第40話


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「…いってー」
 頭をさすり、不満を訴えるように痛みをぼやく。
 中位貴族ハイドランジア家の屋敷の裏庭に勝手に入り込んだパージャは、老人とは思えないほどまっすぐ背筋の伸びた男の持つ杖で頭をぶん殴られた直後だった。
 後ろにいたエレッテは杖が容赦無くパージャの頭に落ちる様子を目の当たりにしていたので、口を両手で押さえて目を見開き驚いている真っ最中だ。
「何が“ただいま”だ。勝手に入り込んで勝手に出ていきよった分際で」
「だからって杖で殴ること無いだろー?久々なのに」
「ふん」
 老人は顔をしかめたままパージャを睨み付けているが、後から歩み寄る老女の方はニコニコと優しい笑顔を浮かべ続けてくれた。
 パージャが殴られた瞬間も勿論。
「まあまあ。こうして元気な顔を見せてくれただけでも嬉しいわ。可愛い女の子も連れてきて」
「えと…あの」
 老女は老人の隣に立つとエレッテに目を向けて、まるでエレッテすらも昔なじみかのように親しく話しかける。
 エレッテはパージャと彼ら老夫婦の繋がりなど知らないので困惑するばかりだが、三人ともお構いなしだった。
「サクラの婚約者かい?それとももう結婚してるの?」
 サクラが恐らくパージャの事なのだろうとようやく気付いたが、婚約者かと問われて身体がカチコチに固まる。
「わ、私は、あの」
 声は裏返り、何と言えばいいのかわからなくて。
「この子はエレッテ。俺の妹だよ」
 さらりと助けてくれたパージャの言葉に乗っかるように、エレッテは機械のようにカクカクコクコクと小刻みに頷いた。
 その説明に、今度は老夫婦が揃って目を見開く。
「妹さん?」
「…お前、記憶が戻ったのか?」
 パージャはいったいどんな設定でこの老夫婦の元にいたというのか。
 それはパージャ自身も忘れている様子で。
「あー…そうそう。記憶が戻ったから急に出てっちゃったんだ。勝手なことしてごめんね」
 まるで合わせるかのような適当な相槌だというのに、元が適当なパージャというだけで素直に受け入れられるのはある意味で才能なのだろう。
 パージャの言葉に老女は涙ぐみ、老人も一瞬目頭を押さえて俯く。
「いいのよ。記憶が戻ったなら万々歳だわ。それなら名前も?」
「うん。俺の名前はパージャだよ」
 パージャが昔からパージャという名前でないということは、エレッテはいつだったか教えてもらった事がある。
 どういう経緯でパージャの名前を手に入れたのかは知らないが、この名前は何よりも特別なのだと話してくれたのだ。
「パージャか。いい名前だな」
「少し女の子っぽいのねぇ」
 老夫婦からすれば、その名前は産まれた時からの名前だと解釈するだろう。
「可愛いだろ。でも二人はサクラって呼んでよ。俺、その名前も気に入ってんだ」
「あら、いいのかしら?」
「うん。桜の花好きだし」
 会話には加わらず聞くだけに留めていたエレッテは、ようやくパージャが桜の花を好む理由を知る。
 そしてパージャが草花の魔具を好んで生み出す理由も。
 パージャの創造力の源は、彼ら老夫婦なのだろう。
 美しい草花の庭園と、パージャの愛した桜の花。
 恐らくすべて、この老夫婦がパージャに教えたのだ。
 単純に説明してしまうならごく普通の老夫婦に見えるが、その普通こそが恨み憎しみにまみれた体には浄化剤だったのだろう。
 だからミュズ以外の過去には頓着しないはずのパージャが、宿泊先にこの家を探し出した。
「ところでさ、早速相談があんだけど」
「何だ?改まって気色の悪い」
「酷いな…」
 再会の後は交渉だ。本題に入ろうとするパージャは老人にサクリと言葉のナイフで薄く斬られながらも、別段気にする様子も見せずにエレッテと自分を指差して。
「少しの間だけこっちで世話になりたいなーなんて。もちろん家の手伝いするし。エレッテが」
「!?」
 交渉も静かに聞いておこうと思ったエレッテだったが、最後の最後に名前を出されて驚いた。
 手伝いくらい勿論するが、パージャは何もしない気か。
 しかしそんな口調も老夫婦からすれば懐かしいらしくて。
