第47話


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 レイトル達が秘密に作り上げた訓練場は、木々に囲まれている為に夜になれば完全に闇に溶け込み辺りが見えなくなってしまう。
 あらかじめ用意されている四ヵ所の訓練場ならば夜にも魔力による明かりが灯されるが、ここでは自分達で用意する他ない。
 魔力を明かりに変える方法は勿論あったが、剣術訓練に没頭したいという周りの団結により、秘密の訓練場をぼんやりと照らすのは数本の蝋燭だけだった。
 夜の訓練、参加者はレイトルとセクトル、フレイムローズ。そしてルードヴィッヒを含めた若騎士達が数名。
 王族付き候補だけならまだしも、ルードヴィッヒ達は仲のよい若騎士達全員に秘密の訓練場を暴露したらしく、やる気に満ちた者達はこぞって魔眼のフレイムローズ目当てに訓練場を荒らしてくれた。
 もはや完全に秘密でなくなった訓練場荒らしの極刑に値する罪を代表して償ったのは王族付き候補筆頭のルードヴィッヒだ。レイトルとセクトルから左右同時に放たれた本気の頭突きはさぞ効いただろう。
 フレイムローズの魔眼訓練もそこそこに終わらせて剣術訓練に精を出す。
 剣術はニコルほどではないにしろレイトルの得意分野であったので、必然的にレイトルが全体を見渡すことになった。
 明け方からアリアの護衛があるので訓練は身体をほぐす程度にしておきたかったのに、体力有り余る若騎士達は糞餓鬼と言い放ちたいほどレイトルに教えを乞うた。
 レイトルも年齢で言うなら若騎士達とさほど変わらないのだが、気持ちが老いている気がするのは何故だろうか。
 二人一組にさせて撃ち合わせ、レイトルは一歩引いた所から隙のある者達に注意を促していく。
 セクトルとフレイムローズは魔具を使用しての剣術訓練だ。
 遅すぎる時間帯ではないが、まだ夕食を食べていないのでそろそろ腹の音が煩い。
 若騎士達はいつ訓練を終わらせて帰ってくれるのだろうか。
 そんなことを考えながら夜空を見上げたレイトルは、視界の隅から何かが近付いてくるのを都合よく見つけて、
「…うわ来た」
 見慣れた伝達鳥がレイトルめがけて下降してくる様を、今すぐ逃げ出したいと言いたげな目で眺め続けた。
「どうしたの?」
 レイトルの呟きに手を止めるのはフレイムローズで、セクトルは伝達鳥に気付いて見上げる。
 三人が動きを止めたので、ルードヴィッヒ達も必然のように訓練を中断してしまった。
 レイトルの肩に留まるのは青緑色の小柄な伝達鳥だ。だが小柄ではあるが特殊な鳥で、手紙を持ってきたわけではない。
「誰から?」
「…両親から」
 首をかしげるフレイムローズに伝達鳥を放った相手を教えてやれば、この場では唯一理由を知るセクトルが無表情な眼差しに少しだけ心配の色を見せてくれた。
「急ぎの伝達鳥ではないですか!何か大変なことでもあったのでは!?」
「んー…ある意味大変かも。悪いけど抜けるよ」
 何も知らないルードヴィッヒは伝達鳥の様子に自分のことのように慌ててみせる。声のでかさはどうにかならないものか。
 ルードヴィッヒが言ったように伝達鳥は今すぐの“対話”を求めていた。
 手紙を届けに来たわけでなく、伝言を覚えたわけでもなく。
 レイトルの元に訪れた伝達鳥は、大きく三種類に分けられる伝達鳥の中で最も希少価値の高い鳥だった。
 遠くにいる相手と対話の出来る鳥だからだ。
 訓練の場をセクトルとフレイムローズに任せて、レイトルは伝達鳥と共に木々の合間を縫って奥に進む。
 伝達鳥が、その向こうにいるだろう両親が至急レイトルと話したい内容などひとつしかない。
 昼間にミシェルが教えてくれたのだ。
 ガードナーロッド家の領主が動いたと。
 恐らく次女ガブリエルに唆されての事だろう。ガードナーロッド家は末の娘のジュエルの相手にとレイトルを指定した。
 貴族間ではよくある事だ。階級の高い貴族が低い貴族に婚約を申し込む場合、断られないように親から取り込む。
 ジュエルがレイトルに思いを抱いていることは間違いがないが、ジュエル自身が動いたわけではないとはミシェルの言葉だった。
 告白までの勇気が持てないか、憧れに留めて諦めたか。
 兎に角、これから話し合われる内容に当人であるはずのレイトルとジュエルは完全に疎外されていることは確かだ。
