第54話
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「下へ!」
凛とした号令が風に掻き消されることなく響き渡り、二体の巨鳥は夜の闇の中を微かにともる明かり目掛けて急降下した。
ニコルの生体魔具である鷹と、ガウェの生体魔具である烏。
合わせて五人を乗せた鳥は地上から見上げてくる十名の人物に臆することなく地面へと向かい、翼を広げながら大地に足をつけた。
雨の多い今の季節でなければ砂埃が存分に舞ったことだろう。
先に各々の鳥から降りたのはニコルとガウェで、続くようにニコルの鷹からコウェルズが、ガウェの烏からルードヴィッヒが降りる。
コウェルズに続いて最後に降りたエレッテは緊張した面持ちのまま、人を探すようにキョロキョロと辺りを見回していた。
彼女が探す人物はたった一人しかいないが。
「--これはこれは、コウェルズ様。まさかあなたが直々に出られるとは思いもしませんでしたよ」
降り立ったコウェルズ達の前に現れてうやうやしく頭を下げるのは。
「…やっぱり生きていたんだね。ナイナーダ」
ファントム襲撃の際に、コウェルズやニコル達の目の前で首を落とされて死んだはずの魔術兵団の男の姿で。
ナイナーダが生きている可能性に気付いていたコウェルズとニコルは警戒するように戦闘準備の整った姿勢を見せるが、ガウェとルードヴィッヒはわずかに動揺している。
「首に怪我をしているね…それとも以前落とされた首みたいだからまだ繋がっていないとか?」
「お気になさらないでくださいませ」
いつ傷を負ったのか、ナイナーダは首から滴る血をローブを引っ張りわずかに隠した。
「私達に忘却の魔術でもかけたのかな?魔術兵団達の死んだ数がファントム襲撃の日の死者数と合わないことに気付けたのはつい最近なんだ」
「忘却などとんでもない。死んではいないのですから、死者数として伝える方が過ちでしょうに」
微笑みながらも睨みすえるコウェルズを嘲笑うように、ナイナーダも喉の奥を鳴らし笑い返した。
ナイナーダの背後に控える数名の魔術兵団達も奇妙なもので、半数はコウェルズを前に片膝を付くが、もう半数はナイナーダと同じように笑みを浮かべたまま王家を敬う姿勢を見せない。
そして笑みを浮かべる一人のローブが、腹の辺りで不気味なほどに赤黒く濡れていた。
「状況を説明してもらおうか。どうして廃鉱にいる?」
一歩前に出るコウェルズを守るように、彼の肩に留まっていた魔眼蝶から魔力の霧が溢れ出す。
それはニコル達に留まる魔眼蝶も同じで、五人の姿が霞むほど霧が立ち込めた状況にいたってからようやくナイナーダは口を開いた。
しかし。
「王の命でない限り、お答えする義務はございません」
どこまでもコウェルズを軽視する発言に、整った金の瞳が細められる。
「…ならここで宣言しようか。コウェルズ・エル・フェアリアがただ今を以てエル・フェアリア王位に就くと」
苛立ちを隠さないまま発言された言葉はこれまでの国の形を変えるほどの力があるもので、突然の宣言にルードヴィッヒだけが驚き固まった。
だがそれ以外は。状況を理解する者達はいとも簡単にその宣言を聞き流してしまう。
ニコルは俯き、ガウェはナイナーダを睨みつけ。不安の現れなのか、エレッテの両手は無意識に胸の前で願うように組まれた。
そして魔術兵団は。
片膝を付く者達は顔こそ上げるが難しい表情のまま。ナイナーダを含めた残りの者達は、さらに笑みを深くする。
「…非常に残念ですが、コウェルズ様…」
状況を知っていると。その不気味な笑みはニコルに向けられ。
「ニコル・エル・フェアリアがいる以上、今現在王座に最も近いのはあなたではありませんよ」
