第51話
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今にも雨の降り出しそうな夕暮れのエル・フェアリア王城正門。ルードヴィッヒは正門隣に作られた護衛の出入り用通路の小さな扉からこっそりと顔を出して、外にいる二人組を睨み付ける勢いで眺めていた。
伝説の双子騎士であるサンシャイン家のジャックとダニエル。
二人が王城に戻ったと騎士達に知らされたのは昨日のことだ。
家庭を持つダニエルは王城に近い場所に家族を呼び、そこで家族と住みながら王城で騎士として勤めると聞いている。
独身のジャックは他の独身騎士達のように兵舎で暮らす。
ということは、だ。
ルードヴィッヒが熱視線を送る先にいる二人のうちダニエルは今から騎乗して去ってしまうが、ジャックは片割れと話終えたらこちらに戻ってくるはずで。
それはつまり、ルードヴィッヒにとっては千載一遇のチャンスなのだ。
剣武大会の武術出場が決まったルードヴィッヒにとって、尊敬するガウェよりも高い成績で武術試合を勝ち抜いたジャックは、喉から手が出るほど稽古を頼みたい相手だ。
訓練の為にアドルフという強力な人物を独り占めにしてはいるが、それとこれとは話が別で。
「…ねえ、諦めて戻りましょうよ…ジャック様も他の騎士様に勝負を挑まれてお疲れのはずですわ」
気付けと言わんばかりに少し離れた先にいるジャックを見つめ続けるルードヴィッヒの背中を軽く揺さぶる小さな手。
狭く暗い通路、ルードヴィッヒのさらに奥にいるのは侍女のジュエルで、今からルードヴィッヒが行おうとしている内容を知って簡単に咎めてくる。
「…煩いな…今を逃したらもう後が無いんだ」
大会に出るルードヴィッヒのサポートに選ばれたジュエルと堅苦しい口調はやめようと話し合ったのは昨夜のことで、それを取っ払えば元々幼馴染みだったこともあり互いにすぐ普段の口調となっていた。
普段のとは言っても、ジュエルに何度も格好悪い姿を見られてしまったルードヴィッヒの口調はやや荒い。
「アドルフ様のお言葉を忘れましたの?身体を休める時は休めないといけませんのよ」
年下で未成年だというのに、サポートとして頑張りたいのかジュエルはどこかお姉さんのようだ。
それが面白くなくて、ルードヴィッヒはちらりと背後に目を向ける。
自分の背が低いことは自覚しているので、自分より顔が下の位置にあるジュエルを見下ろすのは唯一喜べる部分だ。
「君は休んでいればいいだろ?私はそんな暇はいらないんだ」
邪魔するなら帰れよと追い払うように手をしっしと振れば、途端にジュエルが眉をひそめて頬を膨らませた。
「あなたの体調管理もサポートである私の責任ですのよ!年下の女にこんなことを言わせるなんて、恥ずかしくありませんの?」
「う、煩いな!!サポートなんてラムタルに到着してからで充分のはずだ!!」
痛いところを突かれて思わず大声を出してしまう。
オヤジ騎士であるスカイ直伝の大声を間近で受けて、ジュエルの肩がびくりと窄んだ。
だが気の強いジュエルも負けてはいない。
「横柄な人!少しはレイトル様やミシェルお兄様を見習った方がよろしいですわね!」
「そのレイトル殿から直々に“チャンスは自分で掴むもの”だと教えられたんだ!邪魔するなら帰ってくれ!私は訓練で忙しいんだ!」
「あら、忙しいと言いたいならアドルフ様に真剣に相手をしてもらえるほど実力を発揮してからおっしゃったら?知恵熱に鼻血なんてお恥ずかしい姿ばかりではありませんか!」
「き、昨日の話だろ!!今日は真剣に相手をしてもらえたさ!!」
「“まだ身体が強張っている”とかで基本の型ばかりでしたわ。お兄様も言ってましたわよ。基本より実践重視のアドルフ様が型ばかりさせるなんてカチコチに硬い証拠だって!」
「ふ、普段の訓練と大会を一緒にしないでくれ!」
駄目だ。口でジュエルに勝てる気がしない。
腹が立つのにどこか懐かしい気持ちにもなるのは、パージャにも口で勝ったためしがないからだろう。
「とにかく!!ダニエル殿が帰られてジャック殿がこっちに戻ってきたら訓練を頼むんだ!!遅くなるだろうから君はもう帰れよ!!」
「押さないでくださいませ!!」
口で勝てないなら強行手段だとばかりにジュエルの両肩を掴んで反転させれば、通路の向こうからこちらに近付いてくる人影が目に入った。
誰だろう?
