第39話
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夢現のような状況の中で、誰かを激しく求め愛した気がする。
彼女だけが欲しくて、壊れてしまうほどに情交を重ねて。
自我を取り戻したニコルは、自分が組み敷いたテューラの淫らな姿に現状をようやく思い出した。
媚薬香を嗅がされ、モーティシアに連れられて遊郭に訪れ、テューラに部屋まで案内されたところまではギリギリ残っていた理性で覚えている。
そこからは目の前のテューラが愛しい娘に見えて、本能の全てに抗えなくなった。
「…無理をさせたな。すまない」
肩で息をするテューラから離れようとして、まだ自分達が繋がった状態のままでいることに気付く。
ズルリと引き抜けば、自分の精子なのかテューラの愛液なのか交ざりすぎてわからなくなった蜜が糸を引いた。
「いえ…激しかったですけど、とても優しかったから…驚きました」
かすれた声でテューラは笑い、汗で艶っぽくなった肢体を前にまた自身が持ち上がろうとする感覚に気付く。
「あ…」
意識は取り戻したとしても、まだ完全には抜けきっていないのだ。
テューラはそっと指先でなぞろうとするが、疲れきっているだろう様子が申し訳無くて細い手首を掴んだ。
「いい…理性が保てるなら充分だ」
そのままテューラの隣に座るように体勢を変えれば、上体を起こしながらテューラはニコルに柔らかな唇を押し付けてきて。
少し驚いたが拒絶はせずに二、三度軽く舌を絡ませてからゆっくりと離れる。
「ふふ…本当に騎士様?」
するとクスクスといたずらっぽく笑われて、テューラはほどけて肩にまとわりついていたニコルの銀の髪を指先で梳いた。
「…?」
何の事だと首を傾げれば、猫のように丸まりながらテューラはニコルを見上げ続ける。
「王城で働いてる方々ってね…どこか貴族の誇りみたいなものがあって、口付けなんてほとんどされないんですよ。高級妓楼といっても、遊女達はみんな平民ですから」
そこまで言われればようやく理解できてニコルもつられたように笑う。
確かに平民を小馬鹿にしている騎士達ならばそうだろう。
そうでなかったとしても、無意識に平民を格下に見ている者は多い。
だがニコルは。
覚えてはいないが、テューラを激しくも大切に扱ったのだろう。
「…それとも、媚薬香の効果が強すぎて、私を恋人と間違えられたのかしら?」
その理由を口にされて、思わず目が泳いだ。
「あ、いや…」
確かに誰かの名前を連呼し続けていた覚えがある。
正気を失うほどだったのだ。そうなっても仕方無いだろう。
「ずっと私のこと、恋人の名前で呼んでましたよ」
意地悪をするように口にされて、恥ずかしくてたまらなくなった。
「…恋人というわけじゃ」
ふと思い浮かぶエルザは清らかな笑顔ばかりで、艶かしい姿など想像もつかない。
それに、恋慕っていると告げながらも恋人関係にまでは自分が許さなかったのだ。
「なら片想い?」
テューラはクスクスと面白がる様子を見せ続けてくる。
片想いならきっと楽だった。失恋で済んだからだ。だがエルザと自分は。
「あなたみたいな方に愛されるなんて…羨ましいです…」
テューラは重ねられた娘に軽く嫉妬するように、ニコルの足元に額をくっつけてくる。
そして。
「私もなりたかったな…アリアさんに」
全ての音が遮断される感覚。
テューラの唇から漏れた名前に、呼吸が止まった。
身体が金縛りに合ったように動かなくなり、異変に気付いたテューラが身を起こす。
「…どうされました?」
困惑した表情がニコルの瞳に映るが、
「…今…」
混乱したニコルには上手くテューラの顔を把握する事が出来なかった。
首を傾げるテューラに、確認するように名前を出そうとして喉が引きつり、一度冷静さを保つように唇を閉じて、
「…アリ、ア?」
再度訊ねる。
聞き間違いのはずだと。
ニコルが愛しているのはエルザのはずで、アリアは。
「?…違っていましたか?私のこと、ずっと“アリア”と呼びながら…」
聞き間違いであってほしい。だが現実は無情で、
「抱いていらっしゃいましたけど…」
妹であるはずのアリアを。