立ったままでいたナイナーダを含めた魔術兵団達が、わざとらしくニコルに向かって片膝を付く。
魔術兵団全員が膝を付いた状況だが、その身体の向きはコウェルズとニコルに完全に分かれた。
「…どういうことなのですか…兄さん」
震える声はルードヴィッヒのものだ。
それもそうだろう。この場において、ニコルの正体を知らないのは彼だけなのだから。
訊ねられてもガウェは口を開かない。今話す必要のないものと切り捨てるガウェに困惑の眼差しを向けるルードヴィッヒは、その視線をずらしてニコルにも同様の眼差しを向けた。
「…魔術兵団は私には付かないと思っていたけど、もしかして意見が分かれているのかい?」
そしてコウェルズは、先に自分に膝をついた半数の魔術兵団員達を眺めながら問いかける。
魔術兵団長のヨーシュカはニコルの正体が発覚した途端に王座をニコルにと手のひらをかえした。
ならば魔術兵団全員がニコルにかしずけばいいものを、なぜコウェルズに頭を垂れる者がいるのか。
コウェルズの言葉は的を得ていたかのように、先にコウェルズに膝をついた者達が揃って顔色をわずかに変えた。
そしてナイナーダも、面白くなさそうに笑みを止める。
「それも答えられない?まあ見ればわかるから言う必要もないのかな?」
先ほどの当て付けのように冷めた口調でクスクスと笑って。コウェルズはナイナーダに興味を失ったかのように、自分に膝をついた者だけに視線を向けた。
「私にこそ王位が相応しいと思うなら立って顔を見せなさい」
静かな美声に、戸惑いを隠さない数秒の間の後に五人が立ち上がる。
騎士にしてはゆったりと、しかし魔術師にしては動きやすそうな特別なローブに身を包み立ち上がるのは、いずれもまだ若い者達だった。
歳ならコウェルズ達とそう変わらない20代前半か。
その中に一人、ひときわ目を奪うのは。
「…女?」
呟いたのはニコルだった。
誰がどう見ても小柄な体格の存在に、ニコル達の目は奪われる。
エル・フェアリアの戦闘部隊に女がいるなど。
「…誰がどういう選別をして魔術兵団に選んだかは後回しだよ」
コウェルズも少し驚いた様子を見せたが、今ここで話し合う議題ではない。
今コウェルズ達が知りたいのはパージャの居場所で、魔術兵団はパージャを連れ去ったはずで。
「ここで何をしていた?」
コウェルズは自分に従う姿勢を見せる五人に問うが、予想に反して彼らの口が簡単に開くことはなかった。
静かな滞留の中、鼻で笑ったのはナイナーダだ。
「ご存知のはずですよ…“王の命でない限り、お答えする義務はございません”」
当て付けに当て付けを返すように、ナイナーダは先ほどと全く同じ言葉を口にする。
いくらコウェルズにかしずく者達であったとしても、まだ王でない以上は、と。
「…どうやら私は軽んじられているようだね」
「滅相もございません!!」
苦笑を浮かべるコウェルズに悲痛じみた否定の言葉を上げるのは、コウェルズにかしずいた五人の中でも一番若いであろう青年だった。
思わず口を開いてしまったのか、彼は自らの手で口を押さえ、他の魔術兵団達の眼差しを一身に浴びてしまう。
それは咎めるというよりも、まるでその後を恐れるかのような視線に思えた。
「…とんでもないと宣うなら話してくれないかい?」
周りの目など気にするなとでも言うようにコウェルズは問いかけるが、彼がそれ以降口を開くことはなかった。
代わるように前に出るのはやはりナイナーダだ。
「…こればかりは申し訳ございませんとしか言いようがありません。ヨーシュカ魔術兵団長からも聞かされているはずです。魔術兵団たる我々にはあなた方の知りえない誓約があるのです。何を置いても隠しきらなければならない沈黙の誓約が」
