第42話
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騎士団長クルーガーと魔眼のフレイムローズが釈放されたのは、コウェルズが王城内で働く者達に休みを言い渡した翌々日の昼を過ぎた頃だった。
状況の説明はコウェルズから各隊長へ、そして各隊長から騎士達へと伝えられた。
曰く、騎士団長クルーガーとフレイムローズは五年間もの間生きながら埋められていた第四姫リーンを救い出した功労者であり、その為に罰せられる立場には無い、と。
十三名の死者を出したファントムとの戦闘についても、フレイムローズが魔眼の力で騎士達と魔術師達を押さえつけていなければ更なる犠牲者を出していたものとされ、これには死者を出した部隊の隊長は唇を噛んだが、表立って異議を表すことはなかった。
ファントムの正体については口にせずに、生きていた第四姫リーンを救い出したという体で語られ、聞かされていた通りに既に亡くなっているエル・フェアリア王デルグが“悪者”の立場を植え付けられた。
結界の弱まっていた新緑宮の強化の為に、虹の緑を宿したリーンを生贄にしたという名目だ。
コウェルズが各隊長を集めた時も、各隊長が騎士達に説明をした時も、ニコルはただ一人で宝物庫の中にいた。
どこかにロスト・ロードであるファントムの暗殺について有力な情報はないのか。
文献から情報を手に入れる事については既に諦め半分ではあったが、無理矢理没頭して、よこしまな感情を殺し続ける。
宝物庫の扉が開かれたのは、ニコルが新たな文献に手をつけようとした時で。
隠すつもりのない気配の主は、まっすぐにニコルに向けて足を進めてくる。
我の強そうな黄の瞳と、魔力の黒に縁取られたエメラルドの義眼。
現れたガウェに、ニコルは無意識に緊張を強くした。
以前から隈の酷かったガウェだが、今日は一段と酷い。
それ以前に、最後に会話をしたのは。
「…ガウェ」
最後に会話をしたのは、五年前にリーンに何があったのかをはっきりとさせる対話で。
ニコルはそこで。
「……」
沈黙は続き、ガウェはふいにニコルから目を離すと、テーブルに散らかる資料の一枚に手を伸ばした。
ニコルが調べた、44年前に王城で働いていた者達の名簿。
押し潰されそうな沈黙の中で、ガウェは静かにそれらに目を通してからようやくテーブルに戻した。
「…コウェルズ様の発言で城内は混乱中だ。民への説明はもうしばらく後になるだろうな」
「…そうか」
ガウェはどうやら隊長の説明会議に出席したらしく、現在の城内の様子を簡単に教えてくれた。
その口調は普段通りのガウェだが。
「……」
「……」
気まずい沈黙は、ニコルも負い目から押し黙るせいか。
「…黄都の領城内にも、44年前王城に勤めていた者がいる。必要なら呼び寄せるぞ」
「ああ…有り難い」
ニコルが書き出した名簿を指先で叩きながら、ガウェは協力の姿勢を見せてくれる。
まるでニコルばかりが考えすぎているかのように。
「…俺は」
考えすぎだと思えたらどれほど楽か。
しかしニコルが。
「…俺が…」
五年前、ニコルの目撃証言でリーンは地中深くに生き埋めにされてしまった。
その事実をニコルは悔やまずにはいられない。自分自身を戒めずには。
ニコルがあの日リーンとガウェさえ見かけていなければ。その事をクルーガーに話してさえいなければ。
リーンは苦しむ事など無かっただろうに。
しかしニコルの懺悔を、ガウェは不要の物だと切り捨てる。
「デルグ王はリーン様を恐れていた…お前が目撃発言をしていなくても…どこかでリーン様を陥れていただろう」
ニコルのせいではなく。
「…リーン様を守りきれなかったのは…私の失態だ」
両手をテーブルに置いて項垂れるガウェの表情はわからない。
リーンの姫付きでありながら。
ガウェはリーンを守りきれなかった。
「…ファントムがいなければ…リーン様の悲鳴に気付かずに黄都に戻っていた…あのような姿になってまで救いを求め続けたリーン様に気付かず…」
ファントムの功績を忌々しくも称えながら、強く拳を握り締めて。
「っ…リーン様は…私には救いを求めなかった!!」
苦しみを吐き出すように、ガウェは壊れるほど強く拳をテーブルに打ち付けた。
ニコルが思い出すのはフレイムローズの言葉だ。
