第40話
第40話
完全に日の暮れた夜空には星々が瞬き始め、自室にいたアリアは何気無く立ち上がって窓から身を乗り出した。
すると薄暗くてわかり辛いが、地上にニコルとアクセルが加わった自分の護衛達を見つけ、思わず「あ」と小さな声を上げる。
小声なので勿論下に届くはずがないのだが、自分抜きの話し合いに疎外感を感じて身を沈めてしまい、
「…気になるか?」
「え…まあ…」
臨時の護衛として側にいてくれるガウェに問い掛けられて、口ごもりながらも肯定した。
ガウェはアリアの上に被さる形で地上に目を向ける。以前なら男性が近すぎる距離にいると恐ろしかったが、彼には慣れて何とも思わない。
変にビクビクしなくて済むのは自分自身有り難く、アリアは少しだけ身体を起こして窓から身を乗り出した。
すると地上からニコルが見上げてくれて、だが目が合った瞬間にわざとらしく顔を逸らされて。
「兄さん…」
その仕草に、キュッと胸を締め付けるような痛みが生じた。
何も考えないまま立ち上がれば、ぶつかる寸前の所でガウェが身を引いてくれて、そのままベッドに向かい腰かけて。
ガウェはアリアを気にしながらも窓辺に座り、俯くように地上に目を向ける。
深い刀傷を受けて空洞となっていた右目にはエメラルドの嵌め込まれた黒い魔具の義眼が輝き、前髪から覗く様子は少し不気味で美しい。
ニコルと同い年であるガウェには落ち着いた男性のイメージがあり、それを口にするとニコルは否定するのだが、そんなガウェにも子供時代があったのだとふと思い至る。
今朝方ニコルと話した懐かしい幼少時代。
ガウェは確か、未成年で騎士団入りしたと聞いている。
「ガウェさんって、騎士になってすぐにリーン様の王族付きになったんですよね」
話しかければ、ゆっくりとした動作でこちらに目を向けてくれた。
「…ああ」
「ガウェさんは兄さんと同い年だから…えと」
「13歳でリーン様付きだ。リーン様はまだ3歳だった」
簡単な説明の中にも懐かしさの交じる声に、ガウェがどれほどリーンを思っているかを感じられる。
まるで恋慕うような眼差しには、同時に歪さも垣間見えた気さえした。
「3歳かぁ…村にも小さい子いましたけど、可愛い盛りですよね!」
義眼の不気味さと相俟った妖しい雰囲気に、わざとらしく声が高くなる。
「…ああ。愛らしかったよ」
リーンの絡んだガウェは行きすぎた部分があったと兄達は口にしていたが、アリアは初めてその意味を理解出来た。
言葉は敬愛するものなのに、その中に含まれているものは。
ファントムの襲撃後に昏睡状態から目覚めたガウェがリーンを探すように医務室から消えた時は、まだ錯乱が残っていたのだと思っていたのだが、ガウェはこれで通常なのだとようやく理解する。
それでも興味の方が勝り、聞かずにはいられなかった。
「ガウェさんは、リーン様の捜索に加わるんですよね」
リーンを羨ましくさえ思った一途なガウェの心は、きっとリーンを救い出すまで晴れることはないはずで。
ガウェが捜索に加わるだろう事は、誰かから聞かなかったとしても予想がついた。
「…黄都領主として、日影を探す事になる」
「日影?…兄さんもリーン様の捜索に加わるんでしょうか?」
「…あいつは別任務だ」
そこに兄も加わるのかと思っていたが、どうやら違うらしい。
何の任務なのか気になるのは、ニコルの様子がおかしいからだ。
「…そっか。リーン様が見つかったら、あたし全力で治癒魔術を使いますね」
知りたくてたまらないが、聞くのを諦めてリーンの話しで胸中をはぐらかしたのは、きっと知ることを躊躇う思いもあったからだろう。
頼むと頭を下げられて、任せてくださいと微笑みを返して。
「15歳…か」
七姫の中央に位置するリーンは今年で成人を迎えるはずだった。
王族の成人の儀は豪華絢爛な祭りとなると聞いたことがあるが、想像がつかないのは想像力が力を発揮しないというだけではない。
「ガウェさんの15歳の頃ってどんなでした?」
