第29話
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離れていた護衛の騎士達と合流して、怪我人達の元へ足を運んでいた帰り。
エルザは慣れないパンツスタイルに違和感を覚えつつも王城内に戻った先で、兄を見つけて慌てて駆け寄った。
「--お兄様!」
コウェルズは珍しく騎士の護衛を付けておらず、その隣にいるのは魔術兵団長のヨーシュカだけだ。
エルザも今日は騎士達と別行動を取る時間があった。この緊急事態では仕方無いことだろう。
駆け寄るエルザに気付いてコウェルズは振り向いてくれて。
珍しい、と無意識に思ったのは、兄が疲れた様子を見せるからだ。
いつも微笑みを絶さない兄が家族以外の人前で疲れを見せるなんて。だが何があったと聞いても、絶対に教えてくれないのはわかっている。
「お兄様、少しだけお時間をいただけませんか?」
だからエルザはコウェルズが心配ではあったが、ニコルの件だけを口にすることにした。
「ああ、構わないよ。どうした?」
「…出来ればどこか、誰にも聞こえない場所でお兄様だけにお話したいのですが」
ニコルの父の可能性を秘めたファントムの話。
全体の指揮を執る兄には話しておくべきだろうが、他には聞かれたくない。
ヨーシュカや自分の後ろにいる騎士達を気にすれば、真っ先に気を利かせてくれたのはヨーシュカだった。
「…先に行っております」
足音も無く離れるヨーシュカは、その両手をわずかに開いてエルザの護衛二人も共に離してくれる。
騎士達は困惑した様子を見せるが、三団長の一人であるヨーシュカの無言の命令を無下に出来るはずもなく、エルザを気にしながらも離れていった。
「…そこの客室に入ろうか」
「ありがとうございます」
エルザはコウェルズに促されるままにすぐ近くの客室に足を踏み入れ、コウェルズも入室したところで、扉を閉めて窓という窓、扉という扉に結界を張った。
「…随分と厳重なんだね。どうしたんだい?他に聞かれたくないなんて」
その警戒の強さにコウェルズはわずかに眉根を寄せる。
だがエルザも、コウェルズ以外に聞かせるわけにはいかないのだ。
「…ニコルの事なのですが」
己の魔力で二重どころか三重に結界を張ってようやく口にするニコルの名前に、コウェルズはやや呆れたような顔になる。
「…今は会えなくても仕方ないよ。もう少し我慢しなさい」
「そ、そういうことではありません!!」
ニコルへの思いも、告白して玉砕した事実も兄は知っている。だがどうやらニコルに会えないことを嘆いていると勘違いされて声を張り上げた。
会えないのは勿論悲しいが、それだけで兄に泣きつくほど我が儘なつもりはない。
「…ニコルから聞かされましたの。…ファントムは、ニコルのお父様かも知れません」
「--」
会えない不満でないなら何だと首を捻るコウェルズに、昼間にニコルに聞かされた件を話す。
エルザもそうであったように、コウェルズも目を見開いてわずかに固まった。
「年齢は合わず、髪の色もニコルの知るお父様とは違うそうなのですが…確かにお父様だと…」
酷く狼狽えるニコルを初めて目にした。
すがるものを探してエルザに胸の内を吐いてくれて。
ニコルは他の誰でもなくエルザを頼ってくれたのだ。
その思いに答えたい。ニコルの力になりたい。
「…ニコルは?」
「ひどく困惑されていました。この事に関しては誰にも話さないように伝えています。お兄様には相談しておこうと思いまして、それだけはニコルにも告げました」
「……」
思案するようにわずかに俯いた兄は、やはりどこか疲れて見えた。
状況が状況なので仕方無いことだろうが、黙られると兄の心労をさらに増やしかねない件だったかと今更不安になってくる。
だが、これが事実なら大変な事になる。
下手をしたら、ニコルは…
最悪の事態を想像してしまったところで、コウェルズがそっと視線をエルザに戻した。
「ニコルに、他に変わった様子は?」
「特には…ただショックは大きい様子です」
狼狽えて、困惑して。
それだけだった。
他にどうすることも出来なかったからだろう。
エルザはコウェルズの台詞の中にニコルへの疑念が含まれているとは露知らずニコルの様子を見たままに話してしまうが、逆にそれがよかったらしい。
「…夜にクルーガーとフレイムローズから話を聞くことになっている。ニコルも連れてくるから、エルザも来なさい」
ファントム側にいた騎士団長クルーガーとフレイムローズ。その二名から話を聞く席に来なさいと。
そこにニコルを呼ぶのはわかるが。
「…私も宜しいのですか?」
エルザも加わっていいものなのかと、驚いてしまった。
自分が何か役に立てるとは思えないのに。
だがコウェルズはエルザが必要だと告げてくれる。
