第48話
第48話
その日の朝。
五年前に亡くなられたはずの第四姫リーンが生きていた事実が、エル・フェアリア全土に知れ渡った。
ミモザを伴い王都の民の前に立ったコウェルズの演説は、伝達鳥を伝い全ての都市へも同時に流れたはずだ。
民はどう思っただろう。
エル・フェアリアを襲ったファントムの噂通りに姫が拐われていたこと。その姫が五年前に亡くなったはずのリーン姫であったこと。そしてリーン姫を五年もの間、新緑宮の結界の強化という名目でむごい仕打ちを続けたデルグ王のことを。
その反応は、コウェルズの予想通りだっただろう。
デルグ王を王座から下ろすべきという民の抗議活動は演説が終わってすぐに始まり、そして昼近くになった王城中に今も響き渡っている。
「…凄いね」
まるで暴風雨が壁面を叩きつけるかのような凄まじい喧騒にわずかに怯えながら、フレイムローズはニコルに向けて呟いた。
「密閉度の高い宝物庫にまで響くんだからな。おかげで何も頭に入らない…」
ニコルは今朝早くにコウェルズ達が国民の前に立つことを知らされたが、自分の任務はロスト・ロードの過去を洗うことだと割り切って関与しなかった。
どのみち大まかな流れは知っているので気になるということもない。
すでに存在しないデルグ王に関わる問題なので、王族の中でも表に立つのはコウェルズとミモザだけだった。
この二日ほどで知ることができた44年前の暗殺事件を改めてまとめてはいるが、民の声が大きすぎて気が散ってならない。
フレイムローズが宝物庫に訪れたのはコウェルズの演説が終わった後なので、恐らくコウェルズの護衛として共に民の前に立ったのだろうが、その時よりも今起きている抗議活動が気になる様子で、宝物庫内だというのにそわそわと落ち着きがなかった。
フレイムローズが落ち着けない理由はなんとなくわかるが。
「…俺、正直ここまで動いてくれるなんて思わなかった」
そしてその理由を、テーブルを挟んでニコルの前に座りながらフレイムローズ自ら呟く。
「…リーン様、国民には不人気だったでしょ。だから…なんか嬉しいな」
民が王城に向けている抗議の内容は、大切な姫を死んだことにして五年もの間苦しめ続けたデルグ王への反感だ。
フレイムローズはどうやら国民の言葉を素直にそのまま受け取ったらしい。
「国民がここまでしてくれるなんて思わなかったんだ」
可哀想なリーン姫の為に国民が動いていると。
「…リーン様じゃない」
「え?」
だがその理由が単なる後付けであることにニコルは気付いている。
「国民はリーン様を思ってデルグ様の退任を求めているんじゃない」
理由など何でもいいのだ。
リーン姫を本当の意味で不憫に思っている民など、砂場からたったひとかけらの砂金を探し出すほどに難しいだろう
民が動く理由はひとつ。
単純に、ただひとつだけ。
「デルグ様そのものを嫌ってるんだ」
淡々と告げるニコルに、フレイムローズの表情は曇った。
王家に絶対の忠誠心を捧げるフレイムローズにとっては、デルグも大切な人なのだ。たとえすでにこの世にいないとしても。
それでも、ニコルはどちらを取ると言われれば迷うことなく国民寄りで。
「一向に表に出てこない王に苛立ってたんだろ。今回のファントムの件は格好の餌だ。引きこもりの王なんて他国に唯一馬鹿にされる所だったからな」
「…早くコウェルズ様に王座をって?」
「ああ」
王妃が亡くなってから四年もの間、王は自室にこもり続けて政務を行わなかった。
その四年があれば、死なずにすんだ命があるのだ。
エル・フェアリアはコウェルズの手腕を以てしても細部まで行き渡らないほど大きな国だから。
「後は日を待って、デルグ様が心労で亡くなったことになれば晴れてコウェルズ様がエル・フェアリア国王だ。そうなりゃ魔術兵団も否応なくコウェルズ様に真実を語るだろう」
リーンがファントムに拐われたとするコウェルズの演説は始まりでしかない。
最終段階はコウェルズの王位継承なのだから。
そして、場合によってはファントムの正体も明かされることになる。
