第53話


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 空の移動は快適といえるものではなかった。
 ラムタルから譲られた絡繰りの鳥の乗り心地はまずまずだったが、今エレッテが乗せられているニコルの生体魔具の鷹は、お世辞にも良い乗り心地とはいえない。
 それは狭い中三人で何とか乗り込んでいるという理由もあるだろうが、腕が触れるほどの距離にコウェルズがいることが一番苦痛となっている結果だった。
 エレッテが落ちないよう遠慮がちながらも肩に手を添えてくるニコルはまだ我慢ができる。
 たとえ背後に密着されようが、ガイアから聞かされた赤子のニコルの話があったから、気持ちで許すことが出来た。
 だがコウェルズは。
 今日初めて会っただけなのに。
 その存在を認識しただけで、エレッテの中に今まで彼女が歩かされた過去への理不尽が怒りとして腹の奥から産まれた。
 美貌の王子を前にして、どれだけの娘が正気でいられるだろうか。しかしエレッテは、別の意味で正気を失いそうなのだ。
 その怒りを、自身の腕に指を食い込ませて何とかこらえる。
 片腕で鷹の背中に掴まるのはバランスが少し崩れるが、背後のニコルを信じて今は正気を保つことに努めていた。
 こんな自分は知らなかった。
 怒りという、人が本来備えている感情がちゃんと自分にもあるだなどと。
「エレッテ嬢、君はパージャの気配を感じることは出来るかい?」
 隣からコウェルズに訊ねられたが無言を貫けば、身を貫くような冷たい風のせいで聞こえないと思われたのか少し顔を寄せられた。
「聞こえてます…こっち来ないで」
 消えてしまいそうな声で呟いて、身体を反らしながら存在を拒絶する。
「…理由はわからないが嫌われているらしい。ニコル、間に入ってくれるかい?」
「はぁ…」
 先ほどハイドランジアの裏庭でコウェルズを拒絶した時を思い出したのか、コウェルズは軽いため息をついてニコルに話をふった。
 背後から困惑するニコルの様子を感じて、遠慮がちに触れられた肩を小突かれる。
「…パージャは気配を消すことに長けてるから…なんともいえない。でも何かは残してくれてるはず」
 鷹が翼を打つ度に全体がわずかに上下する。その振動に身を委ねながら、エレッテはすでにパージャの軌跡を探していることは告げずにそれだけを答えた。
 鷹が今飛ぶ場所はちょうど闇市の入口上空で、ハイドランジア家を襲撃したソリッドの言葉を信じるならばこの闇市のどこかにいるはずなのだが。
「コウェルズ様、我々は闇市の頭の元に向かいましょうか」
 エレッテ達の前を飛んでいたガウェの烏が距離をぎりぎりまで詰めて、先を急ぐように指示を仰ぐ。
 ガウェと烏に挟まれるようにいるルードヴィッヒは真剣な眼差しで地上に視線を落としており、彼なりにパージャを探す様子が窺えた。
 最初は少女と勘違いしたが、真剣な眼差しには男の力強さが備わっている。
 そしてどこかガウェと似ていた。
 コウェルズはガウェの提案に少し頭を使ったが、
「…いや、魔術兵団が独断で動くなら闇市の頭でも居場所は掴めていないだろう。魔術兵団の出方がわからないからなるべく戦力を分散させたくない。手間だが上空から探そう」
 手間だが、こちらの戦力が整うまでは、と。
 コウェルズの指示にガウェは素直に従い、先程よりもわずかに烏の距離を遠ざけて視角での捜索に戻った。
 闇市はとても広いというわけではない。だが元々暗い闇市は夜に抱かれて暗黒と化しており、所々に焚かれた松明がまるで化け物の眼光のように思えた。
 それらをひとつひとつ確認するように目を凝らし。
「きっとどこかで戦ってるはず」
 ぽつりと呟いた言葉に、コウェルズが再び顔を向けてきた。
「…なぜだい?」
 様子を窺うように問われて、
「…仇だから」
 ニコルが間に入るより先に答えを告げる。