頭の中が混乱して気持ち悪くなる。
頭痛と、焦燥と。
しかし正気を無くした自分が呼び求め続けた娘とアリアが一致して、
「っ…」
血の気が引くと同時に、ニコルは自分の中に眠る本心に気付いてしまった。
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「血が繋がってなくたって、あたし達は兄妹です…家族です。何も変わりません」
レイトルを前にしながら、アリアは決心するように語る。
本当は血の繋がらない自分とニコル。
だが大切な家族で、大事な兄で。
アリアはどんな状況になろうともニコルを慕える自信がある。
でも。
「…でも…今の兄さんがホントの事を知っちゃったら…」
ニコルは。
憔悴しきった姿と、家族にすがるような姿勢。
痛々しいほどに“家族”に固執するニコルが真実を知ってしまったら。
「壊れちゃうような気がして…」
すりきれた麻縄が、わずか繊維一本で繋がっているだけのような状況のニコルに、この真実がばれてしまったら。
ニコルはどうなってしまうというのか。
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エルザとセシルがエルザの右手袋の小指部分の糸を繋ぎ直す事を諦めた頃、一人ふらふらと王城内を散策していたらしいヴァルツが広間の二人に気付いて足を踏み込んできた。
「何だ?こんな所で」
無遠慮に近付きながらエルザが気にしている手袋に目を向けてくるが、エルザが首を傾げる方が早かった。
「あら。ヴァルツ様こそどうしましたの?ミモザお姉様といらっしゃると思っていましたが」
とたんにムスッと拗ねたように表情を曇らせたという事は、恐らく途中までは一緒にいられたのだろう。だが何かしらの理由で離れたと。
「…政務に奪われた」
「…まあ」
その何かしらを不貞腐れながら呟くヴァルツに、エルザは上手いフォローをできなかった。
せっかくの休みだとは言ってもそれは王城内に限った事であり、国土には関係のない事なのだ。
果たしてヴァルツは男らしいところでも見せようと快く送り出したか、年下特有の甘えで拗ねてみせたか。
どちらにせよ今のヴァルツは不貞腐れている。しかしわずかでも甘いひとときを過ごせたのなら、ニコルを待っていたエルザにはとても羨ましいものだった。
「…何だ、糸が切れたのか」
ヴァルツと話しながらもエルザはずっと切れてしまった手袋の小指部分に悲しげに指を添えており、気付いたヴァルツが覗き込んでくるので、手の甲をヴァルツに向ける。
「ええ。お気に入りでしたが、仕方ありません」
ドレスと対になった、特別なものなのだ。
だが衣服は消耗品。諦めて肩を落とすエルザに、ヴァルツは眉をひそめて呻いた。
「…また不吉な切れ方をしたな」
「え?」
「よりにもよって小指の糸が切れるとはな」
まるで占術師のような口調になるヴァルツに、エルザはただ困惑してしまう。
「…何かありまして?」
聞くのが怖い気がしたが、聞かずにはいられなかった。
首をかしげながらヴァルツの目を見て、不吉の理由を問う。
息をひそめるエルザとセシルの前で、ヴァルツはラムタルの母国語で『赤い糸』と口にした。
「運命の赤い糸と言ってな、ラムタルでは生涯添い遂げる男女には互いの小指に赤い糸が繋がるとされているんだ。それが切れたとなると…」
すぐにエル・フェアリアの言語に戻りながら説明をくれるが、みるみる顔色を白くするエルザに、セシルが待ったをかけた。
「ヴァルツ様…迷信でございましょう?」
ちらりと、セシルの気を使うような視線を感じて俯く。
エルザはそのまま切れた糸の箇所を握りしめながら胸にあてがった。
エルザがこの手袋とドレスを気に入っている理由をセシルは知っている。ニコルに会いたいという気持ちにも。
「あ…まあそうだな。恋愛話が好きなラムタルの女達が作ったただの迷信だ!気にするな!」
ヴァルツもようやく気付いたように慌てて迷信だと口にするが、どうであれラムタルでは有名な話なのだろう。
「…ですよね…大丈夫ですわ。気にしていませんから…」
強がってみせても、不安にかられた気持ちは声を震わせた。