全魔術兵団を代表するように。
ナイナーダの言葉に頷くように俯いたのは一人だけではなかった。
「我々と王は言わば運命共同体。正直な所を申してよろしいなら、王になられるのはあなたでもニコル様でも、我々はどちらでも構わないのです。王となった暁には、我々が守る沈黙の理由を全て理解せざるをえなくなるのですからね」
歴史を重んじるヨーシュカ団長は違うようですが。そう付け足しながら言葉を終わらせるナイナーダに、コウェルズはざっと辺りを見回してから最後にナイナーダを睨みすえた。
「その沈黙の理由が、パージャかい?」
睨みながら、恐らくナイナーダ達からは自発的に口を開かないだろう探し人の名前を告げる。
コウェルズ達が闇市に訪れた理由はパージャなのだから。
「君達が彼を連れ去ったことは知っている。ハイドランジア家を襲ったことも、パージャを連れ去ったことも、全て彼女から聞いた」
エレッテの方は見ずに、だが手では示して。
会話の役者に選ばれてエレッテはわずかに表情を強張らせたが、怯えるしぐさは見せなかった。
口元は引き結ぶが、自分自身の中に存在する恐怖に負けないとでも言うかのように意思強い瞳だった。
そのエレッテを物欲しそうに眺めて。
「闇色の虹を宿した黄の娘、ですね」
舌舐めずりするかのように、ナイナーダが一歩前に進み出る。
「そちらの娘も探していたところなのですよ。無事に見つかって安心しました」
まるで迷子の子供が見つかったことに安堵する親のような声色を聞かせるが、そんな優しさなど有り得ないことは誰の目にも明らかだった。
コウェルズが言うより先に動くのはニコルで、エレッテを庇う為に自らが盾になり背中に隠す。
エレッテの表情は固いままだったが、纏うドレスから出した両手首に揃う幅のある古いブレスレットに両手を合わせると、身を隠すように自らもニコルの背中にわずかに近付いた。
「パージャをどこに隠した?」
「お答えする義務はございません」
エレッテを庇うニコルを確認してから改めてナイナーダに問うコウェルズだったが、答えはやはり変わらない。
何らかの合図を受けたかのようにこの場にはいないフレイムローズの魔力の霧が濃くなると同時に、コウェルズはさらに一歩進み出た。
「王命でもないのに、か?それとも王命ならば死した前王の言葉も生きるのか」
王命ならば、コウェルズが討った愚王の言葉だろうが。
未だ秘匿されていた真実に動揺するのはやはりルードヴィッヒだけで。
ナイナーダはこれ以上は無いとでも言うほどに、大きく口を開けて笑い始めた。
ナイナーダの大笑いに続くのは彼と共にニコルに頭を垂れた者達だけだが、王族の死を側近であるはずの魔術兵団達が笑い飛ばす状況には、誰もが唖然とするしかなかった。
「デルグ様にそのような頭があったとでも?あの方が愚図である事はコウェルズ様が一番理解されていますでしょうに」
醜く口角を歪ませて笑いながら、欠片の忠誠心も見せずに。
あまりに馬鹿にする様に魔眼蝶が苛立ちに揺れるが、コウェルズは自身の肩に留まる魔眼蝶をひと撫でしてフレイムローズの怒りを押さえた。
愚図すぎた前王。
ナイナーダの言葉を吟味するなら、魔術兵団は最初から前王の命など聞いていないということにはならないか。
最初から。
それは、いつからだ。
「王命がない以上…我々を動かすのは“沈黙の誓約”となるのでしょうね」
コウェルズの頭に浮かんだ疑問を解消するように、ナイナーダは再びその言葉を放った。
沈黙の誓約。それがある為に、ヨーシュカも、コウェルズに膝をついた者達もコウェルズの言葉には従えないと。
