第43話


第43話

 同室の幼馴染が自室の扉を開いたのは、空が明るみ始めた明け方の事だった。
 レイトルはすでに目覚めてはいたが、アリアの護衛の為に上階にいるはずのセクトルが訪れたことに驚き首をかしげる。
「どうした?」
「兄貴から来た」
 兄貴とは言葉そのままにセクトルの兄のことだ。セクトルを介した頼み事の調査結果が来たということか。
 セクトルの頭の上にはセクトルを舐めきっている中型の青い伝達鳥が留まるが、手紙はすでにセクトルの手中だ。
 じきに護衛の交代の時間なので、セクトルと共に護衛にいるトリッシュが融通を利かせたのだろう。
 アリアは王族付き以上の階級の騎士達が集まる兵舎内周棟に部屋を設けられたので、アリアが自室にいる際は自分達もいるからひどく警備を強化する必要など無いとは、同棟に部屋を持つ野郎共の頼もしくも有り難い言葉だ。
 実力者ばかりであることは認めるが女好きも多いので完全には任せられないが、誰か一人警護に立っていればすぐに交代になるなら大丈夫だろう。
 セクトルが手紙の内容を棒読みで話し、読み終わると同時にちらりとレイトルに目を向ける。
 レイトルは自分のベッドに腰を下ろして静かに聞いていたが。
「…ガードナーロッドが絡んでる?」
「可能性の段階だが…」
 セクトルと目が合うと同時に訊ねたのは、手紙の中に記された物騒な家名だ。
 ガードナーロッド。
 アリアの元婚約者を調べてもらっていただけのはずが、なぜその家名が現れるのか。
「兄貴が調べた中にあったんだってよ。ケイフって男、下位貴族のシーナとかいう女と恋仲だったらしい。だが女の両親は平民との恋愛を許してなかった。それが最近、数年越しの隠れた恋愛を経て二人は祝福されて結婚したんだ。ガブリエル嬢は二人の味方になってたみたいだな」
 手紙に書かれていたのは、アリアの元婚約者の男であるケイフには下位貴族の恋人がいたという内容だ。
 シーナ・スルーシア。
 スルーシア家といえば、下位貴族の中でさらに最下級に近い階級で、場合によっては平民の方が金を持っているだろうほど貧しい名ばかりの貴族だ。
 ケイフはアリアと出会う前からシーナと恋仲にあった。
 しかしスルーシア家はシーナを何とか上階級の貴族と結婚させたかったのだろう。
 二人の結婚は許されなかった。
 そこにガードナーロッド家のガブリエルが仲人的な立場をとって介入した。
 ガブリエルが介入した時期に、アリアはケイフと出会っている。
「…二人を結婚させる為にアリアを使った?どうして」
「忘れたのか?ガブリエル嬢はニコルにフラれてんだぜ?」
「…まさか腹いせにアリアを?」
 スルーシア家は二人の結婚を機にガードナーロッド家との太い繋がりを手に入れた。
 スルーシア家からすれば最高の事態だろう。ガードナーロッドには痛くも痒くもない。そしてガブリエルからすれば。
「無いとは言い切れないだろ。ニコルを傷付ける為にアリアを傷付けるなんて、ガブリエル嬢には朝飯前だ」
 ニコルにフラれた腹いせに、アリアを。
 ニコルが最も苦しむ方法がニコルでなくアリアを苦しめる事だと気付いて。
「兄貴はまだ調べてくれるらしいけど、大方そんな所だろう」
「フラれたからって…普通そこまでするか?…婚期の終わりまで引っ張るなんて」
 ケイフとシーナから見ても長い道程だったろう。
 辺境に産まれた貧民の娘の婚期が終わるまで引き離されたのなら。
 全てはガブリエルの勝手な溜飲を下げさせる為だけに。
「プライドを傷つけられたんなら有り得るだろ」
 出会ったのが六年前、婚約はその一年後で、婚約期間は五年間。
 アリアはそう言っていた。
 その間にアリアは父を失っている。
「お前も、ジュエル嬢に告白されたら恨まれないように断れよ?またアリアに回ったら救いようが無いぜ」
「…わかっているよ」
 ガードナーロッドの三女であるジュエルがレイトルに片想いしていることは二人とも理解済みだ。
 最近はジュエルの性格は軟化して、レイトルに憧れの眼差しは向けるがどうこうなりたいようには見えないが、姉が絡む可能性は拭い去れない。