恐らくファントムから見せられたのだろう、土中に埋められたリーンの様子を。
リーンは多くの者達に救いを求めた。しかしガウェには。
ガウェには謝罪の言葉を繰り返し続けたのだ。
救いを求めずに。
その事実がどれほどガウェを苦しめたかわからない。
「…必ずリーン様は救い出す」
ガウェは異常なほどの忠誠心と執着心を隠さずにリーンの傍にいた。
リーンが亡くなったとされても消えなかった二つの感情。
顔を上げたガウェは、虚ろな中に灯る消えない二つの感情をニコルに静かにぶつけた。
「…お前やアリアの存在がファントムを誘き出すのに有効なら…俺はお前達を使うぞ」
ファントムはニコルの父親だった。
その家族関係が有効ならば。
ガウェの言葉をニコルは甘んじて受け入れる。
ただひとつを除いて。
「…アリアは許してくれ…俺の首なら、使いたい時に使えばいいから」
ニコルの命がファントムを誘き寄せるに充分ならばいくらだって使えばいい。
だがアリアは。
「アリアを傷付けるなら…俺はお前を…殺す」
アリアだけは。
誰にも。
互いを憎むわけではない。
だがまるで憎しみ合うように、ニコルとガウェは互いを牽制し続けた。
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「--では、暫くの間宜しくお願いするよ」
王城中庭の一角に集まったアリアとモーティシアに向けて穏やかな笑顔を浮かべるのは、第一姫ミモザの王族付きであるミシェルだった。
「こっちのセリフですよ。忙しい時にすみません」
「護衛といってもレイトル達曰く“王族付きより断然楽”だそうなので、気楽にしていてください。承諾してくださってありがとうございます」
アリアは少し申し訳なさそうに頭を下げ、モーティシアは満足そうに笑顔を向ける。
アリアの護衛から一時的に抜けたニコルの代わりに護衛部隊に入ってくれたミシェルだが、それまでサリアの護衛も勤めていた為に引き継ぎで少し時間を食ってしまったのだ。
アリアとしては兄が抜けたからといってわざわざ新しい騎士に来てもらわなくてもという思いがあるが、良質な魔力を持ち、尚且つアリアに思いを寄せるミシェルが少しの間とはいえアリアの傍にいることはモーティシアには万々歳の出来事だった。
「アリア嬢の為ならどんな任務でもこなすさ」
「え?あ、無理はしないでくださいね。あと、アリアと呼び捨てて下さい。みんなそうなんで」
早速ミシェルはアリアに特別な言葉を向けるが、アリアはさらりと躱して。
「…アリア狙いならストレートに行かないと無意味ですよ。考えないようにしているのか無頓着ですから」
静かにミシェルの隣に移動しながら、モーティシアはアリア攻略の助言を小声で告げる。
モーティシアが魔力の高い者をアリアの夫にさせたがっていることはミシェルもすでに知っていたが、露骨な助言に苦笑いを浮かべることしか出来なかった。
アリアが不思議がる前に小声をやめて、普段通りの落ち着きを見せながらモーティシアは早速護衛部隊長としての顔を見せる。
「では本題に入りますが、治癒魔術師の仕事は今は開店休業状態でして、基本的にアリアの勉強か、エルザ様の訓練に付き合う事が主になります」
「…以前は治癒依頼にそって動いていたと思うが」
「それをするときりが無いので、医師団からの依頼や緊急事態以外では動かないことに決めたのです」
ミシェルの知る以前の方法との違いに、モーティシアは溜め息交じりに返して。
「指先を紙で切った程度で呼び出されてはたまりませんからね」
「…そのくらいで?」
最初は依頼にそって動くはずだった。だがあまりにも治癒魔術師を小馬鹿にするような依頼が多すぎた為に最初に考えられていた方法は初っぱなから変更されたのだ。
その理由のひとつを聞かされてミシェルは眉をひそめて不愉快な表情を見せる。
まさか騎士からそんな輩が出てはいないだろうなと訊ねたそうな様子だが、そのまさかだ。
「あ、でも真っ当な依頼があればちゃんとしてますよ!」
ミシェルの表情をどう受け取ったのかアリアは慌てて仕事はきちんとこなしていると訴え、
「その依頼で注意してほしい人物の頂点に大臣がいます。大臣からの治癒依頼が来た場合は大臣から目を離さないでください。まあ虹の七家のあなたがいる前でアリアに手を出そうとはしないでしょうが」
