第28話


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 慌ただしい辺りを歩き進みながらヴァルツが訪れたのは、多くの伝達鳥達が生活する巨大な鳥小屋だった。
 整然と並べられた小屋は一室一室分けられており、対話可能である特に珍しい伝達鳥には一羽につき一部屋が与えられている。
 人間が住むには狭い部屋だが、鳥の休む部屋には充分すぎる広さ。
 その中の一羽を確認して、ヴァルツはそっと忍び込んだ。
 綺麗に掃除された室内の主は、尾が美しく長いオウムの伝達鳥だ。
 ラムタルとエル・フェアリアを繋ぐ伝達鳥。これに話しかければ、兄王であるバインドに繋がる。
 以前話したのは、絡繰りを一機壊してしまったとバレた時だった。
 ゆるい理由からヴァルツとごね合っていたコウェルズと共に二時間説教されて以降、兄とは話せていない。
 歳の離れたバインドは兄として尊敬できる人で、同時に少し恐ろしい。
 その恐ろしさの理由はヴァルツが馬鹿をして怒られるからなのだが。
「……」
 聞きたいことは山ほどある。
 それらの全てはファントムに絡むのだが、知りたがりの性格だと自分でもわかっているはずなのに、知ることが恐ろしく思えた。
 兄からは散々言われてきた事だ。
 自ら“知る”という行為には責任が伴う。“知る”以上、投げ出すことは許されないのだと。
 そこで投げ出すのは、愚か者に成り下がるという事だと。
 だから怖かった。
 ファントムがラムタルと、兄と通じている可能性の真実を知ることが。
 もし通じていたら、ラムタルとエル・フェアリアはどうなってしまうのか。
 怖い。だが、知りたいからここに来たのだ。
 拳を握り締めて、決心したようにオウムの前に向かって。
 兄に繋げてくれと言えば、ラムタルにいる対のオウムもバインドの元に向かうはずだか--
『--ヴァルツか』
「うわあぁ!!」
 思いもよらぬ突然の兄の声に、ヴァルツは凄まじい悲鳴を上げた。
 お陰で隣近所の伝達鳥達も騒がしく鳴き始めてしまい狼狽えてしまう。
 しかし目前のオウムは動じずに、向こうにいる兄の愉快そうな笑い声を届けてくれた。
「…兄上…」
 恥ずかしさと、不安と。
『そろそろお前から連絡が来る頃だろうと待っていた』
 バインドはどこまでも弟の動きを見通しているらしく、さらりと向こうのオウムを待機させていた事を教えてくれる。
 なんて心臓に悪いことをしてくれるのだ。おかげで鼓動がおかしい気がする。
 いや、鼓動がおかしいのは兄のせいではなくて、自分の恐怖心が理由なのだ。
『…どうした?訊ねたいことがあったのだろう?』
 兄がどこまで気付いているのかわからない。それともやはり、ヴァルツが伝達鳥を使うとわかっていた辺り、ファントムとの件には何か関わりがあるのか。
「…リーンが生きておった」
 再度決心して、ヴァルツは生きていた兄の婚約者の名前を告げる。コウェルズからはヴァルツにも箝口令があったが、聞くはずがないとわかっているだろう。
 ヴァルツより一歳年下のリーン。
 生きて健やかに成長していれば、ラムタルの王妃として嫁いでくる年だった。
 兄は口を開かない。
 言葉を失っているのか、ヴァルツの次の言葉を待っているのか。
「ファントム達が現れたのだ。生きていたリーンを連れていってしまった。…それと逃げ去る時、巨大な空中船が……」
『ほう…興味があるな』
「知っているはずだ!!」
 ようやく口を開いた兄のとぼけるような口調に、思わず声を荒らげてしまった。
 リーンに対してのくだりではなく、空を飛んでいた船の件に対して。
 あれは。あの船は。
