第43話


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 自室のベッドに腰掛けて、項垂れるように膝に肘をつく。
 頭を抱えながらニコルが考えたことは、王城を出る明日の事だった。
 ガウェの個人邸宅にいるという、かつて王城の騎士だった老人から話を聞く為だ。
 ニコルにとって44年前の暗殺の件で最初に話を聞く相手になるが、城外の人物であるので何度も話を聞く訳にはいかない。
 何を聞くべきかを頭の中で整理しながら、久しぶりに自室に戻った安堵から深呼吸のような溜め息をついた。
 そこに、カチャリと扉が開かれる。
 無言で室内に入ってくるガウェは、ニコルの顔面に遠慮もなく黒っぽい布の塊を投げ付けた。
「っ…?」
 無駄に気配を消して何だと思えば突然何かを投げ付けられて、顔面にぶつかる寸前で片手で止めて。
 だが布である為に完全に留めきることは出来ずに、掴まれなかった箇所が頭や顔や胸に軽く跳ねるようにぶつかった。
 何だよとガウェを睨み、布に目を向けて。
「お前、これっ!!」
 ベッドの上に開いた布の正体にニコルの声が裏返った。
「間抜け」
「はあ!?」
 それはアリアの礼装のドレスで、なぜガウェがこれを投げ付けたのかと頭の中を白くするニコルに、ガウェは部屋の中央に移動しながら小馬鹿にしてくる。
 ガウェは中央の丸テーブルの上に礼装の入っていた革のケースを置いて椅子を引き、ニコルに呆れた眼差しを向けながら浅く座り足を組んだ。
「アリアがお前の父親に対して違和感を持ってる。礼装から色々と調べるつもりだった様だ」
 突然礼装を投げ付けた理由を教えてくれようとしているらしいが、そもそも礼装の仕組みをニコルは知らないので眉を寄せることしかできなかった。
 以前モーティシアに「読め」と渡された貴族についての心得のような本の中に礼装についての内容もあったと思うが、頭の中から抜けている。
「…アリアに自分が王族だとばれたいのか」
「---…」
 ニコルは首をかしげたかったが、ガウェに自分の出自がバレる可能性をほのめかされて息をひそめてしまった。
 動揺するニコルを尻目に、ガウェは苛立つように数秒だけ足を揺すり。
「…礼装を調べろ」
「…何でだよ」
「礼装にはそれを着る者の身分が装飾される。模様はどこの家を表しどう育ったのか、生地はどこで作られたか、いつ織られたものか、全て調べれば個人を割り出せるほどの情報になる」
 だから調べろ、と。
「…本当か?」
「お前、何年貴族と生活してるんだ。それくらい理解しとけ」
「……」
 盛大な溜め息をわざとらしく聞かされて、ニコルはただ黙ることしか出来なかった。
 ここで貴族の常識を口にされるとは思わなかったが、それに対して返せる言葉などあるはずがない。
 貴族の中で暮らすことになったのに馴染もうとしなかったニコルに非があるのだから。
「ファントムがどういう意図で礼装を作ったかは知らないが、この礼装にはアリアの情報が詰まっているはずだ。お前の礼装にはお前の情報が。だがお前が作らせた訳じゃない。どこかにファントムの情報が紛れ込んでいるかもしれない」
 ファントムが作らせたはずだから、ファントムに繋がる情報が。
 まさか手中にファントムに繋がる手がかりがあるとは思いもよらず、ニコルは押し黙ることしか出来なかった。
 モーティシアに熟読するよう命じられた本をしっかり頭に叩き込んでさえいれば、もっと早く気付けた事だ。
「アリア達に礼装の件を聞かれても、しらばっくれろ」
「あ、ああ…」
 礼装を調べる理由をアリアに知られる訳にはいかない。
 動揺しながらもニコルはもう一度ドレスに目を向けて。
「…どうやって調べればいいんだ?」
 素直に訊ねれば、返ってきたのは控えめな溜め息だった。
「…悪かったな。無知で」
 視線をガウェに戻して、やや不満を見せて。
「アリアの礼装とお前の礼装、俺に貸せ。ヴェルドゥーラで調べる」
 調べる為に家の力を使うと簡単に口にするガウェに、ニコルはわずかに考える。
