第49話


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 騎士団長クルーガーと副団長オーマ、そしてコウェルズ付きの隊長であり王族付きを束ねる総隊長でもあるアドルフが訪れた。
 それだけでなく魔術師団長リナト、魔術兵団長ヨーシュカ、外交に通じる大臣達政務官。
 息の詰まるような高位高官の者達が集まる中で、ルードヴィッヒとジュエルは身を小さくしながら自分達に課せられた重要な任務に肝を冷やし続けた。
 コウェルズから受けた説明と同じ、エル・フェアリア代表としての改まった説明。同時に、捜索部隊としてのファントムの対策も。
 何もかもが耳を素通りしていくような。
 実感など沸かない。
 説明など知らない。
 最終的にルードヴィッヒは出発までの五日間をアドルフ指導の元での武術訓練のみに全力を使うように命じられて、ジュエルはルードヴィッヒの負担を軽減させてやる為にサポートするよう命じられて。
 ファントムの捜索部隊の隊員としてのルードヴィッヒは、ひとまず他の隊員達とは切り離されるということだけは理解した。
 捜索部隊に籍を置くことにはなるが、ひとまずは。
 そして先にルードヴィッヒとジュエルだけが政務棟から帰されて。
 幅の広い階段を無言で降りて、ルードヴィッヒが一人分ほど先を歩いて政務棟を抜け出る。
 アドルフとの訓練が始まるのは明日からで、なら今からは何をするべきなのか。
 頭が上手く働かない中で、ルードヴィッヒは足を止めて後ろにいるジュエルに体を向けた。
「…お、お互い大変な栄誉に選ばれたな」
 声が固いのはこの際気にしないでほしい。そう思ったが、ジュエルはルードヴィッヒの声が聞こえていないかのように俯いたままだ。
 ルードヴィッヒと同じようにまだ緊張しているのか。
 ルードヴィッヒがエル・フェアリア代表に選ばれた理由はまだ宙吊り状態だが、ジュエルはコウェルズ王子直々に侍女の代表として誉められたのだ。
 嬉しがってもよさそうなものだが。
「…大丈夫か?」
 何度目かの身を案じる言葉。俯いたままのジュエルを気遣うように身を屈めたルードヴィッヒは、ジュエルの瞳いっぱいに浮かんだ涙に気付いて一気に姿勢を正して硬直した。
 なぜ泣きかけているのだ。
「じ、ジュエル!?」
 同じ上位貴族なので幼い頃に何度か遊んだ事はある。
 我が儘なジュエルはルードヴィッヒにとって苦手な女の子だったのだ。
 それでも最近は自分自身を見つめ直したのか、周りの騎士から好評価を受けていたことを知っている。
 傲慢なガードナーロッドの三女。だが侍女として優秀な面を見せ始めたと。
 その評価を侍女長やコウェルズから直々に頂いたのだ。だというのになぜ今は苦痛を堪えるように泣き出しそうなのだ。
「……」
 こんな時にどうすればよいかなどわかるはずもない。
 ジュエルは動けないとでも言うかのように俯いたままで、時折小さく鼻をすする。
「こ、こっち!」
 とりあえず落ち着かせるべきかと人目のつかない場所に連れて歩いて、政務棟の端の壁際にジュエルを隠して。
「…なにかあった?」
 女の子の涙の対処法を知っているはずがない。
 まだ救われているのは、ジュエルが完全には泣いていないという点だが。
「ごめ…なさ…」
 掠れる小さな声を聞かせて、両目を袖で擦って。
 頬を伝いはしなかった。それでもジュエルの涙は袖をわずかに濡らした。
「…どうしたんだ?」
 なにを聞けばいいのかわからなくて、とりあえず理由を訊ねて。
 ジュエルは俯いたままだったが、しばらくしてからゆっくりと口を開いてくれた。
 涙を浮かべた、その理由は。
「…お姉様」
「…え?」
「お姉様が来てから…侍女達みんな…めちゃくちゃで」
 ジュエルの姉が来てから。
 ガブリエル・ガードナーロッドが侍女として王城に戻った話は騎士団内でも有名だった。
「わ、私…馬鹿でしたけど…今も馬鹿でしょうけど…侍女として頑張りたくて…でもっ…」
 愚かな過去を恥じて、きちんと胸を張れる未来を作りたいと。なのに。
「侍女長に突然呼び出されて…政務棟に向かうように言われて…私…侍女を辞めさせられるんじゃないかって…」
 怖かったと。
 姉が来てから侍女達の何かが歪み始めたのだろう、その罪を妹であるジュエルに償えと。侍女を辞めるという形で。
