第43話


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 強くなりたい。
 魔力に頼らずとも己の腕だけで、誰にも負けないほどに、頼られるほどに。
 仲間が実力に恵まれている事を羨む時間があるなら、自分自身を鍛えて。
 秘密の訓練場で、フレイムローズはただ一人で剣術訓練を行っていた。
 ドレスソードを片手に、生み出した手のひらサイズの魔眼蝶に斬りかかる。
 フレイムローズを中心に添えて、数百の魔眼蝶は魔力の主を攪乱するように縦横無尽に飛び回った。
 魔眼蝶達を躱しながら、一匹一匹確実に仕留めて消し去るがむしゃらな個人訓練。
 狙いを定めた魔眼蝶に斬りかかる寸前に別の魔眼蝶が閉じられた眼前に現れるから、空いた片手で殴り飛ばして狙った魔眼蝶を切り裂いて。
 そうして一匹倒す度に、がら空きの背中や足にまた別の魔眼蝶がぶつかり邪魔をする。
 訓練だから小石が当たった程度にしか痛みがない。
 だがこれが実践ならば、すでに両足は潰され心臓は背後からえぐられているはずだ。
「くっ…」
 背後にも気を付けながら、完全に魔眼蝶を躱しながら切り裂ける術を。
 今までフレイムローズは己の魔眼を鍛える事に心血を注いできた。
 コウェルズに命じられるままに、歴代の魔眼の持ち主達を凌駕するほどに操れるまでに。
 だがそれは、騎士としてのフレイムローズを放置していた事になる。
 騎士団に籍を置きながら、コウェルズ王子付きでありながら、騎士としてのフレイムローズは誰よりも劣る。
 たとえ魔眼を持とうとも、それでは嫌だった。
 魔眼を持たないフレイムローズに何の意味があるのか。
 そう考えている間があるならば、魔眼を持たなくても意味のある存在になる為に。
 魔眼を持たずともコウェルズの、王家の力になれるように。
「--うわぁ!」
 背後から魔眼蝶の気配を感じ取り、すかさず身を踊らせて魔眼蝶を切り裂く。しかしその後すぐに体勢を元の位置に戻そうとした瞬間に、数十匹の固まりとなった魔眼蝶に体当たりされて容赦なく吹き飛んだ。
 何とか倒れ込む前に地に両手をついて身を起こすが、体勢を整えるより早く別の魔眼蝶の大群に横から突き飛ばされて。
 衝撃の強さにドレスソードから手を離してしまい、倒れ込む先にはまた別の魔眼蝶達が。
--このままじゃ
 負ける。
--そんなの嫌だ
 無意識に瞳は開かれ、凝縮された黒い魔力が解放される。
 まるで裁縫針のように細い魔力が際限無く瞳から溢れて、それらは一瞬のうちに数百匹の全ての魔眼蝶達を刺し貫いた。
 フレイムローズが無様に地に伏すと同時に全ての魔眼蝶が攻撃を受けて消える。
 訓練着を土にまみれさせながら、肩で息をしながら。
 結局魔眼に頼ってしまった自分自身に、フレイムローズは苛立ちに歯を食い縛りながら地面に拳を打ち付けた。
 瞼を閉じて、項垂れるように地面に座ったまま背中を丸める。
 こんなつもりじゃなかったのに。
 魔眼に頼らず剣術だけで魔眼蝶を倒す訓練だったのに。
 上手く出来なかった自分を恥じながら、もう一度と立ち上がって。
「--…珍しいな」
「うわ!!ビックリした!!」
 突如背後から聞こえてきたセクトルの声に、フレイムローズは本気で心臓を止めそうになった。
 集中しすぎてセクトルの気配に気付かなかったらしい。
「お前が剣術訓練なんて…どうしたんだよ」
 見ればセクトルも訓練着を着ており、フレイムローズが手を離してしまったドレスソードを拾い上げてくれて。
「…俺だって魔眼に頼らないでいられるように訓練するさ」
 手渡されたドレスソードを二度と離さないと決意するように強く握り締めた。
「病み上がりでか?」
「病み上がりって、病気だった訳じゃないよ…ずっと牢にいたから体が鈍ってるだけ」
 約半月ほどになるか。
 ファントムと通じていた罪で大人しく牢に捕らわれ続けた為に、体は自分でもわかるほどに鈍りきっている。
 だがそうだったとしても、それを言い訳に先程の醜態を正当化できるはずもなかった。