 ガウェの家の力に頼れば簡単に礼装の情報は引き出せるだろう。だが。
「…いや…アリアの情報が詰まってるんなら…知らない奴に知られたくない」
 自分ならまだしも、アリアの情報を他人に知られるなど。
 アリアの身体を暴くような事を許せるはずがなかった。
「なら書物庫から本を漁ってこい」
 ガウェはニコルの言葉を深くは取らずに、礼装を調べる方法を教えてくれる。
 ニコルの奥深くに宿るアリアへの思いになど興味が無い様子だった。
 ニコルのアリアへの思いには興味が無い。だが礼装には。
「…お前が出来ないなら俺がやる。この礼装がファントムに通じているなら、そこからリーン様の居場所も知れるはずだからな」
 礼装はファントムが作らせたはずで、ガウェが唯一全てを捧げる姫はファントムの元にいるはずで。
「一刻も早くリーン様を救いださなければ…」
 テーブルに置いた拳を握り締めて、ガウェは憐れな愛しい姫を思う。
 ガウェにとってリーンの幸福とは、リーンがガウェの傍にいることなのだ。
 ニコルがアリアを思う劣情とはまた種類の違う盲愛を隠すことなく見せるガウェに、ニコルは背筋を一度ぞくりと震わせて。
「…なら、手伝ってくれないか?」
 ファントムに近付く最短を見付ける為に。
 ニコルはガウェに、様子を窺うように静かに見据えながら頼んだ。
「俺は親父の過去を知りたい。お前はリーン様の居場所を知りたい。この礼装が役立つならいくらでも切り刻めるが…俺だけじゃ情報は取り出せない」
 無知に等しいニコルでは。
 だから。
「…手を貸してくれ。これに関して俺は使えない…だが無闇に訊ねまわって俺やアリアの情報をさらけ出したくない…事情を知らない奴に知られるなんて論外だ」
 ニコルとガウェだけで礼装を調べたいと。
 ニコルだけでは不可能でも、ガウェの知識があれば情報を読み解くことは難しくないはずだ。
 ガウェは暫く無言のままニコルに目を向けていたが、
「…場所は宝物庫でいいな」
「ああ」
 やがて組んでいた足を戻して立ち上がり、部屋を出るらしく扉に向かいながら礼装を調べる場所を指定した。
「礼装はお前が持って出ろ。俺は必要な文献を漁る」
「…頼む」
 ニコルとアリアの礼装を持って、宝物庫へ。
 宝物庫ならば無闇に他者が入ることは不可能だからだ。
 調べることと役割が決まったならとガウェは扉に手をかけ、まるで室内には誰もいないかのように部屋を後にした。
 ガウェの脳内を占めているのはリーンだけのはずで、礼装とは別の道からもリーンを探すのだろう。
 ニコルは数秒扉に目を向けていたが、暫く意識を飛ばすように呆けた後でアリアの礼装に指先で触れた。
 ベッドの上に広げたアリアのドレス。
 身体のラインを浮き彫りにするドレスはアリアを妖艶に彩り、その姿は今も脳裏に焼き付いている。
 指先でドレスをなぞりながら、思考はアリアの身体を。
 豊かな胸元から細い腰回りを伝い、蜜の溢れる秘部へ。
「--…っ」
--アリア…
 ドレスを抱き締めて、アリアへの愛に身を焦がして。
 守られるべき秘部。
 しかしニコルは、エルザの秘部を破り裂いた。
 愛していると嘘をついて、アリアの身代わりに。
 ふと脳裏にエルザがよぎり、ニコルは抱き締めたドレスから手を離した。
 コウェルズには知られてしまった。
 エルザを抱いた事も、アリアへの思いも。
 無垢なエルザを、男の本能に抗い難くなっているニコルの元に向かわせて。
 策略にはまったと言えたら楽なのに。
 それを選んだのはニコルなのだ。
 ぎりぎりだろうが止めることは出来たはずだ。
 しかしアリアへの劣情を隠す為に、エルザを選んだのだ。
--…俺は
 後戻りなど出来ない。
 なら。
 後戻りなどする必要など無いと考えろ。
 アリアの為に、エルザを抱けばいい。
 それが王族の責務だと言うなら。
 悲劇の王子、ロスト・ロードの息子の責務だと言うのなら。

第43話 終
 
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