第52話


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「ルードヴィッヒ!あそこ!」
 夜の王都城下で馬を走らせていたルードヴィッヒのすぐ後ろから聞こえてきたジュエルの声は、何かを見つけて責任感のような鋭さを増した。
 駆け抜ける場所はパージャの気配がした貴族の居住区画で、異変はルードヴィッヒもジュエルと同時に気付いていて。
 パージャがいるわけでも、何らかの魔力の波を感じるわけでもない。
 だが夜の闇にも紛れきらないその光景を見落とすはずがなかった。
 野次馬のように溢れかえる見物人達が眼を向けるのは、無惨にも半壊した立派な屋敷だ。
「…あそこは」
「中位、ハイドランジア家の屋敷ですわ。数日前にニコル様が任務で訪問されています」
 多くなった人混みに馬の足の速度を落とせば、半壊した屋敷に困惑するルードヴィッヒにいくつかの野次馬の眼が向けられる。それを拒むように無意識に後ろに身をよじらせ、どうしてそこまで知っているのだとジュエルに視線だけで訴えた。
「侍女として皆様の大まかな動きの把握は当然の事ですわ」
 そしてジュエルもジュエルで舐めないでとばかりに片眉を上げて。
 侍女長が幼いジュエルを大会の個人サポートに指名した理由の一端を見せつけられて、面白くなくて視線を前に戻した。
「…行ってみよう」
 パージャがいるかもしれないと内心で思いながら、人混みを掻き分けるように馬を進ませる。
 野次馬の数は多くはあったが、馬の登場に道は簡単に開けられた。
 そのままハイドランジアの屋敷に近付けば、正門の前に呆然と立ち尽くしたり腰を抜かして座り込んだりしている数名の娘達を見つけて、ルードヴィッヒは馬から身軽に飛び降りた。
「ルードヴィッヒ様!」
「君は乗ったままでいて」
 わずかに慌てるジュエルを安心させるように声色を落ち着かせて手綱を引きながら正門へと近付けば、一人の娘がルードヴィッヒに気付いてすがるような眼差しを向けてきた。
 だがその眼差しは、ふと困惑に揺らぎ。
「騎士…様?」
 恐らくルードヴィッヒの見た目に困惑したのだろう。
 身なりは騎士だがルードヴィッヒは娘より若く、そして魔具訓練の為に生み出した装飾品のお陰で見た目は完全に可憐な少女のはずだ。
「…私はルードヴィッヒ・ラシェルスコット。エル・フェアリア騎士団に籍を置く者です。皆さんはこちらの屋敷で働いている方々でしょうか?」
 改めるように自己紹介をすれば他の娘たちも立ち上がってルードヴィッヒに眼を向けて、貴族第三位であるラシェルスコットの名に目を見開いた。
「どうか迅速な回答を。何があったのですか?」
 だが悠長になどしていられない。もしパージャがいるなら、逃げられるかもしれないのだ。
 最初に眼があった娘に的を絞って事情を訊ねるが、娘は困惑したまま、救いを求めるように他の娘に目を向けた。
 そして目を向けられた娘が、代わりだと暗に告げるようにルードヴィッヒの前に出てきてくれる。
「…いったい何が?」
「…申し訳ございません…私達にも、何が起きたのか…気付いたらここにいて、屋敷が…」
 娘の声は不安を煽るようにくぐもり、明確な答えを出してくれなかった。しかし他の娘達もそれが答えであるかのように頷く。
 何が起きたのかわからない。気付いたら屋敷が半壊していたと。
 その間にも野次馬は更に増えて近付き始め、ルードヴィッヒは已む無く馬を引いて娘達と共に敷地内へと入った。
「支えるから手を」
 馬からジュエルを下ろしてやり、娘に手綱を渡すわけにもいかずに門の柵に繋いで。移動用とはいえ軍馬として育てられた馬は人の多さに怯えることなく野次馬達を見下していた。
「こちらの屋敷に男手は?」
「いるにはいるのですが、家庭を持っているので夜には帰ってしまうのです…警備は旦那様がされていましたので」
「…たしか騎士として王城にいたとか…その屋敷の主人はいまどこに?」
 開きっぱなしの屋敷玄関の内側は闇が広がるばかりで中がどうなっているのかわからない。