 そんな恥知らずな頭になれるならまだ楽だったろうに。
「剣術訓練なら他のやつらもいたほうが訓練になるだろ。ここで一人でやるより」
 秘密の訓練場はフレイムローズ達以外にもたまに王族付き達がわざと訪れるが、今は騎士の間引きの件もある為に彼らも通常の訓練場に向かうはずで。
 剣術訓練は一人では難しいが、フレイムローズがそれを理解しつつも一人で魔眼蝶相手に訓練していた理由は。
「…はは。ちょっと今は人目が怖いっていうか…」
 魔眼持ちというだけで敬遠されてきたが、それには慣れていた。
 化け物扱いだって慣れた。
 しかし今、周りの者達がフレイムローズに向ける眼差しは。
「…悪いことした…から」
 国を裏切り、ファントムの手助けをしたのだ。
「リーン様を救い出したんだ。悪いもくそもあるか」
「…でも、死人も出たし…」
 ファントムに手を貸す事でリーンを救えたのだ。何も恥じることなどない。
 だが人が死んだ。仲間が死んだのだ。
 それは。
「…国の為に命をかけるのが俺達の仕事だ」
「そうかもしれないけど…やっぱり割り切れないよ」
 ファントムとの戦闘で十三名の死者が出た。
 いずれも王城騎士達で、懸命に戦闘に従事した結果だった。
 彼らと親しかった者達がフレイムローズに向ける眼差しはやはり痛い。
 互いに無言になってしまったのは、セクトルはその言葉に返してやれるものがなかったから。フレイムローズは罪滅ぼしのように俯いたから。
 死者が出るほどの戦闘を、大半の者達が生まれて初めて経験した。
 一部の者達以外誰も彼もが平和なエル・フェアリアの中にいたのだ。
 その中で、王城で。
 日々の訓練を完全に生かせたものが何人いると言うのか。
 特に天空塔に登った王族付き達はニコルとガウェを除いて全員がフレイムローズの術下に押さえ込まれたのだから。
「…相手、なろうか?」
 ふとセクトルが口を開いて、フレイムローズと同じように俯きながら問うてきた。
「え?」
「剣術訓練。俺も訓練相手探してたところだ」
 訓練着に着替えているのだから訓練に訪れたことには確かに間違いないのだろう。
 しかしフレイムローズは窺うようにセクトルに顔を向けながら、申し訳なさそうに悲しげに眉をひそめた。
「…いいの?俺と一緒にいたら…」
 今のフレイムローズと共にいたら、セクトルまで裏切り者のレッテルを貼られるのではないか。
 しかしフレイムローズの不安を吹き飛ばすように、セクトルは肩をすくませて鼻で笑った。
「俺は何言われてもこたえねえよ」
 普段から他人の言葉に左右されないセクトルだ。
 そのセクトルの無愛想な中にある思いやりが、今のフレイムローズには胸に染み渡るほど嬉しかった。
「…だね」
「俺は剣持ってきてねぇから魔具でやるぜ」
「うん!」
 セクトルはすぐに魔具でドレスソードに似た剣を生み出し、慣れた下段の構えをとる。
 フレイムローズはオーソドックスに中段の構えをとり。
 秋風が止むと同時に二人は一気に間合いを詰めて鍔迫り合いに持ち込んだ。

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 ファントムとの戦闘で負傷した者達の傷を癒し終えたアリアの次の課題は、主に語学の勉強に絞られていた。
 命じたのは勿論モーティシアで、レイトルとアクセルは護衛兼教師としてアリアと共に書物庫にいたのだが、アリアの勉強が一段落ついたと同時に早々に勉強を切り上げて気晴らしに城内の散歩に出ていた。
 どうせモーティシアが教師としてアリアの前に立つ時は休み無しの鬼と化しているはずなので、体を動かす時間も必要だろうと勝手な判断だ。
 モーティシアならすでに見越してはいるだろうが。
 それにアリアが寝る前に復習や予習を欠かさない事も知っているので、レイトルやアクセルはアリアの飲み込みの早さの前にモーティシアほど急かすような事はしなかった。
 城内を散策しながら、兵舎内周を繋ぐ渡り廊下を進む。
「…あれって…」