「今の話が真実なら…ニコルを支える人間が必要だろう。アリアではニコルと共に精神的に参る可能性もあるからね。今はアリアに別の負担をかけたくない」
エルザが必要な理由。
それは、狼狽えるニコルを支える為に。
その理由に不謹慎にも胸が高鳴ったのは、ニコルの力になれるのがエルザしかいないとコウェルズが断言してくれたからで。
「…わかりました」
高鳴りを決意に変えて。
エルザは大切な、愛しいニコルの力になる為に拳を胸の前で握り、強く頷いた。
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じきに完全に日が暮れるその前に、ニコルは一人で自室に戻ってきていた。
休むわけではない。同室であるガウェの着替えを取りに来たのだ。
目覚めたガウェは最初こそ暴れはしたが、医師が到着した時には完全に落ち着いていた。それでも万全のはずがないので数日は絶対安静を言い渡されていた。
定期的にアリアの治癒を受けながら様子を見るので、着替えは多めの方がいいのだろうか。
よくわからないので適当に兵装や着やすそうな普段着を手にするが、よくわからなさすぎて何をどれだけ持っていけばと迷う。
とりあえず手頃なものを選んで大きな袋にガッと乱雑に突っ込む。文句なら後で聞けばいいだけだ。
そうしてアリア達のいる兵舎外周棟に戻ろうと部屋を出たところで、何度か見かけたことのある侍女がこちらの様子を窺っていることに気付いた。
「ニコル様…」
ニコルの視線に気付き静かに駆け寄るのはアリアと親しくなった侍女のイニスで、彼女もエルザと同じくパンツスタイルだった。
だが兵舎内周にいるとはどうしたのだろうか。
詳しくは知らないが侍女にも階級は存在し、階級によって兵舎外周、内周、王城と働く場所が分けられているはずで、イニスは外周階級だったと思っていたのだが。
「どうした?」
短く訊ねれば、困ったように眉尻を下げながら見上げてくる。
「ニコル様こそ…簡易医療棟に缶詰めと聞いていましたけど」
「同室の着替えを取りに来たんだ。怪我で数日は動けないからな」
「…大変ですね」
ニコルの同室がガウェであることは知っているはずで、イニスは口元を押さえながら瞳を潤ませる。
「命があっただけましさ。死者が出たからな」
「ニコル様にお怪我がなくてよかったです」
「…ありがとう」
優しい心遣いに少し気を許すように笑いかければ、イニスは照れたように頬を染めて俯いてしまった。
「じゃあ俺は戻るよ」
「あ、あの!」
背中を向ければ、すがるように一歩前に足を踏み出してくる。
「…どうした?」
すぐに聞き入る体勢にしたのは、以前イニスが別の侍女達に絡まれていたのを助けた時に、何でも相談しろと話したからだ。
最近はアリアとの会話の中にはあまり話題に上らないイニスだったが。
「…ニコル様は…その」
元々内気そうな侍女だと思っていたので静かに言葉を待てば。
「エルザ様と仲がよろしいのですね…」
問いかけられたのは、単なる世間話のような内容だった。
「…まあ、以前はエルザ様の姫付きだったからな。エルザ様も話しかけてくださる」
今でこそアリアの護衛に立つが、七年近くエルザの側にいたのだ。恋愛云々が無かったとしても、親しくはなる。
「何かエルザ様に伝言でもあるのか?」
「そういうわけではなくて…」
「何でも話してくれと前にも言ったろ。言ってみろ」
やや急かすような口調になってしまったのは、顔色を窺うような卑屈な態度が少し気に入らなかったからだ。
イニスの名前を知ってからは、騎士達が侍女の話題に花を咲かせた時にたまに名前が上がっていたのでそこそこ野郎共の目には留まっていることを知っていたが、たしかに見た目は可愛いかも知れないが、この内気具合は自分なら無理だと勝手な判断をして。
「…あの、ニコル様は…エルザ様を好きになってしまったのですか?」
「……」
問われた内容に、一瞬思考が吹き飛ぶ。
「…なぜ」
「そんなわけないですよね!だってニコル様は…こんな馬鹿なことを聞いてしまって…私ったら…きっとエルザ様が甘えられたのね!」
動揺して声が震えそうになってしまった。だがすぐにイニスは完全に否定するように笑顔になる。
「…イニス嬢?」
そのあまりに突然の変化に身を思わず引かせるが、満面の笑みを浮かべるイニスは気付いていない様子だった。
「失礼しますね!今の事は忘れてください!私からエルザ様にお伝えしないと…ではニコル様、また後で!」
そう告げてくるりと背中を見せて軽やかな足取りで走り去るイニスをポカンと眺める。
何だというのだ。
あまりに突然変わる雰囲気に首をかしげるが。
「…また後で?」
それよりも最後に口にされた親しげな言葉に、困惑することしか出来なかった。
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