「王になられた暁には…我々の語る理由も理解して頂けることでしょう」
王だけが魔術兵団を掌握出来るのだ。
笑みを止めたナイナーダは静かに立ち上がると、他の者達にも腕の動きだけで合図を送って立ち上がらせる。
先に立っていた五人も、鬱屈とした表情を浮かべながらもナイナーダの指示に従った。
コウェルズを王にと願う者達すら逃れられないとでも言うように。
「そちらの娘を我々に寄越してお下がりくださいませ」
ナイナーダがエレッテに手を伸ばし、異様な空気が辺りを包む。
それは紛れもなく、戦いとなろうが構わないと暗に告げる空気だった。
言葉だけでの解決など有り得ない。
誰もがそれに気付き、コウェルズ達の手にも魔力が集まる。
コウェルズは魔力増幅装置である指環をはめた左手に長柄を、ニコルは慣れた長剣を、ガウェはいくつもの投げナイフを周りに浮かばせ、ルードヴィッヒはガウェの援護に回るかのように魔力だけを放つ。
その最も後ろで。
エレッテはニコルの背中に隠れながら、両手首のブレスレットだけに意識を集中させる。
「残念ながら闇色の虹の緋を持つあの男は取り逃がしました。ですので誓約を守る為にも我々にはその娘を封じる義務があるのです」
それぞれが戦闘準備を終わらせた後に、ナイナーダはようやくパージャの現在を口にする。
ここにはいない、と。
そしていないが故にエレッテを寄越せと。
嘘か真実かはわからない。
だが誓約に従うと言うならば。
「…封じる?…リーンにしたようにか?」
「ええ」
コウェルズの質問は、いとも簡単に返答された。
エル・フェアリアの宝である第四姫リーンを尊ぶこともせず。
「…リーンを土中に埋めた理由がその“誓約”かい?」
大切な妹姫を蔑ろにするナイナーダを前に、コウェルズの声はそれが自然の摂理であるかのように怒りに冷たく染まり。
「…必要なことでしたので」
肯定しか返さないナイナーダに、我慢の限界を真っ先に迎えたのはガウェだった。
多種の投げナイフを空中で操りながら、ガウェは自身の両手にも慣れた特殊ナイフを構えて飛ぶように間合いを詰める。
一瞬で近付かれたがナイナーダは余裕を崩さず、つき出された剣先を発動させた短剣で流した。
金属の擦れ合う嫌な音が響くが、不快に感じて眉をひそめるほどの余裕はどちらにも存在しない。
互いに大地に足をめり込ませるように大きく開いて踏み締め、バランスを崩さないまま迫り合う。
「貴様達が…リーン様をっ」
怒りを噛み締めるかのように低く唸り、ガウェはナイナーダに溢れる殺意をわずかも逃さず全て向けた。
代わってナイナーダの方は口を開かなかった。
相手を嘲笑うような返しを好むだろうナイナーダがそうしない理由は、顔にこそ出さないがガウェに押されていることを告げる。
その様子を眺めながら、コウェルズは長柄を片手に携えて剣先を下に向けた。
待機にも似た姿勢を維持して様子を窺えば、見えてくるのは魔術兵団の陣形だ。
ナイナーダを含め、騎士のように剣を携え交戦準備を整えている数が四人。後の六人は術式を組む魔術特化型か。
いくらコウェルズ達が魔力量に自信があるとしても、六人もの術者の魔術を防ぎきる確証は持てない。
「ガウェは正気を失いかけているね。ニコル、ガウェのサポートに回るんだ。主力の動きを封じろ」
「は!」
コウェルズの命にニコルが飛び出すのと、残り三名の魔術兵団が動くのは同時だった。
「ガウェ!!」
ニコルの呼び掛けに応じるようにガウェが浮かばせていた魔具達を舞い踊らせる。
ガウェ、ニコル、そしてナイナーダ達四人のいる空間は一瞬にして刃物の舞い狂う狂気の舞台と化した。