訊ねれば、返ってくるのはガウェの困り顔だけだ。
「兄さんは成人前に村を出ちゃってたんですよね」
もしニコルが村で成人を迎えていたなら、アリアは料理に精を出しただろう。
平民の成人祝いなど、所詮その程度なのだから。
「お前はどうだったんだ」
「あたしですか?…うーん…お母さんはもういなかったし、お父さんも…あんまりよくなかったから」
問い返されて何気無く口にする過去に、ガウェがバツが悪そうに俯いた事には気付かなかった。
「あたし昔から背が高かったんで、成人してるって嘘ついて町で働いたりしてたんですよね。だから気付いたら成人終わってたみたいな感じです」
少しのお祝いをするくらいなら、働いて日銭を稼いだほうが効率がいいと。
その頃には既に、父は立ち上がることも出来なかったから。
「…ニコルは帰らなかったのか」
「お父さんの治療費を稼ぐのにずっと兵士として働いてくれてたんです…あ、でもあたしが成人の年は兄さん騎士になってますね。どのみち遠いから帰れなかったですよ」
そういえば、アリアが自分の成人に気付いたのも、ニコルの手紙からだったか。
「あたしの治癒魔術にはお父さんの病気を癒せる力はなくて…せめてお薬はと思って二人で頑張ってました」
母のように病に特化した治癒魔術をアリアも操れたならば父の病の進行を止められただろうが、アリアの治癒魔術は怪我に特化した力だった為に父には無意味でしかなかったのだ。
それでも、高い薬代を支払い父の力になり続けた。
アリアの稼ぎだけでは到底手が届かない薬代。その為に支払いのほとんどはニコルの働いてくれた給金からだったが、アリアだって懸命に働いた。
「父親はいつ?」
「…三年前です。兄さんが騎士団入りした時にはもう末期で…でも騎士団のお給金のおかげで延命はできて…最後は穏やかだったと思います…」
聞かれるままに客観的に話していたつもりだった。
だがやはり涙がこぼれてしまい。
「…悪い」
「いえ、平気ですよ!」
俯き目元を擦りながらも、アリアは何度目かもわからない空元気で自分の悲しみを騙くらかした。
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結論からいえば『不問』だった。
医務室を訪れたニコルはアクセルに無事を告げ、侍女長に今日の出来事を伝えはした。
伝えはしたが、侍女長は既に全体像を把握しており、ニコルの話を聞いた後で今件の対処を教えてくれた。
侍女に案内された場所でガブリエル・ガードナーロッドから貰ったという媚薬香を焚いたイニスは、医務室で目覚めた後は無言を貫き、ガブリエルに至っては、侍女長は話すら出来なかったらしい。
イニスは今回は被害者という立場を与えられての不問だ。もしそうでなかったとしても、今はもう侍女ではないのでどうしようもなかっただろうが。
ニコルは未だにすがるような眼差しを向けてくるイニスと同じ部屋にいたくなかったので、トリッシュの婚約者であるジャスミンと侍女長にイニスを任せ、話が終わったならとアクセルと連れ立って早々に医務室を後にした。
モーティシア達はどこにいるかと思ったが兵舎内周前の外ですぐ発見して合流し、辺りは暗くなったが会話はそのまま外で行われた。
「何で侍女長なのにもっと詳しく調べられないんだろ?」
その不満を漏らしたのはアクセルだ。
アクセルは医務室での対応を見ていたが、侍女長は制限ばかりかけられて苛立っていたらしい。
「仕方ないさ。魔術師団長や騎士団長と違って、侍女長にはあんまり権限は無いんだから。あれ以上ガードナーロッドに突っ込んだら、侍女長が飛ばされちまうよ」
隣に立つトリッシュが冷静に侍女長の立場を話しても、アクセルには不満らしい。
不満は皆同じだろうが、どうしようもないと思えるかどうかは個々の考え方次第だ。
誰ともなく溜め息が聞こえてきて、鬱々とした空気を夜の闇がさらに深く沈めようとする。
