モーティシアが無言で引っ叩いた。
「気になるようなら後で調べてみましょう。リナト団長に言えば幽棲の間に入る許可も得られるかも知れませんからね」
今は幽棲の間を気にしている場合ではないとモーティシアが先を促してくれたおかげで、ニコルは首が絞められるような嫌な感覚から逃れることができた。
幽棲の間の鍵はコウェルズから渡されている。
だがもう一度開ける気になるはずがなかった。
「…急ぐぞ、アリア」
「え…う、うん」
早くこの場から離れたくて、アリアを促すことで全員の足を早めて。
静かではあるが、そこかしこから話し声が聞こえる城内で、ようやくミモザの応接室のフロアまで到着した。
扉の前にはミモザの護衛部隊長だけが立っており、ニコル達を目にしてから先に室内のミモザへと到着を伝えて。
「全員入れ」
無愛想に扉の先を促して、だが共に入ろうとしたミシェルとニコラは止めた。
「お前達はここで待機だ。伝達鳥もな」
用があるのは治癒魔術師とその護衛部隊だけだとして、二人は素直に壁に立つ。
「…兄さん」
「大丈夫だ」
不安そうなアリアの腕の中から小鳥を預かり、手を差し出してくれたニコラに託す。セクトルの茜も自ら慣れたニコラの頭に留まり直した。ニコラも慣れているのか、居座られるがままだ。
アリアの背中を押してやり、ミモザの応接室にモーティシアを先頭にして全員で入室する。
扉はすぐに閉められ、中にはミモザだけがいた。
「大変お待たせいたしました。治癒魔術師アリア、並びに護衛部隊全員が揃っております」
モーティシアの挨拶の後に全員で頭を下げる。ここまで堅苦しいのはニコルでも久しぶりだった。それほどの緊張感。
「構わないわ。座ってちょうだい」
応接室で仕事をしていた様子で、大量の書類に目を向けたままミモザは全員をソファーへと促してくれた。
膨大すぎる仕事が全てミモザにのしかかっている現状。
デルグ王死去に関する件もかなりの量があるはずだ。
「…何かお手伝いできますか?」
思わずそう口にしてしまった様子のアリアが、は、と口元を抑えるが、アリアに目を向けたミモザは柔らかく微笑んでくれた。
「ほとんどが目を通すだけだから大丈夫よ。ありがとう。もう少しだけ待っていてね」
そう言って目線を書類に戻し、最後にサインを記して立ち上がる。
「…お待たせしました。皆さん無事で何よりです」
無事、とはそのまま、城内の現状を指すのだろう。
「…セクトルは無事ではありませんでしたわね。傷の具合はどうかしら?」
「いえ、これくらいは傷にも入りません」
唯一怪我を負ったセクトルを労ってくれるから、セクトル自ら無愛想に無事を告げる。
セクトルらしい様子にミモザは笑ってくれるが、眉尻は申し訳なさそうに下がっていた。
「もう耳には入っている様子ですが…昨夜、国王陛下がお亡くなりになりました。あなた達をここに呼んだ理由は、陛下の死をアリアの責任と思っている者がいるからです」
少し言いづらそうに教えてくれるミモザに、しかし誰も驚きはしなかった。その様子にミモザも気付いて。
「…ここに来るまでにもう何かあったのね」
悲しげに、申し訳なさそうに。
「…はい。アリアとニコルが戻ってすぐに、政務官が一人、アリアに詰め寄りました」
モーティシアが隠さずに告げて、ミモザがため息をついて。
「…父はこの四年間、全く政務に関わりはしませんでしたが、それ以前は優しい政務を行なっていました。あの頃の父がいつか戻ってくることを信じていた政務官も残っているのです」
誰もが呆れ果てていた、政務を行わないデルグ王。コウェルズに代替わりするべきだとは、国民の多くも口にしていた。
だが少数とはいえ、待っていた者もいたのだと。
「アリア、あなたにはしばらく、こちらで仕事を行ってもらうことになります」
「え、ここでですか?」
「ええ。緊急の治癒以外はここで。私もここで仕事をすることにしましたので、しばらく一緒になりますね。エルザが今伏せているので、回復次第すぐに治癒魔術の訓練を行えるよう、できればわかりやすい指南書などを作成してほしいのです。エル・フェアリアには指南書となるものがありませんので」
エルザの名前を出されて、空気は自然と重く張り詰めた。ミモザは知らぬふりをしてくれるが、それで誤魔化せるものでもない。
「…指南書でしたら、母が作ってくれたものを持っています。訳あって読めなくなってしまったんですけど、全部覚えてるので、新しく書き起こすことはできると思います」
「まあ、そうなの?」
「はい。それを見ながら治癒魔術の訓練をしてましたので」
アリアが独学で治癒魔術を学べた理由に、ニコルは目を伏せた。
形見となってしまった母の本は、アリアが王城に来る際に暴徒と化した民に襲われたことにより、破かれ汚され、大部分が読めなくなってしまったから。
「実はまだ文字には不慣れなんですが、頑張ってみますね」
「ありがとう。手助けが必要な時は何でも言ってちょうだいね。用意できないものはないわ」
互いに闇の深い箇所には触れないようにしながら、表面上は屈託なく笑って。
「政務官達のことは私達も動きますし、しばらく経てば落ち着くでしょうから、それまでは申し訳ないけれどあまり動き回らないでね。あなたの責任ではないから、きちんと対処するわ」
アリアの責任ではない。ニコルと同じくその言葉の本当の意味をミモザは知るからこその言葉だが、アリアの表情は晴れなかった。
「…ですけど、あたしがお城に残ってさえいれば…病気は治せないんですけど」
アリアの治癒魔術は怪我に特化しており、病気を消すことはできない。
それでも、体の不調を改善することくらいなら少しは出来るから。
物悲しく微笑むアリアに、ミモザも同じような笑みを返した。
そして。
「…ニコルとアリアだけ残って、後は下がってくれるかしら」
大切な話をすると、退出を願う。
「…私もでしょうか?」
モーティシアの問いかけは隊長としての意味合いを含んでいたが、ミモザは譲りはしなかった。
小さく頷いて、二人を残して退出を命じる。
モーティシア達は数秒ほど視線を送り合っていたが、やがて指示に従うように立ち上がった。
ミモザなら冷静な対話だと判断したのだろう。
後ろ髪を引かれるように離れていく足音を聞きながら、ニコルは立ち去るモーティシア達に目は向けなかった。
アリアは不安そうに見送るが、やがて聞こえてきた扉を閉める音に再びミモザに身体を向けて。
「……アリア、あなたには本当のことを伝えておくわ。負い目に感じてほしくないから」
静かな談話室に、ミモザの声は強く響くようだった。
王の死に負い目を感じるアリアに話すこと。
それは。
「…父は…エル・フェアリア国王が亡くなったのは昨夜ではありません。ファントムが訪れた後すぐのことです」
アリアの為にと告げられる秘匿された事実に、その名前に、アリアは身を強く強張らせた。
-----