 ルードヴィッヒは術式を組み、魔力でいくつかの弱い光の玉を生み出したところで、娘達がようやく気付いたとでも言うように焦りを見せた。
 そわそわと互いに顔を見合わせ、夜の闇の中でもわかるほどに顔色を白くさせて。
 この場にいない屋敷の主人と、慌てる使用人の娘達。それだけで何を物語っているかは容易に想像がついた。
 屋敷は半壊しているというのに。
「…屋敷に残されているのはご主人だけですか?」
「いえ、奥様と親戚の御子息様達の二人が…恐らく一階最奥の部屋に」
 娘の掠れた声はただ不安だけを浮き彫りにしていた。
 老夫婦が二人と、その身内がまだ中にいる。
 今にも崩れてしまいそうな屋敷に取り残された四人を助け出すのが先か、それともパージャを見つけるのが先か。
 どこにいるかもわからないパージャを探す案は、すぐに頭の中で切り捨てられた。
 いるかもわからないパージャを探すなど。
 そもそもルードヴィッヒはたった一瞬だけ、微かなパージャの魔力を感じたに過ぎないのだから。
「ジュエル、じきにガウェ殿達が来てくれるだろうから君はここにいて」
 いくつか生み出したか細い光の玉のひとつをジュエルに持たせて、それを目印にと告げる。
 ジュエルはルードヴィッヒの手から離れて今にも消えそうになる光を両手におさめてから、なぜかルードヴィッヒを呆れたように見返した。
「…何だよ」
「別に…騎士になった方々は魔具訓練にばかりかまけて術式が苦手になるとお兄様から聞いていましたから」
 小バカにするように鼻を鳴らされてルードヴィッヒは言い返そうとするが、それよりもジュエルが手中の淡い光の玉に自らの魔力を注ぎ込む方が早かった。
 ルードヴィッヒや娘達の目の前で、淡かった光の玉が強力な白に輝き始める。
 大きさはジュエルの拳ほどしかないが、光の強さは夜の闇で非常に目立つほどになった。
 その光の玉を、ジュエルは両手をかかげて一気に空高く浮かび上がらせて。
 半壊した屋敷のわずかに上部に、目印となるように。
「じきに他の騎士が来るでしょうが、もし先に王都兵の方々が来られたなら中に入らないよう足止めをお願いしますわ」
 光の玉を飛ばしたジュエルはくるりと娘達に顔を向けるとはっきりとした口調で指示を出して、自分よりも歳上である娘達を従わせる。
「さ、行きますわよ。光と魔術防御のサポートなら私に任せてくださいませ」
 そしてルードヴィッヒを促して、いくつかの強い光の玉を生み出しながら屋敷内に入ろうとして。
 その強引すぎる行動に、ただ慌てることしか出来なかった。
「ま、待って!君は危ないからここに残って!」
 慌てながら玄関口でジュエルの手首を掴んで、
「あなただけだと頼りなくて不安です」
 カウンターは鋭すぎる剣としてルードヴィッヒの胸に深く突き刺さった。
 頼りない。
 図らずもその言葉は以前ルードヴィッヒがミュズに言われた強すぎる言葉だ。
 年頃もジュエルはミュズと同じくらいのはずで、強くなりたいと必死になるきっかけとなったあの時よりも成長したつもりでいたのに。
「固まらずにとっとと動いてくださいませ。万一敵がいた場合はあなたに戦っていただかないとならないのですから」
 ジュエルの上からものを言う性格は昔から変わらない。最近はなりを潜めていたせいでさらに傲慢に聞こえてしまうが、白く染まろうとする頭を振って、ルードヴィッヒは手に馴染みはじめていた短剣の魔具を生み出しながら彼女の前に立った。
 辺りを照らすのはジュエルの魔力に任せて、自分の生み出した弱い光の魔術は消し去り、気を付けながら屋敷内に侵入する。
 玄関から中に足を踏み込んだ瞬間に、外の野次馬達の声は一気に遠退いた。
 聞こえないわけではないが、無理矢理静まり返ろうとするような屋敷に怖気が無意識に鳥肌を立たせる。
 ジュエルの光に照された屋敷内はあらゆる場所で物が倒れており、まるで地震の後のようだった。
 その中を進みながら、弧を描く二つの階段に挟まれた真ん中の道を選ぶ。
 娘達は一階の最奥の部屋に主人達がいるはずだと言った。なら最奥に続く道はその一本だけだろう。
「…君、いつから魔術訓練を?」
