第58話
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ラムタルに向かう前に終わらせた幾つかの話し合いの中、コウェルズはそれぞれ任せるべき人材の元へ自ら足を運んだ。
コウェルズが不在となることは公言はしないが隠しもしない。だがなるべくコウェルズの不在には気付かれない程度に周りには動いてもらわなければならないのだ。
「--それじゃあ、闇市は全て君に任せるよ。どのみちこれからもそうなるんだし」
コウェルズが城内を歩き回りながら共に連れているのはガウェとフレイムローズだが、護衛の立場にあるのはフレイムローズだけだった。
コウェルズとガウェは隣立って歩き、ガウェは騎士ではなく黄都領主としてコウェルズの隣に存在する。
闇市の外れでの戦闘や魔術兵団が闇市に介入したことは若き黄都領主の手腕が試される機会でもあるのだ。
ここでガウェが何とか締めなければ、闇市は新たな黄都領主を舐めくさる。
それは黄都の力を縮小させることにも繋がるので、ガウェの表情は普段とは比べ物にならないほどに鋭さを増していた。
「不安なら誰かに手を借りる?紫都のラシェルスコットとか」
眉間に深く皺を刻み込む様子を見せるガウェにコウェルズは苦笑を浮かべるが、いえ、と短い返事はすぐに通路に小さく響いた。
「すでに手中にはしています…頭を含め幹部は私の指揮下にありますから」
手綱は握っていると。しかし浮かない表情を見せる理由に、コウェルズは後ろにいるフレイムローズに目を向けた。
「必要なら魔眼を使うかい?」
目はフレイムローズに向けられているのに、コウェルズの言葉はガウェに向かう。フレイムローズは訳がわからず困惑したまま首をかしげるが、ガウェにも目を向けられて表情だけで理由を求めた。
必要ならフレイムローズを使うというが、闇市で魔眼が出来ることがわからないのだ。
「…下っ端が私を甘く見ているだけですから魔眼の力を借りるまでもありませんよ」
ガウェは理由に繋がる原因を教えてくれるが、それでもまだフレイムローズには理解できずにまた首をかしげて。
「闇市の三下連中がね、黄都領主が若いガウェに変わったからと舐めているんだよ。世代交代にはついてまわる有りがちな話さ」
「魔眼が必要なら、いつでも力になりますよ?」
「ガウェが欲したなら力を貸してあげて」
ようやく合点がいったと声を無邪気に張るフレイムローズにも苦笑を浮かべながら、コウェルズはわずかに遅くなっていた歩みを再開させた。
「まあ、三下も束ねてようやくガウェも一人前の黄都領主様になれるかな?君のお父上も完全にエル・フェアリア全土の闇市を掌握させるのには四、五年かかったそうだから、気楽にいた方がいいかもね。あまり難しい顔ばかりしていると、すぐに歳を取ってしまうよ」
「そこまで時間をかけるつもりはありません」
父の話をしたとたんにガウェの眉間の皺はさらに深くなり、気にしていない風を装いながらも頭から消えないことを告げていた。
ガウェの父である前黄都領主バルナ・ヴェルドゥーラは性格こそ曲がっていたかも知れないが、黄都領主としての手腕は確かなものだった。
ガウェにとっては父親らしい父ではなかったかもしれないが、黄都領主として同じ道を歩むならば最大の障壁として君臨するのだ。
妨害を行う敵などではなく、乗り越えるべき相手として。
ガウェからすれば不満な点は多々あるかも知れないが、黄都領主となってからようやく見え始めた父親の背中があるのだろう。
「ふう、じゃあ闇市の件はガウェに任せたから…後は…何が残ってるのかわからないよ。あと何をやり残してたっけ?」
これ以上のガウェの挑発はやめて次の件に頭を回そうとしたが上手く考えがめぐらず、コウェルズは回転の遅い頭をトントンと指先でつついた。