 アリアが前方に五人組の集団を見付けたのは渡り廊下もじきに終わる頃だった。
 アクセルは誰だろうと首をかしげているが、レイトルには全員に見覚えがあった。
 ルードヴィッヒを筆頭に若手の王族付き候補達だ。
 ファントムの件で延期になっている為に実質的に最も最近の必須訓練となった数ヶ月前の魔具訓練で、ルードヴィッヒを除く四人は初日にクルーガーに気に入られていたはずだ。
 特にマウロとヒルベルトという二人はニコルとガウェの戦闘訓練の邪魔になったとかで自決する勢いだったとか。
 五人とも二、三度ほどはレイトルも訓練相手として手を貸したが、アリアの護衛となってからはレイトル自身があまり訓練が出来なかったので疎遠になっていた。
 しかしルードヴィッヒはレイトルが教えた魔具訓練をやり過ぎだろうと言いたいほどに今も行っており、他の四人もルードヴィッヒほどではないにしろ装飾タイプの魔具を身体のどこかに付けている。
 五人は五人とも渡り廊下から下を覗いており、何を見ているのかとレイトル達もルードヴィッヒ達の覗く先に目を向ければ、少し離れた秘密の訓練場で激しい剣術訓練を行うセクトルとフレイムローズの姿があった。

「…無理っぽいな」
「訓練に付き合ってほしかったんだけどなぁ」
「…仕方ない。諦めようか」
「せっかく見つけたのに…」
「また次だな」
 
二人を見ているのだろうと思いながらルードヴィッヒ達に近付けば、聞こえてきたのは訓練をつけてほしいが諦めるしかないというしょぼくれた声だった。
 セクトルかフレイムローズか。恐らく牢から出されたフレイムローズに魔眼で訓練をつけてほしかったのだろう。
 セクトルの方もレイトルと同じでアリアの護衛になってからは訓練の教官としては疎遠になっていたから、こちらの可能性もある。
 訓練を頼みたくて五人で勇気を振り絞り兵舎内周に訪れたが、目的の人物はいなくて探していたというところか。
 でなければ候補とはいえまだ王城騎士であるルードヴィッヒ達がわざわざ兵舎内周には訪れないだろう。
 以前ルードヴィッヒを兵舎内周棟のレイトル達の部屋に連れてきた時でさえ緊張で挙動不審になっていたのだから。
「もう帰る?」
「…だな。総合訓練場に行けば誰かいるかもしれないし」
 レイトル達が近付くことにも気付かないほどにセクトルとフレイムローズの剣術訓練にかじりついて眺めている姿は、言葉とは逆に諦め難い様子だ。
 だがすでに訓練中の二人の中に入ろうと行動するには、何かが邪魔をするのだろう。
 足を忍ばせていたとはいえ、非戦闘員のアリアやアクセルもいるというのに、五人は背後を取られても全く気づく様子を見せない。
「--その都度諦めてたら、延々とチャンスが逃げていくよ」
 わざとらしく大きな声で話しかければ、ようやく気付いた五人は驚いた猫のように飛び跳ねた。
「レイトル殿!?」
「話しかけるくらいできるだろう?“この後訓練に付き合って”くらい言っておかないと君たちの番は巡ってこないよ。ただでさえ魔眼を持つのはフレイムローズだけなんだし、セクトルだってなかなか訓練場には顔を出さないんだからね」
 目を丸くする若騎士達に遠慮するなと強めに助言しても、まだまだ騎士として未熟な部分が顔を出す。
「…ですが」
「…邪魔するのは」
 王族付きに選ばれる為に最も必要な要素が、若い彼らにはまだまだ足りない。
 訓練に励もうとする姿勢は買うが、まだまだだ。
「相手の事ばっか考えてたら自分達の訓練も満足に出来ないよ。邪魔するのが嫌なら、とりあえず近くで見学しながら存在をアピールしておいで」
「は、はい!」
 レイトルの助言に慌てたように五人は声を揃えて返事をする。その中で最も声が大きかったのはオヤジ騎士として名高いスカイを教官に持つルードヴィッヒだった。
 頭を下げて慌てて走る候補達が向かう先はセクトルとフレイムローズのいる秘密の訓練場だろう。
 これでレイトル達の使う秘密の訓練場は候補達にもバレた事になる。
「良いお兄さんっぷりだな」
「レイトルさんらしいです」
