第44話


第44話

 朝食は草花の咲き誇る庭で。
 そんな穏やかな時間を、エレッテはパージャとハイドランジア家の老夫婦と共に過ごしていた。
 庭で食べようとなった理由は単純で、昨日そういう話になったからだ。
 夫人の思いつきにパージャが乗っかり、あれよあれよという間に決まった心地好い時間。
 エレッテには夢のような時間に思えた。
 夫人から着なさいと借りた可愛い衣服も、以前なら着ようとも思わなかったものだ。
 シンプルだがレースが可愛くて、胸がトクトクと弾む。
 庭での朝食も、秋の空は涼しく丁度良い。そこに草花の香りも交ざり身体の曇りが晴れるようだった。
 こんな時間を今までエレッテは知らなかった。
 ファントム達と出会う前も、出会った後も。
 誰かの顔色を窺うのは当然の事で、何も考えず過ごす時間など有り得なかったのだから。
 老夫婦は互いを思い合うように談笑して、パージャは自分が座る椅子を器用に後ろに傾けながら揺れている。
 エレッテはエレッテで、静かに風の流れを感じながら緩やかな太陽の温もりに身を委ねて。
 パージャが立ち上がったのは、エレッテがゆっくり閉じた瞳を開いた時だった。
「じゃ、ちょっと出てくる」
 突然立ち上がったかと思えば、無駄の無い動きで椅子を直して外に繋がる庭の石畳をコツリと靴の爪先で叩く。
「え…」
「エレッテも好き勝手やってればいいから」
 ハイドランジア家に暫く厄介になるので、せめて食器の片付け程度は手伝うことになっているのだが、毎度のことながらパージャは逃げる気だ。
「こらサクラ!!お前はまたエレッテに丸投げにする気か!!」
「用事があんのー!!」
 パージャをサクラと呼ぶ老主人は老体とは思えない声量でパージャを怒鳴り付けるが、怒声に慣れているパージャにはどこ吹く風だった。
 石畳を進むのかと思えばそのまま柵に向かい、植えられた木の一本に手をかけて軽やかに飛び上がり柵を越えてしまう。
 いつもながら心身共に身軽なパージャに、エレッテは感心も込めた溜め息をついた。
「昔から変わらないなんて…可愛いわねぇ」
「ったくあいつは」
 さっさと逃げてしまったパージャに夫人は朗らかに笑うが、主人の呆れたようなぼやきにエレッテの背筋が伸びる。
 たったこの程度で。そうパージャも言うだろうが、エレッテには怖いのだ。
「…ごめんなさい」
 パージャの所行をまるで自分の非であるかのように俯き謝罪するエレッテに、聞こえてきたのは低い声だった。
「何を謝る必要がある。サクラの馬鹿な行動にはもう慣れたわ」
 テーブルに肘をつきながら、主人は首の後ろを掻く。
 怒っている様子ではないが、彼の厳めしい雰囲気はそれだけでエレッテには少し近寄りがたいものだった。
「そんなこと言って、あの子が窓から飛び降りるのにはまだ抵抗があるのでしょう?」
「何かあったらどうする!」
「そこは心配するだけ無駄ですよ」
 厳格な主人とは正反対の穏やかな雰囲気を醸す夫人はニコニコと笑ったまま。
「ねえエレッテ、あの子はずっとあんなヤンチャさんなの?」
 立派な青年であるパージャを「あの子」と完全に子供扱いして。夫人の問いかけに、エレッテは少しだけパージャとのこれまでを思い返した。
「…はい。無茶を自然にこなしてます」
 ファントムの魔力で動く巨大飛行船の空中庭園内でもラムタル王城でも、パージャは基本的にパージャだった。
 恐らくエル・フェアリアでも騎士達を翻弄していたことだろう。
 エレッテがいくつかパージャの無茶を話せば、夫人はさらに微笑んで。
「笑い事か!」
「いえいえ。でも賑やかになりましたね」
「騒々しすぎるわ。大人になっていれば落ち着いているだろうと思っていたのに…何も変わっとらん」
 パージャは子供の頃の半年ほどを彼らと過ごした。
 その当時を思い出したように、主人は腕を組み、厳めしく眉間にしわを寄せながらもどこか懐かしそうな眼差しを見せる。
 無邪気な子供ではいられなかったはずのパージャの子供時代。だが彼らの前では、パージャは子供らしくいられたのだ。
「パージャ…サクラってそんなに落ち着きが無かったんですか?」
 サクラと名付けられたパージャ。
 エレッテは何気無くパージャの過去を問うが。
「落ち着きがあるように見えたことがあったのか?」
「…無いです」
 まるで睨まれるかのような眼差しを主人から向けられて、エレッテは首をすぼませて俯いた。
「記憶が戻ってもヤンチャさんなんて。根っからなのね」
 夫人は何も気付かないと言うように言葉を続けるが、主人の視線はエレッテから外れなかった。