「……」
付け加えるというには重すぎる質の悪い依頼人をモーティシアが告げると共にアリアが深い溜め息をついた。
「大臣はそんなに酷いのか?」
「…まあ、その…」
元々女癖が悪く侍女にも半ば強引に手を出していたと噂の大臣ではあったが、侍女長が現在のビアンカに代わってからはその噂も消え始めていた為にミシェルは少し首をかしげる。
貴族階級を重んじる大臣であることはミシェルも知っているが。
「仕事が出来る方であることはわかっていますが、存在が気持ち悪いです」
大臣を全否定するモーティシアの言葉に、ミシェルはお腹を抱えて吹き出した。
「それを言ったらもうっ…」
「わ、笑い事じゃないですよ…」
大笑いを続けるミシェルにアリアは抗議するが、まだどれほどの被害がアリアに出ているのか知らないので笑うしかない。
とは言っても大臣が無理矢理アリアの夫候補に名乗りを上げた事実はミシェルも知っているので事態はどちらかといえば悪い方なのだろう。
「わかった、注意するよ。それで今日は?」
「朝にエルザ様の訓練に付き合いましたので、昼間は書物庫でアリアの勉強ですね」
今日の今後の展開を訊ねられてモーティシアが説明する中で、何故かアリアが恥ずかしそうに息をひそめた。
「さっきも言っていたな。何の勉強を?」
「ど--」
「--治癒魔術の勉強です!もっと効率よく出来たらなと思って。あたし、治癒魔術の訓練ってほぼ独学だったんで!」
何やら隠したい様子でモーティシアの言葉をアリアは遮るが、
「…それと、同盟国の言語文化の勉強も」
「…ぅ」
勿論モーティシアがアリアの気持ちを汲んで隠してくれるはずなど無かった。
早速アリアは顔を真っ赤にするが、ミシェルにはいったいアリアがなぜ恥ずかしがっているのかわからなかった。
「飲み込みは早いですが、まだラムタル国とイリュエノッド国の言語しか覚えてはいません」
今まで平民として自国の言葉しか知らないのは当然のはずなので他国語を知らないからとミシェルは笑いはしないが、アリアにはそうでもないのだろう。
顔をさらに真っ赤にして俯いてしまうが、一年経たずに二つの国の言語を覚えたなら優秀ではないか。
「半年以内に七姫様達が嫁がれる国の言語は覚えさせたいので」
モーティシアはとっとと言語を覚えさせたい様子だが、
「…半年は、さすがに厳しくないか?」
アリアの肩を持つわけではないが残り四つの国を半年以内に覚えるとなると相当の覚悟と勉強が必要だろう。
アリアはすがるような眼差しでミシェルに救いを求めてくるが、モーティシアは鬼だった。
「大丈夫ですよ。アリアは飲み込みが早いですし、無理なら私も言いません。治癒魔術の勉強を後回しにすればアリアならやり遂げますよ。それと最終目標は同盟国全て覚える事ですから、ここで根を上げられても困ります」
出来ると確信があるから。そう信じてもらえること自体はアリアも悪い気がするわけではないだろうが、プレッシャーの問題だろう。
モーティシアは有無を言わさない様子でいるが。
「…でも」
「あなたは止血なら自分の回りに怪我人を集めて一気に行っていますが、あれも相当技術が必要なのです。あれほどの技術があるなら、今さら一から勉強し直す必要はありませんよ」
「…はい」
アリアは治癒魔術の訓練を優先させたいのだろうが、モーティシアが相手では分が悪い。
しゅんと項垂れるアリアとは逆に、モーティシアはさっぱりと良い笑顔だ。
「では書物庫に向かいましょうか。治癒魔術師と護衛部隊はファントムの件から外されますので」
モーティシアにすればアリアに甘すぎるニコルがいない事は幸いなのだろう。
ガブリエルの件があったからにしても、ニコルの空いた穴をミシェルが埋める事になり、結果的にはモーティシアの理想通りに動いているはずだ。
だがそれでは、ミシェルの予定が少し狂う。
「…モーティシア殿」
歩き始めながら、アリアには聞こえないようにミシェルはモーティシアを呼ぶ。
「何か?」
「アリアがいない時に少し話せないだろうか?」
ここでは話せない用件を。
ミシェルの表情の変化を、モーティシアは暫く考えるように黙ってから、やがて静かに受け止めるように頷いた。
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