「そんな…コウェルズ様も言ってたじゃないか。君は未成年なのに侍女として力があるって。侍女長にも認められたんだって」
「わかってますわ!!…だから…安心しましたの!!」
 だから今泣きそうになっているのだと。
 安心したから泣くなど、何だというのだ。
 だが確かに、ジュエルはコウェルズから説明されるまで顔色を白くしていた。今から思えば怯えていたのだろう。
 コウェルズはジュエルの不安に気付いたから階段の踊り場でジュエルを少し安心させる言葉を与えた。
 ルードヴィッヒには気付けなかった。
 ルードヴィッヒはフレイムローズに政務棟に来るよう言われて、待っていたところでジュエルと合流したから単純に上位貴族としての自分達に話がある程度にしか思わなかったのだ。
 不安がなかったわけではないが、ジュエルほど思い詰めもしなかった。
 ジュエルはルードヴィッヒより幼い頭で、色々と考えすぎたのだろう。
 こんな時はどうすればいい?
 コウェルズは歳上のルードヴィッヒが色々と気付いてやるべきだと政務棟前で注意した。
 だがルードヴィッヒも、コウェルズほど他人への対応に慣れているわけではないのだ。
 こんな時はいったいどうすれば。
 ジュエルはまだ滲む涙を袖で拭って、安心したように、しかしまだ心細そうに眉をひそめている。
 こんな時は。
 ガウェならどうする?スカイやトリックなら。
 ルードヴィッヒと違い色々と経験を積んだ男達なら。
 女の子が泣いてしまった時は。
 だがどれだけ考えても答えなど出てくるはずもなくて。
 それでも、ルードヴィッヒなりに。
「…君が侍女として優秀だってことは…他の騎士達からも聞いている。だから…サポートを宜しく頼む」
 これから暫くの間、ルードヴィッヒとジュエルは行動を共にする機会が増えるのだ。だから。
 ルードヴィッヒの言葉にジュエルは涙をまた浮かべながら見上げてきて。
 言葉に詰まるように、ジュエルの口元がかすかに歪む。泣くのを堪えているのだろう。
 そこへ。
「--ジュエル?」
 ふと響いたのは、親しげにジュエルを呼ぶ男の声だった。
 ジュエルが先に声のする方へ目を向けて、ルードヴィッヒも振り返って。
「…お兄様」
「ミシェル殿…」
 政務棟に用があったのか、少し離れた場所からミシェルとアリア、そして魔術師のモーティシアがこちらに近付いてくるのが見えた。
 ミシェルとジュエルは実の兄妹で。
 そしてミシェルがジュエルに最近非常に甘くなったことは騎士団内では有名な話で。
「…ジュエル?」
 近付くミシェルはすぐに気付いた様子だった。
 瞳いっぱいに涙を浮かべた幼い妹の今にも泣き出しそうな表情に。
 そしてジュエルもジュエルで、安心できる存在の出現に一気に張りつめていた思いを解放して。
「お兄様ぁ!!」
 泣きじゃくりながら、兄を呼びながら。
 初めからルードヴィッヒなどいなかったかのようにジュエルは走り、ミシェルの腕の中へと飛び込んでしまった。
 ひきつけのように泣いて、しがみついて。
 近付くアリアやモーティシアも、可哀想な女の子を見る眼差しをジュエルに向ける。
 この空気はどこかおかしくないか。
 無意識に慌てたルードヴィッヒは、慌てた理由にすぐに気付いた。
 殺意を帯びた視線をミシェルから向けられたことによって。
「…ルードヴィッヒ殿…弁解は先に聞こう」
 ジュエルの成長に一番気づいているミシェルからすれば、可愛い妹に非があるとはまず考えないだろう。
 そして都合の悪いことに、ジュエルもルードヴィッヒもどちらも悪くはない。
 さらに悪循環は続くもので。
「わ、私は何も…悪くは…」
 手を振りながら言葉少なく慌てるルードヴィッヒと、
「ルードヴィッヒ様は…悪くありませ…私が悪いんですっ!!」
 ミシェルの腕の中から泣きじゃくりながら言葉を間違えたジュエルと。
 それだけ聞けば、聞いた側はどう思うかなどルードヴィッヒでもさすがにわかる。
 案の定アリアとモーティシアからは少し咎めるような視線を送られ、ミシェルの殺意はさらに威力を増して。
 言葉ひとつで人が死ぬ。
 その後落ち着いたジュエルと共にルードヴィッヒは何とか誤解を解いたが、言葉の大切さと恐ろしさをその身で理解できる良い機会だったと笑うには、ミシェルの殺意は言葉では言い表せないほどの凄まじさだった。


第49話 終
 
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