第44話


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 絵画の入った袋を子供のように振り回しながら、パージャが訪れたのは闇市の入り口だった。
 王城城下街の端に位置するその場所は入り口から暗く、王都の条例に反する外観であるというのに暗黙の了解で兵が介入することはまず無い。
 多くの者達は見て見ぬふりをする場所。
 ここに入るのは、闇側の住人か、訳有りか、怖い物見たさの観光客辺りだろう。
 パージャはその中のどこに当てはまるのか。
 闇側の住人だと言うならその通りだ。訳有りでもある。ハイドランジア家に身を置く現状ならば怖い物見たさの観光客にも当てはまる。
 さあ、どの設定で中に入ろうか。
 少しだけ足を止めて考えて、しかし面倒になって考えるのを止めてから薄暗い道を進む。
 入ってすぐに目に入るのは、まだ違法ではない品物だ。しかしギリギリラインという所だろう。
 闇市の住人達はこぞってパージャに目を向けて、身なりからパージャが何者であるかを予想しようとする。
 衣服は大国ラムタルの上等なものだ。観光客と見る者が多いだろう。
 だがカモにするにはパージャは隙が無さすぎる。
 案の定誰にも話しかけられること無く奥へ進み続けたパージャは、後をつけてくる数名の中に毛色の異なる娘がいることに気付いた。
 パージャのように闇市に出入りしない新参者はだいたい後をつけられるものだが、その娘は警戒の為でなく、追い剥ぎでもなく。
 娘の気配はだだ漏れの初心者そのものだったが、逆にその素人っぷりが闇市の中ではここまでパージャに気付かせなかった。
 気配を隠して狭い袋小路に身を潜めれば、他の者達は動きを止めるが娘は慌ててパージャを探し始める。
 パージャを探し、パージャが潜む袋小路に気付かないまま行きすぎようとしたところを。
「--きゃ!」
 手首を掴んで口元をふさぎ、袋小路に引き入れた。
「はい、静かにねー」
 少し奥に引きずり込むが、娘は拒絶することなく大人しくパージャの動きに合わせる。
 拒むことを知らないとでも言い出しそうな様子に手を離せば、娘は逃げるでも悲鳴を上げるでもなく呆けるようにパージャを見つめた。
 そして。
「いた!」
 見つけたと言い出しそうなほどの笑みを浮かべた娘に、ただ脱力する。
「あのねぇ…見つけたのはこっち。あんたは見つかった側」
「どっちも一緒よ」
 すっきりと笑う娘はパージャの呆れた口調を気にする様子も見せない。
 闇に包まれたこの場所では、それは眩しすぎるほどの笑顔だった。
 本来なら馬の装飾品である高価な飾りを腰に巻いた娘は、パージャの腹部辺りをおもむろに掴み。
「掴まえた」
「…いやいや違う。なんか違う」
 袋小路に引っ張られたのは娘の方だというのに、娘はどこまでも自分を崩さなかった。
「あんたに用があったの。ちょっとここで待ってて。もうすぐソリッドが来てくれるから!」
「ソリッドって…前の熊男だよな?」
「あっははは!熊男!ピッタリ!」
 娘はパージャの形容に無邪気に笑いながら、それでも腹部から手は離さなかった。
 前の熊男。
 以前、パージャがエレッテと共に城下街を歩いていた時に。
 この娘は熊男と共にいた。
 エレッテの幼少期を知っているらしい、薄汚れた傭兵の兵装を纏った男と共に。
「ウチ、アエル!あの子は今日はいないのね?エレッテちゃん。で、あんたは?」
「みんなのパージャ君だよー」
 何かはわからないがパージャを探していたということは以前の御礼参りだろうか。
 パージャは人前であの男をこけにしている。
 エレッテを連れてこなくてよかったと切実に思いながら、パージャは「逃げないから」とアエルの手を離させた。
「それで、みんなのパージャ君に何の用?」
「用があるのはソリッドだから、ウチは知らない」
「…怒ってらっしゃった?」
「え?ソリッド?…心配してたよ?」
「……は?」
 御礼参りならば場所が闇市である為にそれなりの覚悟を決めて対処しなければと思っていた矢先に、おかしな言葉にパージャは素で聞き返してしまった。
 怒りにブチ切れているならまだしも、心配とはどういう事だ。