ガウェはナイナーダを相手にし、ニコルが他の三人を押さえつける。魔具の剣達を操り、繰り出される切っ先を剣達に受けさせて自らの手に最も馴染んだ魔具を振るい戦う。
ニコルが相手にする三人の中には唯一の女の姿があったが、女に剣を向けることを戸惑うほどの温情などニコルは持ち合わせてはいない。
だから自分をガウェのサポートに回したのか。
最初にガウェのサポートを命じられたルードヴィッヒなら女相手に戸惑ったろう未来を脳裏に微かに浮かばせた。
始まる戦闘。
無駄のない動きを見せるガウェとニコルを目に映しながら、コウェルズはルードヴィッヒが息を飲むのを気配だけで察し。
「ルードヴィッヒ、君は私と共に彼女を庇いながら後方部隊に攻撃だよ」
「は、はい!」
緊張して固くなるが、ルードヴィッヒは単純な形の魔具を浮かばせて狙いを定める。
主力ではない六人の魔術兵団達はすでに術式を組み始めており、それを阻止する為にルードヴィッヒの魔具は勢いよく飛んだ。
まだ完璧に操るにはほど遠いが、撹乱するには充分な魔具が魔術兵団達の手を止めさせる。
術式を組むのを止めたのは四人で、後の二人は術式を止めた四人に守られて続行する。
「フレイムローズ、私達はいい。彼女を守り抜け」
コウェルズは黒く深い霧を生み出し続けるフレイムローズの魔眼蝶に静かに命じると、自身もガウェやニコルに似た鋭利な魔具を発動させた。
コウェルズの力ならばルードヴィッヒよりも簡単に敵を圧倒出来ただろうが、それをしないのは力を温存しておきたいからだ。
コウェルズの加勢に術式を続けていた二人のうち一人が離脱し、最後に残るたった一人の為に五人の魔術兵団が飛び交う魔具の阻止に力を使う。
コウェルズ側にも魔術師がいれば事態の終息はもっと簡単だったかもしれないが、今はまだ魔術師はいないのだ。
「ナイナーダ…いくら君でも、魔力の量も質も最高値のガウェやニコル、そして私を相手にするのは難しいんじゃないかな?」
指揮官として全体を把握しながら、コウェルズは余裕を見せつけるようにわざとゆっくりナイナーダに話しかける。
ナイナーダはガウェとの戦闘に集中する為に返す言葉も無いかと思われたが、口はまだ開ける様子だった。
「ご安心くださいませ…勝利が我々の目的ではございませんから」
少し苛つくような笑みを浮かべ、ガウェから目を逸らさずにナイナーダは呟く。
「あくまでも彼女かい?」
「ええ」
勝ち負けにこだわるつもりはなく、しかしエレッテだけは逃さないと。
「…そして皆様には本件を忘れて頂きます」
わずかの間の後に続けられた言葉は、ハイドランジアの老夫婦に強制的に行った術と同じことをコウェルズ達に行うと宣言する。
「王家相手に記憶の書き換えか…させないよ」
その言葉はプライドが許さないとばかりに、コウェルズの瞳が猟奇的にぎらついた。
魔術兵団のたった一人が組む術式が完成して発動しする。だがガウェやニコルに向かうより早く、コウェルズの魔具全てが球体へと変化して高速回転を始めた。
それはまるで風を巻き起こすかのように発動した術式を吸収し、そして地面へと吐き出された。
ズンと鈍い音が響いて大地がめり込む。
「すごい…」
「気を抜くな」
コウェルズの力にルードヴィッヒが呆けるが、今はまだそんな子供じみた余裕を出せる時ではない。
コウェルズからの叱責にルードヴィッヒは改まるように表情を引き締めた。
ガウェは自身の浮かばせていた魔具を消し、ただナイナーダだけを相手にして武術を間に挟みながら剣を振るう。
ガウェの消した魔具を補うのはニコルだ。
魔術兵団三人を相手にしながら、王家と同じ優れた力で圧倒していく。
