第53話
-----
治らない肩の傷が、未だに真新しい痛みを伴って苛んでくる。
未知の領域に近いその痛みを懸命に堪えながら、パージャは辺りの気配を探った。
目前にはナイナーダがいて、後ろにはソリッドがアエルを抱いて様子を窺う。
パージャ達を取り囲むように広がる他の魔術兵団の者達は、仮面でも被ったかのように同じような表情でパージャを見据えていた。
戦闘はナイナーダに任せるつもりなのか、彼らが動きを見せる気配はない。
夜の闇を薄く照らすのはパージャの生み出した淡く光る花達と、ナイナーダ達の周りに浮かぶほのかな光の玉だ。
一瞬だけ見たなら、その幻想的な空間に誰もが感嘆の溜め息を溢しただろう。だがその場に満ちた殺気は禍々しく、呼吸すら苦しくなるようだった。
その空気をわざと深く吸い込みながら、パージャはただ前にだけ集中する。
「相変わらず…気味悪い集団だよな。一番気味悪いのあんただけど」
魔術兵団の数はナイナーダを合わせてちょうど十人。
廃鉱の中で貫いた者達の気配はいつの間にか消えていたので、数に入れる必要は無いだろう。
死んだか、あるいは傀儡だったか。
愚痴をこぼすような呟きに、ナイナーダは不気味な笑みを浮かべて肩をすかした。
「何を勝手な。みな仲間思いの者達ばかりだよ。今もこうして、私が恨みを晴らす為に手を出さずにいてくれるのだからな」他の魔術兵団達は基本的に動かない可能性を、わけのわからない言葉と共に告げられて。
「…恨み?」
首を傾げてみせれば、ナイナーダは弱い獲物を前にした獅子のように口元をさらにひきつらせて笑った。
「言っただろう…貴様のせいで、私の願いは遠ざかったと」
「ああ、なんかそんなこと言ってたね。全く身に覚えないんだけど」
パージャのせいでナイナーダの願いが遠ざかったと。
そんなことを言われても、身に覚えどころか興味すら存在しない。
「だろうな。だが十年前、貴様が逃げてさえいなければ…私はあの方に近付けていたのだ」
まるで崇高な存在を敬うように、ナイナーダの眼差しがわずかに遠くなる。
あの方。
それが誰なのかは勿論わからない。
「…なんかよくわかんないんだけど、恨み言ならファントムに言ってくんない?あの時俺を助け出したのファントムなんだし。ってか自分が獲物を取り逃がした失敗を人のせいにすんなよ」
文句も恨みもパージャの責任ではない。逆恨みされても困るだけだ。
だがナイナーダは、恐らく自分の過失は認めない性格なのだろう。
パージャの言葉を一笑して、その手の中に片刃の長剣を生み出した。
それはパージャの肩を貫いた特殊な剣とは違う単なる魔具で、一瞬ソリッドに目を向ければ、厄介な短剣は今も彼が手にしてくれていた。
「特別な術式を練り込んだ剣だったっけ?あれじゃなくていいんだ?」
「ふ…近く返してもらうさ」
どうやら短剣はあの一本だけらしく、その点においてだけパージャは安堵の息を漏らす。
「もう十年も経つんだっけ…十年前にミュズから大事なもんを根こそぎ奪った罪をここで償ってもらうよ」
パージャに名前を分け与えてくれた心優しい少女から全てを奪った罪を。
ぐずりと地面が蠢くのは、パージャが太い蔓の生体魔具を、ナイナーダが不気味な芋虫のような生体魔具を生み出したからだ。
「獲物は持たなくていいのか?」
「安心しちゃって~ちゃーんとここにあるから」
剣を持たないパージャを心配するようなそぶりを見せるナイナーダを一笑に伏す。
剣術は苦手だ。だが“これ”は扱える。
両手の平を下に向けて開き、パージャは己の魔力の中に隠したものを出現させた。