「それで…ニコルは本当に当分アリアの護衛に立たないつもり?」
レイトルの問いかけは、どこか信じられないというニュアンスが含まれた色をしていた。
「…ああ。コウェルズ様から頼まれた仕事を先に終らせてくる」
「そう…」
六人全員集まっての話し合いの本筋は当分抜けるニコルの穴埋めであり、ニコルとアクセルがいなかった時に話し合われた件を聞かされて、二人は否定はしなかった。
「ではこちらの今後は今言った通りで構いませんね?」
「ああ。俺の方からも、ミモザ様とジョーカー隊長にミシェル殿をしばらく借してほしいと頼んでみる」
ニコルの代わりに、ミシェル・ガードナーロッドを。
まだ護衛部隊内で勝手に話し合っただけなのでミシェルを借りられるかはわからないが、ガブリエルが絡む以上、兄であり唯一の抑止力と成りえそうな存在は彼以外にはいなかった。
「宜しくお願いします。私達はリナト団長に伝えてから頼みに行きましょう」
ミシェル獲得への役割分担はニコルがミモザと、ミモザ付き部隊長に。モーティシアがリナト魔術師団長に話すことになったが。
「こっちはクルーガー団長だけど…」
レイトルはセクトルと目を合わせ、未だに拘束されたままの騎士団長クルーガーを思った。
代わりに副団長に話せばいいだけなのだろうが、頭ではわかっていても、気持ちが伴わないのだ。
副団長が不出来という訳ではない。クルーガーの右腕には現在のオーマ副団長以外に有り得ないのだから。
だがクルーガー直々に鍛えられ続けた者達は、やはりクルーガーを慕ってしまう。
「心配いらない。クルーガー団長ならフレイムローズと一緒に近々釈放だ」
ニコルはコウェルズから聞かされていた団長の今後を口にするが、レイトルとセクトルは素直に信じられないと表情で訴えかけてきた。
「ファントムにリーン様を拐われたといっても…コウェルズ様達はファントムを、リーン様を救い出した英雄とするみたいだ。団長とフレイムローズは生きていたリーン様を救い出した功労者の一員と説明するらしい」
レイトルとセクトルの疑いの眼差しを晴らすように説明をすれば、え、とトリッシュが慌てた。
「そんなこと、話して大丈夫かよ」
「コウェルズ様が近々発表される内容だ」
これに関しては黙っていろとは言われていないと、ニコルは腕を組みながら視線をトリッシュに向ける。
「だけどリーン様の居場所はわからないままだよ?」
「…所在を調べるのは、ガウェの役目だ」
アクセルの問いかけも、ニコルが答えてやる。だが。
「君の役目は?」
「……」
レイトルの問いかけにはすぐに返せなかった。
「…アリアから離れてでもしなければならない役目なんだろ?」
ニコルが抜けるのを未だに納得出来ないのだろう。
当然だ。
アリアを奪うなと、ニコルは昨夜レイトルに告げたばかりなのだから。
「…過去の事件を洗い出す。それだけだ」
一応はコウェルズからそれを命じられていたので簡単に教えるが、視線を落としたままだったせいかレイトルの疑うような眼差しは消えてはくれなかった。
「お前一人でか?」
「基本はな。ミモザ様も手伝って下さるが」
セクトルも胸中はレイトルと同じなのだろう。理解はするが納得は出来ないという空気は遠慮無くニコルを刺し貫いた。
「…アリアには当分離れると言っておいてくれ。ガウェにも簡単な説明を頼む」
「会わないつもり?」
このままアリアから離れるつもりかとレイトルが責めるような口調にはなるが、それはレイトルだけに限った事ではなく。
無意識に兵舎内周棟のアリアの部屋を見上げて、顔を出してこちらを窺っていたアリアに気付き、すぐに目を逸らしてしまった。
アリアは大切な妹なのだ。
そのアリアを、ニコルは。
「…今の俺じゃ会えない」
思い詰めるような言葉に、有り難いことにそれ以上の追及は誰からもなかった。
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