暗くてわかりづらいがジュエルと揃って近付く人物に目を凝らせば、それはよく知るどころではない人物だった。
「兄さ、ガウェ殿!」
「ガウェ様?」
ルードヴィッヒとジュエルの言葉は同時に狭い通路に響き、薄暗い中に現れたガウェがそっと歩みを止める。そして。
「警備の騎士達から苦情が来ているぞ。痴話喧嘩なら他でやれ」
ガウェは現れた理由を一から説明することなく、必要最低限だけを告げた。
痴話喧嘩とはいったい。
二人はきょとんと個々に思考を巡らせてから、やがてルードヴィッヒは顔を真っ赤に湯立たせ、ジュエルは血の気が引いたように白くなった。
「「違います!!」」
否定の言葉は同時で、その大音量にガウェが眉をひそめる。
他から苦情ということは、ルードヴィッヒとジュエルの言い争いは他の騎士達にも聞こえていたということか。
しかも痴話喧嘩として。
紫都ラシェルスコット家のルードヴィッヒと藍都ガードナーロッド家のジュエルの言い争いなら、止めに入ることができる王城騎士などほとんどいないだろう。
ガウェはふらりと歩いている先で騎士達に泣きつかれたか。
「違うんですガウェ様!私は彼のサポートを任されましたので大会が終わるまでは側にいるように言われていて、それで!」
未だに顔の白いジュエルは必死にガウェの誤解を解こうとしている。理由はジュエルの思い人であるレイトルがガウェと親しいからだろう。
「…内容はどうでもいい。ここは喧嘩に使う場所ではないとわかっているはずだ…特にルードヴィッヒ」
「は、はい」
喧嘩理由など知るかと切り捨てるガウェは、普段ルードヴィッヒには見せないような厳しい表情を浮かべた。
改まり背筋を伸ばすルードヴィッヒに向かって。
「騎士ならば常に有事に備えて行動しろ。お前達が馬鹿な言い争いにこの通路を使用したせいで他の騎士達の警備の妨げになっていたんだぞ。敵がその隙を突いたらどうするつもりだったんだ」
騎士として、ルードヴィッヒが初めて受けるガウェからの静かな叱責。
自分のことしか考えていなかったルードヴィッヒは、丸太で頭を殴られたような衝撃を受けた。
自分も警備に携わる騎士なのだ。少し考えればわかるはずのことを、自分を優先させて考えすらしなかったのだから。
「…申し訳…ございません」
声は必然のように口内でくぐもり、弱々しい音として静かに消え去った。
自分のいたらなさは勿論だが、尊敬するガウェから注意を受けたということがつらくて俯いてしまい、頭上からため息が聞こえてきて。
「--話は終わったかな?」
ふと響いた新たな声は、ルードヴィッヒが開け放っていた王城の外へ繋がる扉の向こうから聞こえてきた。
気配なく現れた人物へと振り向けば、扉の向こうに馬を引き連れたジャックとダニエルが微笑ましそうにルードヴィッヒ達を眺めながら立っている。
いつの間に。
ぽかんと口を開くのはルードヴィッヒとジュエルだ。
そしてその表情から心の声を悟ったように、ダニエルがクスクスと笑った。
「あれだけの熱視線を送られたら気付かない方がおかしいよ。ガウェが来なければ私達が君達を注意していた所さ」
つまり、最初からルードヴィッヒ達には気付いていたと。
「…申し訳ございませんでした」
恥ずかしさにまた視線が落ちて、慰めるようにジャックが肩を叩いてくれる。
「まだ成人迎えたくらいだろ。お前くらいの歳なら周りが見えてなくても仕方ないさ」
スカイによく似た、少し痛いくらいの力加減。
ルードヴィッヒは肩に置かれた手の大きさと力強さに、憧れとも嫉妬ともつかない妙な思いを抱いてしまう。
「…ダニエル殿は帰られると聞きましたので、ジャック殿に訓練相手になってもらえたらと…」
素直に心情を告げれば、返ってきたのはしばらくの間の後に二人分の笑い声だった。
