第41話


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 朝日の登り始めた時間帯に、食事を済ませたばかりのルードヴィッヒは軽い運動がてら小走りで移動しながら、今日の持ち場である新緑宮の跡地に訪れた。
 魔具の装飾は相変わらずで、今では細かなブレスレットにも挑戦してその維持に勤めるという魔具の訓練がてらの任務だ。
 時間的にもまだ早いはずで一番乗りだと思っていたのに、よりにもよって王族付き候補の教官であるスカイが先にいる事態にルードヴィッヒは焦った。
 まだ時間的には早い。早いはずだが。
「おう、遅ぇぞ」
「…すみません。おはようございます」
 教官なら下階級より少し遅く来るくらいの気は使ってくれてもいいのではないかという文句は飲み込んで、ルードヴィッヒはスカイの隣に並んだ。
 目前には今は潰されて跡形もない新緑宮を囲うように魔術師団の壁が出来ている。
 昨日はコウェルズ王子からの突然の休暇宣言で新緑宮は丸一日結界の役目を果たさなかったことになるが、今日は夜明け前から結界を張っているらしい。
「…コレー様とオデット様は?」
「魔術師団の壁の向こう側。トリックもあっちだ」
「そうですか…結界は直りそうですか?」
「わかんねえ。魔術師団の領分だからな。俺達騎士団は見守ることしか出来ないな」
 エル・フェアリア全土に延びる結界の要である七色宮。その中央に位置する新緑宮は、潰されてから今まで、人力での結界の維持となっているのだ。
 その人力は、幼い二人の姫に託されている。
 魔術師団は第六姫コレーと末姫オデットのサポートに回りつつ新緑宮の再構築にも携わっているが、魔術師団の領分であるはずなのに、騎士であるトリックも加わっていることにルードヴィッヒは首をかしげた。
「…でもトリック殿は」
「あいつは魔術騎士だからな」
 騎士でありながら魔術にも長けた魔術騎士。エル・フェアリア唯一の存在にルードヴィッヒは呆けたように思いを馳せる。
 正直、格好良いと思う。
 でもどれほど努力しなければいけないのか。
「お前も本気で目指すか?魔術騎士」
「え!!」
 途方にくれかけた時にいとも簡単に訊ねられて、ルードヴィッヒは大きな声で驚いた。
 最近周りから声が大きくなったとよく言われるようになったが、スカイの影響であることは自分でもよくわかっている。
「なれたらエル・フェアリア史上二人目の魔術騎士の誕生になるな。いっそ10代の内になれるよう目指せ。そうしたらガウェやニコルを越える快挙だぞ。お前最初は魔術師団入りを推薦されてたんだから、訓練励めば無理でもないだろ」
 憧れている場所に手が届く可能性を告げられて、心は逸った。
「…本当ですか?」
「お、越す気満々だな」
「そんなつもりでは…」
 なんとか落ち着かせるためにわざと声のトーンを落としても、気持ちは浮き足立とうとする。
 早く強くなりたいという思いはまだ消えてはいない。
 そして強さを求めた理由は。
「そういやファントムの捜索隊に志願したそうだな」
 強さを求めた理由となった少女に繋がる件を口にされて、思わず心臓が跳ねた。
「…はい」
「お、何か心配事か?」
「あ、いえ…」
「何だよ。歯切れ悪いな」
 ガウェに教えてもらい立候補した、捜索部隊への志願。
 表向きはリーン姫の捜索だが、ファントムに繋がる者達全員の捜索となることは目に見えており、一番危険な部隊だとも言われている。
 そこに志願した理由は、ただ一人の少女で。
「…気になる子が向こうにいる可能性があるから立候補したと言ったら…幻滅されますか?」
「……」
「…………」
「………………はあ!?」
 数十秒は固まった後に、スカイは凄まじい驚きの声を発した。
 あまりの大声に、新緑宮を囲む魔術師の数名がスカイとルードヴィッヒに目を向ける。
「え、おま、女関係!?」
 言うべきではなかったかとは思ったが、信頼を寄せる教官であるスカイには黙っておきたくなかった。
「…ファントムの仲間か?女は二つくくりとナイスバディの二人いたって聞いたが」
「…いえ…仲間かどうかはわからないんです」
「あ?」
 ナイスバディなどといかにもオヤジらしい言葉に少し引きながらも、ルードヴィッヒはファントムの仲間なのかどうか一切わからない少女に思いを馳せる。
「…パージャ殿の、恐らく妹で」
 ミュズ。
 薄桃色の髪の、不思議な女の子。
「…あいつ妹いたのか」
「あ、わからないんです。家族だとは言ってたんですが、妹とも…婚約者とも違うという風に…ファントムとの戦闘では姿は見られませんでした」
 ミュズがどこにいたのかはわからない。もしかしたら巨大な船の中にいたのかもしれないし、仲間じゃないかも知れない。
 なにもわからない状況なのだ。
「…パージャの姉か娘か母親か?」
 パージャとの関係がわからないと告げただけでそこまで言われて、少し馬鹿にされた気分になってしまった。
「…年頃は私より少し下くらいです」
 娘はまだしも、パージャの姉や母などという年齢ではなかった。
 だがスカイはルードヴィッヒの曇る声を吹き飛ばすように、ルードヴィッヒが知らない情報を与えてくれる。
「わかんねぇぞ?ファントムの仲間なら、不老の疑いもかかってるらしいからな」
 聞き慣れない言葉に、眉をひそめて。
「…不老?」
「ああ。パージャが不死だった事は知ってるだろ。その延長で、不老の可能性もあるらしい」
 何をされても死ななかったパージャ。そのパージャにかけられた、更なる疑い。
「…不老、不死」
「呪いのひとつだそうだ。それもかなり強力な」
 呪いと聞いて思い出すのは、初めてパージャと会った頃だ。
 ルードヴィッヒが欲しかったガウェの側を、何の苦もなく手に入れたように見えたパージャ。
 ルードヴィッヒはそれが悔しくてパージャに噛みついて。