 それでも両親は。
 いや、あの人は。
 対話の相手があの人ではありませんようにと念を込めながら、レイトルは誰にも声が届かないだろう場所に腰を下ろし、伝達鳥を立てた片膝に乗せた。
 ため息に似た深呼吸を行い、伝達鳥の嘴に触れて対話の合図を送る。
 そうすれば数秒経ってから伝達鳥の瞳の色が青から黄に変わり。
「…父様?」
 恐る恐る語りかけた言葉への返事は、
『私です』
 女性の声をしていた。
 可愛らしい小鳥から漏れる、落ち着いた女性の声。
 その瞬間に、諦めにも似た倦怠感に全身を苛まれた。
 あの人ではありませんようにと、母でありませんようにと念じた思いは見事に打ち消されてしまった。
「…母様ですか」
『久しぶりだというのに、愛想の無い…』
「今から話す会話の内容を考えれば、相手が父様でも兄様でも愛想無くなりますよ」
 誰であろうが。だが一番嫌な相手があなただとは口にしない。
 母は、この人はいつだって。
『…考え直す気は?』
 声色は責める風ではなく諭す色を持っているが、レイトルには通用しない。たとえ母でなくてもだ。
「ありません。数日前に手紙を送った通りです。私はアリアを愛しています」
 ミシェルからあらかじめガブリエルが動くだろうことは言われていたので、レイトルは自分にできる限りの形で両親に先手を打っていた。
 アリア以外は愛せないと。
 しかしその先手には大きすぎる穴が開いていて。
『…でも、お互いに恋仲という訳ではないのでしょう?』
「…はい」
 沈む返事に『ね、』と母の声が弾んだ気がした。
『それに、いくら治癒魔術師といっても、やはり平民出のお嬢さんは…』
「今は階級に左右されない出会いも増えていますよ」
『それは、他はそんな家もあるでしょうが…それに、ご両親もいないのでしょう?貧しい村で親もなく育った子が可哀想なのはわかりますけど』
「…なんと言われようが、私の気持ちは変わりません」
 苛立ちを噛み殺すのに必死だった。
 ガードナーロッド家との縁談の話の前に、アリアを扱き下ろすのか。
 会ったこともない分際で。
 アリアが可哀想だから同情してやっているのだと決めつけて。
 可哀想な、とても可哀想なお嬢さん。
 貧しい村で両親もいない可哀想なお嬢さん。
 口にするだけ口にして、しかしかかわり合いにはなりたくないのだろう。
 レイトルの怒りを悟ったように、母親の次の言葉はコロンと転がり本題に入った。
『ガードナーロッド家のジュエル嬢は、とてもあなたを気に入っていると伺っていますよ。上位貴族七家の御令嬢ですし、きっとあなたも幸せになるわ』
 だがその本題すら、レイトルの怒りに触れるには充分すぎた。
「…何を思ってのその言葉ですか?」
 何を思って。
 レイトルの何を思って幸せを語るのだ。
『レイトル、よく考えなさい。虹の七都の御令嬢を迎えることがどれほど幸運なことか』
「それは家の考えですよね。私個人としては、御免被ります」
 この人はいつもそうだった。
 レイトルが幼い頃から。
 何もかも、レイトルの為でなく。
 だというのに母は宣うのだ。
『…息子の幸せを願うのが母の務めです。はっきりと言って、治癒魔術師と恋仲になってもいないのに“心に決めた”など、馬鹿馬鹿しいにもほどがあります』
 子の幸せを願うのが母だと。
 どの口で言える。
 そこにレイトルの幸せがあったことなど今まで無かっただろうが。
「…ではアリアと恋仲になれたら、祝福してくださいますか?」
 穏便に訊ねた質問に返答はなかった。
 当たり前だろう。
 良き母を演じたい女には返せない返答なのだから。
「違うでしょう?」
『…いい加減になさい』
「こちらの台詞です。いい加減にしてください。アリアでなく、他の貴族の女性と恋仲になったとしても、それが下位貴族だった場合あなたは祝福などしてくれないでしょう」
 いつの間にか怒りが収まっていた。
 違う。
 怒りがひと回りしてしまったのだ。
 今までの鬱憤が全て、全方面の柵を一気に取り払われた様に心の外側に広がる。
『何を言っているの…』
「数ある貴族の家の中で、上位貴族は十四家のみ。その中でさらに格上に当たる虹の都は七家だけだ。そのたった七家の上位貴族の御令嬢を嫁に迎えたなら、ミシュタト家は中位の中でも一気に栄華を手に入れる」
 母の望みは息子の幸せじゃないだろう?