三人の魔術兵団は二人の男がニコルに集中的に斬りかかり、身軽な女が隙を突く陣形を取るが、そもそもの戦闘経験に差があるかのようにニコルに敵う様子を見せなかった。
幼少期から培われた戦場での経験が、圧倒的にニコルを強くするかのように。
その後方にいる六人は最終的な陣形を崩さず一人の術式を守るように五人がコウェルズとルードヴィッヒの魔具を蹴散らすが、ことごとくコウェルズの球体魔具に術を飛ばされる。
戦線は確実にコウェルズ達に有利だった。
その様子にナイナーダの表情も無くなり、コウェルズが最後の追い討ちだとでも言わんばかりにさらに力を強めるが、
「--最悪時はミモザ様がいらっしゃる。構わず潰せ」
ナイナーダの言葉に、形勢が変わる。
まるで手加減をしていたとでもいうかのように、ニコルを相手にする三人とコウェルズとルードヴィッヒに阻まれていた六人が魔力を膨れ上がらせた。
「引くんだ!!」
無意識に叫んだのはコウェルズで、その命令に従うのはニコルだ。
ニコルと剣を交えていた三人はすさまじい勢いで魔力の渦を作り上げてニコルのいた大地を抉る。
一瞬遅ければ、全身を八つ裂きにされたことだろう。
あまりの威力にガウェも横目で驚き、その隙を突くようにナイナーダがガウェに刃先を向けた。
遠慮もなく額を狙った突きは、ガウェが寸前で退いた為にわずかに血を滲ませる程度で済んだ。
手加減をしていたのだと、誰の目にも明らかだった。
王座に近いニコルとコウェルズを、そして黄都領主であるガウェをなるべく傷付けないようにしていたのだと。
一瞬にして表情を強張らせるコウェルズ達が陣形を取り戻すより先に、六人の魔術兵団達が明るみ始めた空に膨大な数の魔具の矢を発動させる。
日の出を迎えるはずの空が、再び闇に包まれるほどの。
「くっ」
咄嗟にコウェルズ達は防御結界を張り、フレイムローズの魔眼蝶達がさらに強力な結界を生み出す。
しかしそれすら打ち砕くほどの黒い矢の嵐が降り注ぎ、結界にヒビが入り。
「---っ」
誰ともなく息を飲む、その直後に。
黒い矢よりも闇に染まる力が、突然コウェルズ達を包んで守った。
闇の渦には微かに黄が宿り、降り注ぐ黒い矢が闇に触れた瞬間に霧散する。
「…これは」
見上げたまま驚きを隠さないコウェルズ達は、そのまま導かれるように背後に目を向け。
「古代兵器…やはり持たされていたか」
ナイナーダの言葉がコウェルズ達の守られた理由を教えるように。
目を向ける先にいるエレッテが、両手首に備わる幅のあるブレスレットから力を生み出していた。
「バオル国にあったブレスレット…」
創始のエル・フェアリアに作られ、鍵として何かを封じた後に他国に流された古代兵器。
息を飲むコウェルズ達には気付いていないかのように宝具を操るエレッテは、ブレスレットだけに集中していた。
コウェルズ達の魔力ですら危険だった黒い矢の雨をいとも簡単に消して、なおかつ今も結界を維持し続ける。
それがどれほどの力なのか、想像もつかない者などこの場にはいない。
しかしだからといってエレッテに余裕がある訳でもなく、ギリギリの集中力を見せる姿に冷や汗が額を伝った。
「…退くんだ、魔術兵団」
このままナイナーダ達が諦めてくれたなら。その願いを込めるようにコウェルズは闇色の結界の向こう側にいる敵を睨み付けるが。
「…そうしたいのは山々なのですがね…“誓約”が許してはくれないのですよ!!」
自分達の意思など無意味なのだと、爆発的に力を発揮させながらナイナーダ達が結界に攻撃を始める。
魔術兵団十人の力は凄まじく、荒れ狂う暴風のような力が前後左右上空から降り注いだ。
地響きじみた震動にさらされ、エレッテの表情が苦痛に歪むようにひそめられる。