丸二日寝ないことがこれほど頭を鈍らせるとは。
ニコルにも話があるので呼び寄せてはいるが、それ以外では何が残るのかわからない。
フレイムローズやニコルが寝ずの番をしていた頃に戻れたなら、コウェルズは最大の褒美を与えていたところだ。
「ハイドランジア家の老夫婦達はどうなりましたか?」
「…あー、あれね」
ガウェに問われて思い出す老夫婦達だが、その件ならもう終わったも同然で。
「思い出してくれはしたけど、パージャとエレッテ嬢が数日滞在していた程度だよ。パージャは十数年前にもあの夫婦の元に半年ほどいたらしいけど、ファントムに繋がるような情報は無いかな…パージャ達がラムタルに嫁いだ親戚の子供という設定を作った辺りは引っ掛かってはいるけど」
ナイナーダによりその場しのぎのような簡単な記憶操作を行われた老夫婦と屋敷で働く娘達の証言だ。
これといった確証を手にいれることは出来なかったが、ラムタルという国名が引っ掛かったのは偶然ではないはずだ。
ファントムの仲間だろう闇色の青を持つ若者も、ラムタルの神官としてラムタル闇市で見つかった。
そしてコウェルズ達を誘い込むかのように、その若者はラムタル代表として剣武大会の武術試合に出場することがわかったのだ。
「ルードヴィッヒが勝ち進んだなら、青と手合わせすることになるんだろうね。勝ち目はあると思う?」
ファントムの仲間だろう若者のことは気になるが手合わせの可能性があるルードヴィッヒの名前を出せば、従兄弟であるガウェは少しだけ瞳に優しさを見せた。
「…ルードヴィッヒが騎士としての本質に気付けたなら…」
「だね」
ガウェの言葉は無理矢理固くするような色をしていて、それが少しおかしかった。
「ルードヴィッヒに助言してあげたそうだね。髪も整えてあげたとか」
それは今朝のことらしい。
ざんばらのままだったルードヴィッヒの髪を切ってやって、ガウェは助言も与えた。
「…それだけではまだ気付くには難しいでしょう。気付いたなら一瞬で開花しますよ…ですがルードヴィッヒは気付くまでに時間がかかります」
ですから、と。
ガウェが歩みを止めるから、無意識のようにコウェルズとフレイムローズも足を止めた。
「…ルードヴィッヒを…お願いします」
それは、非常に珍しい光景だった。
ガウェが軽くではあるが個人に頭を下げているのだから。
王族ではなく、コウェルズ個人に。
その姿にコウェルズとフレイムローズは同時に顔を見合わせ、呆けたままガウェに視線を戻した。
ガウェがルードヴィッヒの為に頭を下げたなど、本人が知ったらどう思うことか。
「あ、ああ…最善を尽くすよ」
あまりにも想像に難しい出来事に、コウェルズは冷やかすことも面白がることも忘れてしまう。
「…まさか君がね」
「ルードヴィッヒは大切な弟ですから」
「あはは…従兄弟じゃなくて弟、か…素敵な台詞じゃないか」
リーンの件以外には淡泊な姿ばかり見せるガウェが。
ガウェは温情と薄情を同量併せ持つとは誰かから聞いたが、ガウェからの温情が手に入るなら最強の武器に近いだろう。
端から見ればルードヴィッヒばかりが一方的に慕うように見えてしまうが、ガウェにとってルードヴィッヒが特別な存在であることはガウェに近しい者ならすぐに気付けた。
それはヴェルドゥーラの喜劇と称される事件がきっかけなのだろう。
幼少期、凄惨な事件のせいで精神に異常を来したガウェに人の心を取り戻させたのは、ルードヴィッヒ達ラシェルスコット家の人間だった。
その思い出がガウェに莫大な温情を持たせたなら、ルードヴィッヒは恩返しという形で受けとればいい。
本人はそこまで気付きはしないだろうが。
