第44話
-----
王城正門の隣にある扉から出された二頭の馬の手綱を持つのは珍しくもガウェで、ニコルは共に正門の外に出たコウェルズとこれからについての話をしていた。
これからとはいっても、こんな人目につく場所でニコルの出自について語るわけではなく、今からニコルが向かう場所についての軽い会話程度だ。
コウェルズが一歩程度とはいえ王城を出るなど公務でもないので珍しい事だが、連日政務に頭を使う気晴らしだと考えればこの程度は必要だろうとは多くの者達の暗黙の了承だった。
「…切実に私も行きたいな」
「無茶言わないで下さい。そこまでは誰も許してくれませんよ」
ファントムへの対策やリーンの件、果ては他国とのやり取りなどコウェルズがどれほど背負っているか計り知れない中で、彼の我が儘は同情せざるを得ない状況だ。
エルザの件については互いに触れないようにして、ニコルを追い詰める様子も見せないのはニコルに与えた任務を優先させる為だろう。
44年前のロスト・ロード王子暗殺について。
その真相に、なるべく近付く為に。
コウェルズだけではもう手が回らないのだ。
そしてニコルには知る権利と責務がある。
彼を父に持った者として。
まだ僻む気持ちが多い。それでも彼は父親で。
彼を拒絶したい自分と、彼を待ち続ける自分が混同しているのだ。
「おっと、私はそろそろ戻った方がよさそうだ」
王城正門前はファントム襲撃後も変わらず観光スポットである為に人々の姿は多く存在し、その中の一部の民がコウェルズに気付いて少しずつ騒ぎ始める。
もう少し外の空気を吸いたかったなどと移動させられる囚人のような嘆きを口にしながら、コウェルズは肩を落としながら扉に戻り。
「気を付けてね」
「ありがとうございます。では」
王城内に戻るコウェルズにニコルとガウェは頭を下げ、閉められた扉の前に警備の騎士が立った事を確認してから、ニコルはガウェから自分が乗る馬の手綱を受け取った。
装備無しの騎士兵装は身軽だが、兵装を纏う限り騎士である事はすぐにバレてしまう。
できれば王都兵の兵装で出たかったが、却下を出したのはコウェルズだった。
44年前に王城に勤めていた者達に会うというのに身分を示す兵装を着ないなど侮辱だろうと言われたが、口元が笑っていたので八割の確率で嫌がらせだ。
王都城下街には一夜だけニコルに抱かれ、未だに忘れられずニコルを探し続ける娘達がいることを知りながらの。
「…王都のお前の屋敷までどれくらいだ?」
「すぐだ」
「……そうか」
せめて早く目的のガウェの個人邸に辿り着きたかったのだが、ガウェの答えは答えであっても求めるものではなかった。
「王城勤めが住む区画が城下にあらかじめ用意されている」
どうせ知らないだろうとガウェは騎乗しながら簡単な説明をくれるが、小耳にはさんだことはあっても自分には無縁だと切り捨てていたニコルには、案の定想像が難しく。
「…そんなもん、騎士を辞めたらどうすんだよ」
「壊すに決まってるだろ」
「…まじかよ…勿体ねぇ」
ガウェに続いて騎乗しながら退団後の個人邸の行く末を訊ねて、当然のように壊すと告げられて唖然とする。
ガウェの方は当たり前だろうとばかりに冷めており、手綱をしごいて馬を走らせ始めたので後に続いて。
走る道は時間帯の割には人通りが少なく、ガウェが言った通りそれらしい住宅地区はすぐに現れた。
豪勢で形もばらばらで、見ている分には飽きないが。
「全て個人邸だからな。小さいだろ」
「…でけえよ」
何をどう見て小さいと宣うのか。
王城に比べれば小さいことは当然だが、屋敷は一件一件が一族三代は余裕で暮らせそうなほどに広い。
それに庭もついていて、何もかもが大きかった。
「あの奥だ」
ガウェが示す屋敷は、最奥に位置する最も大きく優雅な屋敷だった。
最上位貴族ヴェルドゥーラの為だけに存在するような場所で、他の何とも比べようもないほど目を引く。
その庭で人影が動く様子を目の当たりにして、ニコルは身構えた。
今からニコルはガウェの個人邸で男性から話を聞くのだが、その男性は初老の男性であり、きびきびと動く若者ではない。
「…誰かいるのか?」
「使用人達だ。屋敷に住んでいる」
不安は一蹴されるが、次に浮かんだのは彼らの今後だった。
「…黄都に戻る時どうするんだ?」
近い先に、ガウェは新たな黄都領主として故郷の都市に戻ることが決まっている。
ガウェが居なくなるなら屋敷は取り壊されるはずで、なら使用人達はどうなるのだろうか。