ファントムの正体を明かすこととニコルがファントムの息子であるという繋がりを明かすことは別物だが、完全に切り離すことは難しくて。
「…ニコルは?」
その不安を表すように、訊ねるフレイムローズの声が震えていた。
「ニコルはいいの?」
自分の震えた声に気付いてか、わざとらしく言い直して。
「…お前まで俺を王にでもしたいつもりか?」
「そうじゃないよ…だけど…前ね、ヨーシュカ団長に…俺は魔術兵団に入るべきだって…魔眼を持つ俺も、真実を知るべきなんだって…」
そう言われたんだ。と呟くフレイムローズに、ニコルは驚きの表情を向けてしまった。
「…俺、コウェルズ様といたいけど…もしコウェルズ様が王様になったら、騎士のままじゃお側にいられない…でも魔術兵団は怖いから嫌なんだ…なんでかわかんないけど」
王族達の中でも最も敬愛するコウェルズの側にいたい。だが今のままでは。
相談するようにフレイムローズは胸の内を吐くが、ニコルの耳に後半の言葉は入っていなかった。
「…真実」
「え?」
「…王にならなくても、真実がわかる…」
ヨーシュカはニコルに、真実を知りたければ王になれと告げた。
ニコルがファントムの息子だとわかる以前はコウェルズにも。
「…ヨーシュカ団長はそう言ってたけど」
だが、王にならずとも真実がわかるなら。
どちらか一人でなく、ニコルもコウェルズも真実を手に入れられるのではないか。
たとえば、幽棲の間の女のことも。
その危険な賭けが脳裏を占めて、ニコルは振り払うように頭を振った。
何を考えているんだ、自分は。
廻りそうになる思考を無理矢理押し留めて、疲れを払うようにため息をついて。
「…ニコル…昨日ね」
数秒の沈黙を破ったのは、フレイムローズの問いかけだった。
「レイトルとセクトルに言われて、アリアとニコルの盗まれた礼装を探したんだけど…」
「--…」
完全に忘れてしまっていた、フレイムローズに伝えておくべきこと。
盗まれたことにしている礼装を、フレイムローズの魔眼で探し出してもらうようニコル自ら頼むと言っていたのに。
レイトルとセクトルに言われたということは、ニコルの代わりに二人が問うたということで。
バレたのかと身体は強張り、フレイムローズは窺うように見上げて。
「…もしかして、ここにある?」
「…何でだ?」
早鐘を打ち始める鼓動に、声は必然と低く威嚇するようになった。
「昨日…魔眼で探したんだけど、魔眼蝶が宝物庫の扉の前に来た時に、ロスト・ロード様の魔力に弾かれたんだ」
宝物庫には魔術師達の特殊な結界が張られているが、その結界ではなくファントムの魔力がフレイムローズの魔眼蝶を弾いたと。
「それで、ニコルが持ってるのかなって…だから、レイトル達には言ってないんだけど」
どうやらフレイムローズは無意識にニコルを優先してくれたらしく、礼装の有りかをばらさずにいてくれたという事に力が一気に抜けていく。
「…悪い」
「やっぱりニコルが?どうして?」
ファントムの魔力がなぜここでフレイムローズを阻んだのかはわからないが、ニコルは味方となってくれたフレイムローズへ理由を話すことを優先させた。
「…親父の情報を手に入れたい」
自分だけでなくアリアの礼装も盗んだ理由を。
「礼装を調べて親父の居場所が掴めれば、そこにリーン様がいる可能性もあるからな」
ガウェと結託したのはその為だ。
ニコルはファントムの居場所を、ガウェはリーンの居場所を、と。
「ならアリアにも教えてあげたほうが…礼装無くなって落ち込んでるって聞いたよ?」
「…そんなことしたら、全部話すはめになるだろ。親父のことも…俺のことも」
アリアはアリアで礼装を調べようとしていたのだ。
今はまだ、アリアに真実を知られたくないのだから。
「…でもいつかわかるよ?…隠し続けるなんて無理だよ」
それでも、フレイムローズは先の不安を告げてきて。
そんな不安に苛まれたくなくて。
聞こえないと示すように、ニコルはその忠告に言葉を返さなかった。
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