第39話


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 兵舎内周の通路を歩いていたガウェが聞きなれた足音に顔を上げた時、丁度通路の曲がり角から姿を見せるセクトルと目が合い、向こうの様子からこちらに話しかけるだろう気配にも気付いた。
「…ガウェ、ちょうどよかった」
 セクトルを先頭に、モーティシアとトリッシュが真面目な眼差しを向けてくる。
「ちょっとアリアの護衛頼まれてくれないか?アリア抜きで大事な話があるんだよ」
「…ああ」
 足を止めるガウェに近付いたセクトルは、普段の雰囲気と異なりわずかに焦っているように言葉が早い。
 何があったのかはわからないが、アリア抜きということは治癒魔術師の護衛部隊内で何かあったのか。
 アリアの妙な噂が流れているのでそれかと目星をつけながら、リーンの捜索の為にエルザの護衛からは外された身である為、それなりに自由のきく身体をアリアに少し分けてやる事にする。
 どのみちガウェも、アリアに訊ねたい事があるから好都合だ。
 三人の最後尾につきながら慣れた棟を上がっていき、アリアの部屋の前につくとモーティシアが扉を二度叩いた。
 少し間を開けてから、扉から顔を出すのはレイトル一人だ。
「話があります」
「…話?」
 レイトルは三人の様子に驚いたように目を見開いている。
「アリア抜きで」
 そして意味深な言葉に何かを察したように口を閉じ、レイトルはちらりとセクトルとガウェにも目を向けた。
「ガウェが代わりにいてくれるから、少しだけ出てこい」
「あ、ああ…」
 護衛はガウェに任せろと言われて、素直に応じて。
「…みんなどうしたんですか?今日は休みじゃ」
 その背後から、アリアはふわりと顔を覗かせる。
 少し目元が腫れぼったいのは、寝てないか泣いたかしたのだろう。
「騎士団の方で何かあったらしい。少し離れるよ。ガウェが代わりにいるから安心して」
「あ、はい」
 首をかしげるアリアにレイトルは笑いかけながら、ガウェに入るよう合図する。
 開かれた扉から中に入りガウェがまず驚いたのは、そこにニコルの姿が無いという事だった。
「あいつは?」
「…ガウェ殿には後で説明しますので、今はどうか」
 思わず呟いた問いかけに、モーティシアが言い辛そうに口を開く。
 護衛部隊の集まりはアリアではなくニコルに何かしらあったからか。
 アリアは困惑したままモーティシアやレイトル達の顔を見ていくが、アリア抜きの話だ。ここでは説明されないだろう。
 室内にはガウェとアリアが残されて、四人は早々に場を後にして。
 扉が閉められてから数秒。
「…あ、どうぞ座って下さい」
「……」
 アリアは立ったままいることに違和感を感じたように、ガウェをソファーに促した。
 テーブルの隅に置かれていた食事の盆をアリアはベッドの隅に置き換え、食事も部屋でとった事が知れる。
 部屋を出たくないのは、やはり噂のせいか。
「…なんか久しぶりの気分ですね」
「…ああ」
 向かい合うようにソファーに座り、弾まないだろう会話にとりあえずの相づちを打つ。
 アリアからすれば居た堪れないような時間だろう。
 アリアの為という訳ではなかったが、訊ねたかった件もありガウェはそわそわと落ち着かない様子のアリアに目を向けた。
「…アリア」
「はい?」
 呼べば、すぐに返事をされる。
 ニコルと同じ銀の髪が揺れるが、ニコルとは異なる柔らかみのある色艶をしていた。
「ニコルの父親の事だが…」
「ととさん?どうかしたんですか?」
 訊ねたかったのは、ファントムの事だ。
 ニコルの父であり、かつてエル・フェアリアに絶対的な存在感を以て君臨した第一王子。
 信じるには突拍子もない話だ。だが信じるに足る実力を、ニコルは持っている。
 魔力も、存在感も。
 注視すればニコルは王家によく似ていた。
 ファントムがニコルとアリアに接触して礼装を渡した事も、ファントムが王族だというなら理解できる。
「連絡は取ってないのか?」
 現在の居所を知らないものかと訊ねるが、アリアの答えは首を横にふるものだった。
「…取りようがない人で…。兄さんが村を出てから前の晩餐会の礼装の時まで、兄さんも会えなかったんですよ」
 アリアはファントムの正体を何も知らないらしく、寂しそうに笑った。
「…会えるのはいつもととさんの都合で、あたし達からは手が出せない人なんです」
 昨日も聞かされた内容と同じだった。ニコルは父の居場所を把握していない。ニコルが知らないならアリアも当然か。
「住む場所は?」
「なんにも。根なし草って感じじゃなかったけど、どこに住んでるのか検討もつきませんよ」
「…そうか」
 期待はしていなかった。だがこれで親族からの線が絶たれて、ガウェは遠ざかるリーンを思い項垂れる。
 ファントムの居場所を。
 そこにリーンもいるはずなのだ。
「…ガウェさんもととさんが気になるんですね?」
 ファントムに救い出されたリーンを思い拳を握り締めた時に、物悲しそうなアリアの声に耳を満たされた。
「兄さんも、ととさんを気にしてるみたいで。何かあったんですか?」
 今のガウェに似たやるせない声色。
 アリアにとって、彼はニコルと同じように大切な存在なのだろう。
「いや…」
 だがガウェの口からは何も話せない。
 それにファントムの正体を話すのは、ガウェの役目ではないだろう。
「…そうですか」
 目をそらすガウェに、アリアは諦めたように俯いた。