「最強の防御力を誇るブレスレットだが…やはりこちらも、力は王家が使用するよりも小さいな」
ナイナーダは魔術兵団達に指示を出して結界を人で囲う。
そしてさらに結界を破るための力を強めた。
轟音と、震動と。
砂埃が嵐のような魔力に巻き上げられてナイナーダ達に攻撃していくが、彼らはその程度の攻撃に怯むような体をしてはいない。
「コウェルズ様、諦めて黄の娘をお渡しくださいませ。記憶の書き換えも丁寧にさせていただきますので」
「お断り、だよ」
結界を境界に据えて、コウェルズ達とナイナーダ達は対峙する。
互いの姿は深い闇に阻まれて微かにしか見えないが、それでも昇る太陽のお陰でコウェルズ達からはナイナーダ達魔術兵団がどこにいるのかはシルエットでわかるようになった。
ここからどうする。
今すぐ出来る打開案はひとつは存在する。援軍を待つならば、エレッテに何とか持ちこたえてもらわなければならない。
コウェルズは結界を抜けて戦闘に向かおうと準備を進めるガウェとニコルを片手で制し、ちらりとエレッテに目を向けた。
彼女の表情は固く、結界が長く持たないことを語る。
ならば自分が--
「--御注意なさってください」
動こうとしたコウェルズを止めたのはナイナーダだった。
「この状況を打開する為に使用する魔力量は膨大になるでしょう。そちらを使用した代償に、サリア王女を無くされませんよう」
「っ…」
コウェルズが何をするつもりなのか気付いて先手を打つ。
左の薬指にはめられた魔力増幅装置を最大限に使用するつもりだったコウェルズの脳裏にサリアの息絶える姿が浮かび、その万が一に心臓を掴まれ。
コウェルズが島国イリュエノッドから譲り受けた指輪は装備した者の魔力を増幅させてくれる。しかし本来持つ魔力が空になれば装備者の命を魔力の代わりとして使用してしまうのだ。
装備者はいつ自分の魔力が空になったのか、死ぬまで気付かない。
そしてコウェルズの婚約者であるサリアは、大国の王となるコウェルズを死なせない為に、同時にコウェルズを信じて自らの左の薬指に対となる指輪をはめた。
コウェルズの魔力が空になり命が削られることとなった時、コウェルズより先にサリアの命が削られるように。
魔力の質量には絶対の自信がある。だが今のコウェルズには、そうであったとしても恐れてしまう理由が出来たのだ。
絶対にサリアを失いたくない理由が。
エレッテの強力な結界を抜け、魔術兵団を押さえ込むほどの魔力を消費してしまったら。
大丈夫だという気持ちと、万が一に怯える心と。
勝ったのは後者だった。
「…どれだけ持ちこたえられる?」
苦虫を噛み潰すように眉をひそめながらコウェルズはエレッテに問いかける。
背中側にいるエレッテに顔は向けず、エレッテもコウェルズに顔を向けず。
互いに集中すべき場所から意識を逸らさずにしばらく押し黙り。
「…わからない」
口を開いたエレッテは、ブレスレットに意識を集中させることだけで精一杯な様子を見せた。
魔術兵団はじわりじわりいたぶるように攻撃の力を少しずつ強めてエレッテの気力を削いでいく。
内側からの攻撃も、エレッテの防御結界を壊してしまうだけだ。
どうすればいいのか。
ニコルとガウェは結界が破られる時に備えて魔具を携え、ルードヴィッヒと魔眼蝶はエレッテの結界の内側にさらに結界を張る。
どうすれば。
あらゆる策を巡らせるコウェルズの視界の片隅で、ようやくそれは訪れた。
コウェルズの肩に新たに訪れた一匹の魔眼蝶が留まり、ゆっくりと羽を広げる。
それは、この状況を打開できるだろう待ちわびた合図だった。
「…そろそろ援軍が来るらしい」
ニコリと微笑み、エレッテの結界が持ってくれたのだと告げる。
