第49話


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 王城敷地内の政務棟といえば、基本的には騎士が出入りする場所ではない。
 兵舎外周棟と内周棟に二重に囲まれているので騎士が警備に立つ必要が無いからだ。
 中に入るとすれば大抵が王族の護衛任務で、王族付き候補とはいえルードヴィッヒにはあまり関係の無い場所のはずだった。
 だというのに、なぜか自分は政務棟の正面玄関前にいる。
 この場にいる理由は一応ある。呼び出されたからだ。だがなぜ呼び出されたのかまではわからなかった。
 政務棟正面玄関前でルードヴィッヒを呼び出した人物を待ちながら、政務官から向けられる視線を敏感に感じとる。
 今の自分が派手な女の子のように装飾具を身に付けている自覚はあるので、奇異の視線は甘んじて受けた。
 前髪を上げるために魔具で生み出した細やかなデザインのカチューシャに、鎖で繋がったピアス。両手首にもブレスレット型の魔具が。
 何も知らない者が見ればルードヴィッヒには特殊な性癖があるように見えただろうが、これらは全て訓練の一環なのだ。
 ルードヴィッヒが苦手な魔力の操作訓練。
 レイトルから教えられた訓練方法だが、単純ではあったが難しい。しかし意識して魔具の維持に努め続けて、ルードヴィッヒの魔具操作は格段に上手くなった。
 まだまだルードヴィッヒの理想とする自分には近づけてはいないので訓練は続けるが、愚かな騎士達には指を差されようが構わないが、さすがに何も知らない政務官からの視線は少し恥ずかしくて。
 しかもルードヴィッヒは上位貴族、紫都ラシェルスコットの三男なのだ。政務官の大半がルードヴィッヒを知っている。
 ここに呼び出した人物はまだかと俯きながら悶々としていた矢先に、
「…ルードヴィッヒ様?」
 幼い声に呼びかけられて、ルードヴィッヒは無意識のように顔を上げた。
「ジュエル……嬢…どうしてここに?」
 声の主は同じく上位貴族ガードナーロッド家のジュエルで、困惑した表情を浮かべるジュエルにルードヴィッヒも首をかしげる。
「私は侍女長に、ここに来るよう言われましたので」
 同じ上位貴族の子息子女として幼少期はそれなりに交流があったが、お互い騎士と侍女となってからは会う機会など滅多に無かった。それがこんなところで出会うとは。
「ルードヴィッヒ様はどうして?」
「あ、ああ…私もここに来るよう言われたんだ」
「…侍女長に?」
「いや、私はフレイムローズ殿に」
 ルードヴィッヒを政務棟正面玄関に呼び出したのはフレイムローズだった。
 呼び出されたのは今朝方で、さらさらと雨の降る中で仲間達と訓練を行っていた矢先にフレイムローズが訪れ、昼前にここに来るように言われたのだ。
 重要な任務があると言われたが、任務内容はわからない。
 そして呼び出したにもかかわらずフレイムローズは未だに姿を現さない。
「正面玄関前で待つよう言われてるんだが、それ以外は」
「私も同じですわ。詳しい内容は後で話すからとだけ言われましたの」
 ということは、ルードヴィッヒとジュエルは同じ理由から呼び出されたということなのだろうか。
 二人の繋がりといえば共に上位貴族の出自くらいのものだが。
 そしてルードヴィッヒを呼び出したフレイムローズも、上位貴族の出自だ。
 政務棟前に呼び出されたのだから騎士や侍女とは関係なく家柄の件かと考えていると、ジュエルがどこか落ち着きのない様子でそわそわと辺りを見回し続けていることに気付いた。
「…大丈夫?」
 困惑する姿は侍女長からの謎の指示に対する緊張からなのだろうが、ジュエルはまだ未成年なのだ。緊張するなという方が難しいだろう。
 だがルードヴィッヒもどう接すればよいかなどわからず、思いのほか硬い声色になぜかジュエルがさらに強張ってしまった。
「だ、大丈夫…ですわ…ルードヴィッヒ様こそ…」
「いや、私は…大丈夫」
 ジュエルが緊張するものだから、何とか落ち着こうと思っていたルードヴィッヒにも伝染して。
 なぜ呼び出されたのか。
 せめてヒント程度でいいから教えてほしかった。
 馴染みのない政務棟を前に訳もわからず待たされるなど、まだ若いが責任感は持ち始めた二人にはなかなか酷だ。