 意味深な単語にわずかに気配が強張るが、それはコウェルズやニコルが強張ったわけでなくエレッテ自身が怯えたのだと気付いたのは少し経ってからだった。
「…パージャを連れていった魔術兵団…その中にいるナイナーダって男が…仇」
 薄気味悪い気配を醸す不気味な男。
 ナイナーダに見据えられて、エレッテはただ怯えるだけの無力な娘に引き戻された。
 ナイナーダがどんな性癖の男かはパージャから聞かされている。
「…ナイナーダ?」
 ふと名前を確認するように、コウェルズが小さく呟いた。
「ナイナーダ・ガイスト、かい?」
「家名までは知らない…でも…ずっと昔から生きてることはたしか」
 ハイドランジア家には、ファントムがロスト・ロードとして王城にいた時に描かれた絵画があった。
 中央に金の髪のロスト・ロード、そしてロスト・ロードを守るように、左右に若き頃のビデンス・ハイドランジアと、今と変わらない姿のナイナーダが。
「本当にナイナーダが?」
 改めて訊ねてくるのはニコルで、その口調から何が言いたいのかはおよそ察しがついた。
 ファントムの王城襲撃の際、ナイナーダはウインドに首を切り落とされている。
 一般的に見れば死んだはずの状況。
 だがナイナーダは生きていて、ニコルとコウェルズはその可能性に気付いている。
「ナイナーダはたぶん、私やパージャ…ファントムと同じ存在」
「それは…呪いを受けたということかい?」
「…知らない」
 何もかも、全て知っているわけではないのだ。
 顔をそらすようにコウェルズの言葉を切り捨てて、エレッテは地上に集中した。
 パージャがこの闇のどこかにいるはずだと。
 何か目印になるようなものを残してくれていたらいいのだが、ナイナーダがそれらを見落としてくれるとは限らない。
 コウェルズ達の会話を聞く限り、ナイナーダはコウェルズ達とは違う形で動いているはずだ。
 人知れずパージャを、そしてエレッテを捕らえて土中に埋めるつもりだったのだろう。
 五年前に幼いリーン姫にそうしたように、むごたらしい苦痛を与える為に。
 なぜ闇市に連れていったのかまではわからないが。
 視覚で探して、気配を探して。
 エレッテを隠して守ってくれたパージャを、今度はエレッテが助け出さなければならないのだ。
 だが特に不穏な動きを見せる何かも、おかしな気配も見つからない。
 やはり魔術兵団が何かしらの術をもってパージャを隠しているのだろうか。
 焦りがエレッテの視界を狭めていく中で、希望は予想もしていなかった所から開かれた。
「あそこに光が!」
 叫んだのは鷹の隣に移動していた烏に乗るルードヴィッヒで、何かを見つけて慌てるような切羽詰まった声を発する。
 一同の視線はルードヴィッヒに向かい、ルードヴィッヒはその視線に気付いていないかのように闇市からわずかに離れた地上を指差していた。
 闇ばかりが広がる場所に、わずかな輝きが灯る。
 それは視線を完全に合わせれば消えてしまうが、視界を開くように全体を見渡せば目に入る不思議な光だった。
「…廃鉱?」
 輝きの灯る場所をニコルが呟き、
「行こう」
 コウェルズが指示を出す。
 鷹と烏は目的地を定めて一気にスピードを早め、エレッテの背後を守るようにニコルが密着した。
 あそこにパージャがいるのだろうか。
 不安は近付くにつれて消え去る。
 光の輪郭がはっきりと見え始めたからだ。
 冷たい風を受けながら、パージャの独特の魔具スタイルである花の軌跡を見つける。
 淡く輝く花々は、それだけみたならさぞロマンティックだっただろう。
 だが今は、その花が示すのは危険を知らせる合図だ。
「急いで!!」
「わかってる!」
 叫ぶエレッテの頭上にニコルの焦る声が落ちて。
「…魔術兵団」
 隣ではコウェルズが、地上に立つ数名の人物を目に映して表情を冷めさせていた。

第53話 終
 
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