 頭の痛くなりそうな事態に、レイトルは静かに俯いた。
 アリアの涙を止めたくて元婚約者の事を探ったというのに、出てきたのは虚しい事実だ。
 どうしたものかと額を押さえる間にも、セクトルは新しい手紙にさらさらと何かを書いて頭上を陣取る伝達鳥を下ろし、仕事を放棄しようと嫌がる伝達鳥の足の筒に何とか手紙を捩じ込んでいる。
 そして強引に窓から飛ばすが。
「…こいつ」
「はは…少し休ませてからにしなよ。お前の朝食の肉でも狙ってるんだろう」
 窓から飛ばそうとしてもすぐにセクトルの頭に舞い戻る伝達鳥が、レイトルの言葉に同意するように「キ」と一度だけ鳴いた。
 長い距離を飛んだのだ。それなりの褒美を寄越せという事だろう。
 セクトルは渋々諦めたように窓を閉じて、レイトルと同時に扉に目を向けた。
 誰かが廊下を歩きこちらに向かってくる気配。
 足音は騎士のものではなく、どこか間抜けている。
 恐らく彼だ。二人が同時に気配の主に気付くと同時に、扉は遠慮がちにコンコンと叩かれた。
 これが騎士仲間なら遠慮もなく扉を開けるし、隊長クラスならもっと扉を叩く力は強い。
「--レイトル、そろそろアリアの護衛に行く時間だよ」
 顔を見せたのは二人の予想通り、魔術師のアクセルだった。
「わかったよ。用意するから中で待っていて」
「うん」
 アクセルは室内に入ると後ろ手で扉を閉めて、そのままセクトルの頭上の伝達鳥に目を止めて固まった。
 どこか嬉しそうなのは、堅物に見えるセクトルの意外な一面を見た気がしているからか。
 その地味に和やかな視線に気付いたセクトルは伝達鳥を下ろそうとするが、やはり言うことは聞いてくれなかった。
「昨日はミシェル殿が初めて護衛に立ったんだろ?どうだったか聞いたか?」
「あー、問題なく終わったとしか聞いてないけど」
 諦めてベッドに強く腰を下ろしながらセクトルが訊ねるのは、昨日初めてアリアの護衛に立ったミシェルの事だ。
 レイトルはアクセルと、セクトルはトリッシュと組むことになり、不馴れなミシェルとは隊長であるモーティシアが組んだが、モーティシアに裏があることはアリア以外全員が気付いている。
「…そうか」
「ミシェル殿もアリアを狙ってるもんな」
 昨日のミシェルの様子をセクトルが聞きたがる理由はひとつだけで、アクセルは自分には関係無いとばかりに屈託なく笑う。
「…ねえアクセル。一応聞くけど…“も”の理由は?」
「えー、言わす?」
「俺達は先の読めない三角関係を楽しんでるんだ。当事者は黙ってろ」
「…酷い言い草だね」
 ミシェル“も”アリアを狙っている。それはレイトル“も”狙っていると暗に示す言葉だ。
「レイトルもミシェル殿も隠すつもりが無いところがね。今のところレイトルが有利みたいだけど、モーティシアは複雑みたい」
 現状でレイトルの方がアリアに近いと周りも気付いている様子で、魔術師団員であるアクセルはモーティシアの心境をさらりと教えてくれる。
「私は魔力が少ないからね」
「モーティシアは良くも悪しくも仕事人間だから。アリアの夫候補に名前が出てる中で有力な二人はそこまでアリアに興味ないみたいだし、ミシェル殿も候補に上がってるから、モーティシアはミシェル殿の肩を持ちたいみたい」
 そこまで言われると、レイトルももはや複雑な笑みを浮かべることしか出来なくなる。
 どういう経緯で治癒魔術師護衛部隊が選ばれたのか。
 レイトルはすでにセクトルから聞かされている。
 アリアの兄であるニコルと魔力の少ないレイトル以外の四人は有力な夫候補としてアリアの側に集められたのだ。
 モーティシアも勿論その中に入ってはいるが、モーティシア自身は自分より魔力の質が良いものをアリアの夫にしたいらしい。
 もしモーティシアの魔力が彼自身の中にある基準に満たされていたなら、すぐにアリアを落としにかかった事だろう。
「もうさ、ミシェル殿が護衛に入ってくれるって決まった瞬間からルンルンだったよ。初めて聞いたよ。モーティシアの鼻歌」