 今朝方の雨のせいか空には薄曇がかかり、季節も相俟って少し肌寒くて。
 ようやく二人に近付く気配が現れたのは、互いに無言になってしばらく経ってからだった。
「やあ、待たせたね」
 しかし思っていた人物ではなくて。
「コウェルズ様…」
 呆けたように口を開いたのはジュエルで、二人同時に慌てて頭を下げる。
 フレイムローズはいるにはいるが、王族付きとしてコウェルズの後ろだ。
 どうしてコウェルズがいるのか。
 困惑するルードヴィッヒの耳に入ってきた音は「顔をあげて」という優しい声色で、ジュエルと恐る恐る頭をあげて。
 わずかにジュエルの視線がこちらに流れてきたことに気付いてルードヴィッヒもちらりと視線を送れば、戸惑いの表情を浮かべたジュエルと目が合った。
 ルードヴィッヒの表情も似たようなものだろうが。
「肌寒いんだから中で待っていればよかったのに。君の方が歳上なんだから君が気付いてあげないと」
「え…あ、すみません…」
 肩をすくめるコウェルズは軽い注意をルードヴィッヒに聞かせてから、ついておいでと政務棟へと足を踏み込んだ。
 コウェルズの後にフレイムローズが従い、ルードヴィッヒはジュエルと共にその後に続く。
 政務棟内はこれが初めてではないが、慣れない場所は疎外感しかなかった。
 棟内を歩き回るのは政務官ばかりで、他にいたとしても魔術師だ。
 幅の広い階段を上りながら自分達がこれから何をさせられるのか改めて考えてみても、やはり何も思い浮かびはしない。
 何気なく少し後ろにいるジュエルに目を向ければ、彼女の顔色は今までにないほど白くなっていた。
「…大丈夫?」
 進むペースを下げて隣に付き、具合の悪いだろうジュエルに先程と同じ言葉で問うてみる。
 今度はルードヴィッヒの口調も自然なものだったが。
「だ、大丈夫…」
「…顔色が悪いが」
 俯いたままのジュエルの額には冷や汗も滲み、見るからに大丈夫のはずがなかった。
 こういう時はどうすればいいのだろうか。
 何も妙案が浮かばないままフレイムローズとコウェルズを見上げれば、先に踊り場に到着したコウェルズがジュエルの異変に気付いて苦笑いを浮かべた。
「怖がる心配はないよ。少し頼み事をしたいだけだからね」
 コウェルズはジュエルの異変の理由に気付いているのだろうか。
 ジュエルが小さく謝罪をして、そのまま最上階まで上りきって。
 案内された場所は最奥の執務室だった。
 フレイムローズが扉を開けて先に中に入り、コウェルズも後に続く。
「入っていいよ」
 気安い小声はフレイムローズのもので、促されるままにルードヴィッヒもジュエルと共に足を踏み入れた。
 コウェルズは大きなテーブルの上に何かの資料を広げ、フレイムローズは扉を閉めてそのままそこに立つ。
 自分達はどこにいるべきなのだろうか。
 王族付きならば邪魔にならないように壁際にと教えられたが、今のルードヴィッヒの立場がわからない。
 そしてジュエルも固まったままだ。
「あの…」
「ああ、少し楽にしてて。すぐに話すから」
 意を決して問いかけようとしたが、すぐにコウェルズに制された。
 楽になど出来るか。
 目前には王族、隣には顔色の悪い幼馴染みという状況だというのに。
 ジュエルは階段を上っていた時よりは落ち着いた顔色にはなっているが、それでも白いままだった。だというのに懸命に顔をあげて姿勢を正し、侍女としてコウェルズの指示を待つ姿を見せる。
「よし、完成だ」
 待っていた時間は数分程度だろうか。ひどく長く感じたが、何かしらの作業を終えたコウェルズが満面の笑みを浮かべてルードヴィッヒとジュエルに向き直った。
 これから何を言われるのか。
 緊張から心臓が跳ね上がり、体に力がこもる。
「何から話そうか迷うね…ルードヴィッヒ、君は武術と剣術どちらが得意?」
「え…」
 突然問われて頭の中が白く染まる。
 何のことだと悩む暇もなくぽろりと漏れたのは、
「ぶ…武術の方が」
 武術と剣術なら武術の方が得意だ。怖々答えた得意分野にコウェルズはさらに微笑みを強くした。
「さすがラシェルスコット氏の子息だ」
 素直に答えただけだが、どうやら正解を選んだらしい。