笑われているのはルードヴィッヒ以外にいない。
笑われたことが恥ずかしくて、同時に悔しくて。
「わ、私は本気です!大会までにもっと強くなりたいんです!三日後にはラムタルに向けて出発するので、それまでに一度だけでも構わないんです!!」
頭にカッと血がのぼるような熱さを感じながら、身構えるように腰をわずかに落として二人を見上げる。
王城にいる期間はあとわずかなのだ。それまでに、伝説と名高い二人に。だというのにまた二人は笑って。
「いや、ごめんごめん…馬鹿にしたわけじゃないんだよ」
馬の手綱を手に持ったまま、ダニエルは口元に手を添えて何とか笑いをこらえようとする。
「その調子じゃ聞いてないみたいだな」
先に笑いを止めたジャックは、代わりとばかりに不適に口角を吊り上げた。
その意地悪そうな凶悪な微笑みに身を引いたのはルードヴィッヒだけではない。
背後で強張るような気配を感じたのでちらりと目を向ければ、ルードヴィッヒに近い距離でジュエルが蛇に睨まれた蛙のように固まっている。
「そんな怖がるな。嬢ちゃんに何かするはずないだろ」
「怖い顔をするからだ」
「…笑っただけだろうが」
ジャックとダニエル。
双子のはずなのに、似ているのは外見だけのようだ。
野性的なジャックとは真逆の優しい笑みを浮かべて、ダニエルが改まるようにルードヴィッヒに視線を送る。
「初めまして、ルードヴィッヒ・ラシェルスコット。私達二人はラムタル国に到着してから君の教官になるようコウェルズ王子から命じられている。向こうについたら君に付きっきりになるから、出発まで我慢してくれるかな?」
言葉の後半はまるで幼子に言い聞かせるように。
「…え」
言われたルードヴィッヒの方は思考が飛んだように固まった。
「俺達もお前と同じでラムタルに向かう捜索部隊の人間だ。そのついでに鍛えてやるってことだよ」
なんだその嬉しいサプライズは。
ラムタルに到着してから大会開始まで数日ある。それまでルードヴィッヒは双子を独占出来るということか。
「…き、聞いてません!」
嬉しくて、だが同時に信じられない気持ちもあって。
避難するような口調になってしまったが、二人は気分を害した様子を見せなかった。
「それはコウェルズ様が面白がってわざと言わなかったからだよ。私達はリーン様と共にラムタルに向かってバインド王とお会いしたことがあるからね。向こうに馴染みのある人間ということで今回命じられたんだ」
ダニエルの説明に、ルードヴィッヒは少し考えて。
「…ということは…ガウェ殿も!?」
二人はかつてリーン姫付きの騎士だった。なら同じくリーン姫に仕えていたガウェもラムタルに一緒に行くのかと気持ちが逸ったが、目を向けた先にいるガウェは口を閉じたままだった。
「そいつは行けねえよ。向こうの治癒魔術師と喧嘩したせいでラムタルの土を踏めなくなったからな」
ガウェはラムタルには行けない。その理由をジャックから聞かされて、昔聞かされた事件を思い出す。
まだ若かった騎士のガウェと、ラムタルから訪れた王の護衛を務めていた治癒魔術師の若者との流血沙汰。
黄都領主嫡子と、治癒魔術師の中でもさらに珍しい癒術騎士との喧嘩は、大国同士の戦争に繋がりかねない事件に発展したと。
喧嘩内容はどちらにも非があるものだったらしく、結局ガウェはラムタルの土を、相手の治癒魔術師はエル・フェアリアの土を踏まないという条件の下で落ち着いた。
ルードヴィッヒがまだ幼い頃の話だ。
「そう…ですか」
双子騎士だけでなくガウェからも訓練相手になってもらえるのではないかという喜びはあっけなく潰え、ルードヴィッヒはわずかに肩を落とした。