 恐らくパージャは怪訝な表情を浮かべていたのだろう。初めてここでアエルの顔から笑みが消えた。
「エレッテちゃんだっけ…ソリッドから聞いたよ。あんまりいい所にいなかったんだよね?」
 笑顔は消えた。
 だが変わりになる表情も存在しなかった。
 悲しみも怒りも。
 何もない顔。
 パージャがこの顔を見たのは何人目だろうか。
 思わず言葉につまるパージャを、アエルは静かに見上げる。
「--アエル!」
 二人して固まった矢先に、野太い男の声は袋小路の入り口から響き渡った。
「ソリッド!こっち!」
 とたんにアエルに笑顔が戻る。
 嬉しそうに、無邪気に。
 すっきりとした笑顔は、しかしあの無表情を見た後では不気味だった。
「お前なぁ、何でこんな狭い場所に…お前!あの時の!!」
 熊男ソリッドは呆れたようにアエルに近付くが、共にいたパージャに気付いて目を見開いた。
「ここに引っ張られちゃった」
「はあ!?」
 アエルの素直な報告に、ソリッドは鬼のような形相をパージャに向けてくる。
「落ち着かれたし。後つけられてたのこっちだぜ?事情を聞こうとしただけだって」
 無体を働こうとしたわけではないと説明すればソリッドは鬼の形相を押し留めたが、瞳の奥にはまだ納得していなさそうな苛立ちの様子が見られた。
 さっさと本題に入った方がいいのだろうか。
「なんか俺に用事があるっぽいけど、なんか用?」
 そう思い訊ねてみれば、ソリッドは辺りを警戒するように見回して。
「…場所を変えるぞ」
 物々しい様子は、嘘偽りの演技ではないとパージャの脳をくすぐる。
 何だというのだ。
 ソリッドとアエルからはひどく警戒しなければならないような雰囲気は見られない。パージャは彼らではなく辺りの様子を探りながら、ソリッドの移動に素直に従った。
 どこに連れていかれるかはわからないが、今は流されるままについていき。
 袋小路を抜けて、道が開けた。
 それでも物に溢れかえった闇市の通路の幅は知れており、周りの住人達がソリッドやアエル、そしてパージャに向ける視線の意味を探る。
 先程までパージャをつけていた者達の気配はすでに無い。
 それは、ソリッドの闇市内での地位の高さを物語っていた。
 パージャをつけていた者達は皆、闇市の兵士だったのだろう。
 どこの国でもある話だが、闇市では国の法律がほとんど当てはまらない。
 そこではその闇市の中でのルールが存在し、国に従事する兵がいるように、闇市を仕切る者に従う兵が存在するのだ。
 ソリッドも身なりこそ傭兵の姿だが、闇市の兵士なのだろう。
 それも幹部クラスの。
「どこまで連れてく気よ~エッチ」
「黙ってろ」
 冷やかしてみても、ソリッドは目も向けずにただ進み続ける。
 アエルは相変わらず笑いながらパージャに顔を向けるが、口を開く前にソリッドに腕を掴まれてそのままパージャを忘れ、ソリッドと何やら会話を始めてしまった。
 ソリッドのアエルに対する扱いは傍目からはぞんざいに映るが、アエルは気にしてはいない様子だ。むしろ嬉しそうに笑う瞳にはソリッドに対する親愛の情がうかがえる。
--こんな熊男にねぇ…
 何があってアエルがソリッドになついているかは知らないが、美女と野獣にもほどがあるだろう。
 年齢差も二十はありそうだが、父娘には見えない。
「…あんたらって恋人?」
 ふと訊ねれば、ソリッドとアエルの足は止まり固まった。
 同時にパージャに目を向けて、嬉しさ倍増の笑みを浮かべるアエルとは正反対にソリッドは呆れたように眉をひそめた。
「やっぱそう見える!?」
「馬鹿言うな。奴隷だ奴隷」
 二人は同時に声を上げるが、内容はバラバラだ。
「…で、どっちよ」
 息が合っているのかいないのかわからない二人に、パージャは呆れつつも関係が気になって。
「ウチ--」
 口を開こうとしたアエルを顔面ごと毛むくじゃらの大きな手で塞いで、ソリッドはまた歩みを再開しながら口を開いた。
「こいつもエレッテと同じだ。俺が買っただけだ」
 ぞんざいに言い捨てながら、ぞんざいに扱いながら。
 しかしアエルの方はどこまでも幸せそうだった。
「へー。…じゃあこっちはエレッテの為に言うけど、あいつもう奴隷じゃないからね」
