第41話
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言葉もなく必死にしがみついてくるエルザの体を支えながら、ニコルは狭い膣壁に高まる快楽に身を委ねていた。
痛みと圧迫感に苛まれているかのようにエルザはつらそうに眉を寄せているが、律動は止められない。
せめて痛みが和らぐようになるべく優しくと心がけても、それ以上の劣情がニコルに自分を優先させることを選ばせた。
エルザの瞳から涙は溢れて、必死にニコルにすがる様子が初めて出会った頃のエルザと被らせる。
あの時。
七年前のあの日。
--俺はエルザに一目惚れしたんじゃない
互いに一目惚れだと思っていた、初めての出会いは。
ニコルの真実は。
--俺は…妹の存在をエルザに被せたんだ
守るべき存在を。
あの時。
エルザは守るべき妹になった。
エルザが守るべき妹になった。
だが実際にエルザは妹ではないから。
妹への特別な感情を、恋と間違えた。
血の繋がらない…愛することが許される偽りの“妹”
そうして本当の妹“アリア”は。
会えない年月の方が多いまま。
血の繋がった、一人の女性へと変わってしまったのだ。
家族への愛と異性への愛が混濁して、もう最初の頃には戻れない。
どこから歯車が狂ってしまったのか。
どこから間違ってしまったのか。
あまりにも長い時間を間違えすぎてしまった。
「エルザっ…」
絶頂が近くなり、エルザの体を強く抱き締める。
名前を間違えるな。
彼女はアリアではない。
ニコルにとってアリアの代わりとなってくれる、可愛くて可哀想な娘。
偽りの愛だと気付いてしまったニコルを信じて疑わない、可哀想なエルザだ。
「エルザ…エルザっ」
一方的な快楽を貪るニコルに健気に体を差し出すエルザを抱き締めながら。
「っく…」
「ニコル…」
昼間に出しつくしたから精は出はしない。それでもニコルはエルザの中で絶頂を感じて、深く激しく貪るように口付けた。
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「--まってよ!」
ラムタルの人気の無い王城内を、ルクレスティードは白い蝶を追いかけながら走り回っていた。
人払いされた寂しい区画の中で無邪気にはしゃぐ姿はどこか異様で、うすら寒くすら感じる。
だが不思議な白い蝶を追いかけて遊ぶルクレスティードはそんな事には頭を使わず、ただ今を楽しむことに熱中していた。
「どこに行くの?」
蝶はルクレスティードに掴まる寸前でひらりと躱しながら、先に先にと進んでいく。
「そっちはお姫様の部屋だよ?」
蝶は最初からは目的地を決めていたかのようにその扉のノブに止まると、ルクレスティードに「開けてくれ」と願うように羽を何度かパタつかせた。
「…入っちゃダメだよ。静かにしておかないと」
シー、と指先を口の前で立てて静かにねと告げるが、蝶はひらりと飛び立ち隣のノブに止まり、開けてほしいとまた催促を繰り返した。
中に入りたがる行為を止めない蝶に、ルクレスティードはわざとらしくため息をつく。
「…少しだけだよ?」
仕方無いなぁと大きく重い扉を開ければ、蝶は待ち望んだかのようにするりと中に滑り込む。
ルクレスティードも後に続いて入れば、中には誰もいないことに気付いた。
いつもは癒術騎士と呼ばれる治癒魔術師の双子がいるのにと思いながら中に静かに進めば、
「…あ!」
蝶が眠るリーンにまとわりつくよう飛ぶ姿を見て慌てて駆け寄った。
「だ、ダメだよ…寝てるから…」
ベッドで昏々と眠るリーンの顔の回りを飛びながら、頬や額にふわりと留まり、また飛び上がる。
まるでリーンを起こそうとしているかの様子でルクレスティードは慌てるが、
「---…」
「!!」
ルクレスティードが蝶を掴まえるより先に、リーンが目覚めてしまった。
「……」
目を開いたリーンは、髪に留まる蝶には気付かないままルクレスティードに目だけを向ける。
「…起こしちゃった?ごめんなさい」
「…末子か」
眠たげな声は少女のものだが、やけに大人びて落ち着いている。
歳は12歳のルクレスティードよりリーンの方が歳上のはずだが、見た目ではリーンの方がまだ幼い。だというのに大人びた様子は違和感しかなく、ルクレスティードは思わず言葉を詰まらせてしまった。