「じゃあ君が武術で、私が剣術だね。城を出るのは五日後予定だから、それまではアドルフの元でしっかり武術訓練だけに打ち込むこと。トリックとスカイにはこちらから言っておくから安心して武術訓練のみに頭を使って。あ、ジュエル。君にはルードヴィッヒのサポートを頼みたいんだ。君も一緒に五日後に出発だからその用意も忘れないでね。女の子は用意も多いだろうし」
 さらさらと理解し難い言葉を並べ立てられて、頭の中はまた白くなった。
 武術訓練だけとは何の話だ。
 ジュエルの方もルードヴィッヒのサポートと言われて完全に困惑している。それに五日後に何があるというのか。
「…コウェルズ様、わざとならさすがに可哀想です」
 事情を知るだろうフレイムローズが苦笑いを浮かべながらコウェルズに注意をして、ようやくコウェルズが「ごめんごめん」と気さくに謝罪して。
「仕方ない。改めて命じるよ」
 テーブルに用意していた資料の束を二つ手に取り、コウェルズは数枚重なったそれをルードヴィッヒとジュエルに手渡した。
 そして。
「ルードヴィッヒ、君には私と共にラムタルで開催される今年の剣武大会に出場してもらう」
 世界が反転するほどの。
「…え」
 今、何と言ったのか。
 大会と聞いた気がする。だが、自分がなど。
 コウェルズはルードヴィッヒとジュエルの資料の同じ箇所に指を差す。
 そこに記されていたのは、見間違うはずもない剣武大会の文字で。
「ぇええ!?」
 完全に石化したジュエルとは逆に、ルードヴィッヒは部屋中に響き渡る声を上げてしまった。
 声を上げてすぐに口元を押さえるが、声が直撃したコウェルズは苦笑いだ。
「す、すみませ…」
「構わないよ。突然呼び出したのだからね。今からあと数人ここに人が来るんだけど、それまでに出来るだけの説明をしておきたいから、そっちのソファーに移動しようか」
 言いながらコウェルズはルードヴィッヒとジュエルをソファーに促してくれて、自分は足の低いテーブルをはさんだ反対側のソファーに回って座る。
「楽にして」
 座りなさいと促されて、二人同時に不安になりながらも座って。
「だいぶ不安そうにしているから、ジュエルの仕事から説明するよ」
 ルードヴィッヒには少し待っていろと、コウェルズはジュエルの手の中にある資料を一枚めくらせた。
 資料自体は同じものなのでルードヴィッヒもめくれば、書かれた内容は本当に剣武大会に関する決まり事の文面だ。
「ジュエル、君の仕事はさっきも言った通りルードヴィッヒのサポートだ。サポートと言っても侍女の仕事と大差無い。ただ、サポートはサポートだけど、なるべくルードヴィッヒから離れないでくれ。連れていく侍女は君だけだからルードヴィッヒ以外にも同行するメンバーの世話を頼むこともあるだろうけど、絶対に一人にはならないように。ルードヴィッヒが側にいない時はエル・フェアリアの人間の側にいなさい。私しかいない時は構わず私の側に。わかったね」
 何やら物々しい言い回しに、ジュエルの表情がまた固まる。
「あの…どうしてそこまで」
 ジュエルが一人にならないよう警戒させるのか。
 ルードヴィッヒの質問に、ジュエルも同じことを思っていたらしく何度も小さく頷いた。
「大会は毎年好戦的な戦士が集まるからね。力に任せて無理矢理ってことも少なくないんだよ」
 そしてその理由に。
 遠回しの言い方ではあるが、ルードヴィッヒもジュエルもコウェルズが何を示しているのか理解できないほど幼くはない。
 大会に向かったとして、ジュエルが一人になってはいけない理由。
「…どうして彼女が…他の人では駄目なんですか?」
 ジュエルには荷が重すぎないか。
 下手をすれば身に危険がある場所にまだ未成年の少女を連れていくなど。
 だがコウェルズはため息まじりに肩をすくませて。
「私も誰がここに来るのか知らなかったんだよ。侍女長にはラムタルで開催される大会のサポートに相応しい侍女を一人選んでとしか言わなかったからね」
 まさかジュエルが選ばれるとは、と。
「ラムタルだけでなく主要国の言語を流暢に話せて侍女としての意識も高く、下手に狙われないようなるべく家の位も高い娘と指定したんだけどね。ジュエル、君は侍女長の眼鏡にかなったみたいだね」
 未成年なのに快挙だよ、と微笑むコウェルズの眼差しには、ジュエルを侍女として認める様子が窺える。