「あなたがほしいのは他家からの羨望の眼差しだ」
『馬鹿な事を言わないで!!いったい何を根拠にそこまで言えるの!?私はあなたの母親よ!!あなたより世の中を見てきたの!!どの道を選ぶことがあなたの幸せに繋がるか、あなたより理解しているわ!!』
 爆発する母の怒り。それすら本音を言い当てられた事へのごまかしに聞こえてしまい、おかしくて虚しかった。
「とても傲慢な思考回路ですね。その頭を以て、私が騎士にはなれないと宣言したのでしたね」
 あまりの歪さに、なぜか頬が引きつるような笑いの形になる。
『今はそんな話はしていないでしょう!!』
「いいえ、あなたが私の人生を語るなら言わせていただきます」
 昔からそうだった。昔から変わらない。
 いつだって、母は決めつけてばかりだった。
「あなたは私の魔力量だけを見て、私の夢を潰そうとした」
『…あなたの少ない魔力を考えれば、誰でもそう思います!!』
「いいえ、父上はやるだけやってみろと私を応援してくださった。あなたのようにやるだけ無駄とは言わなかった」
 子供の頃から。
 レイトルが夢を抱いた頃から。
 母は一度たりともレイトルの夢を応援してくれなかった。
『どうして私を責めるようなことを言うの?あなたを思えばこそでしょう!あなたが傷付かないように、私は!』
「何をやっても“可哀想可哀想”と言うことが、あなたの言う子供が傷付かないことなのですか?」
 その言葉に、どれだけレイトルが傷つけられたか考えたことはないのか?
『報われない努力ほど可哀想なことは無いでしょう!』
「報われない?私は報われていますが?確かに魔力は遠く及ばなかったが、剣術と武術で報われた」
『それは奇跡です!』
「いいえ、諦めなかった私の努力の賜物です」
 騎士になれた今でさえ、母はレイトルの努力を、実力を認めない。
 昔は、いつか母もわかってくれるものだと思っていた。
 その思いを無くしたのはいつ頃だろう。
 いつかいつかと思い続けて、気が付いた時には、母を変えることなど不可能なのだと気付いてしまっていた。
『いい加減にして!!あなたの幸せを願っているとどうしてわからないの!?』
「…家の幸せばかりで私個人の幸せを願われた事が無いのでわかりようがありません」
『っ、そん--』
 突然伝達鳥が届ける母の声がゆがみ、言葉が途切れた。
 眉をひそめるレイトルの前で伝達鳥も困ったように身体を傾げるが、
『…久しぶりだな』
 伝達鳥はすぐに体勢を整えて新たな声を発した。
 母とは違う、低い男性の声。
 耳に馴染んだ声の主は。
「…父様」
 母のすぐ側にいたのだろう。久しぶりに耳にした父の声は、悲しげに沈んでいた。
『もうそれ以上は責めないでやってくれ』
「…そんな」
 責めたつもりはない。
 ただ、今まで心に詰まっていたものが出てしまっただけだ。
 それでも、端からは責めたように聞こえたのだろうか。
『…一応お前の口から直接聞いておきたかっただけなんだ。本当にガードナーロッド家の御令嬢との縁談を断ってもいいのかい?』
 ガードナーロッド家との縁談を進めたいだろう母と違い、父はレイトル個人を立ててくれる。
「…申し訳ございません」
 だからレイトルも、静かに謝罪した。
 ガードナーロッド家からの縁談を蹴って何事もないはずがないのだ。
 レイトルの産まれたミシュタト家は、いくつかの仕事をガードナーロッドから仕入れているのだから。
 それがわからないほどレイトルは馬鹿ではない。だが、だからといって受け入れられるはずもない。
 レイトルの心に住む娘は、アリアただ一人なのだから。
『…治癒魔術師とは、何も無いのか?』
 その思いを試すかのように、父は現実を突きつけてくる。
「…告白はしました」
 愛していると告げはした。だが。
『…返事は』
「聞いていません」
『…なぜだ?』
 現実は理想のように上手くはいかない。
 アリアの心には未だに裏切ったはずの婚約者が残っているのだから。
