第50話


第50話

 リーン姫生存の件がエル・フェアリア全土に広められ、落ち着きはしたが至るところでデルグ王の退位を望む声が聞かれ。
 しかし現在のエル・フェアリア王城内で最も語られる話題は、昨日突然発表された剣武大会の出場者についてだった。
 剣術出場者については未定のまま。しかし武術については今年騎士団入りしたばかりの若者、ルードヴィッヒ・ラシェルスコット・サードが。
 本来ならエル・フェアリア全土でトーナメント戦が行われて出場者が選ばれるはずなのに、なぜそれもなく彼が選ばれたのか。
 憶測はあらゆる理由をルードヴィッヒに聞かせた。
 ひとつは紫都ラシェルスコット家の子息だからという理由だ。
 ファントムの件で混乱の最中にあったエル・フェアリア。しかし今年の大会開催国は無下に出来ない大国ラムタルなのだ。
 不出場はラムタルの顔を潰す。そうさせない為にルードヴィッヒを担ぎ出したと。
 貴族第三位の紫都の息子ならば役者としては充分だ--たとえ実力が伴わなかったとしても--
 最後の言葉は、否応なくルードヴィッヒに深く突き刺さった。
 他の実力者を差し置いてルードヴィッヒが出場するのだ。
 ルードヴィッヒ自身、自分の未熟さには気付いている。
 まだ出来上がっていない薄く軽い体と、未熟な思考。
 実力を認められていたガウェやニコルでさえ出場は三年前、二人が22歳の頃だったのだ。エル・フェアリアで開催された大会を、エル・フェアリアの完全勝利で終わらせる為に。
 だから今年は捨てたのだと噂はすぐに広がった。
 ただ紫都の名前だけを使い、ラムタル国を無下にはしていないというパフォーマンスの為だけにルードヴィッヒが。
 そうでなければ未熟な彼が選ばれるはずがない。
 ルードヴィッヒ自身が否定できない憶測を、周りの者達は痛いほどルードヴィッヒに突き立てた。
 それだけではないとわかっている。
 ルードヴィッヒには他にもリーン姫を介してファントム捜索の任が課せられているのだから。
 しかしひとまずは大会だけを考えろとコウェルズ達から告げられた。
 死ぬ気で戦えと。
 ルードヴィッヒを出場者に選んだ理由ははぐらかして。
 同室の仲間達は喜んでくれて、スカイやトリックは激励をくれた。
 気持ちは奮い立つはずなのに。
 なのに。

「--無駄に力みすぎだ」
 アドルフを前にした武術訓練で、ルードヴィッヒは自分でもわかるほどに普段の実力を発揮できずにいた。
 父から教わった武術には自信があったはずなのに、いざアドルフと組み手を行おうとすると、指先に冷える感覚が現れて小刻みに震えるのだ。
 視界も端から白く消えていくような、気が遠退くような感じがして。
 それでも懸命に挑もうとするから、無駄な力がかかって。
 アドルフの注意にカッと頭から顔が熱くなる。
 いつも出来ることが、どうしてできないのだ。
「落ち着け。深呼吸でもしてろ」
 アドルフは呆れたようにルードヴィッヒの肩を叩いて、
「おーい、水を持ってきてやってくれ」
 わずかに離れた場所に待機していたジュエルに指示を出した。
 武術訓練によく使われる訓練場には他にも騎士達の姿があるが、いずれも視線をルードヴィッヒに向けてくる。
 情けない姿をさらすルードヴィッヒを笑うものから、真面目な眼差しを向ける者まで。
「お前ら、人の訓練より自分の心配しろ!」
 訓練の手を止めていた騎士達にアドルフが叱責を飛ばし、慌てて周りは訓練を始めた。
「どうぞ」
「…すまない」
 それを見ながらルードヴィッヒはジュエルが持ってきた水を一気に飲み干す。
 指先はまだ冷える感覚が残るし、頭は熱いままだし。
 頭から水を被りたいと考えたが、飲み干した後なのでもう一度ジュエルに水を頼むことは気が引けてしまった。
「昨日の今日じゃまだ緊張するか。仕方ないな」
「…申し訳ございません」
「気にすんな。大会出場が決まった奴の大半が最初は緊張するもんだ」