 ジュエルを後ろに庇いながら進み、ふと訊ねてみるのは彼女が易々と生み出した光の玉の所以だ。
 先ほどジュエルが口にしたように、騎士は己の魔力を物質化する魔具訓練ばかりに集中するので魔術師のような防御や結界、補助を上手く行うことが難しい。
 それは単に訓練不足というだけではなく、魔具訓練よりも高度な技術と膨大な魔力量を必要とするからという理由もある。
 光の玉にしても、まだ未成年であるはずのジュエルが操るには出来すぎた代物だ。それをいくつも易々と。
 簡単に出来るものではないはずだと問えば、背中越しにジュエルの気配が強張った気がした。
「…ジュエル?」
「…ミシェルお兄様が教えてくださいましたの」
 振り向くより先に、光の玉がルードヴィッヒを横切り最奥の部屋に向かっていく。
「幼い頃に誘拐されかけたことがありまして…助けてくださったのがワスドラートお兄様とミシェルお兄様でした。ワスドラートお兄様は警備の強化を行ってくださって、ミシェルお兄様は“自分の身は自分で守れるように”と魔術訓練を私に」
 上位貴族の出自ならばジュエルの魔力の質量は魅力的なほどだろう。ミシェルはその力が宝の持ち腐れとならないようにしたのだ。
「それって、何歳の頃の話?」
「私が6歳の頃でしたから、ミシェルお兄様はすでに騎士として王城にいらっしゃいましたわ。お会いできる短い期間の中で沢山教えてくださいましたの」
 短い期間の中で、ジュエルの為にと。それはとてもミシェルらしい行いのように思えた。
 それにミシェルはルードヴィッヒと同じく最初は魔術師団入りを熱望されていたと聞くから、器用なミシェルならばジュエルに魔術訓練を教えることも容易かっただろう。
 ルードヴィッヒは改めてミシェルという先輩騎士の凄さを思い知るが、なぜか背後でジュエルの気配が深く沈んだ。
 ジュエルならば堂々と自慢しそうなものだが。
 思わず足を止めれば、ジュエルも素直に従って。振り返れば、俯いた悲しげな表情が光に照らされていた。
「今思えば、ミシェルお兄様が家で“ガードナーロッドの膿”と呼ばれ始めたのもその頃からでしたわ…家族はみんな、私が魔術訓練を行うことに猛反対していましたもの」
 ガードナーロッドの膿
 その言葉は、慰霊祭後の晩餐会の時に、ジュエルが自らミシェルに向かって吐いた暴言だ。
 あの頃のジュエルは誰の目から見ても完全にガードナーロッドの悪癖に染まっていて、腫れ物のような少女だった。
 ジュエルに膿と蔑まれて悲しげに表情を曇らせたミシェルの様子も、ルードヴィッヒは目の当たりにしている。
「…私のせい…だったのですわ」
 ミシェル自身は“女性のように裁縫が得意だからだろう”と皆に自分の趣味を言って笑わせていたが、もし根本がジュエルの為であったなら。
 深く沈むジュエルをどう慰めればいいのかがわからない。
「…そんなこと、ないさ」
 わからないまま口にした言葉はジュエルの顔を上向かせ、しかし表情はさらに悲しげに落ちてしまった。
「自分がどれほど愚かだったか、今はもうわかっていますわ」
 滲む涙をこらえながら歩みを再開させるジュエルが、ルードヴィッヒを越えて屋敷の最奥に向かっていく。
「待って!危険だから私の後ろに!」
 静まり返る屋敷にルードヴィッヒの声は強く響き、ジュエルを庇い再び前に立ったところで、最奥に向かうにつれて瓦礫の量が増え始めていることに気付いた。
「…すまないが、明かりを増やせるか?」
 向かうべき最奥だけを目にしながらジュエルに問えば、返事の代わりに光が強さを増した。
 それと同時に無惨な屋敷の倒壊を目の当たりにして、二人揃って息を飲む。
「一度戻った方が…」
「…いや、私達なら身軽に進めるはずだ」
 引き返してガウェ達を待つか、先に進んで行方不明の者達を探すか。
 ルードヴィッヒは後者を選び、慎重に足を進ませた。
 装備を外している身でよかった。
 小柄なルードヴィッヒなら、瓦礫の山や倒壊しそうな柱を崩すことなく抜けられる。
「危険だから君は少し離れていて」
 ようやくたどり着く最奥の部屋の入り口に手をかけて、ジュエルにはあまり動かないよう指示して。