 ニコルの抜ける穴を埋めるのが候補に名前の上がるミシェルなら、モーティシアはさぞ喜んだ事だろう。
「まだ最有力の二人も諦めてないらしいけど、当分はミシェル殿とアリアをくっつかそうと躍起になるかもな」
 最有力の二人とはガウェと魔術騎士のトリックの事だ。
 ガウェはリーンしか目に入っておらず、トリックはアリアとは歳が離れすぎているから可哀想だと自ら辞退したらしい。
「あと何人くらい候補いるんだ?」
 訊ねるセクトルに、アクセルは「うーん」と首をかしげて指を折り始める。
「ルードヴィッヒ殿は若すぎて荷が重いとかで却下してたし、フレイムローズは魔力がどう影響を及ぼすかわからないから保留だし…魔術師団もあと数人候補はいるんだけど、みんなアリアを神格化してて夫候補にするにはあんまりなんだってさ」
 ざっと数えれば全員合わせて二十人程度だとアクセルは口にするが、レイトルとセクトルも知らない十人前後がまだいるということになるのか。
「あ、でもミシェル殿が無理だったら、たぶんモーティシアは自分からアリアに行くと思うよ。後の人達ってモーティシアより魔力の質は下だからさ」
 モーティシアにとってはミシェルが最終手段一歩手前だと。
「で、トリッシュは婚約者がいるから無事回避として、なんでお前はアリアに行かないわけ?」
「え!?」
 色々と情報を教えてくれるアクセルに、セクトルは普段通り無表情のまま問い質した。
 アクセルはモーティシアより魔力の質が良い。
 ならモーティシアはアクセルに堂々と命じると思ったのはレイトルも同じだ。
「えっと…す、好きな子…いるんだ」
 そして返ってきた理由にレイトルとセクトルは目を丸くした。
「うそ!君もアリアを神格化してるタイプかと思ってたよ!」
「俺も思ってた」
 アクセルは最初、アリアをようやく見つかったメディウムとして崇める勢いだったのにと口を揃えれば、アクセルは照れたまま俯いて顔を上げようとしない。
「モーティシアには黙っててよ…トリッシュに相談したら、“そう演じとけ”って」
 気になる娘がいるから、勝手に候補に選ばれたくなかったのだと。
 レイトルとセクトルは志願してアリアの護衛に立ったからわからないが、恐らくトリッシュとアクセルは強制だったのだろう。
 治癒魔術師の護衛に立てるのは光栄だが、将来まで決めないでくれ。
 それは恐らく大半が胸に抱く思いだろう。
 中にはモーティシアのように国の利益を優先させる者もいるが。
「まあ、アリアの意思を一番尊重するって思いたいけど…モーティシアに関しては、最近は少しわからないよ」
 モーティシアの目にアリアは一人の生きた娘とは映ってはいない。
 現存するエル・フェアリア唯一の治癒魔術師として次代を。
 レイトルが思い出したのは、第二姫エルザがごく小さな傷を癒す術を身に付けた時に喜びを見せたモーティシアの姿だ。
 誰もがエルザが夢に近付いた事を喜ぶ中で、モーティシアだけは二人目の治癒魔術師の誕生に次代の幅が広がるという喜びを見せたのだから。
「…アリアが幸せになることが一番だよ」
 装備を身に付け、仲間達はあまり持たないドレスソードを帯刀して。
 準備を終えたレイトルは、モーティシアへの不信感を含んだ言葉を小さく呟いた。

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 釈放されてからの騎士団長クルーガーの行動は迅速だった。
 団全体への謝罪と、騎士の間引きを行うと公言した面でも。
 どういう基準で、誰が判断を下すのかは一切伝えない。
 ただ、不必要な者は人知れず王城を去るだろうと。
 本来ならば虹の七都の領主達を含めた会議で議論を重ねた上で決められるであろう決定事項を、最初に発案したのがコウェルズ王子であるという事実を知るものは少ない。
 騎士達の反応は様々だった。
 ファントムとの戦いで失態を見せた者でも、今からでも遅くないと訓練に励むなら救われるだろう。
 だがそれすら行わない騎士に対しては、隊長達は容赦などしない。