「ラムタルではジャックがみっちりルードヴィッヒを鍛えることになってるから、彼なら上手くルードヴィッヒの力を引き出してくれるさ。もちろん私や他の者達もサポートするからね。心配だろうけど、君の大切な弟は私達に任せて、君は君の責務を全うしてほしい」
いくら心配してみても、ガウェはラムタルの土を踏むことが許されていないのだ。
なら任せていればいい。
癒すような笑みを向ければ、ガウェはいくつも存在する不安に駆られるようにわずかに目を伏せて。
「…わかりました」
少し不満そうなのは、ラムタルにリーンがいる可能性も捨てられないからだろう。
「あ…コウェルズ様、ニコル殿が近づいています」
中途半端な沈黙が流れる前にフレイムローズが顔を他方に向けながら来訪を告げてくれて、コウェルズとガウェの顔もフレイムローズが向く側へと向けられる。
そちらは通路を逸れた樹木の多い場所だが、三人で足を止めていればやがてニコルは現れた。
「変なところから現れるね」
「…………申し訳ございません。近道でしたのでつい…」
近道が見つかったニコルは決まり悪そうに視線を逸らしながら、靴底についた土を軽く落として通路に上がった。
「寝ずに厩の掃除はどうだった?」
無造作に束ねただけの銀髪はよれ、体にまとわりつく獣の匂いを漂わせながら目の下に隈を作ってやや疲れた様子を見せるニコルに訊ねれば、最初に返ってくるのは苦笑いだ。
「私は何とも…それよりコレー様が悪夢を見たと聞きましたが」
逃げ道を探すようにニコルが話題に上げるのは夜に起きた事件で、
「ああ。それは嘘だよ」
理由を知らない者達に告げた偽りの情報を問うニコルに、コウェルズ自ら否定してやる。
眉をひそめるニコルは一人で行っていた掃除のせいで事実から取り残されていたらしい。
だから。
「ナイナーダが個人的理由で押し入ってね、ミモザが狙われたんだ」
さらりと明日の予定を教えるように。
ミモザの身に危険が訪れたのだと教えてやれば、ニコルの反応は他の王族付き騎士達と同様に怒りが最も先に溢れた。
そこに至る理由に思考は捧げない。
姫が狙われたという結果が騎士達に怒りを与えるのだ。
「ナイナーダが微弱ながらもミモザの部屋に結界を貼ったみたいでね。もちろんミモザは無事だったよ。ナイナーダは現在魔術兵団直々に捕らえられてはいるけど、こちら側には引き渡されないみたいだ」
現在のナイナーダの居場所はこちら側でないことにもニコルはさらに眉をひそめ、その引き締まる表情はファントムに酷似していると頭の端で思ってしまった。
「…なぜ引き渡されないのです?」
「魔術兵団側の人間だから、としか言いようがないね。ヨーシュカは私がいない間は何があってもナイナーダから目を離さないとは言ってくれているけど」
「…ミモザ様の警護は」
「今できる最大の護衛をつけているよ」
ミモザにはヴァルツから強引に借りた絡繰り五体の他にも王族付きの増員と魔術師団も付けた。
王族付きの増員にはコウェルズの騎士達をミモザに貸した形だ。
どのみちコウェルズが出発すればコウェルズ付きの騎士達は護衛という任務は行えなくなるので、ある意味では都合はよかったろう。
コウェルズはラムタルへ秘密裏に出発する為に、コウェルズとルードヴィッヒとジュエル以外では双子騎士のジャックとダニエルしか共に向かわないのだから。
その一部始終をざっくりと伝えてようやくニコルは険しい表情に落ち着きを取り戻した。
「フレイムローズには変わらずエレッテ嬢の護衛、ガウェには黄都領主として闇市をまとめてもらうんだけど、君にも言っておかなきゃならないことが二つほどあってね」
落ち着いたニコルにようやく呼び出した理由を話そうとして、ニコルが無意識に姿勢を正す姿にわずかな苦笑を漏らす。
そして語るのは。