正確には、パージャに宿ったロスト・ロードの魔力の中に隠した宝具を。
現存数名しか扱えない、エル・フェアリア最上最古の武器。
遥かな昔にアークエズメル国に譲り渡した、
「…古代兵器か」
「虹の緋は双剣。格好いいでしょ」
パージャの魔力に反応して姿を見せたそれに、ナイナーダがわずかに笑みを消した。
魔力の中に溶け込ませていた古代兵器の双剣は人の肘から指先までの長さの片刃の剣で、宝玉から装飾から剣先から、全てが鈍い緋色をしている。
「今これを操れるのは俺とファントム、コウェルズ王子にニコルどん、そんでティーにエルザ姫くらいか…あんたの作った術式交ぜた短剣と、どっちが性能的に上かな?」
双剣を構えて、ナイナーダを睨み据える。
「--うわぁ!」
「守るだけだから安心して~」
突然後ろにいたソリッドが驚きの声を発したが、パージャは視線は向けなかった。
ソリッドとアエルに絡み付くように蔓が巻き付き始めたのだが、それはパージャの力なのだから。
「気兼ねなく殺り合いたいんだ…あんたを殺したくてたまらない」
蔓に完全に巻かれたソリッドとアエルを魔具の感覚から感じ取って、これでようやくとばかりに腰を低くする。
ナイナーダは基本的に魔具に頼るつもりなのか、何の構えの姿勢も見せなかった。
「ならばこちらも、恨みの全てを晴らさせてもらおうか」
言葉の終わりと共に。
ナイナーダの虫がパージャめがけて放たれ、応戦するように蔓がしなった。
襲い来る虫達を蔓で受け止め、弾き返す。
パージャが騎士として王城に潜伏していた頃にニコルから無理矢理させられた団長式強化訓練によく似たそれに、今の状況ながらニコルに感謝したくなった。
虫の動きに対して蔓をどう動かせばよいのかがわかる。
邪魔な虫共は蔓に任せ、パージャはナイナーダへと走った。
蔓を足場に、虫を踏み台にして一気に間合いを詰める。
他の魔術兵団達は戦いこそしないが、パージャが逃げられないように両腕を広げて結界を張り始めた。
その様子を視界の隅に捕らえながら、振りかざされたナイナーダの長剣を双剣の片方で受け流し、もう片方で開いている喉に狙いを定める。
一閃を残すように迷いなく短剣は喉を刺すが、貫くより先にナイナーダが後ろへと逃れた。
パージャの顔面にナイナーダの赤い血が降り注ぎ、
「…死にそうにないね」
後ろへと逃れたナイナーダが喉の傷を気にする素振りも見せずに笑いながら立っている姿を見て、改めてナイナーダの身体を理解した。
普通の人間なら喉を押さえて苦痛に身をよじらせるところだ。だがそれもせずに、余裕の笑みを浮かべる。
「貴様達ほど出来た身体ではないがな」
唇の端から溢れた血を拭いながら、ナイナーダは治らない傷口をパージャに晒す。
パージャ達ほど。
それは、傷はすぐには治らないということを示しているのだろう。
パージャが肩に受けた傷は未だに治らないが、この呪われた身体は傷がついた瞬間から治っていくのだから。
「じゃあ、あんたをミンチにするべき?」
改めて双剣を構えたパージャだったが、ナイナーダの視線はパージャの先に向けられていた。
「その前に私の剣を返してもらおう」
ナイナーダは合図のように剣先で地面を突き、従順な手下のように魔具の虫達が一斉にパージャの後ろへと飛ぶ。
パージャと蔓を無視して。
虫が向かうのは蔓に隠されたソリッドとアエルの元だ。
「させるかよ!!」
「足掻くな」
蔓が大地から溢れ出してソリッドとアエルを絡めた球体を空高くへ逃がそうとするが、空間はすでに魔術兵団達の結界に覆われており、一定の高さで弾かれてしまった。