 アエルとソリッドの不思議な主従関係に首をかしげながら、パージャは今のエレッテが過去の彼女ではないと教えた。
 ソリッドはエレッテが今も奴隷であると思っているのだろう。
 それは仕方の無い事だが。
 奴隷として売買される人間が、普通の生活を手に入れられるなどまず有り得ないから。
「--…」
 案の定ソリッドが固まり。
「…そうか」
 アエルから手を離して。
「…あんたさぁ、いつ頃のエレッテを知ってるのさ?」
 問いかけには何も返ってはこなかった。
 無言のまま、狭い道の先にある並んだ穴蔵のような扉のひとつを開けて。
 慣れた様子でアエルが先に中に入り、ソリッドはパージャにも入るよう促した。
「…おじゃましまーす」
 聞かなくても、ソリッドとアエルの住居なのだろう。
 薄暗い中に入って、パージャは簡易的な室内を見渡す。
 一人用のベッドに、薄汚い長ソファー。テーブルは存在せず、炊事場は端に申し訳程度にあるだけ。
 アエルはベッドに座り、扉を閉めたソリッドはソファーに腰を下ろす。
 ソファーにはお世辞にも綺麗とは言えない毛布があったので、恐らくソリッドはベッドをアエルに使わせて自分はソファーで寝ているのだろう。
 アエルは奴隷だと宣言しておきながら、主人が長ソファーを使うとは。
「そっちに物入れがあるから座れ」
 椅子の代用品に指定されたのはパージャの膝の高さの箱で、遠慮なくそこに腰を落ち着ける。
「…で、何の用でしょう?」
 最初、パージャをつけていたのはアエルだった。そしてアエルは自分ではなくソリッドがパージャに用があると告げた。
 しかしソリッドは、アエルを探しに訪れた様子でパージャの姿に驚いて。
 パージャを見かけたアエルが勝手にソリッドの傍を離れたのだろうが、パージャに用が無いならソリッドもここまでは連れてこなかっただろう。
 いったい何の用だ。
 首をかしげるパージャに、ソリッドは苦虫を噛み潰したように忌々しげな表情になりながらパージャを睨むように見据えてきた。
「…エレッテのあの髪は…染めたのか?」
 身構えはしていなかった。だが問われた内容に、ソリッドの様子に、パージャは事態の悪さに気付く。
 昔のエレッテを知るから、単純に髪の色を聞いたわけではない。
 もしそうならこんな重苦しい空気を醸さないだろう。
「…それを聞く理由を先にちょうだい。じゃなきゃ、こっちも話せない」
 髪の色を判断基準にする理由は、今のエル・フェアリアではひとつだけだ。
 闇市は国の法の下にはいない。
 だが。
 国と闇市が繋がっていないはずがないのだ。
「あんた、知ってるんだろ?エレッテの体のことも」
 闇色の髪をした、傷ひとつ許されない身体を持つ者を探しているのは国で。
 裏側から探すなら。
「…国がファントムの情報を欲しがってる。その中に、エレッテによく似た特殊な体の人間の話もあった」
 裏からも探すなら、闇市のネットワークは外せない。
 ソリッドの言葉は、案の定の代物だった。
 もちろんパージャも最初からそれを見越してはいた。
 だから闇市に訪れたのだ。
 現在の国の動きを知る為に。ファントムは自分が不要だと思うものをわざわざパージャ達に教えはしないから。
 ただひとつ不思議なことと言えば、ソリッドの存在だろう。
 闇市の住人だろうソリッドが、なぜそのネタを手にエレッテを探さない。
 間違っていたなら放置すればいい。
 しかし当たっているなら地位が上がるだろうに。
 そしてエレッテはファントムに繋がる。エレッテだけではない。パージャも当然。
「…エレッテは…お前達はファントムと繋がっているのか?」
 ソリッドがエレッテを捕まえるつもりなら、パージャはここで彼を殺さなければならない。
「だったら…どうする?」
 冷めた口調になるのは、どのみちソリッドに嘘が通用しないからだ。
 ソリッドはエレッテの体の件を知っている。
 何を考えているにせよ生かしておくことは面倒になりかねない。
 だというのに。
「…逃げろ」
 パージャの否定しない返答に、ソリッドは項垂れながら呟いた。
 事実を知ったショックというよりは、嘘であってほしいと願う情報の真実に苦しむように。