ニコルが可愛いと言ってくれたドレスを、ニコルが会いに来てくれると信じてわざわざ侍女に願って出してもらい、太陽が天高く上りきった時間帯にはもうニコルは訪れないと何故か確信してしまい。
挙げ句の果てに、ラムタルの伝承を知った。
彼がどこにいるのかわからない。だが切実に会いたかった。
会って、抱き締めてほしい。
そして二人の愛は消えてはいないのだと、教えてほしかった。
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どうしてこうなるのか。
ニコルを待つ間に伝達鳥を使って王城と連絡を取り合い、その傍らで新しい術式の開発でも簡単に考えようとしていたモーティシアの膝の上には、小柄で可愛らしい娘が大胆に股がって座り込んでいた。
スリットの入ったドレスからはガーターベルトが見えるほどに足が露出し、モーティシアの首に両手をかけて娘はくっついたり離れたり、挙げ句の果てには腰を揺すってみたりを繰り返す。
「ねーぇー、遊んでくれないのー?寂しいよぅー…」
わざとらしい甘えた声は媚びる遊女特有のものだろうが、この娘に至っては天然ものだとモーティシアは知っている。
「悪いね。今日は仕事で来ているから」
以前、上官に無理矢理連れてこられたこの妓楼でモーティシアの相手をしてくれた娘、マリオン。
さらりと拒絶してみても、マリオンは頬を膨らませて離れようとはしない。
困りながら楼主に救出の眼差しを向けても、楼主の方も手を焼く様子で助けてはくれなかった。
「仕事って、媚薬抜きの人の付き添いでしょー?」
「それもありますが、王城と連絡を取り合わなければならないからね。遊んでいる暇はないんです」
やや冷たくあしらうような口調にしても、マリオンは気にしない。
少しは気にしてほしいものだが、根本的にポジティブ思考のこの娘は、モーティシアが何を言おうが自分に都合良く解釈するので嫌みも通じないのだ。
それは前回既に身に染みているのでわざわざ嫌みを言うつもりはないが、そろそろ本気で離れてくれないものか。
何度目かの楼主への救いの眼差しを向けてみるが、案の定流される。どころか客が来たらしく、楼主は部屋を出ていってしまった。
「……」
やばい。と思うと同時にマリオンは「えへへ」と笑いながら今までで一番モーティシアにすりよってくる。
わざわざモーティシアの両手を掴んで自分の腰に回させて、これではまるで抱き締め合うかのようではないか。
「恋人同士みたいだねぇ!」
「あなたはこれが仕事でしょう」
「ザンネンでしたー!お金がかかってないので、これは個人的なまぐわいなんですぅ!」
まぐわってないだろうがと思わず口が滑りそうになって、慌てて飲み込む。
そんなことを口にしようものなら、マリオンがどんな行動に出るか。
この娘への対処は、現在最も有効な方法でも適当にあしらうくらいしかないのだ。
とにかく言葉が通じない。
ただの馬鹿ならよかったが、無意味に知識があるらしくおかしな方向に弁が立つ。
それはモーティシアが今まで出会ったことのないタイプの人間で、対処法方がわからないせいでただ困惑することしか出来なかった。
ある意味でイニスと同属性かもしれない。
「今回は本当に遊べないんです。あなたも仕事は大切でしょう?」
極力なだめるような口調になれば、マリオンは頬を膨らませながらモーティシアの片手を掴んで自分の頬へと移動させる。
「うーん…じゃあ次に来てくれた時は絶対だよ?」
悲しげに眉を寄せながらモーティシアの手のひらに頬をすりよせて甘える仕草は、可愛いは可愛いのだがモーティシアの好みではない。たぶん。
「そうですね。機会があれば是非」
「機会とかいや!いつ来てくれるか約束してくれなきゃ!お店の外でもいいから!お金いらないから!!」
何とも物騒な発言をかますマリオンに、ようやく戻ってきた楼主がさすがに聞き捨てならないと口を開いた。
「マリオン。そういう話は楼主の前でするものじゃないよ」
じゃあ楼主がいなければいいのかと思わず突っ込みたくなったが、彼も娘達の仕事以外の自由を束縛するつもりはないのだろう。