それでも逃がそうとする蔓を虫達が侵食しながら這い伝う。
パージャは新たな蔓で虫達を引き剥がそうとしたが、それよりも早くナイナーダに間合いを詰められてしまった。
降り下ろされた長剣は重量と勢いで双剣に優る。
パージャは双剣を交差させてギリギリ顔に触れない位置で長剣を受け止め、ナイナーダの股間めがけて遠慮の欠片もない蹴りをかました。
しかしそちらも寸前で虫達に阻まれ、わずかな迫り合いの時間が生まれる。
「あんた、周りの為にも去勢した方がいいって!」
力ではパージャよりナイナーダの方が強く、押されながらも軽口を叩くパージャに向かって頬をひきつらせるような笑みが視界に広がった。
「お前の大切なあの娘を差し出すなら考えてやろう」
腸の煮えくりかえる笑みを見せられながら、ミュズのことを口にされて。
「----」
怒りがパージャの理性に勝り、我を忘れてしまった。
長剣を受け止める為に交差させた双剣が緋に輝き、熱を伴い力を増大させる。
そして増大した力は魔具の長剣をハサミに切られた紙のように簡単に切り落としてしまった。
シャン、と鉄の擦れる音を鈍くおぞましく響かせて双剣は交差を解き、大地を貫くように落ちた長剣の剣先が黒い魔力を伴いながら霧散する。
パージャはそのまま動きを止めなかった。
構え、振るい、演舞のように我が身と双剣を操りナイナーダに斬りかかる。
脳内を占めるのはナイナーダを殺しつくすという一点のみで、パージャは宝具が魔力を食うに任せて我が身を暴れさせた。
ナイナーダが後退すれば同じだけ近付いて間合いを取らせない。
パージャの早すぎる剣技にナイナーダは魔具を出して応戦するが、出せば出しただけ、双剣に触れるだけで易々と霧散した。
それが古代兵器と呼ばれる双剣の力なのか。
しかしナイナーダはわずかに表情をひきつらせながらも笑みを絶やさなかった。
「…やはり本来の魔力の持ち主ではない貴様には…この程度が限界のようだな」
圧されながらも軽口を止めないのは、ナイナーダが宝具の本来の威力を知るからだろうか。
それでもパージャは双剣を振るい続け、やがて全身に酷い疲労感が訪れた。
双剣がパージャの魔力を食いすぎているのだ。
だが構うかとパージャはなおも双剣を振るい続ける。
目前にいるナイナーダ。
あの子の仇を討たなければ。
そう決意するパージャを嘲笑うように。
「--…ミュスパーシャ、だったか。貴様の代わりにあの娘の皮を全て剥ぎ取ってやろうか。その後で私が丹念に女にしてやろう」
ナイナーダはミュズがパージャに名前を分け与える前の本来の彼女の名前を告げた。
かつてパージャにそうしたように、ミュズの皮をと。
それだけでなく、おぞましい淫行の餌食にと。
言葉など出るはずがなかった。
違う。言葉など必要ない。
許さない。
たとえ口先だけだったとしても、ミュズを汚すなど。
魔力を食われて酷い疲労感に苛まれ始めていたというのに、パージャは目を見開いてさらに双剣に魔力を食わせた。
鈍い緋色だった双剣が美しい輝きに包まれてさらに力を増す。
強く大地を踏みしめてナイナーダを含めた目前全てを消し飛ばすつもりで深く双剣を構えて。
双剣を振るう、その直前に背後が爆発した。
「っぐああぁ!!」
爆発音が響いたわけではない。だが衝撃がパージャの背中から全身に広がった。
あまりに突然の出来事に背後に目を向けて。
腰に刺さった短剣に、パージャは呼吸を忘れてしまった。
それはソリッドが持っていたはずの短剣だった。
パージャを傷付けることのできる唯一の武器。
それが、節くれ立つ手だけを柄に持たせた状態のままパージャの腰にあった。