 それでも、今はそれで構わないとレイトルなりの答えを見つけたのだ。
「アリアの支えになりたかったんです…アリアが私を選ばなくても構わない…他の男を選んでも構わないんです」
 押し黙る父が何を思っているかはわからないが。
「ただ今は、傷付いたアリアの支えになりたい…」
 レイトルはそう決心したのだ。
 愛する人の為に。束の間でも構わないから、支えに。
『…それは端から聞けば、自分に酔っているだけに聞こえてしまうぞ』
 父の忠告に、笑みは自然と漏れた。
 そんなこと、言われずとも。
「…わかっています。私だって、アリアが私を選んでくれる事を切実に願っていますから」
 格好つけたところで、逃げの要素も交じっていることは否定できない。
 完全に断られない為の手段でもあるレイトルなりの答えだったのだから。
「それに、まだ急ぐ必要は無いでしょう?王族付きは皆、婚期が遅れがちなんですよ?」
 レイトルの軽口に、今度は父が笑う番だった。
『お前はもう王族付きではないだろう』
「…そうでした」
 王族付きは婚期が遅れがちになる。
 正確には、姫付きは、だ。
 汚れを知らない愛らしい姫の護衛にほぼ毎日立てば、それだけ女性へ求めるものは高まった。
 たとえ女性と恋仲になったとしても、姫を優先する手前、どうしても相手を疎かにしてしまうのだ。
 だから姫付きは婚期が遅れがちになってしまって、恐らくアリアという治癒魔術師の護衛に立つことも姫付きと変わりないだろう。
 どのみちレイトルには、アリアしか見えていないのだが。
『…ガードナーロッド家には私から言っておこう。お前は自分で決めなさい』
「…ありがとうございます…兄様は?」
『私と同じ考えだ。心配しなくていい』
 ガードナーロッド家からの縁談を蹴ることを、いずれミシュタト家を継ぐ兄はどう思っているのか。
 不安は父の声色からさらりと消え去り、
「そうですか…良かった」
 肩の力はふわりと抜けた。
『ファントムの件が落ち着いたら、少しくらい顔を見せに戻りなさい。セクトル君もなかなか戻ってこないから、オズの家でも嘆き節だ』
「わかりました。言っておきます」
 久しぶりの話はここまでだろうか。
 たまには顔を見せに戻ってこい。
 レイトルが家に帰りたがらない理由を、恐らく父は理解してくれている。
 ファントムの件が早々に解決するとは思えないが、それまでにゆっくりと心の整理をつけておけという事だろう。
 どうあがいても母は母で、完全に縁を切ることは出来ないのだから。
 レイトルがそう思ったことをまるで予測したかのように、父は重い口を開いた。
『…母さんの事だがな…』
 母の事。
 抜けていた身体の強張りが戻るが、レイトルは静かに耳を傾ける。
『結婚前は下位貴族の、さらに下の階級の生まれだったからひどく苦労していたんだ…だから、自分の味わった苦しみをお前にも味わってほしくないんだ…お前の幸せを願っていないわけじゃない。だがどうしても“家”の呪縛から逃れられないんだよ』
「……」
 それは初めて耳にする母の過去で、
『…だからといってお前個人の幸せを潰す言い訳にはならないがな』
 父と母は大恋愛の末の結婚だと、知っているのはその程度だった。
 セクトルの母親がよく話してくれたものだ。
 父が母に惚れ込み、周囲の反対を押し切って結婚したと。
 もし母が底辺に近い下位貴族の娘だったなら、父の家は、当時のミシュタト家は反対しただろう。
「…そうなんですか」
 何も知らなかった母の過去。だが今すぐ理解してやるなど不可能だ。
 それほどまでに、レイトルの中での母との溝は奈落のように深いのだから。でも。
『…嫌わないでやってくれないか。母さんはいつだって、お前の幸せを願っているよ。回り道ばかりの願い方だから気付きにくいかもしれないが…』
 父はずるい。
 そんな風に言われて、揺れずにいられるほど母を嫌っているわけでもないのだから。
 中途半端で曖昧な気持ちの行き先がわからない。