「あの飛行船の節々に、ラムタルのからくり技術が使われていた…それにあの形…兄上の設計された“空中庭園”そのものではないか!!」
 ヴァルツがその設計図を見せてもらったのは、ずっと昔の事だ。
 まだ兄の膝の上に乗れていた時。兄が描き上げた“空中庭園”をワクワクと眺めた。兄も力作だと設計図を前に説明してくれて。
 ヴァルツが忘れるはずがない。
 出来上がるのを、ずっと心待ちにしていたのだから。
『大声を上げるな。聞こえている』
「はぐらかさないでくれ!!兄上…あなたは何をしようとしているのだ!?」
 ずっと待っていたのに、あんな形で姿を見せられて。
 裏切られたように胸が痛む。
『ヴァルツ、よく聞きなさい』
 だが兄は冷静な口調だった。
 ため息までオウムが届けてくれるほどに。
 そして。
『私は何も知らない』
「嘘だ!!」
 またもはぐらかすように告げられて、ヴァルツも大声で否定する。他の室内の伝達鳥達がまた騒いだが、今度は気にしなかった。
 何も知らないなんて、そんなはずがないのだ。
 だってファントムの一団は、まるでヴァルツを知っているかのように、ヴァルツにだけは切っ先を向けなかったのだから。
『…エル・フェアリアは現在混乱の只中にある。お前は邪魔になるだろうから、もう戻ってきなさい。エル・フェアリアと我がラムタルは、まだ同盟関係には無いのだからな』
 冷めたような兄の言葉に、ヴァルツの胸の内も冷えた。
 どうしてそんな事が言えるのだ。同盟を結んでいなくても、大切な国であることに変わり無いのに。
 かつてリーンが暗殺された可能性を語った時は、初めてヴァルツの頬を叩いて怒ったくせに。
 どうしてそんなに冷たいのだ。
「…同盟を結んでいないから、狙っているのか?」
 その思いは、他方に流れ始める。
 ヴァルツは、エル・フェアリアの愚王とは別の意味で王座には向いていない。
 素直すぎる性格が、ヴァルツに有り得ない考えを巡らせていく。
 まだ同盟を結んでいないから、エル・フェアリアを。
「…同盟を結んでいないならそれで…この国で私は役に立てる」
『馬鹿なことを考えるな。ミモザは守れたのだろう。とっとと戻ってきなさい』
「嫌だ…」
 やっぱり兄は凄い。ヴァルツの言いたいことを理解してしまったのだから。でもヴァルツも引けない。
 エル・フェアリアは大切な国だから。
 ラムタルにとって、何より自分にとって。
 そのエル・フェアリアを兄が狙っているなら。その企みからエル・フェアリアを守る為には…。
「…万が一兄上がよからぬ事を企んでいるなら…私はここで人質になれる」
『言葉は慎め。その発言を大義名分に掲げ戦を起こせるのはこちらだぞ』
 ヴァルツにとっては渾身の力を振り絞ったつもりだったのに。
 すぐに返された言葉に、カッと頬が熱くなった。
「っ…交渉も出来ないような祖国なら切り捨てる!!」
 人質の可能性の示唆に戦とはっきり告げられて、自分の甘さを理解して。それでも負けたくなくて。
 なぜ自分は頭の悪い16歳なのだ。
 なぜ兄のように知的に利口に頭が働かないのだ。
 失言ばかり口にして。
 だから外交にも使ってもらえなくて。
 悔しくてたまらない。
 それでも何とかしたくて、まだ何も頭に浮かんでいないのに口を開こうとしたところで、兄のため息が聞こえてきた。
『…お前の思い込みには嫌気がさす』
「…兄上?」
 思い込み?
 何がだと訊ねる前に、オウムはさらに言葉を続けた。
『確かに“空中庭園”を設計し、手をつけようとはしたが…あれは莫大な魔力が必要になるとわかったので製作を諦めたのだ。…それに設計図は知らぬ内に持ち去られてしまい、今は存在せん』
 突如語られる空中庭園の内情に、ぽかんと口を開けてしまった。
 持ち去られた?