「黄都に戻る者もいれば、他に仕事を融通してそこで新しく働く者もいる。大半は黄都の領城から連れてきた馴染みの者達だから共に戻るだろうな」
主人が居なくなれば働き口が無くなるのではないかと自分のことのように不安になったが、それも杞憂だったらしい。
そして改めて貴族という存在に驚かされた。
貴族全員が使用人達の今後を考えてくれているかどうかはわからないが、仕事の有無は重要なのだ。
王城で働く者は貴族ばかりだが、その貴族の元で働く者は大半が平民なのだから。
騎乗したガウェに気付いた使用人の男二人が、乗り越えるにも苦労しそうな高さの門を開け、ガウェとニコルに向かって頭を下げる。
「お帰りなさいませ、ロワイエット様」
「ああ」
ガウェのセカンドネームを使用人は口にし、ガウェも当たり前のように受け入れる。
名前が二つなど面倒ではないのかと思うが、王族であったニコルにはさらに長ったらしい名前が存在するので疑問は飲み込んだ。
馬から降りれば使用人がガウェとニコルの乗っていた馬に分かれて手綱を受け取って。
他人の家でどう動けばいいのかわからずされるがままに動き、引かれていく馬を見送る。
「早くこい。借りてきた猫かお前は」
「…うるせぇよ」
屋敷の玄関に向かうガウェの後に続き、玄関先で待っていた別の使用人が扉を開けてくれる。
中はまるで小さな王城だった。
目に痛いような派手さは無いが、細やかな作りがシンプルながら優雅で美しい。
「ネミダラは?」
扉を開けてくれた使用人にガウェが問いかけ、使用人は扉を閉めてから姿勢を正してガウェに向き直り。
「書物室にいらっしゃいます」
固いわけではない洗練された動きは、最も階級の高い侍女達に似ていると思った。
「わかった」
ネミダラ。
44年前の王城にいた騎士の名前であることは既に知っている。
「昼食はいかがなさいますか?」
「持ってきてくれ」
「かしこまりました」
使用人は次の指示にすぐに動き始め、ニコルは何とはなしにその後ろ姿を先ほどの馬のように見送り。
「こっちだ」
「あ、ああ」
呼ばれてようやく足を動かし、二階への階段を上る。
ニコルからすれば無駄にしか見えない規模のゆるく弧を描いた階段を上りきれば、毛の長い絨毯が靴ごと足を包み込んだ。
「ネミダラが王城で騎士として在籍していたのは47年前から34年前の13年間だ。王城騎士止まりだったらしいが、現在なら王族付きに任命されていただろう」
簡単な紹介だが年月までするりと口から流れるのは、ガウェがネミダラを信用している証拠だろう。
「ネミダラは中位貴族ハイドランジア家の四男で、次男の兄も確か騎士だったはずだ」
「…44年前にもか?」
そして新たな情報に、無意識に声が強張る。
44年前に王城勤めをしていた者の情報は一人でも多く欲しいのだ。
「そこまでは知らないから自分で聞いてくれ」
だが他者にあまり興味の無いガウェらしく、すっぱりと切り捨てられてしまう。
ガウェからネミダラの情報を先に少し貰えただけでも朗報だろう。
薄情と温情を同量持つガウェは、一度信用した者には深い情けをかけてくれる。
そこに至るまでには長い時間がかかるが。
「…俺にとってはただの口煩い教育係だったがな」
言葉だけなら煩わしそうに聞こえるのに、声色は懐かしそうに暖かい。
「--聞こえておりますよ」
そしてガウェの言葉に反応するように返ってきた声に、ニコルは慌てて後ろに目を向けた。
ガウェも同じように声の主に目を向けるが、慣れている分落ち着きはニコルより上だ。
「…書物室にいると聞いていたが?」
「喉が乾きましたのでね。そちらがニコル殿ですね。初めまして、ロワイエット様の口煩い教育係を務め、現在は使用人達を束ねております、ネミダラ・ハイドランジア・ノリウムと申します」
気配を隠しながら訪れた初老の男は騎士団長クルーガーのように背筋の綺麗に伸びた立ち姿で、あまり歳を感じさせなかった。
口煩いという箇所をわざとらしく誇張気味に口にしながら笑う姿に、ガウェがわずかに不貞腐れる。
ガウェの教育係だったのなら、さぞガウェの幼少期を知る事だろう。
「初めまして。騎士団、治癒魔術師護衛部隊に籍を置いておりますニコルと申します。平民の出自ですので家名はありません。御了承下さい」
「存じ上げております。案内いたしますのでこちらへどうぞ」
「ありがとうございます。宜しくお願いします」
自己紹介は簡単に済ませて、ネミダラの後に続くように進む。
王城に比べれば何てことはない広さだが、ここは王城ではなくて。
二階の中間辺りまで訪れて、到着したらしい書物室の扉の前でネミダラはガウェに目を向ける。