 ファントムの過去を洗うニコルは王城の最新情報に疎くなりがちだったが、話してくれる者には欠かなかったので無知のままいることはほぼ無かった。
 間引きの件を詳しく話して聞かせてくれたのは第六姫コレーの護衛部隊長である魔術騎士のトリックで、年齢以上に落ち着いて見える彼が宝物庫に訪れたのは何もニコルに騎士団長クルーガーの話した間引きの件を伝える為だけではない。
「…王族付き“候補”も?」
 まだファントムの噂が流れ始めた程度の頃。
 パージャの紹介と同時に発表された王族付き“候補”達。
 ルードヴィッヒを筆頭に若手からあと一歩の者まで、確実にいずれ王族付きになれるだろう原石達を荒療治のように選び出した。
 その彼らも、間引きの。
「ええ。若いとはいえ、厳選に厳選を重ねた大切な人材ですからね。彼らにも王城騎士の監視を行ってもらうことになりました」
 彼らも、間引きの選定者となると。
「また思い切りましたね。私は候補達も間引きの対象として監視される側に回ると思っていました」
「最初はそのつもりだった様子ですが、しばらく騎士達を見ていなかった団長は一目で気づいた様子でした。ファントムとの戦闘からたった数日で目覚ましく成長した候補達に」
 候補達は現在約三十名弱。
 最初はわざと若手から選び出した十名程度から、二十人ほど増えた。
 たったそれだけと隊長クラスが嘆く声を聞いているが、選ばれた候補達は新たな誇りを胸に訓練に励み、ファントムの襲撃の後も訓練を怠らずにいる。
「よほど悔しかったのでしょうね。スカイは懸念してルードヴィッヒに“候補達に訓練を更に励むよう”伝えていたそうなのですが、そんなもの必要ないほどに彼らは自ら訓練を厳しいものに変えました」
 誰に言われるよりも早く自ら。
 強くなりたいと。
「特に若い候補達は、候補に選ばれなかった王城騎士より動けなかった自分を恥じていました。私に懺悔した者もいましたよ。“逃げることを考えてしまった”と」
 その幼いなりの悔しい懺悔にニコルは久しぶりに声を上げて笑ってしまった。
 なんて初々しい懺悔なのだろうか。
「場合によっては逃げる方を選ぶ必要もあるのに」
「ええ。王族付きは特にね。姫達を守るためなら、敵に背中を見せる場面も出てくる。まあ今そこまで考えさせるのは可哀想でしょう」
 強いだけが王族付き騎士ではない。
 場合によっては逃げなければならないのだ。
「監視の命令をされて、候補達はどうしていましたか?」
「目を丸くして言葉を無くしていましたね」
 その様子にも若騎士を中心に充分想像できて、ニコルはただ笑い続ける。
「まさか王城騎士も、候補達まで監視者だとは思ってもいないでしょうからね。候補達には、私達が見えない部分を見ていてもらいます」
 間引きは決行すると宣言されたのだ。
 王城騎士達の多くは上官や王族付きの前では必ず良い顔をするだろう。
 気を緩めるなとは言わない。だが緩め方にも限度がある。
 候補、特に若騎士達はそこを見るよう言われたのだろう。
 監視側はさぞ楽しいはずだ。だがニコルはそこには加われない。
「…少し羨ましいですね。仲間外れの気分です」
「貴方と治癒魔術師の護衛部隊、そしてガウェ殿も。監視してる暇があるなら任務を遂行せよ、ってね」
 不満というわけではないが少しこぼすように溜め息をつけば、トリックはわざと意地悪そうに微笑んだ。
「ちなみに私の任務はすでに頭打ちなんですけど」
「わかっていますよ。44年前に王城で働いていた私のお婆様から話を聞きたいのでしょう?」
 そして、ようやく本題に入る。
 宝物庫にわざわざ足を運んでくれたトリックだが、トリック自らニコルに会いに来てくれたわけではない。
 時間が空いたら少しだけ訪ねてほしいと願い出ていたのだ。
 44年前、ロスト・ロード王子が暗殺された年に王城にいた人物の話を聞く為に。
「…よろしいですか?」
「ブラックドラック家の老夫婦の仲の良さもついでに見せて差し上げますよ」
 魔術師団長リナトと共に、彼の夫人を。
「リナト団長の奥方様への愛情は未だに甘いとか」