「…どうした?」
ルクレスティードの変化に気付いたリーンは訊ねてくれるが、やはり違和感ばかりが先に立って。
「…様子が…」
「…安心しろ。本体は眠っているだけだ」
見た目との違いに困惑するルクレスティードにわずかに微笑みながら、リーンは自分がリーンでないことを告げる。
そして髪に留まっていた蝶がふわりと飛び上がってリーンの頬に留まり。
「…何だ、この蝶は--…」
不思議がるリーンだったが、蝶の魔力の元に気付き、目を見開いて驚きを見せた。
「僕のペットだよ!可愛いでしょ?」
そんなことには気付かないルクレスティードは無邪気に蝶が自分のペットであると告げる。
「…ふふ…ペットか」
「でもお父様に見つかったらダメなんだ」
初めて蝶を見つけた日、普段はルクレスティードが何をしようが興味を持たない父が、その日の気分だったのか、ルクレスティードに蝶を捨てろと命じた。
その後はずっと蝶を隠してきたので見つかってはいないはずだが、次に父に見つかったらどうなるかわからない。
見つからないようにしないと。
そう再認識するルクレスティードだが、蝶はリーンの元から離れず。
そしてリーンの瞳も蝶から離れなかった。
「…この蝶、リーンに譲ってはくれんか?」
互いに繋がりがあるように感じる中で、リーンはルクレスティードに微かな声で願い出る。
「え…でも」
「頼む。体を動かす訓練が始まってから、リーンが動かない体に違和感を持ち初めているのだ。この蝶がいれば気も紛れよう」
自由に身動きの取れないリーンの為に。
そう言われてしまうとルクレスティードも拒むことが出来ないが、すぐに「わかった」と大切な蝶を手放すことも出来なくて。
「…まだ少しも動かないの?」
抗うように訊ねてみれば、リーンは視線をルクレスティード側に近い自らの手に向けた。
「…私の手を見てみろ」
骨と皮ばかりの指先。そこに目を向ければ、リーンは力を込めるように全身を震わせる。
懸命に、全力を込めて。
「---っ…」
そうしてようやく数秒後にピクンと小指が動いて、リーンは体の力を抜いた。
たったそれだけしか動かしていないというのに、リーンは疲れきったように呼吸を重くする。
「…自力ではまだこの程度が限界だ。私は魔力で目や口や喉を動かしてはいるが…リーンはそれすら叶わぬ」
それは自由に走り回ることの出来るルクレスティードには想像もつかない事だった。
体が動かせないなんて。
きっと楽しくない。
「…わかった。蝶はあげるよ。…でも僕も会いに来ていい?」
そんなリーンが可哀想で、ルクレスティードは蝶を譲る決心をする。
でもやはり少し名残惜しくて、たまには会ってもいいかと問えば、リーンは少しだけ微笑んで頷いてくれた。
「…勿論だ。リーンが目覚めているときにも来てやってくれ。良き話し相手になるだろう」
「わかった!」
不自由なリーンの為に。まるで年下の友達ができたかのような気分になって、ルクレスティードは強く頷く。
だがすぐに違和感も生まれて。
「…君はリーン姫じゃないの?」
やはり自分がリーンではないとの発言に納得がいかなくて、再度訊ねてしまう。
「私はリーンの痛みを引き受ける人格に過ぎぬ。時が来れば…自然と消滅するだろう」
自分は本当のリーンじゃないから、いつか消える。
そんな悲しい事を聞かされて、単純に納得など出来ないが。
「…お主の母親が探しておるぞ。戻ってやれ」
はぐらかすように、リーンはガイアが呼んでいると教える。
それが嘘か本当かはわからなかったが、ルクレスティードも子供なりに居た堪れなくなって、静かに身を引いた。
「…うん。またね」
ルクレスティードはそのまま背中を向けて、静かに離れていく。扉が再び開けられて、ルクレスティードが出ていくと同時に静かに閉められて。
室内に静寂が戻った後で、再度蝶は浮かび上がり、リーンの額に口付けるようにそっと留まった。
「…そのような姿になってまで…リーンを案じてくださるのか…」
人の姿を無くしてまで。
「…母よ」
蝶の魔力に気付いた瞬間に、蝶が何者であるかも知った。
姿を変えてまで娘を思う母に、リーンは静かに目を閉じた。
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