「お前は本当に…いつも急だったな」
「うふふ…しばらく賑やかになるわね。使用人の皆にも言っておかないといけないわ。他国に嫁いだ親戚の子供が来たことにすればいいかしら」
「そうだな」
 エル・フェアリアでは珍しい髪の色を誤魔化す為の嘘まで考えてくれて、老夫婦は互いに顔を見合わせて笑う。
「急でごめん。でもありがと」
 二人が笑うから、パージャもつられたように安堵に表情を緩めて。
 普段なら絶対に見ることなど叶わないパージャの嬉しそうな横顔を眺めながら、エレッテも老夫婦の温もりに癒されるように自然に笑顔が浮かんだ。

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 兵舎内周のアリアの部屋では、ベッドに座るアリアが開かれっぱなしになっている扉の向こうの様子を静かに窺っていた。
 現在室内にはアリアの他にレイトルがいてくれるだけで、扉の向こうでは少しの間護衛として側にいてくれたガウェへの説明が行われているらしい。
 らしいとは、アリアには事情がわからないからだ。騎士団の方で何かがあったというその場しのぎのような簡単な説明を受けただけで、アリアだけが省かれている。
 そして先ほどまで下には兄もいたはずなのに、部屋まで上がってきた時には兄の姿だけが見当たらなかった。
 開かれた扉から見えるのはモーティシアの背中だけで、ボソボソとした話し声は聞こえるが会話内容を掴むことは出来ない。
「騒がしくてごめんね」
 アリアが気にしていることには当然レイトルも気付いており、まるで視界を阻むように前に立たれた。
「いえ…あの、兄さんは?」
「…コウェルズ様からの命令があってね。当分護衛からは離れる事になったんだ」
 兄が今いない理由を聞いたはずが、当分会えない可能性を告げられてしまう。
「調べものだけらしいから、きっとすぐに戻ってくるよ」
 付け加えられた言葉は絶対ではない。それに加えて、ニコルが自分にひと言も無いことが悲しかった。
 兄ならば自分の口から直接知らせてくれそうなものだが、先ほど目を逸らされた事といい、避けられた気がしてならない。
「何があったんですか?」
「…何も?騎士団の方でごたついただけだよ。アリアが気にする事じゃない」
 さらにアリアの不安を煽るように、レイトルまでもがアリアを仲間に入れさせまいと事情を隠す。
 表面上は普段通りに見えるが、言葉尻はあまり優しくはなかった。
「…そんな言い方…ずるいです」
「あ、ごめん…」
 何でも話してと言ってくれたのに、と涙が滲みそうになって俯いたアリアの肩に、申し訳なさそうにレイトルの手が一瞬触れる。
 だが一瞬だけだった。
 すぐに引かれた手が、アリアをさらに不安にさせて。
「…兄さんに何かあったんでしょ?」
 教えてくださいと切実に見上げて訴えたが、困惑するようにわずかに視線を外される。
 そうまでしてアリアに隠したい事とは何だ。
 隠したいなら上手く隠せばいいものを、アリアだけを除け者にするようにわざとらしく近場で話し合いなどして。
「…ととさんが来たんですか?」
 アリアが唯一思い浮かぶ理由となればそれくらいしか無いので訊ねれば、レイトルは首をかしげてしまった。
「トト…え?」
「兄さんのお父さんです。兄さんもガウェさんも気にしてた」
 最近様子のおかしかった兄は実父を否定するような様子を見せて、ガウェまでもが彼の居場所を訊ねてきたのだ。
 何も関係無いなど思えなかった。
「いや、そんな話は聞いてないけど…」
 だが当てが外れたかのように、レイトルは首を横に振る。
「これは本当だよ。来ていたらさすがにアリアにも知らせるよ」
 どうやら嘘ではないらしいが、ならばニコルに避けられた理由はもうアリアの中からは見つからない。
「…そうですか」
 必然的に声は沈み、同時に落胆するように背中も力を無くして少し丸くなる。
「--レイトル、私達はリナト団長達の元に向かいます。護衛は任せますよ」
「わかった」
 そこへモーティシアが顔だけを覗かせて、レイトルに護衛の指示を出した。
「あ、ガウェさん!」
 皆が揃って立ち去ろうとするから、アリアは慌てて扉に駆け寄り、ガウェを呼び止めた。