 外れないまま。
「…なあ、エレッテ」
「…はい?」
 恐る恐る見上げた先には、エレッテよりも思い詰めるような表情を浮かべた主人がいる。
「お前のその…顔色を窺うのは癖か?」
「--…」
 気付かれていないとは勿論思ってはいなかった。だが面と向かって訊ねられれば、心臓は跳ねて呼吸は止まる。
「あなた」
 夫人が咎めるように主人を軽く睨むから、夫人にも気付かれていたのだと理解した。
 やめてと夫人は首を振る。しかし主人は夫人にわずかに目を向けた後ですぐにエレッテに視線を戻した。
「随分と他人に気を使う様子だが…見ていて少し気味が悪いぞ」
 遠慮もなく言葉にされた台詞は、以前パージャに言われたものと同じだ。
「あなたったら!気にしなくていいのよ。この人何でもすぐに口にするから」
 夫人は気を使うようにエレッテの手に自分の手のひらを置いて包んでくれるが、気にしないでいられるはずがなかった。
「…いえ…パージャにも同じこと言われてたんで」
 頑張って笑ってみようとするが、頬の筋肉は強張り、きっと不細工な表情を浮かべる結果になっているはずだ。
「直さないとって思うんですけど、どうすればいいのかわからなくて…」
 意識して直すよう頑張れとパージャには言われた。
 だがどう意識すればいいのかわからない。
 意識すればするほど、思い出すのは過去の恐怖ばかりなのに。
 相手の顔色を窺わなければならなかった。
 謝罪はすぐに口にしなければならなかった。
 エレッテに許された自由は痛みに涙を流すことだけだったのに。
 それを、どうやって意識して直せばいいのか。
「こんなもんは、どうするもんでないわ」
 主人の言葉に俯いて、
「そうねぇ…深く考えてるうちは難しいわねぇ」
 夫人の言葉に視界が滲んだ。
 答えになるような答えは貰えないまま。
 まるでエレッテだけ答えがわからないような錯覚に、ふと悔しいという思いが浮かんだ。
「話が重くなっちゃうから、変えましょう。エレッテ、お茶をいれるから手伝ってくれない?」
「は、はい」
 しかし立ち上がった夫人に呼ばれた為に悔しさは心の隅に押しやられてしまい。
「あなたは少し待っていてくださいね」
「おお」
「何がいいかしらねえ?ブレンドしてみましょうか」
 夫人に続いて一度室内に戻る。
 エレッテは背中に向けられた主人の視線に今まで感じたことのない温もりを味わったが、無意識に気付かないふりをするように、ただ夫人の後に続いた。

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「さ、て、とっと」
 ハイドランジア家にエレッテを置き去りにして食器の後片付けから逃走したパージャは、城下の街を散策するように歩きながら当て処無く辺りを見回していた。
 闇色の緋の髪はありふれた薄茶に変えて、周りに溶け込ませている。
 そこそこ小金を持っていそうな平民の住む地区を歩いて、貴族達の屋敷の建て並ぶ区画との違いを比べて。
 貴族達の屋敷は基本的に庭付きだが、平民の区画となるとそうでもないらしいとはハイドランジア家に来てから気付いた事だ。
 地方にいけばそうでもないが、王都城下街ともなればエル・フェアリア最大の観光地である為に居住地区の外観も法で定められている。
 整備され似通った建物が建ち並び、細かい箇所は住民に任せているという所だろう。
 煉瓦の道路を歩きながら各々の玄関前に置かれている植木鉢に目を向ける。
 その数件目で、玄関前に看板の立てられた家にパージャは足を止めた。
「--画廊?…こんな民家にめっずらしい」
 看板は家の中が画廊であることを示しており、エル・フェアリアとラムタルの二国の文字が記されている。
 玄関は閉じているが、入っていいものか。
 暫く考えた後でやはり気になり扉に向かったパージャは、ノックはせずに恐る恐る扉を開けた。
 覗き込んだ先は小ぢんまりとした画廊となっており、画材の香りが優しくパージャの鼻腔をくすぐる。
 居心地がいい。
 そう思うのと、体が勝手に中に入り込むのは同時だった。
 壁には十数枚ほどの絵が展示されているが、そのほとんどがエル・フェアリアを代表する七姫や王子を描いたものだ。
 画家の描く王家の大半は想像なので似ても似つかない人物画が多いのだが、なぜか展示されているうちの数点の王家の人物画はよく似ていて。
「…リーン姫?…似てるな…」
 その中で、月明かりを背に受けて花束を抱く第四姫の絵にパージャは首をかしげてしまった。