 やれやれと肩をすくめるレイトルに、アクセルは冷やかすように、アリアは嬉しそうに感想をくれた。
 二人はそのままルードヴィッヒ達がいた場所に陣取って、遠目からのセクトルとフレイムローズの訓練を眺める。
 切り裂くようなフレイムローズの剣術とは違い、セクトルは突きが多い。
 型にはまった動きをしているのはフレイムローズの方だった。
「わー、セクトルさんもフレイムローズも凄い…やっぱり鍛えてる人の剣術って格好いいですよね」
 レイトルの目からはセクトルがフレイムローズをわずかに圧しているように見えるが、アリアは純粋に剣術訓練をハラハラと楽しんでいる様子だった。
「珍しいな。女の子が剣術に興味持つなんて」
 その隣でアクセルも剣術訓練に目を奪われながらアリアの言葉に珍しがるが、
「兄さんがお父さんから剣術習ってて、あたしもたまに教えてもらってたんです」
「アリアが?」
「はい!格好いいじゃないですか」
 アリアの意外な過去に声を上げたのはレイトルだった。
 アリアは気にせず格好良いと宣言するが、剣術訓練が侍女達には不人気であることをレイトルとアクセルは知っていたので互いに顔を見合わせてしまう。
「…珍しいね」
「そうですか?」
 アリアが他の娘達と感覚がずれているのか、それとも平民と貴族の違いなのか。
「だいぶ珍しいよ。女の子が剣を持つなんて。クレア様でも武術なのに」
「クレア様は料理が得意だから、刃物は料理でしか使いたくないんだよ」
 アクセルが訓練好きの第三姫ですら武術なのにと声をあげるから、元クレア姫付きとしてレイトルはクレアが武術を選んだ理由を教える。
 すると二人そろって「へぇー…」と思案顔が返ってきた。
「想像つかないって顔だね…」
 恐らくクレアが料理をする場面が想像できないのだろうが、クレアは七姫の中で一番料理や裁縫が得意なのだ。
 パンツスタイルに改造したドレスを纏って騎士を連れて走り回る姿ばかり見られている為に、がさつ扱いされているのだろう。
 クレアを馬鹿にされた気がして冷めた眼差しをアクセルに向けてしまうレイトルに気付いたのか、アクセルがわずかに慌てる。
「ま、まあ…でも女の子が武術や剣術ってさ。なんか違和感あるし」
 言いたいところは理解できた。
 アクセルだけでなくレイトルも、女性が戦闘職に就くなど想像がつかないのだから。
「昔は女性の魔術師はいたみたいだけどね」
「女性兵士や女性騎士って聞かないよな」
 大戦時代ならエル・フェアリアにも女性魔術師がいたと残されているが、大戦が終わってからは女性魔術師はすっかりいなくなってしまった。
「変ですか?」
「変というか…見慣れないからだと思うよ」
 アリアは自分の感覚を不安がるが、レイトルは少ないとはいえ他国に女性兵がいることを知っているのでフォローして。
 アクセルも戦闘職の女性を探し、
「ラムタルには戦闘訓練を受けた治癒魔術師の女性がいるけど、一人だけだし」
 ぽろりとこぼすように呟かれた癒術騎士の存在にアリアが目を輝かせた。
「治癒魔術師の女性で戦闘訓練!?格好いいなぁ…あたしも目指そうかな」
 どうやら平民と貴族の違いではなく、アリアの感性がクレア寄りらしい。
「私達の立場が無くなるから遠慮してほしいかな」
「…そうですか」
 せっかく護衛になったのに、と苦笑いを浮かべれば、アリアは不満そうに俯いてしまった。
「…でも自分の身を守れるくらいには訓練するのも有りかもしれないね」
「万が一の為にか。確かに一利あるかも!」
「ほんとう!?」
 あまりに不満そうにするから癒術騎士ほどでなくても自衛程度ならと呟けば、さっそくアクセルも薦めるように笑い、アリアも再び目を輝かせた。
「治癒魔術師の勉強の他にも、剣術と武術の訓練してみーー」
「やりたいです!!」
 言葉に被せながら、アリアが満面の笑みを浮かべる。
「…モーティシアが何て言うかな?」
「言われた課題はこなせてるから平気じゃないかな」
「やった!あ、お願いします!」