「…ロワイエット様も話を?」
「書物室からいくつか本を持ち出したい。後、昼食も取る」
「そうでございましたか」
ガウェが共にいる理由に微笑んで、個人邸宅の書物室の扉は開かれた。
扉の向こうに広がるのは窓から日の光が入り込む静かな空間で、仕切りを兼ねた棚は無いが、壁一面に大量の本が整理されて並べられていた。
その圧倒的な量にニコルは言葉を無くしていたが、
「小さいものだろう」
「…どこと比べてた」
いとも簡単に小さいなどと宣うガウェに、軽く腹が立ちそうだった。
この書物室だけで、ニコルがかつて暮らしていた家族との家はすっぽりおさまるだろう。
室内中央には丸テーブルを囲うようにゆったりとした椅子が厚みのあるクッションと共に四脚存在し、俗世から遮断された穏やかな空気が流れる。
中に足を踏み込めば手前の本棚に並ぶ書物の背表紙がニコルの目に映り。
多種多様なおとぎ話ばかりが並ぶ本棚に思わず立ち止まれば、ネミダラが楽しそうに目を細めて微笑んだ。
「それらは全て、ロワイエット様がリーン様にお話するために集められた書物です」
ガウェがリーンの為に。
物語になど興味を持ちそうにないガウェだが、リーンの為だと言うなら納得がいく。
ガウェの全てはリーンの為だけにあったのだから。
「…そうか。確かガウェが姫付になったのはリーン様が三歳の頃だから」
「はい。リーン様は冒険などの物語をたいそう好まれたとか」
「その話はいい。とっとと始めろ」
リーンが3歳の頃なら、ガウェもまだ13歳だ。
その頃から集められ続けた物語を、ガウェはどれだけ語ってやることが出来たのだろうか。
無駄な話はするなと切り捨てるガウェだが、その視線の先はニコルよりもネミダラよりも切ない色を瞳に灯しながら本に向けられていた。
「…ニコル殿、こちらへ」
「ありがとうございます」
促されるままに椅子に向かい、丸いテーブルを中央にニコルはネミダラと隣り合う。
向かい合わなかったのは、改まらずにゆっくりと話がしたかったからだ。
ガウェは物色するように書物を眺め、手に取って中を確認しては戻していく作業を繰り返す。
恐らく礼装を調べる為にニコルでも理解できる資料本を探してくれているのだろう。
「さて、ロスト・ロード様の暗殺について調べていらっしゃるとか」
ガウェから簡単に話の内容を聞いていたのだろう。説明は不要だとばかりにネミダラから会話を始めてくれた。
「はい。些細なことで構いません。何か知っていることや気付いた事があれば、教えていただきたいのです」
44年前に何があったのか。
その場にいた者にしかわからない真実が欲しいのだ。
「…ちなみに、ニコル殿はどこまで調べられましたか?」
「時の詩人がしたためたロスト・ロード…様の出生から暗殺までの文献を。ただ、どれを読んでもロスト・ロード様がいかに有能であったかという話と、暗殺については王妃が犯人であるという程度にしか」
「ふむ…」
詩人達の歴史詩は、結局は伝聞でしかない。
それらをいくら見比べようが、その場にいたネミダラの記憶には勝るはずがないのだ。
「私が特に詳しく知りたいのは、ロスト・ロード様がどのように陥れられ、暗殺されたのかということです。暗殺された場所や実行者などの情報も文献ではどれも曖昧で書かれてはいません」
暗殺されたならその場所が書かれてもいいはずなのに、どこにも。
そんな曖昧なものを完全に鵜呑みにするわけにはいかない。
ロスト・ロードは、ファントムは生きているのだから。
「…私が知る情報は少ないですよ」
「構いません。是非お聞かせください」
些細な事でも構わないのだ。ニコルは自分の中で整理していた質問を訊ねる事は後回しにして、聞く体制に入る。
「…ロスト・ロード様の暗殺されたとされる場所は、王城中央地下にある幽棲の間であると聞かされています」
「--…」
幽棲の間。
その名称に、身体は必然のようにぞくりと粟立った。
コウェルズに連れられて降りた不気味な王城地下。
何もない場所だと誰もが口を揃えるが、あそこには何かがある。
何か。
誰かが。
「しかし御遺体は見つかっておりません」
幽棲の間で暗殺されていながら、遺体が無い。
無い理由はニコルもガウェもわかっている。
生きているのだから当然だろう。
「当時のエル・フェアリアは戦後の混乱も少なからず残っており、王家の皆様は他国の暗殺者に狙われる立場にありました。同盟を結んでいようがいまいが、関係無く」
ネミダラはニコルとガウェの緊張した様子には触れずに話を続けてくれた。
