第28話
-----
王城敷地内の新緑宮近辺は未だに燻る煙がのぼり、辺りは騎士達の活動で騒がしくはあったが、対照的に王族の居住区画に当たる上層階はシンと静まり返っていた。
いつも静かな場所なのだが現在特にそう感じるのは、侍女達すらいないからだろう。
誰も彼もが新緑宮と怪我人の対応に回されている。ミモザも自分の騎士達全員に新緑宮対応に回るよう命じたばかりだ。
隊長であるジョーカーは誰ひとり護衛をつけないことを勿論渋った。
王族付き騎士達からも怪我人は出ておりその対応もあったが、混乱の最中だが王城内に留まるなら護衛は必要など無い。
王城から出ないことを絶対条件に出されたが、王城でやらねばならないことがあったミモザには好都合な条件だった。
やらねばならないこと。
それには兄も共にいてほしかったのだが。
「こんな時に…お兄様はどこに…」
王城内に入ったはずのコウェルズは見つからず、ミモザは愚痴を呟いてしまう。
「確か部屋に戻られたらしいとは聞きましたが、いらっしゃいませんでしたし…」
ミモザの隣でもサリアが不満げにコウェルズを探す。
サリアと共にエル・フェアリアに訪れていた魔術師達も、現在はサリアの命により怪我人達の対応に回ってくれている。
島国イリュエノッドではエル・フェアリアほど王家に護衛はつかないらしく、こちらはサリアの命令にふたつ返事で引き受けてくれて。その緩い魔術師達の代わりに王族付き達が数名サリアの護衛に駆り出されているはずだが、今はミモザとサリア以外には通路を歩いてはいなかった。
「…陛下は話してくださるのでしょうか」
そして、向かう先を思いながらサリアはわずかに眉尻を下げる。
ミモザが向かうのは父の部屋だ。サリアを連れていくのは、サリアが次期王妃だから。
父は王の器ではない。それに気付いてもらう。そしてもうひとつ。
無惨な姿で生かされていた大切な妹。
魔術兵団のおかしな動きから見ても、父がリーンの生存を知らないはずがない。
「必ず話していただきます。…リーンに何をしたのか--」
父の引きこもる最奥への遮光された通路を歩き進み、その扉を睨み付けていた矢先のことだった。
「--…お兄様?」
静かに開いた父の部屋の扉。そこからゆらりと出てきたコウェルズの姿に、その異変に、ミモザは背筋を震わせた。
遮光されたとはいっても、明るい時間である為に完全な闇であるはずがない。
扉から出てきたコウェルズは朝に妹達を引き連れて民の前に立った時と同じ白い衣服を着ていたのに、今はその衣服がまだらに汚れていた。
汚れ?
まるで返り血を浴びたような赤い色。
「あなた様!どこかお怪我を!?」
それが血痕であると気付いて、サリアが甲高い悲鳴のような声を上げながらコウェルズに向かって走る。
コウェルズはミモザとサリアの姿に驚き、少し目を見開いていた。
「あなた様!!」
「…ごめんね。私の血ではないから大丈夫だよ」
そしてすがろうとするサリアを片手で制す。
触らないでね。汚れてしまうから。
暗にそう告げるような制し方に、素直にサリアは立ち止まって。
「それは…いったい」
サリアはまだ状況を掴めていないのだろう。困惑するように、血まみれのコウェルズを心配しながら肩を震わせている。
ミモザにはすぐ気付けた。
悲しいほどすぐ。兄が出てきた時に。
ミモザは姉妹達の中で一番、兄を理解しているから。
長女であるが故にコウェルズと最も長く共にいた。
誰よりも。サリアよりも。
だから。
父の部屋から出てきたコウェルズがミモザとサリアに気付く前に一瞬だけ見せた冷酷な眼差しに、コウェルズの隠し続ける一面が顔を見せたのだとわかった。
「…お兄様…お父様は?」
ミモザの声も震える。
コウェルズも気付いた事だろう。ミモザが気付いたということに。
ミモザがサリアよりコウェルズを理解しているように、コウェルズもヴァルツよりミモザを理解しているから。
「…心労が祟ったのだろう。先ほど亡くなられたよ」
わずかにくぐもる兄の声。
サリアは驚いて口元を両手で抑え、ミモザは静かに唇を噛んだ。