「君が以前言った話だけど…今は見送ろうと思う。君もフレイムローズもね」
主語を無くした言葉にニコルは無言になるが、ニコルとフレイムローズという二人の組み合わせに察した様子だった。
以前ニコルがコウェルズに話した、コウェルズとニコルの二人共が真実を知る為の手段。
だがニコルやフレイムローズを魔術兵団に入れることは。
「ヨーシュカから聞いたが、魔術兵団に掛けられた契約とはなかなか厄介な代物らしい。その誓約が何なのか詳しくわからない内は…少し怖い」
怖いと正直な気持ちを告げれば、背後でフレイムローズが戸惑う様子を見せた。フレイムローズも考えていなかった訳ではないだろう。だが今はまだ慎重にならざるをえないのだ。
「…そうですか」
コウェルズの決断にニコルはどこか安堵したように肩の力を抜いて、自分自身そのことに気付いたように目を逸らしている。
「…まあ、好き好んで魔術兵団に入りたくはないよね」
わずかな期間だけで魔術兵団がどれほど不気味かは身に染みたのだ。それでも好んで入りたがるなら頭が足りていないか気狂いだとしか思えない。
「この話はこれで終いにしてもうひとつの方にいこうか」
「…なんでしょう」
話しておきたいことは二つあったので早々に二つ目に移行して、
「エレッテ嬢のこと」
彼女の名に、ニコルの身は強張った。
「術式はリナトに任せたんだけどフレイムローズが煩くてね。護衛とは別に、話し相手になってあげてくれないか?」
コウェルズが自らエレッテに課した“コウェルズから離れられない”という術式。
暗示の要素の強い術式はすでにリナトに移行させているのでエレッテに関しては焦る必要はないのだが、私的な理由からコウェルズはフレイムローズからせがまれていたのだ。
いくらエレッテに何不自由ない待遇をしていようが今の状況ではあんまりだ、と。
せめて自分以外にも気の置けない話相手を。
エレッテというよりはフレイムローズの願いを叶えてやる形だが、ニコルの反応は強張ったまま怪しい方向へと流れ始める。
理由はわからないでもないが。
「あまり関わりたくない、かい?」
「…正直に申し上げるなら、そうですね」
素直に自分の気持ちを口にするニコルはちらりとフレイムローズにも目を向けたが、すぐに視線はコウェルズに戻された。
だがエレッテの心を緩ませることは目下の目的のひとつでもあるのだ。
「そう。でも彼女に何か訊ねたいことがあるんだろう?」
ニコルは訳あって強引にエレッテの元を訪れた。
だから厩の掃除という罰を与えられたのだ。
どんな理由からエレッテの元に向かったのかはコウェルズにも掴めてはいないが、ニコルにとってもコウェルズにとっても、ニコルがエレッテと会うことはプラスに働くだろう。
「構わないよ。君に権限を与える。彼女の元に出入りできる権限をね。というか、もうリナト達には言ってあるけど。会うも会わないも、君の自由だよ」
後は好きにすればいい。
ニコルは困惑したまま立ち尽くす様子を見せるが、考える暇を与えないかのようにコウェルズは背中を見せた。
「これで話さないといけないひと通りの人物とは話し終えたはずだから、ようやく出発できるかな。みんなで集合場所に行こうか。言い忘れを思い出したら…その時どうにかすればいいかな」
強引にまどろむような雰囲気に持っていかせるのは、ある意味ではコウェルズの十八番なのだろうか。
戸惑うニコルを残すようにガウェは普段通りに、フレイムローズは自分の願いを叶えてくれたコウェルズに喜びを見せながら後をついてくる。
ニコルはわずかに遅れはしたが重い足取りで最後尾に付き、コウェルズ達は出発の為に裏庭へと向かった。
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