 それはつまり
「…盗まれたのですか?まさかファントムに?」
『わからん。ラムタルでファントムの噂など立ってはいないからな』
「……」
 兄の声はどこまでも冷静で、でも持ち去られたというなら…
 ヴァルツも心待ちにしていた、空中庭園の完成。
 ヴァルツよりも、自ら設計した兄の方が完成をとても心待ちにして夢見ていたはずなのだ。
 なのに持ち去られたなど。
 いやそれ以前に、作る前から諦めさせられたなど。
 あれほど楽しそうに、ヴァルツに空中庭園の説明をしてくれたのに。
『私の教えられる話しはここまでだ。さあ、帰ってきなさい』
「…嫌だ」
『……』
 感情を見せない兄に、ヴァルツは少しだけ頭を働かせてから、帰還を拒否した。
 押し黙る兄は、そろそろ怒り出すだろうか。
 でも、ラムタルがファントムと通じていないというなら、新たな問題が生まれるのだ。
「リーンが生きていて、拐われたのだ…兄上も見つけ出したいはずだ!!」
 大切な兄の婚約者。
 リーンは生きてくれていた。だが、ファントムが拐ってしまった。
 きっと兄もリーンの捜索に向かいたいはずだ。しかし兄はラムタルの国王だ。
 まだ完全ではない巨大な国の為にも、国を出られない。
 なら、ヴァルツが。
「私はここに残り、兄上の代わりにリーン捜索に加わる!…必ずリーンを兄上の元に届けてみせる!!」
 生きていたのだから。
 リーンが戻れば、兄の妻になって、ラムタルの王妃になって、子供が出来て、国は安泰になるはずだから。
 勇ましく宣言するヴァルツに聞こえてきたのは、どこか優しく柔らかくなった兄の声だった。
『…頼もしいかぎりだ』
 その声に、俄然やる気はみなぎった。
 兄の為に自分に出来ることがある。それがこの上無く嬉しい。
「…私はもう戻る!コウェルズが各国にファントムの件について話すはずだから加わる!」
『…迷惑はかけるな』
「わかっておるのだ!!」
 エル・フェアリアの滞在を許してくれた兄に別れを告げて、バタバタと鳥小屋を後にする。
 そうと決まれば善は急げだ。
 必ずリーンを見つけよう。
 そして、兄の元へと--

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 伝達鳥のオウムが、ヴァルツの声ではなくバタバタと騒がしい扉の開閉音を聞かせてくれる。
 騒がしい弟。
 勝手にエル・フェアリアに向かい、勝手に行動し。
 恐らく我がもの顔で騎士達に迷惑をかけまくっているのだろう。
 エル・フェアリアが騒がしくなるのは来年からだったはずなのに。
 そっとオウムに合図を送れば大きな翼を開き、伝達鳥は羽音を響かせて部屋の隅に向かう。
「……」
 薄暗い室内で、バインドは一人掛けのソファーに腰を下ろして、少し離れた場所にあるベッドを眺める。
「--…似ていない兄弟だな」
 肘掛けに腕を置き、顎を手に預けて。
 ゆっくりと思案しようとした矢先に、背後から語りかけられた。
 誰かなど、見なくてもわかる。
 闇色の赤を纏う、美しい男。
 ソファーの背もたれに腰掛けながら静かに笑う彼は、本来ここにはいないはずの。
「…あれは穢れを知らぬだけだ。…ラムタルの悪意は私だけが継げばよい」
 ファントムに弟を笑われた気がして、言葉に棘が宿る。
 それに気付いたファントムはさらに笑うが、笑い声すら美しく響くのだから、多くの女達にはひとたまりも無いだろう。
「我々より自分の息子を案じた方がよいのでは?じきに全てが白日の下に晒される」
「構わない。それも、狙いのひとつだ」
 ヴァルツは兄であるバインドには敵わないと思っているだろうが、バインドもこの男にかかれば赤子も同然だった。
 この、自分の子供ですら道具として扱う男には。
「…あなたの言葉はいつもまやかしだ」
「ふ…では、姫を頼むぞ」
 鼻で笑って、ファントムは優雅に薄暗い部屋を後にする。
 その足音を耳だけで送ってから、バインドも静かに立ち上がった。
 そして、ずっと眺めていたベッドに向かう。
 ベッドを囲むのは、闇色の藍を纏う極上の女が一人と、バインドの護衛として仕える治癒魔術を操る双子だ。
 女と双子の兄妹はバインドが近付く様子に気付きながらも、腕を止めはしなかった。
 三人から治癒を受けながら、そのベッドで眠るのは。
「…リーン」
 変わり果ててしまった、可愛い婚約者。
 床に膝をつく姿は、大国の王にはあるまじき行為なのだろう。だがバインドは、リーンの為だけに床に膝をつき、眠り続ける少女の細すぎる腕をとった。
 壊れないようにそっと動かして、骨の浮かぶ手の甲に唇を。
 どうか、無事に目覚めてくれ。
 切実な願いを込めるように、バインドはリーンの痛ましい手を優しく握りしめ続けた。

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「…魔力増幅装置を譲ってくださった事を、今一度感謝いたします」
