第40話
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「気になりますか?」
窓から星空を眺めていたエルザは、話しかけられてようやく自分がぼんやりしていたことに気付いた。
「え…」
振り返ればエルザの護衛であるセシルと隊長のイストワールがいて、護衛の交代時間となっている。
護衛は通常ならば二人体制を取るが、今は諸々の事情を踏まえた上で一人だ。
夜から明け方にかけてイストワールがいてくれるのかと何気無く考えながら、セシルに問われた意味も何だろうと頭を捻って。
「ヴァルツ様が言っていた“運命の赤い糸”とやらです」
ようやく、自分がずっと右手の小指に触れ続けていたことを理解する。
優しく撫でて、慰めるように。
「よくよく聞けば目には見えない糸らしいじゃないですか。手袋の糸くらい関係ないですよ」
「わかってますわ…わかってます」
不安にならなくても大丈夫だと安心させようとしてくれているのだろう。
エルザも気にしないよう勤めているが、無意識に気になって落ち込むのだ。ニコルは結局訪れてくれなかったから。
「…どうしてニコルを好きになったのか聞いて宜しいですか?」
話題を反らすように問うてきたのはイストワールだった。
「初めて会ったのはニコルが騎士団入りした時だから…ニコルは18歳ですね。エルザ様は12歳ですか」
懐かしい、とセシルも笑う。
セシルはニコルよりも数年早く王族付きとしてエルザの側にいるので、若い頃のエルザやニコルを思い出したのだろう。
今から七年前だ。
まだ12歳のエルザが初めてニコルと出会ったのは。
「…実は当時の王族付きを煙に巻いて遊んでいましたら」
「そういえばエルザ様の脱走癖は昔からでしたね」
「脱走癖だなんて!…ちょっと皆さんの目を盗んでいるだけじゃないですか」
出会った経緯を話そうとしたのに、早速脱線してしまう。
イストワールとセシルは今も昔も変わらないと笑うから、エルザは不貞腐れるように頬を膨らませた。
「と、とにかく…その時は運悪く迷子になってしまいましたの!」
護衛達にはわからないように脱出した王城。
あの日のエルザは冒険心に駆られて普段より遠くへ出てしまった。
「…もしかして城外の森へ?」
「はい。森の泉に行きたくて。でも迷ってしまって…途方に暮れていた所をニコルが助けてくださったのです」
樹木に被われ昼間でも薄暗い森の中、その先に泉があることを知っていたから、エルザはそこを目指した。
だが結局広い森で迷子になり、不安と恐怖に胸を苛まれて。
ニコルの方も偶然そこに訪れただけだっただろうが、エルザには運命だったのだ。
「私ったら、ニコルの事は知らなかったのですが、騎士の姿を見て安心してしまって…ものすごく泣いてしまったんです」
見慣れた服装の若騎士と目が合い、安堵から落涙して。
「それは…ニコル殿もさぞ驚いたでしょうね」
「…恐らく」
セシルが他人事ではなさそうな口調になるのは、姫達の涙がどれほど自分達に影響を及ぼすかを知っているからだ。
「でも、手慣れた様子で私を泣き止ませてくださったのです。今思えば、ニコルはきっと私とアリアを重ねていたのでしょうね。だからあんなにも落ち着いて私を慰めて下さったのですわ」
「あ、そうか。エルザ様とアリア嬢は同い年でしたね」
「はい」
「それが出会いですか」
「…はい…一目惚れですの。お兄様以外であんな風に気安く触れてくださった方は初めてで…すごくドキドキしました」
当時を思い返して、熱く緩む頬を両手ではさむ。
「その後クルーガーやみんなに尋ねてまわって、平民出のニコルであると教えていただきましたの」
銀の髪の若騎士は誰かと問えば、誰もがニコルだろうと教えてくれた。
どんな人物で、どこにいた人か。
史上初めて平民から騎士になった若者の話はエルザも聞いていたので、それがニコルだとわかった時は驚いたものだ。
それからは、時間を見計らってはニコルを探すようになった。広い王城で、当時まだ王城騎士だったニコルを見つけ出せたことは数える程度しかなく落ち込んだものだ。
だが優秀なニコルは、すぐに王族付きにのし上がり。
「…ニコル殿がエルザ様の姫付きに任命されたのは騎士団入りしてわずか半年でしたね…エルザ様、何か計らったなんてことはありませんよね?」
「そ、そんなことはありません!ニコルの実力ですわ!」
セシルに疑いの眼差しを向けられて、エルザは慌てて大声で否定する。
するとセシルは笑いながら、ニコルの実力に関してではなく、ニコルがエルザの姫付きに選ばれた所を計らったのではないかと訪ね直した。
「…確か当時は王族付き騎士の隊長副隊長達でニコル殿の取り合いがあったと聞きましたが…」
次にセシルが目を向けるのは、隊長のイストワールだ。イストワールならば、取り合いの席にいたはずだと。
「取り合いどころか。奪い合いの喧嘩一歩手前だったさ」