 パージャと同じ様にファントムの憎しみを抱いた闇色の髪と瞳。だが穏やかで美しいリーン姫。
 パージャ達が救い出した実際のリーン姫は五年間も土中に埋められていたせいで10歳で成長が止まっているが、絵の中のリーン姫は15歳前後に見えた。
 面影の中にはエルザの雰囲気も含まれているが、姉妹である所以だろうか。
 他の絵画は壁にかけられているのは原画だが、リーンの絵だけは原画ではなく複製画だった。
 なぜここまで似ているのだろうか。
 あらゆる理由を考えながら絵画に見入っていると、
「--では、またお願いします」
 店の奥から男の声が聞こえてきて、パージャの視線は無意識にそちらに向かった。
「来てくれてありがとう。いつもすまんね」
「何言ってるんですか。俺達はここの店が一番気に入ってるんですから、置かせてくれるなら足でも何でも運びますよ」
 しわがれた老人の声の後に、最初の男とはよく似ているが別の声が聞こえてくる。
 足音もこちらに向かっており、声の数と足音の数は一致した。
「嬉しいねぇ。でももっと大きな画廊から声をかけられているだろうに」
「いくら規模が大きくても、居心地が悪いと絵も霞みますから」
「あれほどの絵を描くというのに…おや、お客さんかい」
 奥から現れたのはやはり三人で、腰の曲がった老人がパージャに気付いて頭を下げるので、つられてパージャも軽く会釈する。
 老人の後ろに続く二人の男は40歳前後だろうか、二人してよく似た容姿ではあったが、それ以上にその立ち姿にパージャは彼らを知っているような気がした。
 彼らに見覚えがある訳ではないが、その立ち姿が何かを思い出させようとする。
 だがそれよりもリーンの絵画が気になったパージャは、恐らく店主なのだろう老人に目を向けたまま絵を指差した。
「ねえ、この絵ってさぁ」
「おぉ、ちょうどよいタイミングじゃないか」
「え?」
 なぜここまで似ているのかと訊ねようとするが、嬉しそうに満面の笑みを浮かべる老人に言葉が詰まる。
 良いタイミングと言われてもわかるはずもなく、呆けるパージャに向けて老人は後ろの二人の男を紹介するように壁際に身を引いた。
「その絵の話を聞きたいならこっちの二人に聞くといい。描いた本人達だ」
 紹介されて、二人は苦笑いを浮かべて。
「おっと、押し付けられたか」
 恐らく双子なのだろうが、口を開いた方は筋肉がしっかりとついていて、微笑むもう一人は平均的な男に比べれば締まった体形だがまだ細身だった。
 二人の違いはそのくらいだろうか。
「へー、画家さん?」
「はい。私はダニエル。こちらはジャックです」
 パージャは二人の醸し出す雰囲気にわずかに居心地の悪さを感じながらも身体ごと向き直れば、穏やかに微笑む細身の方が名乗ってくれて。
「似てるっすね。双子?」
「そうだ」
 返答は二人揃ってだった。
 揃ってはいるが、二人の違いを体格以外にさらに見つける。
 男らしく笑うジャックと比べれば、ダニエルの笑顔は穏やかすぎた。
「へぇ…すっごいリアルな絵っすね。動き出しそう」
「嬉しいね」
「ありがとう」
 居心地の悪さを隠すようにリーンの絵画に身体を戻して、その隣に飾られたエルザの絵画にも目を向ける。
 絵のタッチからそれも二人が描いたのだろうと見越して。
「エルザ姫とかちょっと幼いけどそっくり」
 パージャが間近で見たエルザよりもわずかに子供っぽい姫。
 少し大人びたリーンとは違い、他の七姫達やコウェルズ王子は総じて現在よりもわずかに幼く見えた。
「エルザ様を見たことがあるのかい?」
「え?あ、まあ…ちょっとだけだけど」
 独り言のつもりだったが訊ねられて、はぐらかしにもならないような適当な相づちを打って。
「最近?」
「まあね~」
 ダニエルがどこか嬉しそうに訊ねるから、彼らも七姫を見たことがあるのだろうと感じ取る。
「へえ。最近ならリーン様は知らないか」
「え?」
「この絵の姫のことを聞きたかったんじゃないのか?」
「あ、そうっすね」
 最近のリーンならパージャは痛いほどよく知っているが、ジャックに眉をひそめられてこちらも適当に合わせた。
 少し大人びたリーンを知りたかったのは確かだ。
「こちらは数年前に亡くなられたリーン様を、成長したらこのような姿だったろうと思いながら描いたものです」
 ダニエルはパージャの隣に訪れて複写を一枚手に取り、パージャの疑問の理由を教えてくれる。
 五年前に死んだことにされたリーンが健やかに成長していたなら。
「へー、じゃあお二人さんはリーン姫を知ってるんすか?