 だが確かに、母は母なりにレイトルを愛していた。
『母さんがまた暴走したら、何度でも私が止めるから』
 切実な父の様子に、ただ笑みは漏れる。
「…大丈夫ですよ…母様に伝えてください。今晩は言い争いをしましたが、またゆっくりと話をしたいと…愛していますと」
 わだかまりは拭い去れない。それでも、もし歩み寄れるならば。
 レイトルの言葉に、伝達鳥を通じて父の安堵のため息は静かに聞こえた。
『…わかった。伝えよう』
「…おやすみなさい」
『ああ。お休み』
 懐かしい声はそこで途切れて、伝達鳥の瞳が元の青色に戻った。
 久しぶりの家族との会話。
 やや疲れて、このまま瞳を閉じたくなる。
「ありがとう、お疲れ様」
 伝達鳥も長い会話に疲れたように、レイトルの頭に飛び乗って身体を落ち着けた。

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 両親と話し終えた後も気持ちを落ち着けようとしばらく休んでいたので、訓練場にはもう誰もいないと思っていた。
 伝達鳥はすでに飛び立ち、一応訓練場に戻ったレイトルはそこでセクトルとフレイムローズが地面に直座りしている様子を見かけて驚いた。
「…まだいてくれたんだ」
 ルードヴィッヒ達若騎士の姿は見えないが、二人はレイトルを目にして立ち上がる。
「遅かったな」
「皆は明日も早くから訓練があるとかで先に戻ったよ」
 騎士の間引きの件が告げられてから、特に若騎士達のやる気は目覚ましい。
 早朝の訓練を誰が発案したかは知らないが、昔の自分達を重ね合わせてレイトル達は気恥ずかしそうに笑い合った。
「…それで、どうだった?」
「たぶん大丈夫」
 ひとしきり顔を見合わせてから、本題となるのはレイトルの家の話だ。
 フレイムローズもセクトルから簡単に説明を受けたのか心配そうに表情を曇らせるが、曖昧だが大丈夫だろう程度にしか言えない。
 ガードナーロッド家からの申し込みを蹴ったのだ。それなりの制裁はあるはずだから。
 でも今気にしても意味がないので、うだうだと考えることはやめた。
「ファントムの件が落ち着いたら家に顔見せろって言われたよ。セクトルの両親も嘆いてるみたい」
 ネガティブには考えず、最後に交わした世間話をセクトルにも伝えれば、返ってくるのは「めんどくさいな」とセクトルらしい言葉だ。
「俺は毎年二回は絶対戻ってるよ!」
 心底面倒そうにため息をついたセクトルの隣で、フレイムローズが無邪気にはしゃぐ。
「家族とどんな話する?」
「コウェルズ様達の話でしょ、騎士団での話でしょ、あとみんなとの話!」
 訊ねておいてなんだが、無邪気すぎる様子に笑ってしまった。
「子供か…」
 レイトルが心に留めた思いを、セクトルは遠慮もなく口にする。
 しかしフレイムローズは一切気にする様子はなかった。むしろ聞こえていないと言った方がいいかもしれない。
「後はね、俺がどんな事を任されたか、お母様に話すんだ!そしたらお母様、俺が一人でも大丈夫って安心してくれるから!」
 母親を安心させる為に。
 フレイムローズの家は、レイトルの不満などかすれてしまうほど複雑だ。
 ガウェの家のように親子仲が完全にこじれているわけではない。
 だがフレイムローズの母親は、気が狂ってしまったともっぱらの噂だった。
 そして気が狂った理由は、フレイムローズの魔眼が原因だとも。
 フレイムローズが語る母との思い出はどれもこれも微笑ましいのに、そこに魔眼が存在するというだけで柔らかな印象は一変してしまう。
「…お前失敗ばっかじゃねぇか」
「それは隠す!」
 王城での自分の活躍を物語の主人公のように語るフレイムローズにセクトルは茶々を入れるが、フレイムローズはどこまでも無邪気なままだった。
 フレイムローズらしい元気な姿。
 しかしその元気な表情も、ふと陰りを見せて。
「…リーン様の為にファントムに力を貸したことも…言えないだろうけど」
 ファントムに力を貸し、半月ほど牢に入れられた。