大衆向けの安い店は知らないが、この妓楼は王城の管轄下にあるので娘たちにもそれなりの技量器量が求められるが、それさえ条件を満たせば後は国の保護の元で自由を与えられているのだ。
「ふーんだ分からず屋!…いつ来れる?」
マリオンは楼主にベッと舌を出してから、捨てられた子犬のように瞳を潤ませながらモーティシアを見つめてくる。
出来れば二度と会いたくはないが、この場を切り抜けるには嘘も方便だろう。
「残念ながら今は忙しいですからね。ですが必ず来ますよ。約束しましょう」
いとも簡単に切り捨てられる約束を口にすれば、みるみるうちにマリオンの表情が明るくなっていく。
「ほんと!?約束だよ!!」
「はい」
「やった!」
単純でよかった。そう思った瞬間に頬にマリオンの唇が触れて、驚く間もなく彼女は身軽にモーティシアの膝の上から下りた。
ほどよい重さの無くなった膝はまだマリオンの体温で暖かいが、じきに冷めるだろう。
「話が終わったなら出ていきなさい。ほら」
「べー!だ!モーティシアさん、またね!!」
最後にモーティシアに満面の笑顔を向けて、マリオンはようやく奥へと去っていく。
頬に残る唇の感触は当分消えそうになく、苦笑を浮かべるしか出来なかった。
「…申し訳ございません。魔術師様をどうやら気に入ってしまった様子で」
「可憐な方に気に入ってもらえたなら光栄ですよ」
中身の図太さには触れずにマリオンの見目だけに注視すれば、意味と言い回しに気付いた楼主も思わず苦笑して。
「本日は断ってしまってすみません」
「媚薬香なら仕方ありません。テューラなら上手く抜いてくれるでしょう。うちの看板ですから」
「それは安心です」
時間的にも丁度良い頃合いか。日の傾く空を窓から眺めれば、ふとマリオンの去った奥へ通じる通路から衣擦れの音が聞こえてきた。
「--楼主」
自分が呼ばれた訳ではないがモーティシアが目を向ければ、最初とは違うゆるやかな羽織りを纏うテューラが少し困惑したような表情で出てきており、モーティシアと目が合うと少しだけ頭を下げた。
「終わったかい?」
「あの、それが…」
テューラの髪は濡れており、事後に風呂に入ったのだと気付けたが、顔色が悪い訳ではないが言葉の歯切れが悪い。
言うべきか言うまいか。
どうすればよいのかわからないと言った風だった。
「何か問題ですか?」
この件については、全て王城への報告義務がある。
特にニコルという特別な男の種を無駄射ちしたのだ。その困惑の理由を聞くためにモーティシアは立ち上がり、テューラも迷いながらも口を開いてくれる。
「媚薬香の効き目はほとんど切れたと思うのですが…」
しかしやはり言いづらそうに唇を閉じ、モーティシアと楼主を何度も交互に目を向けて。
「仰って下さい」
テューラを落ち着かせるように少しゆっくりとした言葉で頼み、楼主も報告義務がある為に静かに頷く。
そうしてテューラもようやく決心したように口を再び開いたが、
「…あの--」
「--何もない」
いつの間に来ていたのか、その背中に立ったニコルがテューラの肩に手を置きながら言葉を止めた。
「ニコル、もう平気なのですか?」
「ああ…心配かけた。悪い」
テューラと同じように髪が濡れているので、ニコルも汗を流したのだろう。
来た頃の様子と一変して落ち着きを取り戻しているニコルに安堵の溜め息が漏れた。
本調子という訳ではなさそうだが、意識がはっきりしているなら充分だ。
「テューラが何か失礼を?」
少しほっとするモーティシアとは逆に、テューラの様子がおかしいので楼主がわずかに固くなる口調で問うてくる。
粗相をしたなら責任があると言いそうな様子だったが、ニコルはすぐそばのテューラに視線を落とすと、何ら不愉快も無さそうにポンポンと肩を叩いてわずかに離れた。
「いえ。最高の時間でした。私事で困惑させてしまった様子で申し訳無い」
ということは、テューラの困惑はあまり気にするほどの事でもないということか。
引っ掛かりはしたが報告義務についてはテューラも勿論理解しているはずなので、そのテューラが言葉を濁したのだから行為中にニコルが何かやらかした程度かと予想して、それ以上は追求を止めた。どのみち国は手を回しているはずなので、ここでモーティシアが深く追求せずとも大丈夫だろう。