「あの…」
 ガウェならば教えてくれるのではという打算があったからだ。しかしすぐにその安直な打算は胸中から消え去り、
「…ありがとうございました」
 訊ねようとしていた言葉は飲み込んで、護衛として側にいてくれた時間の感謝を告げた。
「…ああ」
 ガウェはどこまでもいつも通りで、ともするとニコルに何があったかは聞かされなかったのかとも思ってしまう。
「下の俺達の部屋の外枠降ろしとく。何かあったらアリア連れて飛び降りろ」
「頼む」
 セクトルはレイトルに万が一の場合に備えての指示を出すが、それもアリアには引っ掛かるものだった。
 皆が連れ立って立ち去るのを見送ることしか出来ずに、悔しさが込み上げる。
 部屋に残されたアリアは扉を静かに閉めて、二歩分ほどの距離にいるレイトルに不満の眼差しを向けた。
「…せめて教えられる範囲で教えてください。じゃなきゃ、一人で王城を出ます」
 無意味に近い脅しをかければ、レイトルから返ってくるのは苦笑いだ。
「それは困るな」
「あたしだって困ってます。あたしだけ何も教えてもらえないなんて不公平です」
 警戒しながら扉に背中を預けて、レイトルの目を見続ける。
「昨日、あたしの力になりたいって言ってくれましたよね?今すっごく力を貸してほしいです。少しだけ教えてくれるだけでいいんです」
「…参ったな」
 アリアの眼差しに耐えられなくなったのかレイトルは体ごと目を逸らす。どうしたものかと困り果てながら軽く頭を掻くから、そっと近付いて袖を引っ張った。
「お願いします」
「…アリア」
 窓の向こうから外枠の下りる金属の音が聞こえてきて、セクトルが言った通り下階の窓の外の足場を下ろしたことがわかった。
 レイトルは幸いとばかりに窓に向かい身を乗り出して、下のセクトルと二、三言話してから改めて振り返る。
「…私が教えられるのは今後の予定だけだよ。昼間に何があったかは教えられない」
「そんなの酷いです」
「酷くても駄目なものは駄目。アリアに関係の無い事じゃなくて、アリアには教えられない事だから」
 やや強めの口調は、レイトルも本気でアリアに教える気がない事を知らしめる。
 関係無い、ではなくて、教えられない、と。
「今後の予定なら言えるんだけどね」
 窓辺に腰を下ろしながら微笑まれて、諦めるしかないのだと溜め息を漏らす。
「…じゃあ、今後の予定を教えてください」
 このまま黙り込むのは負けたみたいで嫌だからとせめて教えてもらえる範囲を訊ねれば、レイトルも緊張をほぐすように肩の力を抜いた。
「ニコルの空きを埋めるために、ミシェル殿を護衛に借りられないか聞きに行くんだ」
 兄が抜けることは簡単には聞いたが、その代わりの人物の名前にアリアは驚いた。
 ミシェルがミモザ姫付きであることはアリアも勿論知っている。
「え、そんな、みんながいれば」
「六人の方が都合がいいんだよ。騎士と魔術師二人一組になれるからね」
「…そうなんですか」
 今まででも危ない目に遭遇した事など無いので物々し過ぎるのではないかと思うが、アリアは治癒魔術師であり護衛部隊のメンバーではないので、細かな箇所まではわからない。
「今までがバタついてたけど、これからは治癒魔術師は少しは落ち着いて生活できるはずだからね。護衛部隊も輪番決めて、仕事と休みを回していくんだ」
 それならばなおのこと、ニコルを抜いた五人で充分なのではとやはり思ってしまう。
「どんな体制になるんですか?」
「基本は半日交代で、護衛に立たない組は片方は休んで、もう片方は休みがてら申請書やらの整理に動くことになると思う。申請書整理の場合は恐らく働くのは魔術師側になるだろうけど」
「どうしてですか?」
「騎士は体力勝負だからね。魔術師と違って訓練を怠ればすぐに体は鈍るから、訓練時間も必要なんだ。定期的に必須訓練もあるし、必須訓練でひどい成績を残したら一発で階級落とされるんだよ」
 騎士であるレイトルは当然のように騎士団の事情に精通しており、訓練時間の確保がどれほど重要かを教えてくれる。
「そうなんですか…怖いですね」