「見ていてこちらが恥ずかしくなりますからね。孫の前で恥じらい無くいちゃつくなと何度注意したことか」
 老夫婦の睦まじい様子に孫のトリックは勘弁してほしいと肩をすくませるが、ニコルからすれば微笑ましい限りだ。
「ついでにその時にクルーガー団長からも話を聞きますか?」
「…なぜです?」
 そしてふと告げられる名前にニコルは首をかしげる。
 クルーガーからも勿論話を聞く予定だが、わざわざ固める必要はないのにと思えば、トリックはクルーガーとリナト、二人の団長の意外な接点を教えてくれた。
「クルーガー団長はお婆様に片想いしていたそうなので、三人揃わせると面白そうじゃないですか」
 完全に遊ぶ気の口調だ。
「…私が気まずくなるのでやめてください」
 かつての三角関係など、暗殺の話を聞きたいだけのニコルはどう対処すればいいというのだ。
 切実にやめてくれと訴えたが、トリックはただ笑うだけに留めた。
「クルーガー団長の奥方様は王城では働いていなかったのですよね」
「そう聞いています」
 三角関係当時の様子など知らないが、クルーガーにも夫人がいる。
 王城外で出会ったとは以前クルーガーから直接聞いたので間違いではないと思うが一応確認してみれば、トリックも頷いてくれた。
 ならクルーガーの妻から話を聞く意味はない。
 リナト、クルーガーから話を聞くとなると、三団長最後の一人からも勿論話しは聞きたいのだが。
「…ヨーシュカ団長は?」
 彼には妻はいるのか。
 恐ろしいものでも訊ねるように問うが、トリックも知らないらしく首を横に振られてしまった。
「全て謎に包まれた方ですからね。残念ながら。ヨーシュカ団長から直接訊ねた方が早いでしょう」
「…わかりました」
 出来るならあまり話したくない相手だが、暗殺の真相を一番知っていそうな人物がヨーシュカなのだ。外すことは出来ないだろう。
 あの男を想像するだけで憂鬱になるのはニコルだけではないはずだ。
「それで、今日から話を聞きに行くのですか?」
 宝物庫内の文献にもはや新たな発見は無いだろうニコルは早速宝物庫を出るのかと問われ、苦笑を返して。
「それが誰とも都合が付かなくて。一番早いのが明日です。ガウェ殿の屋敷で働いている元騎士の方がいるので」
 ただでさえ城内はまだ混乱の中にあり、クルーガーやリナトといった人物達は中心格として誰よりも忙しい身なのだ。
 城内の者達に話を聞けるのはいつになるか、ニコルにもまだわからない。
 最短がガウェの屋敷にいる老人で、紹介してくれたのも勿論ガウェだ。
「ほう…では城下に降りられるのですか?」
「ええ。何か頼まれましょうか?」
 城下に降りるニコルに少し羨ましそうなニュアンスを含ませるトリックにそう訊ねれば、彼は「いや」と手を振った。
「私は何もありませんが、スカイが飛び付きそうだ。なので彼には内密に」
 スカイといえば、以前もガウェとフレイムローズが城下に降りた際に春画を買うよう命じていたはずだ。
 美脚巨乳の舞台女優の絵は、かつてスカイと恋仲だったらしい侍女長ビアンカに雰囲気が似ていた。
「せっかくですしアリア嬢も連れていけば宜しいでしょう。話を聞き終わったら、少し城下を散策されればいい。アリア嬢はこちらに来てから国立児童保護施設の件以外では城下に降りていないのでしょう?」
 懐かしい馬鹿な思い出に浸るように気持ちを和ませていたニコルだったが、アリアの名前を出されて頭は一瞬で凍り付いた。
「…どうしました?」
 固まる様子にすぐ気付かれて、慌てて言葉を探すが脳内は白いままだ。
「…そう、ですね。考えておきます」
 ようやく捻り出した当たり障りない言葉も、声が固く違和感ばかりの代物だった。
「せっかく王都にきたのですからね」
 気付かないのか、気付かないふりなのか。トリックは普段通りに微笑んでくれるから、ニコルはそれに甘えるようにアリアの話を無理矢理終わらせた。

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