「んー、まあ少し?」
「変な噂はよく流されるが、可愛らしいお姫様だよ」
 どういう経緯で彼らが王族であるリーンを知っているのか、そこまで知るつもりはないが、二人の声色は懐かしむように優しい色をしていた。
 桃色の頬をした、健康美に溢れたリーン姫。
「…こんな美人に戻れるかな?」
 今の骨と皮ばかりの悲惨なリーンとは似ても似つかない姿に無意識に懸念の言葉がこぼれ、二人がそろってパージャに鋭い眼差しを向ける。
「……」
「誰のこと?」
 ジャックは無言のまま、ダニエルは警戒するように。
 その威圧感に気付かずにいられるほどパージャは鈍感ではない。
「…まあ、知り合い的な?ちょっと似てるからさ」
「…そう」
 知っている、という程度では恐らく無いのだろう。互いに。
 彼らは何らかの形で王家と深い繋がりがあるはずだ。
「…おっちゃん、こっちの七姫様と王子のやつ頂戴よ」
 あまり長居はするべきではない。直感が逃げるべきだと働きかけるので、店主に逃げる口実としてリーンを含めた王家の子供達の揃った絵画の複写を求めれば、何も気付いていない店主は目を糸のように細めてすぐに用意に動いてくれた。
「一番高いのを選んだか」
 嬉しそうに笑いながら。
 自分が描いたわけではないだろうに、店主はどこまでも幸せそうだ。
 この画廊の居心地の良さは店主の人柄もあるのかもしれない。
 ジャックとダニエルがいなければもう少し長居していたかった。
 近々エレッテを連れて来ればいいか。そう考えながら、丸めて袋に入れられた絵画を受け取って。
「それも俺達の描いたもんだ。大事にしてくれ」
「するする。ありがとー」
 財布を取り出して、記されている料金と同じ銀貨を出して。
「お金こっちね」
「ん、確かに」
「--待て!」
 店主に料金を払いとっとと去ろうとしたパージャの腕を掴んだのはジャックだった。
 鋭い眼差しをそのままに、少し慌てたような様子も見せながらジャックはなおも言葉を続け。
「お前、王城の騎士か?」
「----じゃバイバイ」
 ジャックからの問いかけに答えなど口に出来るはずもなく、気付かれた事に軽く動揺しながらもパージャは掴まれていた腕を振り、すぐに画廊を後にした。
 追われることを懸念して魔力で身体を消し、気配も殺して居住地区を駆け抜ける。
 だが追っ手に関しては杞憂だった様子で、パージャは辺りを見回しながら静かに身体に色を戻した。
「…びーびったぁ…あんなん王城にいなかったよな?ってか何でわかったんだろ…」
 背後や周りを確認しながら歩き続け、彼らを初めて見た時に感じた違和感の正体に気付く。
 パージャはあの二人を知らないが、二人の立ち姿は騎士のそれだった。
 パージャが騎士団にもぐり込んだ時にはいなかったが。
 双子の騎士。
 ラムタルの癒術騎士の兄妹も双子だったが、男二人の双子ならさすがに似すぎていて。
 もし王城にいたならパージャが気付かないはずがない。
 それがいなかったのだから、パージャが訪れる前にいた騎士ということになるのだろう。
 そういえば、誰かが双子の騎士の話をしていなかったか?