 闇市の住人でありながら。
 ベッドの上ではアエルが静かに膝を抱いてソリッドの背中に切ない眼差しを向けている。
 その視線に気付いたようにソリッドはわずかにアエルに顔を向けてから、パージャにまた向き直った。
「…なんで逃げろなんて言っちゃうわけ?あんた命じられてんじゃないの?」
 ソリッドは闇市の兵のはずだろうと。
「闇市は強要はしない。連絡はあったが、仕事にするかどうかは個々次第だ」
 パージャにはわからない闇市の細部を教えながら、ソリッドは居心地悪そうに目を逸らした。
「報酬はかなりの額だ…だがな」
 ソリッドが動かない理由は。
 エレッテの悲惨な過去だとでも言うのか。
 開こうとした口は閉じられ、変わりに溜め息が聞こえて。
「前にここに来たのは新しい黄都領主だったが…わけのわからねえ連中が国から来てる」
 動かない理由の変わりとなった言葉に、アエルが怯えたようにさらに膝を抱え込んだ。
「…何それ」
「知るか。見たこともない兵装の奴らだ。騎士でも魔術師でもねぇ…だが王城内の奴に間違いねぇ」
 騎士でも魔術師でもない。
 そんな奴らが王城内からなど--
「--…」
 “見たこともない”兵装を纏う者など。
 その存在に気付いて、パージャの心臓は何かに鷲掴みにされたかのように強く痛んだ。
 焦りと、狂ったような高揚感。
 その理由は。
「…その兵装ってさ…動きやすい魔術師って感じじゃない?」
「あ?…ああ」
 身振り手振りを加えたパージャの簡単な説明に、ソリッドは眉をひそめながらも小さく頷いた。
 魔術師のローブのような兵装。
 王城内でそれを纏うのはただひとつの部隊だけだ。
 王を守り、王だけに従う特殊部隊。
「…魔術兵団」
 パージャの呟きは、ソリッド達には聞こえなかった。
 全身に怒りが沸き上がる。
 狂ったような高揚感の正体は激しい怒りだった。
 全身が震えようとする。それともすでに震えているのだろうか。
 呼吸が安定しない。
 指先が冷えて、視界の端が黒く染まった。
「お前…」
 いつの間に自分は俯いていたのか。驚くソリッドに見上げれば、視界の端が染まった理由に気付けた。
「…その髪の色」
 魔力で薄茶に変化させていた髪が怒りに作用して本来の色を取り戻したのだ。恐らく瞳も同じだろう。
 闇の、緋の色に。
「…あんた、見た目は熊なのにいい男だよな。俺が女なら惚れてるわ」
 立ち上がり、ソリッドを見下ろす。
 ソリッドは恐ろしいものでも目の当たりにしたかのような表情になっていたが、逃げはしなかった。
 ソファーからわずかに腰を浮かせ、腰に下げた剣に手をかけるのは後ろのアエルを守る為だ。
 ソリッドがパージャに気付かれないように剣の柄を三度指先で小さく叩き、アエルが目を見開く。
 その微細な動きに気付かないパージャではないが、恐らく何らかの合図の後に逃げろとアエルに指示を出したのだろう。
 パージャに嘘や隠し事は通用しない。
 それに気付かなければ生きていられない世界で育ったのだから。
「…安心して。あんた達は殺さない…てか、あんた達みたいな人間って殺せないんだよね」
 ファントムとエレッテに関与がある可能性の強さを知りながら、ソリッドはエレッテの無事を願ってくれた。
 ソリッドはエレッテを心配していたとアエルも言ったのだ。
 そこに理由など後付けでしかない。
 ソリッドの性格がそうなのだ。
 自分の利益よりも。
「…俺はもう闇市にはこない。エレッテも連れてこない。あんた達はエレッテの過去なんて知らない。俺と出会ったのは偶然。アエルが俺の落とし物を拾ってくれたから…そういう事にしておこうよ」
 髪と瞳を薄茶に変化させて、パージャは扉に向かう。
 王城に比べてなんて汚れた家なのだろう。
 でも、なんて綺麗な汚れなのだろうか。
「あんた達と出会えてよかったよ。“落とし物”拾ってくれてありがと」
 扉を開けて、澱んだ空気の外に出る。
 闇市に訪れた収穫はあった。
 それは魔術兵団などでなく、彼らと出会えた事だ。

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