「まあね。その点魔術師は羨ましいよ。魔力は元々の素質で決まるし、結界の保護、補正以外は頭を使う仕事だから体を鍛える必要ないし…って言うとモーティシア達が怒るんだけどね。“筋肉鍛えているほうがよっぽど楽です”って」
 騎士団には騎士団の言い分があるように、勿論魔術師団にも。
 モーティシア達ならば確かに今の発言は聞き捨てならないだろうと、アリアは思わず笑ってしまった。
 その笑顔につられるように、レイトルの表情も和らぐ。
「しかも階級の高い魔術師になると頭の回転が早いからか弁が立ってね。口喧嘩になると精神的に削られるんだ」
「えー」
「本当だよ。騎士団だと階級が上がるごとに血の気の多い体力自慢になるからよけい言いくるめられる。新緑宮崩壊後の治癒でも王族付き騎士は面倒臭かったろ?」
「はい。少しもじっとしてくれなくて…」
「…そこは冗談でも“そんなこと無い”って言ってほしかったかな」
 治癒中を思い返して素直に答えたつもりが、レイトルには刺さる何かがあったらしい。
 だが事実なのだから仕方無い。
「言えるほどの根拠が少しでもあればよかったんですけど…一切見つからなかったんで」
「…うん。そう言い切る辺りアリアは魔術師として出世するよ」
「それ今の流れだと誉めてないですよね」
 しみじみとアリアの出世を語られても、レイトルの言葉を全て信じるならば魔術師としての出世は口達者なだけに聞こえてしまうのだが。
 レイトルは冗談めかして笑っているが、アリアの胸中は少し複雑だ。
「まあでも、魔術師側はわからないけど、姫付きの時と比べると随分楽な仕事かな。最初はどうなるかと思ったけど」
「そうなんですか?」
「姫付きの時は基本的に口調は正さないといけないし、私はクレア様の姫付きだったから無駄に鍛えることを推奨されたからね」
 王族付きの騎士達は、各々守る姫の性格に合わせるように知識や行動方針も変わってくると何となくアリアも理解している。
「そういえばミシェルさんも、以前ミモザ様についてぼやかれてましたね」
 手作りのハンカチをミシェルからもらった時も、休憩中は休む以外には許されないとミシェルはぼやいていたのだから。
「七姫様はあれで個性ガッツリだからね。ミモザ様は“休憩することも仕事のうち”って考えだし、クレア様は“休むなら鍛えろ”だし…一番楽なのはニコル以外のエルザ姫付きだったろうね」
「どうしてですか?」
「真面目なニコルに丸投げなんてしょっちゅうだったよ」
「ガウェさんだけじゃなかったんですか?」
「…まあ、みんなエルザ様の気持ちを汲んだというか」
 少し口ごもるような声に、兄とエルザの関係を思い出す。
「…昨日、兄さんも拠り所を見つけたって言ってましたけど…エルザ様なんですよね?」
 ニコルの様子を見る限りは拠り所がいるなど思えないのだが、イニスがエルザに妄想を直訴した件でごたついた時にも、ニコルとエルザの仲を仄めかされたのだ。その後はエルザの様子を思い返せば、答えは明白だった。
「ずっと前からエルザ様もニコルも互いを気にしてたのは確かだよ。ニコルはまだ少し躊躇ってる様子だったけど、時間の問題じゃないかな」
 改めて教えられる兄の胸中に抱かれた人の存在に、自分の事のように恥ずかしくなって頬が熱くなった。
 ましてそれが大国の姫君だとは。
「純粋に祝福されるならいいんだけどね」
「え…どういう…」
 もしニコルとエルザが本当に恋仲なら。そう考え始めた頭は、レイトルの心配するような言葉に打ち消されてしまった。
 レイトルはしまったと言いたげな表情になるが、アリアの不安げな様子に誤魔化しが効く状況ではないと溜め息をつく。
「…エルザ様が治癒魔術を会得されたなら、エルザ様にも治癒魔術師の次代を産む役目が課せられるらしい。そうなれば、エルザ様の相手は治癒魔術師であるアリアの兄が一番魅力的なんだ」
 二人が愛し合うから祝福するのではなく、国の為だけに。
「でも…あたしと兄さんは…」
「血が繋がってないことを、私とアリア以外に誰が知ってる?」
 問われて、口が閉じた。
 王城内で知っているのはアリアとレイトルだけなのだ。
「…エルザ様とニコルだけじゃない…君にも言える事だしね」
 国の平和の為にも次代を。
 レイトルは自分からその話をしておきながら、傷付いたように目を伏せる。