 無言で何度か小さく頷くジュエルを確認してから、瓦礫が散乱する室内に足を踏み込んだ。
 ジュエルの光の玉はうまい具合に室内を照らし、さらにルードヴィッヒの視界が向く場所を強く照らしてくれる。
 裏庭に繋がるのだろうその部屋は、言われなければ部屋だとは到底思えなかった。
 壁も半分ほど壊れ、夜空がルードヴィッヒ達を見下ろしてくる。
 これなら裏庭から回った方が早かったかもしれないと思ってしまう。崩れた瓦礫も物によってはルードヴィッヒの腰の位置辺りまで積み上がり、もし人が埋もれているなら見つけるのが困難になるかもしれないほどだった。
 この中から、どうやって人を探せばいい。
 考えることに集中しようとしたルードヴィッヒの注意を引き付けたのは、ジュエルが小さく発した短い驚きの声だった。
「あ」と、本当に短く。
 どうしたのかとジュエルに目を向ければ、彼女は瓦礫のいっそう積み重なった箇所を指差し、そこに光の玉を集中させた。
 ルードヴィッヒも目を向けて、ようやく二人分の人影に気付く。
 あまりに瓦礫が散乱しすぎたせいで気付かなかったのだ。だがハイドランジアの老夫婦と思われる二人は埃にまみれてこそいたが、瓦礫に埋もれることなく力なく倒れ伏していた。
「ジュエル、夫人を!」
 ルードヴィッヒはジュエルに近い側に倒れていた夫人を彼女に任せて、自分は瓦礫を気にすることなく主人の方に近付いた。
 瓦礫が崩れる音を耳にしながら、急いで状況を確認しようと膝をつこうとして。
「--っ」
 身動ぎひとつせず死に絶えたようだったほどの老いた男は、まるでルードヴィッヒの気配を察したかのように突然目を見開いて魔力を霧状のまま放った。
「うわぁ!」
 多すぎるという量ではない。だが間近で魔力の渦に襲われればひとたまりもなく、ルードヴィッヒは数歩ほどの距離を吹き飛ばされてしまった。
 瓦礫の上では上手くバランスを取ることも難しく不様にも腰を打ち付けている間に老人は立ち上がり、夫人のすぐ側にいたジュエル目掛けて生み出した魔具を容赦なく放ってしまった。
 ルードヴィッヒが目の当たりにしたのは突然の出来事に固まったジュエルと、十本ほどの剣が放たれた瞬間で。
「ジュエル!!」
 それは無意識だった。
 剣に我が身を晒してでもジュエルを庇い、押し倒しながら強く抱きしめる。
 散乱する瓦礫と放たれた剣にジュエルが傷付かないよう身を呈したルードヴィッヒの耳元で、何かが切り裂かれた音が響き渡り、頭の皮膚が軽く引っ張られるような妙な違和感が。
 まるで時が止まったかのような錯覚。しかしそんなはずもなく、ジュエルに覆い被さるルードヴィッヒの視界を、彼の紫の髪が闇に身を落とすように遮る。
 髪飾りとして髪を纏めていた彼の魔具が消え去ったのだ。
 無意識だろうが魔具を維持できるようにと日々積み重ねていた訓練が遮られるほどの極度の緊張。
 目の前でジュエルが引き裂かれたかもしれない事実に、自分の態勢を理解する間もなくルードヴィッヒの心臓は壊れてしまうほど強く打ち付け始めた。
 悠長な暇など存在しない。だというのに身体が震え始める。
 その間にも新しい魔具の発動する気配に気付いて鉛のように重い頭を上げたルードヴィッヒが視界に映したものは、意識もないまま腕に双剣を携えた歴戦の戦士の姿で。
「っ…」
 あまりの殺意の量に怖気が全身を苛み、このまま斬り殺されるのだと本能が未来を告げる。
 このまま、成す術もなく。
 ならせめてジュエルを守りきらなければならない。
 ルードヴィッヒはまた無意識のまま強くジュエルを抱き締めて目を閉じた。
 それだけが、今のルードヴィッヒに出来る最善だった。
 そんなことしか出来ないのが、今のルードヴィッヒなのだ。
--父様、母様…
 ジュエルを抱き締めながら脳裏をよぎったのは両親、そして兄達の姿で。

「--ビデンス・ハイドランジア!!」

 突如頭上から降り注いだ強い声に、ルードヴィッヒは慕い続ける従兄の姿も意識の中に浮かび上がらせた。

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