無意識に視線はソリッドとアエルの方に向かい。
腕をかばい苦悶の表情を浮かべるソリッドと、彼にすがるアエルと。
パージャがナイナーダを相手に怒りに身を任せている間に、他の魔術兵団達がソリッドから短剣を彼の手首ごと奪い返していたのだ。
ソリッドが短剣を奪われまいと離さなかったのか、一瞬にして手首ごと切り落としたのかまではわからないが、奪い返した短剣を、パージャめがけて放った。
「っぐ!!」
腰に刺さった短剣が、パージャが思わず身を反らしたことによりさらに肉を切り裂く。
そのあまりの痛みに気が遠退き、パージャは膝から崩れた。
動けばそれだけ短剣が身を裂いていく。
単純に肩を貫いただけの傷とは比べ物にならないむごい痛みに、呼吸がままならなくなるようだった。
「…返してもらうぞ。私の傑作を」
そんなパージャを見下しながら、ナイナーダが背中に刺さった短剣に手を伸ばす。
未だにソリッドの手が柄を握る短剣に触れる、それより早く。
「ざけ、んなぁっ!!」
このままなど絶対に嫌だと全身が叫び、継続的に苛む痛みを糧にパージャはその場から一気に蔓に身を絡めて引かせた。
動けば短剣がさらに身を裂いたが、ナイナーダから逃れたパージャは視線をソリッドとアエルの先に移すと、二人の最も側にいる魔術兵団の男一人に的を絞り。
激痛を力に変えるように双剣を改めて構え直し、たった一人に絞った的へと力の全てを使うように腕を振るった。
緋の一閃を残して爆発的な力が双剣から放たれ、うずくまるソリッドとアエルの頭上を通過して。
パージャが腕を振るった瞬間にはすでに、魔術兵団の一人は上半身と下半身が分かれてしまっていた。
両足は立ったまま、上半身がバランスを崩して落ちる。
血は魔術兵団のローブに阻まれて飛び散ることはなかったが、赤い血溜まりはものの数秒で完成した。
そして一人欠けたことにより生じた結界の亀裂をパージャは見逃さなかった。
蔓を操りソリッドとアエルを拾いながら、再び逃走の道を選ぶ。
「逃がすな!」
背後からナイナーダの声が響き他の魔術兵団達が改めて術式を組み直すが、パージャは先に結界の亀裂に蔓を捩じ込むと、ありったけの魔力で亀裂が塞がるのを阻止した。
わずかな時間の間に身を裂くような痛みに堪えながら。
ナイナーダがパージャめがけて術式を放つが、強力な魔力を宿した双剣を前に成すすべもなく霧散した。
その間に完全にソリッドとアエルを回収して、今度こそはと亀裂の中心に身を踊らせる。
途端にパージャを更なる激痛が苛んだが、意地だけで前へと進み、無意識に双剣を握り締めてさらに魔力を食わせてしまった。
力が抜けそうになるがそれが功を奏するかのように、双剣は結界を裂いてくれて。
パン、と何かが弾ける音がして、双剣に裂かれた場所から結界が一気に光の欠片となって柔らかく崩れ降り注いだ。まるで夢の世界に訪れたかのような光景。だが全身を苛む激痛がパージャにその光景の美しさを目に映させなかった。
前すら見えないのに身体が勝手に動く。
本能がそうさせるように。
ナイナーダが、魔術兵団が放つ異質な気配から逃げろと、幼少期から染み付いた生存本能が完全に覚醒したかのように、パージャは逃げることだけを頭に描いていた。
蔓に全身を任せて、魔術兵団への足止めも咲かせた花達に任せて、夜の闇の中へ。
「--待て、動くな」
ナイナーダの声はずっと遠くから。
しかしパージャに告げたわけではないらしく、追っ手の気配が途中から止まった。
それに気付けないほどに。
パージャの意識は、すでに限界を超えていたのだ。
-----