--努力…ねえ…俺がここまで生き残るのにどれだけ努力したと思う?--

 ルードヴィッヒが自分の必死の努力を口にした時に、パージャは言ったのだ。

--努力した分だけ報われるなら…お前らごときが俺に敵うはずないだろ…--

 どれほどの世界でパージャが生きてきたのかをルードヴィッヒは知らない。
 だが自分がどれほど甘い世界で生きてきたかを気付かされた。
 パージャは努力など生温い言葉の通用しない世界で生きてきたのだ。
「…呪いですか」
「ああ。クレア様の婚約者も呪われたって話だし…歯痒いなぁ」
 そして呪いは、悲しいほど誰かを苦しめ傷付ける。
「…クレア様は」
「近々嫁がれる。婚約者の呪いを解く鍵がクレア様らしくてな。クレア様はリーン様が見つかるまでは二国を行き来するだろうから…解呪が上手くいけば、クレア様の護衛の名目で向こうさんから魔術騎士団の一部隊を借りられるんだと」
「そんな、交換条件みたいな事…」
「それだけ必死なんだ。こっちも向こうも」
 互いの利益の為に第三姫クレアを差し出すかのような内容に、それを否定しないスカイに、ルードヴィッヒは唇を噛んだ。
 それを仕方無いと割り切るには、ルードヴィッヒはまだ若く世界が狭いのだ。
「それと…コウェルズ様は騎士の間引きを行う予定だそうだ」
 まだパージャやクレアの呪いの件をわだかまりとして胸に残すルードヴィッヒに、その新しい情報は急すぎた。
「…え?」
 意味がわからず、素で問い返してしまう。
 間引きとは、いったいどういう意味だったか。そこから。
「ファントムとの対戦の時、エル・フェアリアの騎士団はたった六人の侵入者相手にボロボロだったからな。戦線から離脱した馬鹿が何人もいたんだ。使えない者は省いて、使える者を育て直す腹だろう。じきに団長も戻るからな」
 つまり、無駄な騎士を追い出すということか。
「何か急いでいらっしゃる…俺の勝手な思い込みだが、ファントムとの二戦目があるかもな」
 捜索部隊に志願した際、確かにコウェルズはルードヴィッヒや他の騎士達を値踏みするように見ていた気がするが。
「お前は大丈夫だろうが…引き締めとけ。見込みのある奴がいるならそれとなく伝えて、今からでも個人訓練強化しとけ」
「…はい」
 何もかもが目まぐるしくて、頭が回る。
 漠然とした不安に苛まれて、ルードヴィッヒの返事は久しぶりに小さく沈みきった。