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「媚薬香?」
 兵舎内周棟を抜けた外でその説明をされて、レイトルは呆けることしか出来なかった。
 媚薬香はよく知られている代物だが、それを王城内で使うなど。
「私達が見たのは侍女について行くニコルの姿で、不審に思い後を追ったら…意識を失ったイニス嬢とニコルが出てくる所でした」
 アクセルは共にいた侍女のジャスミンと二人がかりでイニスを医務室に連れて行ったので、この場にはいない。
「…ニコルは無事?」
「すぐに妓楼に連れていきましたよ。男側に症状が強く出るタイプの媚薬香でしたからね」
 その結果には、溜め息をつかざるをえなかった。
 それほどの媚薬香を使用するなど。
 ニコルが精神的にも参っているというのに、卑劣な。
「よく女に手を出さないでいられたぜ。片付けに行ったけど、ほんとに強力なタイプだった」
「お前まじで気を付けろよ。というか一人での行動控えろ」
 トリッシュは苛立ちを通り越してあきれたように溜め息をつき、セクトルは警戒するようにレイトルに注意を促す。
 イニスに媚薬香を渡したのがガブリエルなら。
 ミシェルからガブリエルには気を付けろと今朝言われたばかりだ。
 まさかこんな形でその危険性を知るはめになるとは思いもしなかったが。
「私に護衛をつける気か?」
 セクトルの注意に思わず憎まれ口のような口調になってしまい、モーティシアとトリッシュからは乾いた笑いをもらった。
「それと、ニコルから後で話が来ると思いますが、彼は当分アリアの護衛には立ちません」
 その報告に驚いたのはレイトルとセクトルだ。
 ニコルがアリアの傍から離れるなど、考えもつかない。
 まるで兄妹の垣根を越えそうなほどに、ニコルはアリアを守ることに執着していたのだから。
「コウェルズ様関連?」
 二人ほどニコルの性格を掴めていないトリッシュは簡単にそう訊ねて、モーティシアも小さく頷いた。
「らしい。重要な事を頼まれているんでしょう。アリアの護衛の輪番は最低二人で行うつもりでしたが…レイトルはやはりセクトルと行動出来た方が楽ですね」
「そこまで私に融通してくれなくて構わないよ。アリアの良いようにしてくれ」
 アリアだけでなくレイトルにも気を使うモーティシアに慌てて手を振るが、
「ニコルが抜けた状態であなたにも何かあるとこちらが困るんです。それでなくてもアリアはニコル以外ではあなたに一番なついているんですから」
 モーティシアは何もレイトルを心配した訳ではなく、その先にアリアの守護が付いて回ることを口にする。
「アリアの治癒も終わったし当分はゆっくりできるから、レイトルとセクトルが組んでも大丈夫だろ。物理的な襲撃を考えると騎士が居ない時は怖いけど、今は他国との情勢は落ち着いてるし」
 トリッシュもモーティシアと同じくレイトルが一人にならないよう言ってはくれるが、それでは上手く護衛が回らない。
「…ニコルが抜ける穴を補えたら一番いいんだけどね」
「そうですね…騎士と魔術師で二人一組の三交代制が出来れば一番良いのですが」
 ポツリと呟くレイトルに、モーティシアが同調した。
 せっかく騎士と魔術師が三人ずつ選ばれたというのに、これでは意味がない。
「俺らも訓練だいぶ出来てないからな」
「だね。体が鈍るのだけは避けたいよ」
 それに騎士は腕を磨く時間を別に取る必要がある。
 どうするべきかと迷い、それぞれが最良の道を探して。
「…ガブリエル嬢に対抗できて、ニコルの代わりに申し分無い騎士といえば…ガウェ殿?」
 やはり一番良いのはニコルに変わる騎士を補充することで、トリッシュはガウェの名前を上げるが、レイトルとセクトルが首を振って否定した。
「ガウェは捜索隊に入るから無理だよ」
 ガウェはリーンの捜索以外には興味を持たないだろう。
 今はアリアの護衛についてくれたが、急を理解してくれたが故だ。
「…でも一人いるね」
 ガウェ以外で、ガブリエルに対抗できる実力者は。
「…ですが彼はミモザ様の王族付きですよ?」
 同じく気付いたモーティシアは不可能ではと困惑するが、レイトルは笑って大丈夫だろうと自信を持った。
「私とセクトルも元はクレア様の王族付きだよ。ニコルだってエルザ様の王族付きだった」
 ガブリエルの兄であるミシェル・ガードナーロッド。
 彼ならば実力も申し分なく、同時にガブリエルへの対抗策にもなるだろう。
 しかしミシェルは、アリアに思いを寄せている。
「…頼むにしても、お前はいいのかよ」
 セクトルとトリッシュが気を使うような目を向けてくるので、レイトルは苦笑いを浮かべるしかなかった。
「アリアの安全が一番大事だよ」
 こんな時に自分の恋路を優先などさせていられない。
 守るべきはアリアの安全であり、レイトルの片想いではないのだ。
「ニコルとアクセルにも話してから、ミモザ様に願い出るか決めましょう」
 モーティシアもレイトルの言葉に頷き、とりあえずの解決策が決まる。
 ニコルとアクセルは否定はしないだろうから、後はミモザとミモザの護衛部隊長に願うだけだろう。
 アリアの安全の為なら、自分の恋路など後回しでいい。
 まだ話し合いの続く中で、レイトルはアリアがいるはずの窓をそっと見上げた。

第39話 終
 
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