「しかしそれ以上にエル・フェアリア王族間の足の掬い合いがひどく横行した時代でした。最も有名なのが王妃の、ロスト・ロード様への嫉妬心でしょう。王妃は前妻の息子であるロスト・ロード様をとても嫌っていらっしゃったので。国王陛下もロスト・ロード様を次代の王として扱われ、あまりデルグ様には関心を持っていなかったことも原因のひとつでしょう」
ロスト・ロード王子暗殺の首謀者である王妃。
彼女は母親として、自分の息子が日の光を浴びられない事実が悲しかったのだろうか。
デルグ王は凡庸ではあったが、悪政は敷かなかった。そうだとしても、ロスト・ロードという兄と比べられ続けたなら。
「暗殺の首謀者は王妃…ですが…」
言葉を続けようとして、ふとネミダラが後を濁した。
「…あくまで噂ではあったのですが」
「…是非」
真実でない可能性を先に出して、ネミダラはニコルを窺う。
「…王妃はロスト・ロード様暗殺の泥を被せられたと」
真実かはわからないが。
「暗殺の首謀者ではないと?」
「…はい」
「…なぜ」
詩人の全てが首謀者は王妃であると書き記し、さらに王妃は罰を受けて国民の前で前代未聞の公開処刑に処されている。
そうまでされていながら、王城内では別の噂が立っていた。
その内容とは。
「…見たものがいるからです。ロスト・ロード様が暗殺されたとされる夜、幽棲の間に侵入した数名の魔術兵団を」
魔術兵団。
その部隊の名前に、ニコルとガウェは同時に息を飲んだ。
「…ニコル殿もお知りのはずです」
ネミダラはニコルに話しかけながらも、ガウェの方にも目を向けて。
魔術兵団が動いたということは。
「…魔術兵団を動かせるのは…国王のみ」
まるで無意識のように呟いてしまった言葉に、ネミダラは小さく頷いた。
王を守り、王だけに仕える特殊部隊。
魔術兵団がロスト・ロードを暗殺したなどニコルには信じられなかった。
現在の魔術兵団長ヨーシュカは、狂ったようにニコルに王座を進め、ニコルの先にファントムを見ているのだから。
「…私が貴方に話せるのはこの程度しかありません。もっと詳しく知りたいのであれば、私の兄を紹介しましょう」
ネミダラが知る情報はあくまでも噂の粋で。その先を知りたいならば。
「…ハイドランジア家の次男殿ですか?」
ガウェに先ほど教えてもらった、ネミダラの兄の存在。
「ええ。兄上は現在丁度、王都のハイドランジアの屋敷に住んでいますからね。兄上の方が詳しく教えてくれるはずです…当時、ロスト・ロード王子付きの騎士であり、幽棲の間に入っていく魔術兵団を見かけた一人ですから」
王子付きだった騎士。
ファントムの、父の。
父がファントムなどでなく王子であった頃を知る存在の出現に、ニコルは自分の身体がわずかに震えていることに気付いた。
-----
ハイドランジア家の一室で、エレッテは壁にかけられた絵画を前に目を見開き、固まってしまっていた。
三人の青年が描かれているその絵画の両端にいるのは、現在とあまり変わらない装備に身を包んだ騎士で、中央にいるのは、黄金の髪をした、
「どうしたの?」
夫人に問いかけられて、エレッテは困惑したまま指で差してしまう。
「…あ、あの…絵画の人…」
「うん?ああ、エレッテも聞いたことがあると思うけどね。中央にいらっしゃるのが、ロスト・ロード王子様ですよ」
もしやとは思っていた。なぜなら黄金の髪と瞳の色以外はあまりにも似ていたから。
二人の騎士に挟まれた中央で微笑むのは、ファントムがファントムとなる以前の姿だった。
立派な絵画は、いつ描かれたというのか。
「それと右にいるのが、今のおじいさんよ」
「…え?」
騎士二人のうちの一人が現在の主人だと教えられて驚き、
「おじいさんね、若い頃はロスト・ロード様の王族付きの騎士として王城にいたのよ。左の方は今も王城にいるんじゃないかしらね?」
「---」
中央がファントムで、右にいるのが主人で、左にいるのは。
その顔をどこかで見たような気がして、そして誰であるか気付いて。
ファントムに気を取られて、その青年に目が行っていなかった。
エレッテが直接関与したことは一度しかない。
だが左にいる青年はパージャの仇敵で、なおかつファントムと共に王城に向かった際に、ウインドに首を切り落とされているはずの。
「…ナ」
魔術兵団。
絵画の中でファントムと共に微笑む青年に、エレッテは吐き気を覚えて口元を押さえた。
それは。
彼は。
ナイナーダ。
なぜ彼が、ファントムと同じく歳を取らない姿で過去にいる。
第44話 終