イストワールも昔を懐かしみながら、当時の様子を笑い飛ばす。
「どこもかしこもニコルを欲しがって、誰も譲る気配は無かったからな」
騎士団長と副団長の目前で繰り広げられたのは、あまり口には出来ないような争奪戦だった。
「…その話し合いでしたら…少し顔を出しましたが」
そこに、エルザは訪れたのだ。
「やっぱり計らったんじゃないですか」
すかさず突っ込みを入れるセシルに、エルザは恥ずかしさから顔を真っ赤にした。
「ひ、酷いです!私はただ、ニコルが誰の王族付きになるのか気になっただけでして…」
「…果たしてそれだけでしたか?」
イストワールはイストワールで、状況を知るが故の笑みを浮かべてエルザを苛める。
途端にセシルが目を輝かせたのは、エルザの計らいがあった証拠であると確信したからだろう。
二人の騎士にいじられてエルザは唇を尖らせたが、不満の表情が通じる状況でもないので仕方無く諦めて。
「…リーンがニコルに少し心を許していたそうで、騎士の少ないリーンの姫付きになる寸前だったらしくて」
当時を思い、ポツリと呟くような声で教えて。
「あ、泣きましたね」
「泣いてなどいません!…少し涙が浮かんだくらいです」
「それ充分隊長達を惑わしてますよ」
拳を握り締めてエルザは涙を否定するが、当時を知るのはエルザだけではないのだ。セシルは早々にイストワールに目を向けて、イストワールも頷いて肯定するので結局はエルザの涙が決定打となった事がバレてしまった。
「小悪魔ですね」
「もう!酷いですわ!」
「あははは!申し訳ございません」
「エルザ様の護衛部隊としてはニコルを獲得出来て万々歳でしたよ」
エルザがどれだけ否定したとしても、エルザの涙が他の隊長達にニコルを諦めさせる結果に繋げたのは事実なのだ。
ニコルは晴れてエルザの護衛となり、少しは融通を覚えろと言いたいくらい生真面目にエルザを守り続けた。
エルザは今頃になって、ガウェだけでなく他の護衛達もたまにニコルに護衛任務を押し付けていたことを思い出して。
「…私って、もしかしてわかりやすかったですか?」
周知となったエルザの恋心。ここに至るまでの七年間を訊ねれば、揃って頷かれてしまった。
「それはもう。ニコルが気付かない理由がわからないほどに」
「…恥ずかしいです」
「でもまあニコル殿はニコル殿で、エルザ様を特別感情で見ていましたからね。端からはこう、もどかしいというか何というか」
ニコルがエルザに思いを抱いたのもエルザと初めて出会った時、つまりはエルザと同時期であり、それを思い出してエルザは照れ隠しのように俯いた。
特別感情で見てくれていたのなら、それだけで気持ちが舞い上がってしまいそうだ。
「最初の頃はセシル達は賭けをしていたんですよ」
エルザの浮かれる気持ちに気付いてか、イストワールも口を軽くして当時の裏側を教えてくれて。
セシルは慌て始めたが、後の祭りだ。
「賭けですか?」
「はい。エルザ様はガウェが好きなのか、ニコルが好きなのかと王族付きの若手の騎士達が揃って」
「ま、まあ!」
賭けの対象にされるほど自分はわかりやすかったのか。
「ちなみにエルザ様の姫付きは皆、ニコルに賭けていましたよ。勿論私も」
「え、隊長も参加してたんですか?」
「まあな」
イストワールの参加発言にセシルが目を丸くし、エルザはみるみる顔を赤くし。
「が、ガウェへの気持ちは…」
「わかってますよ。小さい頃は身近にいる優しい兄貴分に惹かれるものでしょう。当時のガウェは前代未聞のクソガキでしたが」
ガウェへの思いが憧れであった事もバレていた事実に、自分がどれほどわかりやすい性格なのかを改めて理解する。
単純だの天然だのは、妹達によく言われる事実だ。
「…祝福ばかりではないでしょうが…私達はエルザ様とニコルの未来を支援いたしますよ」
今まで悪戯っ子のような笑みを浮かべていた二人がふと表情を改めて、エルザ達の恋路を応援してくれる。
その心遣いはとても暖かくて、
「ありがとうございます」
エルザから感謝の言葉は自然に溢れた。
「--やあ、少しいいかな?」
そこに訪れるのは微笑みを浮かべるコウェルズで、
「お兄様!どうされましたの?」
「ニコルの体調が悪いらしくてさ。エルザは知ってるかなと思って」
護衛ではなくヨーシュカとリナトを連れたコウェルズに、警戒したのはイストワールだ。
リナト団長は兎も角、何故魔術兵団長まで訪れるのか。
物々しい空気を纏う団長達とは裏腹に、普段通り爽やかな笑みを浮かべるコウェルズもどこか歪で。
「まあ、ニコルが!?」
何かがおかしい。だがエルザは、愛しい男の不調に全ての気を持っていかれる。
ニコルの事で頭がいっぱいになってしまったエルザに、その不自然さに気付くだけの余裕などあるはずが無かった。
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