 アクセルは語学勉強を優先させようとしているモーティシアを懸念するが、明け方近くにアリアに対する接し方についてモーティシアに少しの不満を覚えたレイトルは、わずかに棘を含む言葉を返してしまった。
 アリアは無邪気に喜ぶが、アクセルは棘に気付いて苦笑いだ。
「…自衛かぁ。一緒に教えてもらおうかな」
「いいね。魔術騎士を目指してみる?」
「う…そこまでは」
 自衛程度のはずがレイトルに魔術騎士を進められて、アクセルは本気で及び腰となる。
 エル・フェアリア唯一の魔術騎士がどれほどの訓練を経て魔術師から魔術騎士になったのか知っているのだろう。
 アリアは無邪気に笑っているが、どれほど大変な訓練かをアリアにわかるように説明しようと思うなら恐らく、アリアがモーティシアに出された一年スパンの課題全てを十日程で覚えなければならないとでも言えばわかってくれるだろうか。
「あ、到着したみたいですよ」
 ふと秘密の訓練場に目を向けたアリアが指差すのでレイトルとアクセルも眺めれば、先ほど走り去ったルードヴィッヒ達五人がセクトルとフレイムローズの二人と合流する様子が見えた。
 丁度二人も一旦手を止めて休憩に入るところだった様子で、早速五人がフレイムローズにたかっていたので、目当てはフレイムローズのようだ。
 遠目からでもフレイムローズが困惑しつつも嬉しそうな姿が見られた。
「…フレイムローズ、元気そうでよかったです」
 牢から出されたフレイムローズがどんな視線にさらされているかを知っているから、アリアはフレイムローズのその姿にほっと安堵の息をつく。
「…周りの反応が少し痛いけど…仲間も多いから大丈夫だよな」
 アクセルも秘密の訓練場を眺めながら、フレイムローズ相手だからか兄のような表情を見せる。
「フレイムローズは昔っから何やっても許される性格だったからね」
「えー、羨ましい」
 フレイムローズを弟のように見守るのはアクセルだけではない。
 魔眼を持つ為に恐れられることも多いが、その性格は無垢そのものなので多くの者達に好かれてきたのだ。
 本当の弟のように。
 一部では騎士団入団当初のガウェがクソガキすぎたせいで、同じく未成年で入団したフレイムローズが素直だった為に天使のように思えた、とはよく耳にするが、フレイムローズとは元来愛されるべき存在なのだ。
 ルードヴィッヒ達がふいにこちらを指で差し示して、レイトル達に気付いたセクトルとフレイムローズが手を振る。
 セクトルは手を上げる程度だが、フレイムローズは無邪気に両手を振り回して。
 レイトル達もそれぞれ手を振り返し、フレイムローズ達が訓練の相談でも始めたらしいところで再び渡り廊下を歩き始めた。
「少し宝物庫も覗いてみない?ニコルいるかも」
 散歩がてらニコルの様子を心配するのはアクセルだが、兄の名前を出されたせいかアリアが少し不安そうに眉を寄せる。
「そうだね。まだ少しくらいなら時間あるし。どうする?アリア」
「邪魔にならないなら…数日会わないなんて、王城に来て初めてです」
 少し俯きながら邪魔になりたくはないと口にしても、寂しそうな様子は手に取るようにわかった。
 ニコルは今までほとんどアリアとは離れなかったのだ。
 過保護すぎるほどにアリアの側にいて、護衛として兄として一番近くにいた。
 それがファントム襲撃からこちら、ニコルはアリアの側にいた時の方が少なくなり、今はもう完全に会いに来なくなって数日だ。
 最初はニコルが最もファントムの一団に近付き、敵の姿をはっきり目撃したからコウェルズ達に呼び出されたと話されたが、そこからなぜニコルばかりに重要な任務が任されることになったのか。
 ニコルがアリアのそばを離れたがらない理由をコウェルズは知っているはずで、加えてニコルにしか頼めない任務という訳でもなさそうなのに。
「それだけ根を詰めてるって事かな」
 コウェルズ王子に頼まれた任務をとっとと済ませて戻るとニコルは言ったが。
「昔の事件を洗ってるんだっけ?リーン様の件に繋がりがあるとかで」
「らしい。何の事件かは教えてくれないけどね」