「まあ、そういうことだから今は我慢して総隊長の言うことだけ聞いてな」
「…はい」
今でさえ王族付き総隊長のアドルフとの訓練を独り占めにしているのだからと慰められて、不満はあったが頷く。
アドルフは型ばかりさせてルードヴィッヒと手合わせをあまりしてくれない。しかしそれは先ほどジュエルから指摘された通り、ルードヴィッヒ自身が本調子ではないことが理由なのだ。
「それじゃあ、私は家に戻るよ。新しい家に下の子が慣れないみたいで、家内も不安がっているんだ」
「あ…お引き留めして申し訳ございませんでした…ラムタルに到着したら、よろしくお願いします」
馬の手綱を握り直す姿を眺めて。
「大丈夫だ。こちらこそよろしく」
馬を引きながらダニエルは扉から離れて、ジャックも側に向かう。
つられるようにルードヴィッヒとジュエルも扉を抜けて王城から出て、ガウェだけが警備に立つように扉から離れなかった。
「じゃあ明日」
「ああ」
ダニエルとジャックは互いに肩を叩き合い、さらにダニエルだけが数歩離れる。
ダニエルが馬に騎乗する。その一瞬早くのことだった。
普段通りの夜のエル・フェアリア。その大気が微かに戦慄く。
「ーーーーっ!!」
微力な魔力の波を感じて、ルードヴィッヒは全身を震わせた。
「…ルードヴィッヒ?」
ルードヴィッヒの異変に気付くのはもっとも近くにいたジュエルで。
「どうした?」
ジャックも首をかしげ、ダニエルも動きを止める。
背後になるガウェの様子はわからないが、ルードヴィッヒはそれ以上に全身を震わせた魔力の質に、その理由に呼吸もおろそかになった。
誰も気付かないのか?
そう思えるほどに。
たしかに微力な魔力の波だった。
魔術師達の結界が飛び回る王都ならば気にする必要を感じないほどの。
だがその波は。
その魔力は。
何度も何度も対戦を申し込み、その魔力の質を覚えていたルードヴィッヒにとっては懐かしく、同時に自分自身を疑うほどの。
なぜここにいる。
なぜすぐ近くにいる。
「…パージャの…魔力?」
ルードヴィッヒの全身に染み付いた、パージャとの戦闘訓練の記憶。
かすかな魔力だったが、それはパージャ以外に有り得ない。
パージャの名前に反応するのはガウェだが、それよりも早く、ルードヴィッヒはダニエルに走り寄って馬の手綱をふんだくった。
「馬をお借りします!」
驚くダニエルから事後承諾を無理矢理取るように。
なぜパージャがいる。
ファントムの仲間だったパージャが。
敵だったパージャが。
王城のすぐ側に。
「待って!!」
奪った馬に騎乗すると同時に、背後にジュエルが乗り込んでくる。
幼い少女の体のどこにそんな力があるのかと問いたくなるほど強引にジュエルはルードヴィッヒの背中に乗り上げ、しかし下ろす時間も惜しくて強く手綱をしごいた。
突然の荒い命令に馬は前足を高く持ち上げて嫌がるが、すぐにルードヴィッヒの言うことを聞いてくれた。
「兄さん!貴族の居住区の方向からパージャの気配が!先に向かいます!!」
言葉を残して、馬を走らせる。
背中から腹に回されたジュエルの腕の懸命な力の弱さを感じながら、振り落とされないように片手で細い両腕を押さえてやって。
「ルードヴィッヒ!」
叫ぶジャックの声はすでに遠い。
馬を全力で走らせて、夜の闇に包まれた道を、障害を縫いながら進んでいく。
パージャがどこにいるのか。
漠然とした方向しかわからないのに。
パージャかどうかも定かではないのに。
だがそれでも。
急げと心の中にある何かが叫ぶ。
早くとあせる気持ちを唯一落ち着かせるのは背後にいるジュエルの弱い存在で、ついてきてしまった少女を慮りながら。
パージャ。
敵だった彼の元へ急げ。
その先に、あの子がいるかも知れないから--
第51話 終