 その事実も母には言えないと寂しく笑う様子に、フレイムローズの家庭事情の歪みは深く窺えた。
 訓練場は静まり返り、冷える空気にフレイムローズが小さなくしゃみをする。
「…私達も戻ろうか」
「うん」
 三人そろって訓練場を後にしようと歩き始めて。
「そういや、礼装見つかったか?」
 セクトルの問いかけにフレイムローズがキョトンと首をかしげた。
「…かわい子ぶってんじゃねーよ」
「いったぁーっ!!」
 容赦なく頭をはたかれて、フレイムローズはその場にしゃがみ込む。
「ニコルから頼まれてない?アリアとニコルの礼装のこと」
「何それ?聞いてないけど?」
 レイトルも足を止めて頭を押さえるフレイムローズに問いかけるが、フレイムローズは訳がわからないと困惑している。
「…まだ頼んでなかったのか」
「待ってよ、じゃあ俺今もしかして殴られ損!?」
「今ので頭が良くなった。保証する」
「ちゃんと謝ってよぉー!!」
 手を出したことに謝罪する様子を見せないセクトルにフレイムローズが半泣きじみた声で避難するが、セクトルは面白がってか謝るつもりはないらしい。
「まあまあ。ニコルとアリアの礼装が盗まれたみたいなんだ。礼装だけだからあまり大事にはできないんだけど…大切なものだからアリアがとても落ち込んでて…どうしても見つけたいんだよ」
 ニコルがフレイムローズに頼むと言っていたが、忙しいニコルの事だから上手く時間がとれずにいるのだろう。レイトルが変わりに簡単な説明をすれば、フレイムローズはまたも首をかしげた。
「礼装?俺今年着たやつもう捨てちゃったよ。アリアまだ持ってたんだ」
 口にするのは貴族ならば当然の行動だが、ニコルから直接礼装の大切さを突き付けられたレイトルは曖昧に笑って。
「…アリアには替えのきかない大切なものなんだ。フレイムローズの魔眼なら探せるんじゃないかって話になってたんだけど」
 礼装が大切なんじゃない。
 アリアにとって、誰がくれたのかが重要だったのだ。レイトルには想像もできない貧しい生活の中で培われたアリアの心。
「わかった。そんなに大事なら、今すぐ探してみるよ!少し待ってて」
 フレイムローズは深く考えていないのか素直すぎる笑みを浮かべると、レイトルとセクトルに背中を向けて空を仰いだ。
 背後からはどうなっているのか見えないが、フレイムローズは瞼を開けたはずだ。
 瞼を開けて、本来なら眼球があるはずの場所から魔力の塊を大量に出現させる。
 ファントム襲撃前までレイトル達の肩に留まっていた魔眼蝶を。
 数にすれば数百か。中央に目玉を抱えた不気味な蝶はフレイムローズの指示を静かに待ち、やがて瞼を閉じたらしいフレイムローズが顔を俯かせると同時に物凄い速さで飛び消えてしまった。
 残像だけが残りそうなほどの速さは、魔眼蝶が蝶でないことを改めて示してくる。
 蝶の形をした魔力の塊。
 それも、単なる魔具ではなく魔眼という特殊な。
 フレイムローズは魔眼蝶を通じてあらゆる場所を探しているらしく時おり身体が妙にゆらいだ。
 そして数十秒経った頃だろうか。
「--わっ!?」
 突然フレイムローズの身体が弾かれたように仰け反り、両膝からくずおれる。
「フレイムローズ!?」
「おい、大丈夫か?」
 突然すぎる出来事にレイトルとセクトルは慌ててフレイムローズの身体を支えるが、フレイムローズ本人は呆けたようにきょとんとしていて。
「…アリア達の礼装って、確かニコルのお父さんがくれたんだったよね?」
「あ、ああ。そうだけど」
 まるで何かを確認するかのように、フレイムローズにしては落ち着きすぎる声で問われた。
 礼装はニコルの父親だという銀髪の仮面の男がくれたものだ。
 その当時の様子を、レイトルはまだ覚えている。
 彼はアリアを連れ戻そうとしたのだから。
 フレイムローズは重要な何かに気付いたように黙りこみ、途方に暮れるように表情を曇らせ。
「フレイムローズ?」