 それはレイトルが昨日アリアに思いを告げた事に起因するはずだ。
「…前にトリッシュさんにも言われました。好きな人が出来たなら、早いこと婚約した方がいいって。じゃないと、国が選んだ相手と結婚させられるって」
 ある日突然、知らない男性と結婚しろと告げられる。
 実感が沸かなくて聞き流していたが、本腰を据えてアリアも考えないといけないのだろう。
「…廊下にいるから。何かあったらすぐに呼んで」
 気まずくなろうとする空気から逃れるように、レイトルが立ち上がる。
「…わかりました」
 アリアも、今は一人でいることを選んだ。
 自分の将来に関わる事なのに、答えがわからないのだ。
 心にレイトルの存在が芽生えたことは確かだが、アリアはまだその領域に踏み込む為の準備が出来ていないのだから。

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「…コウェルズ様」
 エルザを送り届けた後、イストワールは戻った先でコウェルズの後ろ姿を見つけて呼び止めた。
「イストワール。どうだった?」
「……」
 問いかけられても、答えなどイストワールの口からは発せられない。
 どうなってしまうのかなど、見たくなかったからだ。
 昼間にニコルの身に起きた災難については聞かされていた。そしてニコルの身にはまだ残り香が燻ることも。
 それを知りながら、イストワールは命じられるままに、エルザを。
 予想のつく未来を。
「…性急すぎるのではありませんか?」
 エルザとニコルの恋路を応援したいとは言った。だがこれでは。
 しかしコウェルズは楽しそうに微笑み続けている。
「遅いくらいだよ。人間は一度に一、二人しか子供を産めないんだからね」
 可愛がっていた大切な妹姫のはずだ。
 だというのに。
「犬猫みたいに一度に沢山産めたらいいんだけどね。そうもいかないし。それに、ニコルを逃がすわけにもいかないから」
 意味深なコウェルズの言葉に、イストワールは眉を寄せる。
 まるでニコルの自由を奪うような。
 そうまでしてニコルを手に入れようとする理由がわからない。
「そんなに辛そうな顔をするものじゃないよ。二人が思い合ってるのは確かなんだから、これは善意だよ。これくらいしなきゃ進展しそうにないし、君だってエルザには幸せになってほしいだろう?」
 エルザの幸せを大義名分に掲げながら、コウェルズの真意は国の為でしかない。
 そこに個々の思いが見つからないのだ。
「どのみち、罪悪感に駆られた所で今更なんだよ。君は私の命令を理解した上でエルザを送り届けたんだからね」
 返す言葉が見つからなくて黙り込む。
 確かにそうだったからだ。
 イストワールはコウェルズの真意を理解した上で、命令に従った。
 拒否することも可能な命令だったにも関わらず。
「…コウェルズ様は、人を…異性を心から愛した事がありますか?」
 イストワールの問いかけに、コウェルズは首をかしげて考える素振りを見せる。
「そうだね、最近少しわかってきたかな?」
「言っておきますが…相手を守りたいと思う気持ちと、相手を逃がさず押さえ付ける行為は別物でございますよ…コウェルズ様が“最近少し”理解された思いは、どちらでしょうか?」
 王族に対して無礼であると理解しながら、それでも問わずにはいられなかった。
 コウェルズの思う気持ちは、恐らく婚約者のサリアに向けられたものだろう。
 愛にはいくつもの姿が存在する。
 イストワールの信じる愛が真実の姿だとは言わない。
 言わないが。
「押さえ付ける愛は、いずれ相手を潰すか、逃がす結果に繋がるでしょう。どうか視野を広くお持ち下さいませ。あなたは国を繁栄させる力を持った素晴らしい御方です…ですが人としては…未熟すぎる」
 まだ23歳の若者なのだと。
 イストワールの忠告をコウェルズがどう受け止めたかはわからない。
 普段通り微笑んで背中を向けて去っていくコウェルズを、イストワールは見守ることしか出来なかった。

第40話 終
 
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