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 朝に護衛の騎士と侍女に起こされて、ベッドで少し呆けて。
 騎士が部屋を出て少し経ってから、着替える為に寝間着のドレスを脱いだエルザに、侍女は着替えのドレスを渡してくれながら脱がれた寝間着についた染みにわずかに目を見開いた。
「--エルザ様…月のものが…」
「え…あ」
 それは昨夜のニコルとの情交の際についてしまった血の染みで、しかし侍女は月のものと勘違いしてくれた様子で。
「予定より随分早いです…すぐに医師をお連れしますので」
「あ、待って…」
 勘違いしてくれたのは有り難いが、予定よりも早いことに侍女は焦ったように部屋を後にしようとするから慌てて止めて、以前他の侍女から聞いたことのある不順の理由をたどたどしく口にした。
「…その、この数日…大変なことが多かったから、そのせいでしょう…心配しないで下さいな」
 誤魔化せたかどうかはわからないが、大事にしないでと暗に込めて。
「…そうですか?…では体調が優れないようならすぐにお伝え下さいませ」
 すると侍女も不順程度ならと思ってくれたのか、心配そうに表情を曇らせながらも医師を呼びに行くことは止めてくれた。
 エルザの着替えを手伝ってくれて、少し露台に出たいと言えば快く応じてくれて。
 一人で朝の風を身に受けながら、エルザはそっと下腹部を押さえた。
 痛むわけではない。
 疼きはするが、それは昨夜ニコルと愛し合った結果で。
「…ニコル」
 今のエルザは、ニコルの恋人なのだと。
 そう、下腹部の疼きが教えてくれるようだった。
 昨夜会ったばかりなのに、早く会いたい。
 きっとまだ生真面目に宝物庫にいるのだろうニコルを思いながら、エルザはそっと満たされた心地好さに笑みを浮かべた。

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 宝物庫の中でニコルは、すでに朝日が登っていることも知らずに文献を読み耽っていた。
 何もかもを忘れるように没頭し、父の過去を洗い。