ナイナーダ達も気付いた様子で微かに視線を動かしたが、まだエレッテを諦める様子は見せなかった。
「広い間隔で結界を張っておりますので、どうでしょうねぇ?」
軽口に聞こえるが、声の緊張までは隠せない。理由はすぐ近くにフレイムローズがいるからだろう。
小さな魔眼蝶などとは比べようもない本体の訪れに、何とか攪乱させようとナイナーダ達は攻撃の手の片側をエレッテの結界とは異なる他方にも向け、
「…その結界も、私が育てた魔眼には敵わないみたいだね」
しかしナイナーダ達の足掻きは無意味に終わった。
一度ひっくり返された形勢がまた逆転する。
それほどの力を、たった一人が持つ。
十人もの魔術兵団が恐れるのは、この世で最もおぞましい力を持って産まれた幼い若者だ。
まるで鏡が割れるように空がバリバリと崩れていく。それはナイナーダ達がこの一帯に張っていた結界の破れ去る音で、その向こうから現れるのは騎乗したフレイムローズを中心とした騎士と魔術師の一団だった。
先頭に立つフレイムローズは開眼しており、不気味な怒りに満ちた表情を浮かべていて。
「--引け!」
ようやく呟かれる合図に、エレッテの結界を攻撃し続けていた力が止む。
魔術兵団の動きは迅速だった。
ナイナーダ達が離れた瞬間にエレッテもくたりとその場に倒れて結界が解ける。
エレッテを庇うのはニコルとルードヴィッヒで、コウェルズは援軍の指揮をすぐに取った。
「捕らえるのは一人で構わない!逃がすな!!」
コウェルズの指示に援軍の馬の手綱がしごかれて嘶きが響き、命令に従い走り出す。
同時にガウェも自らの生体魔具を生み出して飛び立ち、ナイナーダ達への追撃が始まる--
その時は、また突然終わった。
人の足とは思えない驚異的な跳躍力で逃れようとする魔術兵団達のその先に二つの影が、いつの間にか朝日に照らされて伸びていた。
「貴様--」
ナイナーダの驚愕の声は、二つの影のひとつによって止められる。
コウェルズ達が目撃したのは、突然の彼の姿に驚き立ち止まる魔術兵団達の姿と、有り得ない早さで近付いてナイナーダの腹に何かを突き立てた、身を低くするパージャの姿だった。
「き…さま…」
苦しみ呻くナイナーダからパージャが離れ、腹部を刺されたらしいナイナーダが地に両膝をつく。
闇色に緋を交ぜた長い髪を束ねることなく風に揺らしたパージャの瞳に光が宿らない。
パージャは手にした短剣から血を滴らせながら人形のようにナイナーダを見下ろし、ナイナーダは片手も地につけて苦しみながら腹を押さえていた。
鉄で出来ただけのような単純な形の短剣が、血濡れのまま朝日に照らされて妖しく光る。
突然のことに誰もが固まるが、それはパージャの姿に固まったわけでないことは確かだった。
パージャのさらに後ろから、優雅な足取りで彼が訪れる。
まるで夜の闇に広がる血溜まりのように不気味な髪色をしたその美しい男の存在に目を奪われたのだ。
誰も口を開かない。
時を忘れたかのように。
静まり返る空の下で彼はパージャの隣に立つと、瞳に光が宿らないパージャの眼前に己の魔力を生み出し、それを吸収させた。
パージャの肩と下半身は赤い血に染まっていたが不気味なほど静かで、
「ッガァアアァァッッ」
だが彼の魔力を吸収した途端に、獣のような狂った叫びを発した。
その瞳が完全に正気を無くし、同時に右肩の傷口から血があふれ出す。
下半身にまとわりつく血もじわりと衣服に広がり、前方からは見えない位置にある傷からも血があふれたのだと誰の目にも明らかだった。
冷たい微笑みを浮かべて、彼が辺りを見回して。
「さあ、存分に復讐させてやろう」
そして美しい声で、彼が獣と化したパージャを放った。
第54話 終