「…媚薬香が抜けたならいいですが。王城に帰ったら話を聞かれますよ。媚薬香を王城で使用するなど愚かにも程がありますからね」
「糞女の名前も全部話してやるよ」
ニコルは媚薬香を嗅いでしまった時を思い出したように忌々しそうに吐き捨ててから深く息をつき、落ち着いてからテューラに向き直る。
「…助かった。ありがとう」
「…お役に立てたなら光栄です。まだ完全ではございませんから、無理はしないで下さいね」
テューラの方も少し疲れが見えるが優しく笑い返し、ニコルがもう一度「ありがとう」と頭を下げた。
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連れ立って店を後にするニコルとモーティシアを見送りながら、テューラは小さな溜め息をついた。
激しい情交を終えての安堵の溜め息でないことは、自分自身気が付いている。
確かに体は疲れてはいる。だがそれ以上に満たされた気持ちと、同時に苛む物悲しさ。
こんな思いを今まで他の客で味わった事がない。
「いつもの“また来てください”が無かったが?」
テューラの溜め息に気付いた楼主が少し面白がるように話しかけてくるから、冷やかさないでとその腕を小突いた。
「…たとえ私を気に入ってくださったとしても…ああいう方は一度入った女とは遊ばないものですから」
噂ばかりの平民騎士。
その美しい容姿には驚いたが、顔だけの男ならばこの世界にごまんといる。
それでも。
「失恋か?」
問われて、鼻で笑った。
自嘲の笑みだ。
「まさか。他の女性の名前ばかり呼んで…一度も“私”を抱かなかったんですよ」
「…そうか」
相手をしたのはテューラだ。だがニコルが抱いたのは、アリアという娘だった。
テューラがその名前を口にしたとたんにニコルは血の気を引かせて言葉を無くしていたが、確かにニコルはアリアを何度も抱き続けた。
激しく求め、優しく愛して。
「…生きているうちに、あれくらい優しくて強引に愛してくれる男性に出会いたいです」
テューラが呟いた儚い願いに、楼主は労るように肩を叩くに留めた。
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待機させていた馬車に乗り込み、出発を促す。
ニコルとモーティシアは向かい合う形で座っており、馬車が動いたとたんにニコルは項垂れるように自身の膝に肘をついた。
目は冴えているが、どっと疲れた。
まさかこんな形で女を抱くなど思いもしなかったし、テューラを抱きながらニコルが求めた娘は。
「完全に抜けた訳ではないと言っていましたが?」
問われて、ニコルは項垂れていた頭だけを上げる。
「理性を保てるなら充分だ」
身体にはまだ疼きが残ってはいた。まだ抱き足りない。
昼近くに妓楼について、夕暮れ近くに出た。その間ニコルはテューラを抱き続けたというのに、まだ足りないその理由は。
抱き足りないのではない。
ただ一人を身体が求めているのだ。
「…それよりしばらくの間、アリアの護衛から離れたいんだが」
今のまま、アリアの傍にいられるはずがない。
視線を再度足元に向けたニコルでも、モーティシアの驚いた様子には気付けた。
「…またどうして」
「…コウェルズ様から引き受けた仕事を早く調べて終らせたい」
驚くのも無理はないだろう。ニコルからアリアの傍を離れたいなど、誰が予想できる。
特に今のアリアは、噂に傷付いているのだ。
「イニス嬢とガブリエル嬢の件は?」
「…何とかしないとな」
そしてニコルが妓楼に向かう原因となった女の名前に、さらに肩が重くなった気がした。
コウェルズに解決を頼んでしまえたら楽なのに、それを頼んだら最後、ニコルだけでなくアリアまで完全に国の手中に落ちてしまうだろう。
「これがイニス嬢の独断なら王城から追い出せましたが、ガードナーロッドが絡むとなると厄介ですね…」
モーティシアの溜め息交じりの言葉に、ニコルは返事をすることが出来なかった。
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