--ロスト・ロード王子の暗殺の首謀者は王妃と断定され、エル・フェアリア全国民の怒りを買った王妃は、エル・フェアリアでは前代未聞の公開処刑に処された。

 そして関わったとされる王族も次々と処刑され、エルフェアリアの王家は直系を残すのみになってしまった---

 どこを読んでも、別の解釈を探してみても。
 ロスト・ロードの一生は書かれている事が全て同じで、尚且つ暗殺の件については隠すどころか知られていないかのように詳しく書き記されてはいない。
 この文献で十冊目か。
 何もかも、書かれていることに代わり映えはしなかった。
「--早いですわね」
 そこに、昨夜コウェルズから訪れるだろうと言われていた姫が顔を出す。
「ミモザ様…おはようございます」
「おはようございます…まさか昨晩から?」
 ニコルの目の下の隈に気付いたように、ミモザは心配そうに表情を曇らせる。
 不用な心配はさせたくなくて、ニコルは背筋を伸ばし普段通りに振る舞った。
「はい。ですがやはり、詳しくは記されておりません」
「…でしょうね…後は、当時の生き証人から聞く以外には無いでしょう」
「…そうなりますね」
 ニコル達が知りたいのは、暗殺の件だ。
 だがこれといった確たる詳しい出来事は書かれておらず、漠然と“ロスト・ロードは暗殺されて首謀者は王妃。その王妃も処刑”程度で済まされているのだ。
「…44年前に王城に勤めている者となると」
「だいぶ限られますわね」
 ニコルの知る限りで44年前から王城にいる者は、三団長くらいだ。後は城外を探すことになるのだろう。
「一人一人聞いて参ります。王城を出ることにもなるでしょう」
「…躍起にはならないでね」
 昨夜コウェルズに言われたと同じ意味合いの言葉だというのに、なぜコウェルズとミモザでこうも胸に来る度合いが違うのか。
「ありがとうございます。ほどほどにしておきます」
 少しだけ肩の力を抜きながら、頭を下げる。
 同じ王家の血を引く者としてミモザは少しもどかしそうに視線をさ迷わせたが、その事には触れずにいてくれた。
 エルザやミモザのこの思い遣りの欠片でもコウェルズが持っていてくれたなら、ニコルもここまで頑なにはならなかっただろうほどだ。
「それと、ミシェルの事ですが」
 そして本題に入るとでもいうように、ミモザは昨日ニコルが願ったアリアの護衛の件を話してくれる。
 ミシェルはすでにサリア王女の護衛に回されていたのでダメ元だったが。
「ミシェルにはサリアの護衛も勤めてもらっていたので、アリアの護衛に回すには引き継ぎなどで明日か明後日になりますが、それでも宜しくて?」
 有り難いことに、融通を利かせてくれると。
「ありがとうございます。是非お願いします…無理を言って申し訳ございません」
「構いません」
 ガブリエル・ガードナーロッドの件があったので兄であるミシェルを指名したが、ミモザにはそこまで告げてはいなかった。しかしアリアの噂は王城中に流されているので、ミモザが知っている可能性も拭えはしなかった。
 ガブリエル・ガードナーロッドが侍女に戻ったことも、ミモザなら把握していそうだから尚更に。
 話しはここで終わりかと思ったが、ミモザは最後に少し言いにくそうにニコルを窺ってきた。
「…ニコルは、ミシェルのアリアへの気持ちは?」
 窺うその理由に、無意識に息を飲んで。
 ミシェルがアリアに思いを抱いていることなら、既に。
「--…知っています。以前ミシェル殿から話を持ち出されました」
 その時は、なぜ自分に言うのかとミシェルに切り返した。
 アリアに告白するでもなく、ニコルから囲い込もうとする貴族のやり方に苛立ったが。
「…決めるのはアリアだと思っているので…私は口出しはしません」
「そうですか」
 そうだ。決めるのはニコルではなくアリアなのだ。
 ニコルは、気付いてしまった自分の本当の思いを口には出来ない中で。
 決めるのはアリアだと宣いながら。
 苛立ちに拳を強く握る。
 アリアが誰かを選ぶなど見たくなかった。
 いっそ失恋の痛手を引きずって一生誰のものにもならずにいてくれたら。
 アリアがニコルのものになるなど、有り得ないのだから。
「あら…ニコル、怪我を?」
「え?」
 ふとミモザの視線が落ちて、ニコルの注意を引いた。
「腰に…」
 どこも怪我などしていないがと思いながらミモザに示された場所を見れば、そこには掠れるような血の染みが付着していた。
「---…」
 すぐにその血が誰のものであるか気付く。
「いえ、これは…」
 昨夜この場所でまぐわった、エルザの痕跡だ。
「…お気になさらないで下さい」
「…そう?」
 ミモザは少し気にするように眉を潜めるが、それ以上は詮索せずにいてくれる。
 ここでニコルは、エルザを抱いた。
 エルザの愛を蔑ろにして、偽りの愛を語って。
 アリアに向けられない愛を、ニコルは身代わりのエルザに向けたのだ。

第41話 終
 
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