「…んー」
 首をかしげてみても、どこで聞いた話かまでは思い出せない。
「…まぁいいか」
 思い出せないということはさほど重要でもないのだろうとスッパリ切り捨てて、パージャは手にしていた袋から大きめの複写の絵画を取り出して開いた。
 筒状に丸められたので端が丸まろうとするのを器用に止めながら、描かれた七人の虹色の姫達と黄金の王子を眺める。
「複写技術はラムタルの絡繰りだよな…まだ同盟を結んでないにしては、仲のよろしいこって」
 絵画を平民の間でも楽しめるように。
 エル・フェアリアで複写の絵画が流行り始めたのは数年前からだ。
 恐らく二国の平和的交流が始まった頃からだろう。
 ラムタルではエル・フェアリアの鉄製の装飾品や、刺繍やレースの特産品が見られたから。
「…にしても」
 視線を絵画に戻して、幸せそうに笑い合う王家の子供達にパージャまで笑みを浮かべそうになる。
 思い出してしまうのは、わずかの間だけだが共に過ごした騎士や姫達との交流だ。
「…絵の中だったらみんな綺麗所なのに…実際はけっこう灰汁が強いからなぁ…人は見た目によらないよらない」
 守られるだけの華奢な姫などいない。
 賢いだけの王子も存在しない。
 神格化される王族だが、親しみやすい部分も多々あった。
 その中に。
「…いつかこの絵画の中にニコルは交ざるのかな?」
 ファントムの息子であるニコルも。
 交ざるならば、彼はエルザの隣に立つのだろうか。
 だがパージャの予想が当たるなら、彼は。
「…人生って世知辛いよなぁ」
 絵画を再び筒状に丸めて、袋に戻して。
 ふらりと行き先を決めないまま歩き続け、パージャは懐かしい故郷を思うように王城に目を向けた。

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 逃げる青年を追いかけはしなかったが、ジャックは彼の気配がすぐに消えた事に眉をひそめた。
 探ろうとしても、まるで最初から存在しなかったかのように気配が無い。
 ダニエルも同じく消えた気配に驚いており、互いに目を見合わせて首を横に振る。
「な、何だね?」
 青年から銀貨を受け取った店主は突然のことに目を見開いている。その手にまだ握られている銀貨をつまみ上げながら、ジャックは懐かしい模様に眉尻を下げた。
 普通に見ただけなら見分けはあまりつかないが、青年の持っていた銀貨には特別な模様が施されていて。
「…エル・フェアリアの王城勤めの給金として配られる硬貨だ」
 店主に銀貨を返しながら、ジャックは自分の財布を出して中から銀貨を取り出し、模様の違いを教える。
 特殊な技術で作られる模様なので偽装などは難しい代物だ。これがあれば、いつ、誰に支給されたものなのかが知れる。
「ほお!じゃあ彼も騎士かもしれんのか!あんた達と同じで!」
 自分達と同じ。
 その言葉に、ジャックとダニエルは苦笑いを浮かべた。
 今から五年前に、二人は騎士の称号を剥奪された。それは二人にとって当然の罰で、だというのに今さら王城から召還令が出たのだ。
 理由はまだ知らされてはいないが、王城を襲ったファントムに関係していることは確かなのだろう。
「私達がいた頃には見かけなかったが…硬貨が巡りめぐった訳じゃないなら恐らく体格的にも騎士でしょう」
「逃げるこた無ぇだろ…」
「びっくりさせるような声を出すからだ」
 去った青年はまだ粗削りではあるが、どこか騎士の立ち振舞いを身に付けていた。
「…七姫様はお元気か知りたかったんだがな」
 可愛らしい姫君達。
「ファントムの件も気になるからね…」
 得体の知れない存在に狙われて、さぞ怖かっただろう。
 ファントムが王城の一部を破壊した日ほど、騎士の称号を剥奪された事を悔やんだ事はない。
 今にも崩れ落ちそうなほど地上近くに降りてきた天空塔を目の当たりにした時に、どれほど焦ったか。
 ファントムの攻撃からこちら、天空塔は少しずつ癒えて元の状態に戻る姿を見守り続けたが、不安が消えることなど無くて。
 そんな折に、王城から召還令が出された。
「王城に戻ったら、会うかもしれんのう」
「可能性はありますね」
 嬉しそうに笑う店主と困ったように笑うダニエルから目を離して、ジャックは自分達が描いた15歳のリーンを見つめる。
 五年前。
 二人は五年前までリーンを守っていたのだ。
 ジャックとダニエルと、最上位貴族であるガウェ・ヴェルドゥーラと。
 たった三人で。
 守り続けた姫を失ったと同時に、ジャックとダニエルは王城を追放されたのだ。

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