 落ち込もうとする気持ちに気付いてくれてアドルフは優しいが、女の子が近くにいるのに情けない姿を見られて悔しくなる。
 今までの激しい訓練ではそこそこ体の自由が利いていたから尚更だ。
 自分は強くなる為に訓練を頑張ってきたのではなかったか。
 もう二度と醜態を晒さない為に。
 誰かを守れるくらいに。
「訓練はラムタルでも行えるから焦るな」
「…はい」
 自分自身に固く誓った強くなることへの渇望が萎縮したような感覚。
 ルードヴィッヒのしょぼくれた返事に、アドルフの溜め息が漏れた。
「周りの奴らの声は今は忘れろ。お前が代表に選ばれた理由はちゃんとあるが、それを公に出来ないのも事実だ。間引きの件で騎士団内もぴりついてるからな」
 理由はあるが、ファントム捜索にも絡んでいるからと。
「…わかってます」
 言いたい奴には言わせておけばいい。そんなことくらいわかっているからいちいち言わないでほしい。
 ルードヴィッヒはまだ、あらゆる面で大人にはなりきれていないのだから。
 俯いていれば、アドルフが指示を出したのかジュエルがパタパタと軽い足音を響かせて去っていくことに気付いた。
 側に女の子がいないというだけで、なぜか気分はいくらか軽くなって。
「…まぁ、深く考えないようにするなんて無理だろうがな…とりあえずお前に対するやっかみの噂は明日には半減してるさ」
 顔をようやく上げたルードヴィッヒに、予想というよりは確信じみた声色でアドルフが苦笑いを浮かべた。
 この数日、騎士達の間引きからリーン姫の件からルードヴィッヒの大会出場から、立て続けに噂に尽きない出来事が発表されてきた。
 まだ何かあるのだろうかと首をかしげたルードヴィッヒに、アドルフは周りを気にするように見回してから、わずかに身を屈めて。
「お前には教えといてやるよ」
 耳を貸せと笑うアドルフにルードヴィッヒも近寄れば。
「今な、城に双子騎士が戻ってきてるんだ。城内に発表されるのは昼過ぎだがな」
 双子騎士という言葉に、その意味を理解するより先に身体が震えた。
 その噂も最近の騎士団内で噂されていたのだ。
 双子騎士を知らない者など騎士団内にはいない。
 たとえ彼らと面識がない若騎士であろうとも。
 サンシャイン家のジャックとダニエル。
 かつてリーン姫の護衛だった、伝説じみた騎士。
 彼らが。
「--う」
「嘘なんか言うわけないから大声出すな」
 思わず叫びそうになるルードヴィッヒを寸前で止めて、アドルフは嬉しそうに笑う。
 アドルフは双子騎士と面識があるのだ。仲間が戻ることが嬉しいのだろう。
 リーン姫が死んだとされて、その責任を負う形で騎士団を、王城を追放された実力者が戻る。
 ルードヴィッヒも何度も耳にした、彼らの活躍を。
 なにより、彼らとの思い出を楽しそうに話すガウェを覚えている。
 もし会えるなら、もし会えたなら。
「あ、ぁあの、今…いま!?」
「は?落ち着け」
 伝説の双子騎士がいるなら、ガウェとニコルですから一目置く人達がいるなら、稽古をつけてもらえるのだろうか。
 そう興奮したルードヴィッヒだが、頭が混乱して言葉は上手く出てくれなかった。
 アドルフに呆れられてしまうが興奮し始めた身体はさらに熱くなるようで自分自身が止められなくなりそうだ。
 まだ指先には緊張が残るのに、それを遥かに凌駕する興奮が。
「い、いつ会えるんですか!?」
「いつって…あぁ、そういうことか…残念だがお前があいつらに訓練の相手してもらえるのは先だぞ」
「どうして!?」
 ルードヴィッヒの言いたい所を理解してアドルフは先に残念な答えをくれる。
 いったいどうして。
 ルードヴィッヒが大会に出るなら、出場経験のある双子騎士が少しくらい訓練に付き合ってくれてもよさそうなものだが。
 不満を隠さないルードヴィッヒに、アドルフはただ苦笑いを浮かべて。
「当分は王族付き共が占領しちまうさ。大会出場の決まった若手に譲ってやろうなんて寛大な心の持ち主なんざ、王族付きの中にはいないからな」