 昔の事件を洗い直す。
 簡単そうにニコルは告げたが、その本質までは言わず。
 そして思い詰めた様子で。
 媚薬香の件があった日、レイトルはアリアに会わずに当分抜ける事を告げたニコルに「アリアに会わないのか」と問うた。
 ニコルの答えは、思い詰めた様子で「会えない」だった。
 理由はわからないが。
「…兄さんとガウェさん…何か隠してるんですよね」
 レイトルがニコルの様子を不思議に思うのと同じで、アリアも何か思う所があるらしい。
「それは…まあ大事な内容だからじゃないかな?」
「…そういう感じでもなくて、なんか…あたしも関係あるけど教えてくれない、みたいな…」
 ニコルとガウェは生体魔具を生み出して空からファントムの一団に近付いた。
 もしかしたらその時に、見てはいけないものでも見たというのだろうか。
「リーン様の件と関係あるかとかは分からないんですけど…」
 レイトルはニコルだけにしか様子の異変を感じなかったが、アリアはガウェにも感じているらしい。
 二人して。
 いったい何を?
「…例えば?」
 訊ねるアクセルに、アリアは少しだけ口ごもり。
「…ととさ…兄さんのお父さんの事とか」
 自分に馴染んだ呼び名からすぐにレイトル達が理解できるように言い換えてくれて、脳裏に浮かんだのは銀髪の男だった。
「…前に礼装をくれた人だよね?」
「仮面の?」
 国立児童施設に現れてアリアを連れ帰ろうとした、仮面の男。
 突如現れたニコルの実父に、誰もが驚いた。
「そうです。兄さんにもガウェさんにも最近会ったか聞かれて…世間話的な感じなら何とも思わないんですけど、まるで大事みたいに聞かれたから…」
 ニコルの実父とはいえ、アリアにも大切な人物のはずだ。
「そういえば全体に休みが命じられた日にアリアも気にしてたね」
「あの時です。朝に兄さんに聞かれて、レイトルさんとガウェさんが護衛を交代した時にもガウェさんから聞かれたから、あれ?って思ったんです」
 困惑を隠さないまま、アリアは違和感を覚えた当時の様子を語る。
「兄さんはともかく…ガウェさんって他人の身内関係に興味無さそうじゃないですか。互いに無言だから気まずいって感じるようなタイプでもないし」
 他者に無頓着そうなガウェが、なぜ彼を気にするというのか。
「…よく見てるね。ガウェのこと」
「兄さんとの手紙のやり取りでガウェさんや皆のことは少しは知ってたんで」
 ニコルは手紙に仲間内のことをよく書いていた。それは以前レイトルはアリアから聞いたことがある。
「それで、何で気にするのか聞いてみた?」
 ガウェの性格を理解しているアリアに少し嫉妬心を感じたレイトルとは異なり、アクセルは先が知りたい様子を見せる。
 しかしアリアは首を横に振り。
「ガウェさんには聞きました。でも“俺が干渉することじゃないから自分で兄貴に聞け”的なことを言われました」
「…お父上と連絡は?」
「私達から連絡取るなんてまず無理です。いつも会えるのはととさんの都合でしたから」
 偶然かもしれない。だがニコルとガウェは同時期にアリアに彼の存在を訊ねた。
 アリアに理由は教えずに。
 そうまでされて気にせずにいられるほどアリアは馬鹿ではない。
「そう」
「…でも、あたし達の今の状況とか何もかも、絶対に知ってるんです」
 ニコルの実父との連絡手段は無いと断言されてレイトルは思案に入ろうとするが、アリアの言う“絶対”に違和感を覚えた。
「…それは」
「どうして?」
 レイトルとアクセルは同時に口を開き、言葉を被せてしまう。
「小さい頃からそうでしたもん。あたしや兄さんが近況を話す前に、全部知ってて当てちゃうんです。あたしが王都に呼ばれた時も、あたしより状況を理解してたし…礼装の件だって、たかが数時間のはずなのに知ってて、用意までしてくれて」
 確かに、最低でも半月はかかるはずの礼装を突然入り用になったニコルとアリアに渡すなど都合が良すぎる。
「…城内に知り合いがいるんだろうか…」