 大役を任せられたのだと改めて実感したのだろう。ジュエルの頭は必然のように静かに下がった。
「あ、ありがとうございます…必ずご期待に応えてみせます」
 震える声で、嬉しそうに。
「宜しく頼むよ。ただし、しつこいようだけど一人にはならないように。もし万が一が起きた場合は、家の位を笠に着なさい」
 コウェルズは戒めるように警戒も怠るなと改めて口にする。
「高位の出自の娘を選んだことにも理由はあるんだ。エル・フェアリアの上位貴族、それも虹の七家の娘とわかれば、まぁだいたいの人間は焦るから平気だとは思いたいけど」
 侍女として他国に恥とならない娘。ジュエルは見事に選ばれた。
 顔を上げたジュエルの頬は先程の白さから変わって高揚したような赤に染まり、瞳も潤んでいた。
「さあ、そして君だよ、ルードヴィッヒ」
 ジュエルへの簡単な説明が終わった後はルードヴィッヒの番だった。
 資料をめくるものだと思ったがコウェルズは真剣な眼差しでルードヴィッヒを見据え続け、値踏みするような視線に心臓を掴まれる気分を味わう。
「君を大会出場者に選んだのは私だ。大会に関してはガウェから何度か聞いたことがあるだろうから死ぬ気で勝ち抜けとだけ言っておく。君には同時に別任務にも就いてもらうかもしれないよ」
 大会については改めて説明することもないと。
 コウェルズ自ら選んだという言葉に気持ちは弾んだが、後に続く意味深な説明には身が強張った。
「君はリーンとファントムの捜索部隊に志願していたね」
「…はい」
 そして、ルードヴィッヒが自ら願い出た部隊への編成を。
「今回ラムタルに向かうのは私を含めた捜索部隊の一部だ。君は大会出場者として。他の者は私の護衛としてね。エル・フェアリア“王子”が大会に出ることは秘密なんだけど」
「秘密?」
「ああ。私は騎士団の人間として出場する手筈だ」
「…なぜコウェルズ様が出場されるのですか?」
「出場しなきゃ、私が向こうに行くことを誰も許してくれないだろうからね。それに言ったろう?ラムタルに向かうのは君を含めた捜索部隊だと」
 それは、その理由は。
 気付いたのはルードヴィッヒだけではなかった。
「ジュエル、君も口を閉じていなさい。秘密の任務だから他言無用だよ」
 顔色をまたわずかに白くしたジュエルが、コウェルズに命じられて言葉なく何度も頷く。
「…ファントムが、ラムタルに?」
「可能性の段階だけどね」
 まるで大したことではないとでも言い出しそうな口調で。しかしコウェルズの眼差しは鋭いまま。
 ルードヴィッヒはただ一人の少女の行方を探すためだけに捜索部隊に志願した。
 パージャの家族だという少女、ミュズの安否を知る為に。
 その為に志願した先で、まさか大会出場者に選ばれるなど。
 嬉しい半面、もどかしくなるのはなぜだろうか。
 大会出場ほど嬉しいことはない。素直に喜べばいいのに、素直になれない理由は。
「任務内容に関しては当然だが資料には書いていない。じきにクルーガー達がここに来たら改めて詳しく説明するから、それまでは大会に関する資料を読んでおいてくれ。何か質問があれば聞くが?」
 コウェルズからのとりあえずの説明はここまでだと告げられて、隣でジュエルの肩の力がわずかに抜けたことを気配で感じて。
「…ひとつだけ、宜しいでしょうか」
 そっと伺うルードヴィッヒにコウェルズはわずかに微笑みを浮かべてくれた。
「…なぜ私が大会に?」
 本来ならトーナメント戦で決めるはずの出場枠だ。それが、なぜ今回に限りルードヴィッヒが直々に選ばれたのか。
 選ばれて嬉しくないわけがない。だがもどかしさばかりが先に進もうとする。
 コウェルズの言葉を鵜呑みにするならば、ルードヴィッヒの他にも、ルードヴィッヒよりも優秀な騎士が表向きはコウェルズの護衛として、実際は捜索部隊として動くはずなのに。
 なぜルードヴィッヒが選ばれたのか。
 知りたかったから問うた質問は。
「…今はまだ言えないよ。だけど理由は存在する。君じゃないと駄目なんだ」
 曖昧にはぐらかすというには持ち上げすぎるかのような返答と共に、ルードヴィッヒの中にしこりだけを残して流れていった。

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