「…ごめん、王城には無いみたい…さすがに外までは探せないよ…」
 沈んだ声は見つけられなかった故か、それとも何かあったのか。
「…そう」
「でも、場所を見繕って色々探してみるよ」
「頼むよ。ありがとう」
 何か引っ掛かるフレイムローズの様子に、しかし深くは訊ねずに。
「…戻るか」
「そうだね」
 フレイムローズの違和感にはセクトルも気付いた様子だが、こちらもあえて口にしようとはしなかった。
 ただセクトルと目を見合わせて、互いにおかしいと思った点が共通していることを認識して。
 兵舎へと戻る途中、フレイムローズがひと言も口を開かない姿も見逃しはしなかった。

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 エルザの手を引いて、誰もいない賓客用の部屋に忍び込む。
 恥ずかしそうに俯くエルザの髪を指先で梳いて、上向かせて。
 ベッドに優しく押し倒せば、静かな室内に軋む音が妙に響いた。
--彼女を愛そう
 馬鹿な感情には蓋をして、間違いからでもいいから、エルザを。
 そう決めて、ドレスを脱がせて。
 前回はテーブルの上で、エルザだけを半裸にさせての行為だった。
 だが今回はエルザの為に、エルザを大切に扱うように触れていく。
 一糸纏わぬ姿にさせられたエルザは夜の薄闇の中でもわかるほどに頬を真っ赤に染めて両手で胸を隠す。
 その前でニコルも上半身の服を大雑把に脱ぎ放ち、エルザの両手を胸から離させた。
 身体を下向きにすれば、否応なく首飾りが石ごと揺れる。
 彼が、ファントムがくれた、共鳴石。
 その片割れを持つのはアリアだ。
「ニコ、ル…っ」
 恥ずかしさからかわずかに瞳を潤ませたエルザの姿に昨日のアリアの涙が重なった。
「っ…」
--泣くな…
 頼む、泣かないで。
 昔から涙は苦手だった。
 女の涙なら誰にでも弱いわけではない。だが特別な存在の涙は、胸を掻きむしるような思いにさせるのだ。
 横たえさせたエルザの涙を見ないように豊かな胸元に顔を近付けて、

『--どうして泣いてるの?』

「!?」
 突如聞こえた幼い声に、ニコルは思わず動きを止めた。
 誰の声だ?
 訊ねずともなぜか理解できた。
 幼い頃の自分の声だ。
 時おり脳裏に直接響く、自分の声。
「…ニコル?」
「…何でもない」
 動きを止めたニコルにエルザは首をかしげるが、ニコル自身が幼い声を振り払い、行為を再開した。
 エルザが怖がらないように何度も口付けて、ゆっくりと優しく身体をほぐしていく。
 今までここまで女の体に気を使った事などあっただろうか。それほどまでに大切に、時間をかけて。
 やがて上擦り始める吐息混じりの声を頼りに、エルザの心地好い場所を探し当てて重点的に優しく責めた。
 まだ初々しく固い秘部に指を一本だけ挿入させる。
「…痛くないか?」
「い、え…何だか…不思議な…」
 エルザの表情に苦痛は無いが、不安はまだ残っていた。だからゆっくりと焦らずに慣らしてやって。
「--…」
 エルザの中で指を軽く曲げた時に、驚きからかエルザは両手をニコルの首に回してすがりついてきた。
 その両手には、見覚えがあった。
 子供の頃に苛まれ続けた悪夢は、誰かに首を絞められるという恐ろしいもので、昨夜も幽棲の間で首を絞められて。
「ぁ…」
 秘部を優しく掻き回されて、エルザの声色が不安からわずかに変化する。
 今のニコルの首に回された手はエルザのものだが。
--俺は…
 子供の時に、幽棲の間の女に…会っている?
 違和感が混乱に変わる中でニコルは指を抜き、エルザと静かに深く繋がる。

『どうして泣いてるの?』

 幼い自分の声。
 そうだ。
 なぜ忘れていたのだろう。
 なぜ今、思い出したのだろう。
 悪夢はいつも、ニコルがそう訊ねた後に首を絞めてきたのだ。


第47話 終
 
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