「だとしても礼装を用意するなんて無理ですよ。あの時に礼装の事を知ってた人なんて数人だけだったのに…でもととさんなら出来ちゃうんだろうなって、昔からずっとだから違和感なく受け入れちゃってるんです」
 自分から不可能だと口にしながら、しかし彼なら可能で、さらにその事実を受け入れてしまえると。
 アリアはまるでレイトル達を説得するように強く語るが、レイトル達も礼装が手渡される場面には遭遇しているのだ。
 そして仮面の男は、忽然といなくなった。
 現れた時と同じように。
 誰も、彼が去る瞬間を見なかった。
 ニコルの繰り出す魔具をいとも簡単に消失させた彼だ。
 恐らく彼にも魔力が備わるのではないか。
「…不思議な人だね」
 アクセルの感想に、アリアはただ強く頷く。
 不思議な人。
 はたしてその程度の言葉で終わらせて構わない人物なのか。
 実父の存在に固まり、ニコルではアリアは守れないと宣言し。
 連れていかれそうになったアリアを最初に止めたのはレイトルだった。
 彼はその時に、仮面の奥からレイトルを面白そうに見ている。
「…礼装、まだ持ってたりする?」
 謎のありそうな人物。
 彼が用意したならと、レイトルはアリアに駄目元で問うた。
 貴族なら一度着た礼装は特別に誂えたもの以外は簡単に捨ててしまうが、アリアなら。
「え?持ってますけど…?」
 まだ持っているのではないかと思ってみれば、案の定の返答だった。
「調べてみようか」
 礼装があるなら。首をかしげる二人に、レイトルはたった一夜だけ目にした見事な礼装を思い出した。
「アリアとニコルの礼装に紋様が刻まれてるのを見たんだ。何か分かるかも」
 礼装は着る者の情報を刺繍や紋様として記す風習がある。
 ニコルとアリアの礼装にも紋様が刻まれていたことを思い出したのだ。
 着用したのはニコルとアリアだが、用意したのも彼ならば、もしかしたら。
「本当ですか!?」
「やってみないとわからないけど。ニコルからも礼装を借りてみよう」
「はい!」
 アリアも彼のことがわかるならと不安そうだった表情を飛ばす。
 そうと決まれば早くニコルに会いに行こうと宝物庫への道のりを急ぎ。
 棟内の角を曲がろうとした時だった。

「----」

 慣れた、だが誰だかわからない気配にレイトルは無意識に足を止める。
 誰かがいた気がする。内周棟の中なので誰かがいるのは当然なのだが、気配に気付かれる前に消すなど。
「レイトルさん?」
「何かあった?」
 気付かないのはアリアとアクセルで。
「…いや」
 レイトルは気配の主を探すが見つからず、仕方無く再び歩みを再開した。

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 結局。
 アリアが数日ぶりに兄と会うことはなかった。
 訪れた宝物庫は結界が張られていて中には入れなかったのだが、たまたま通り過ぎたトリックがニコルの不在を教えてくれたのだ。
 不在を聞いた瞬間のアリアはショックを通り越して放心状態に近かった。
 兄に会えないのは寂しい様子で、やはりアリアにはまだニコルが一番なのだとレイトルは思い知らされた。
 当然の事ではあるが、アリアからニコルとは血の繋がりが無いと聞いてしまった以上、どうしても邪推してしまう自分がいる。
 アリアはそれでも兄妹だと言っていたが。
「…仕方ないね。礼装の件はニコルを捕まえた時に話そう」
「…はい」
 俯きしょげるアリアの肩に自然な様子で軽く手を置きながら。
 レイトルの慰めに、アリアは僅かな身長差に少しだけ見上げて頷いた。
「ニコルも動きまわって大変だな」
 アクセルも口ではニコルを心配するが、宝物庫にかけられた新たな結界に興味が尽きない様子で何度もぺたぺたと扉に触れている。
「置いていくよ?」
「あ、待って!」
 扉から離れようとしないアクセルに声をかけて。
 ニコルがいないなら仕方無いと、レイトル達は足取りも少し重く宝物庫を後にした。

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