 コウェルズがまず最初にファントムの件を話した異国の王は、サリアの祖国であるイリュエノッド王だった。
 サリアが訪れた際に譲り受けた魔力増幅装置。
 フレイムローズがファントムの側にいることに気付いて使用することはなかったが、装置のお陰でコウェルズは深く沈んだコレーの魂を呼び戻すことが出来たのだ。
 そして、魔術兵団が何か絡んでいると気付いた。
 全ては魔力増幅装置を譲ってくれたことへの感謝の気持ちから一番に話すのだという表向きの理由を、イリュエノッド王はそのまま受け取ってくれる。
 その裏側には、サリアに怯えられてしまった事へのショックが残っている事は告げなかった。
 自室にイリュエノッドの伝達鳥を呼んで、静かに語らうように報告をする。
 エル・フェアリア王の死亡は伝えない。
 イリュエノッド王は聡い。昨日の今日で心労が祟り死んだなどと告げても信用はしないだろうから。
『何かしら役に立ったなら幸いだ。七姫は全員無事だとか。さすがはエル・フェアリアだな』
「いえ…残念ながら妹は奪われてしまいました」
 王の死亡は伝えないが、姫の件は告げておく。
 そうすれば案の定、向こうから息を飲む様子が聞こえてきた。
『…しかし…王都の民には…』
「事情が複雑すぎるので、真実を伏せました。イリュエノッド、そしてラムタルには力を貸していただいたので真実をお伝えしますが…今はまだ口外しないようお願いいたします。時期を選んで公開しますので」
『…勿論だ』
 先に釘を刺せば、当然だと言うようにハッキリとした返事が訪れる。
 恐らくイリュエノッド王の周りにも人はいないのだろう。コウェルズはそのまま言葉を続けた。
「では。…ファントムの狙いの姫は、第四姫リーンでした」
 15歳になるはずのリーン。緑姫の元気だった頃の姿は、イリュエノッド王も知っている。
『待ちなさい…リーン姫は五年前に不慮の事故で…』
 だから、その反応は当然のものなのだ。
「ええ。我々もそう信じていました。…しかしリーンは我々の知らぬ場所で囚われていたのです…そしてファントムが奪って逃げた」
『…なんと』
 死んだはずの姫が生きていたなど、信じがたいだろう。だが事実なのだ。
 せめてイリュエノッド王の衝撃を和らげる為に、リーンがどのような姿で発見されたかは伏せる。
 まさか骨と皮というあまりにも悲しい姿で見つかったなど、言えるはずもなかった。
「この件に関して私はエル・フェアリアで二つの部隊を設立したいと考えています。なぜリーンが死んだことにされたのかを解明する機関と、ファントムに拐われたリーンを探し、救い出す機関を」
 すでに着手し始めている機関を告げれば、イリュエノッド王は口出しはしなかった。
「王城は現在混乱の只中にありますが、サリアは近いうちに必ず安全に送り届けますのでご安心ください」
 そして、サリアの今後を。
 恐らく彼女はコウェルズの傍には居たくないだろうから。
 気丈な女だとばかり思っていた。
 だがそれは気の強さばかり見せてくるが故にサリアの内面を深く計れなかったコウェルズのミスだ。
 まさか、怯えられるなんて。
 その様子が今も瞳から離れない。
 ショックだった。
 それが何故かはわからないが、腰を抜かせたまま逃げたサリアの怯えた表情が深く胸をえぐって。
『…サリアは今は?』
 イリュエノッド王の言葉に、ハッと意識を戻す。
「…用意した部屋で休ませています」
 元々サリアとは婚約しているのでこの二日はコウェルズと褥を共にしていたが、ミモザはサリアを賓客用の部屋に移し替えたはずだ。
 それも、イリュエノッド王に伝えはしない。
『サリアはそちらに残ることを希望するだろうな』
 何も知らないイリュエノッド王はそう言ってくれるが、コウェルズは笑うことも軽口を叩くことも出来なかった。まさか自分がこんなに。
『邪魔でなければ、サリアの好きなようにさせてやってもらえないだろうか』
「…邪魔など、とんでもない」
 サリアが望むなら。
 だがきっと、サリアは国に帰ることを望むはずだ。
『なら、頼む。あの子の魔力などエル・フェアリア王家に比べれば微々たるもので役になど立たないだろうが…あの子もリーンを愛していたんだ』
 リーンの為に、何かの力にしてやってくれ。
 イリュエノッド王のその言葉は王ではなく父親のものだった。
 エル・フェアリアにはもう存在しない父親の国王。
 討ったのはコウェルズで、討ったことには何ら後悔はしていない。
 でも。
「…はい」
 イリュエノッド王への返答は短いままに、コウェルズは胸を苛むその理由の核心を知ろうと、何度も何度も思考を巡らせた。

第28話 終
 
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