「そんな…」
 双子騎士がルードヴィッヒの相手をしてくれない理由。
 それは単純に、若騎士には入り込む隙もないほどに王族付き騎士達が双子騎士に突撃をかますからだと。
「血の気の多い馬鹿だらけだからな。ってかお前、天下の王族付き総隊長様であるこの俺の付きっきりの訓練じゃ不満なのか?」
「…そういうわけでは…ですが少しくらい…」
 相手に遠慮なんかしてたら自分の番は訪れないとレイトルは言った。
 その言葉を胸に秘めながら本音を漏らせば、アドルフは愉快そうにゲラゲラと大笑いを響かせてルードヴィッヒの装飾魔具まみれの頭を無遠慮に撫でてきた。
「言うようになってきたじゃないか!」
「いた!痛いです!!」
 遠慮の欠片もない手のひらに掻き回されて、髪が魔具の装飾に引っ掛かり皮膚を引っ張る。
 痛みに叫びながら何とか離れて已む無く魔具を全て消失させれば、上げていた前髪が目にかかり少し視界が狭まった。
「前髪伸びてるな。大会じゃあ装飾だろうが魔具は禁止だから、邪魔にならない程度に切っておけよ」
「…わかりました」
「おいおい、不貞腐れるな」
「…不貞腐れてなんていません」
 口では否定しても、むっすりと膨れた頬や無愛想な口調は隠しきれない。
 もう一度魔具を出現させて、前髪を上げて。
 女のようだと馬鹿にされるカチューシャやピアスの魔具。
 だがこれを止めることがなぜだか出来ないのだ。
 魔具訓練という名目を保たせながら、自分でもやりすぎではと思うことも最近は増えてきたが、それでも。
 自分の理想の実力に近付けるまでは止めないと固く誓ったからだと思っているが。
「よっしゃ、じゃあ訓練再開するか」
「お願いします」
 パン、と手を叩いて空気を強引に変えるアドルフに従うように、父から教わった武術の構えをとる。
 指先の震えは未だに止まらないし頭もボウッとして足の浮いた感覚が残るが、気持ちを大会に向けてアドルフに強い眼差しを送る。
 強くなりたい。強くならないと。
 二度と醜態を晒さない為に。
 その為に--
「…始める前にあれだが…休憩だ」
 しかしアドルフはまたも呆れながらルードヴィッヒから目を離してジュエルを呼び寄せる。
「なぜですか!?」
「大声出す前に鼻拭け鼻!」
 アドルフの指示に訳もわからず鼻を擦れば、なぜか袖に赤い染みが広がった。
「え…」
「鼻血って…お前なぁ」
 慌てて血濡れの袖で押さえれば、ちょうど近付いてきたジュエルにも見られてしまって。
 女の子の前なのに、どこまでも格好悪い。
 見られたくなくて体ごとジュエルから逸らそうとしたが、その前にアドルフの手が額を掴む方が早かった。
「な、なんですか…」
 鼻を押さえたせいでおかしな声になるルードヴィッヒに。
「いや、さっき頭触った時に体温高いなとは思ってたが…」
 額を掴まれたわけではないのだと気付いたと同時に、アドルフはルードヴィッヒから手を離して。
「知恵熱だな、こりゃ」
「知恵熱!?」
 知恵熱とはたしか、幼児の突然の発熱のことではなかったか。
「大会出場が決まって興奮しすぎたんだろ。本調子じゃないのもそのせいだな」
 指先が冷えて震えるのも、気が遠退くような感覚に苛まれているのもそのせいだと。
「大会まではまだ時間があるんだ。今日は夕方まで休んでろ」
「え!?」
「夕食前に軽く訓練つけてやる。今日はそれで充分だろ。じゃあジュエル嬢、ルードヴィッヒが休むよう見張っててくれよ」
 未だに鼻血の止まらないルードヴィッヒをジュエルに任せて、とっとと背中を向けて。
「ま、待ってください!」
「先に鼻血!!」
 慌てて追いかけるより先にジュエルに止められて、結局どこまでも情けない姿を晒したまま、ルードヴィッヒの朝の稽古は終わってしまった。

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