心労など。返り血を浴びながら、どの口で。でも最初からそう宣言するつもりだったのだろう。
ここにミモザが来なければ、ミモザも騙されていたはずだ。
「この混乱だ、民衆への報告は後日行う。父上の御遺体は魔術兵団に任せることにしたよ」
わずかに冷たいコウェルズの声に、サリアも耳聡く聞き付けて、少しずつ理解してきたかのように表情を青白くする。
健康的な浅黒い肌が、病的なまでに。
「…あなた様…」
まるで涙を流しそうなサリアの呼びかけにも、コウェルズが目を向けるのはサリアではなくミモザで。
頭の中で計算しているはずだ。どうミモザを黙らせるかを。
ミモザの性格を熟知した上で。
サリアはどうとでもなると思い込んで。
そこに、扉の向こうからさらに人影が現れた。
「--陛下、羽織物を。その姿では皆が驚かれますよ」
魔術兵団長ヨーシュカ。
彼の呼び方に、コウェルズは苦笑した。
「…まだ王位を継いではいないよ」
「それでも現在の王位継承第一位はあなたでございますので」
「--っ!!」
たまらずミモザは駆け出した。
兄の向こうへ行こうと。父の元へ行こうと。
お父様--
凡庸な人だった。
王には不向きな、平凡な人。
でも父として与えてくれた愛情を覚えている。
木漏れ日のような笑顔を覚えている。
抱き上げてくれた温もりも、頭を撫でてくれる手の優しさも、母や子供達を愛した心も、何もかも覚えているのだ。
母が亡くなってからは引きこもってしまったが、必ずまた日の光を浴びに戻ってくると信じていたのだ。
--だから
「…もう遺体は移動させた。安らかな姿だったよ」
コウェルズの隣をすり抜けたとたんに、腕を掴まれて室内に入ることを阻まれてしまった。
強い力か中には入らせないと告げてくる。
それはミモザに遺体を見せない為か。
酷い返り血を浴びて、いったいどんな凄惨な最期を父に与えたというのだ。
「お兄様が討たれたのでしょう!!どうして!?説得すればお父様ならわかってくださいましたわ!!」
コウェルズの掴む腕を強く振りほどいて、涙を拭うことなくそのまま睨み付ける。
兄は口を開かない。だが代わりに、ヨーシュカが含むように笑いながら。
「話して御理解頂けたなら…発作など起きなかったやも知れませんねぇ」
どこまでも心労であることを強調するヨーシュカに、ミモザも返す言葉を無くして。
「…デルグ…陛下」
腰を抜かして、サリアが体を震わせた。
「床に座ったらドレスが汚れてしまうよ」
その姿にコウェルズは手を差し出すが、ミモザを掴んだとは逆の手のひらは、血で汚れていた。
「…!!」
気付いてびくりと肩を跳ねさせて、サリアは恐ろしいものを目の前にしたかのように強く怯え、腰を抜かしたままコウェルズから離れた。
「--…すまない」
サリアに怯えられて、さすがに傷付いたようにコウェルズの謝罪の声が沈む。
腰の辺りで大雑把に手を拭きながら、コウェルズの瞳が初めて動揺するように震えた。
怯えるサリアなど、コウェルズの中には存在しなかったのだろう。
サリアはいつだって気が強かった。恐らく今だって、ミモザのように噛み付く程度に考えていたはずだ。
だがサリアは怯えた。
コウェルズを拒絶するように見上げながら。
「…私が恐ろしいのかい?」
なんて悲しげな声で。
泣きたそうな、虚しそうな微笑みを浮かべながら。
父を殺した事よりも、婚約者に怯えられたことに傷付くなんて。
「サリア、お立ちなさい…」
コウェルズが再び手を差し出すより先に、ミモザはサリアの元に向かってしゃがみ、強引に立ち上がらせた。
サリアはまだ怯えて声が出ない様子だ。
「ミモザ、そのままサリアを部屋に連れていってくれ。私は各国の対応に回るよ」
言われなくてもそうするつもりだと強く睨み付けて、ふらつくサリアを何とか支えて。
「ヨーシュカ、魔術兵団にも伝えて誰も邪魔しないようにしてくれ」
「わかりました」
「では私は行くよ。…また後で話そう」
先にその場を離れたのはコウェルズだった。
まるで逃げるように。だが、逃げ続けるわけではないというように再会の約束を取り付けて。
「っ…」
それは果たしてサリアに告げたのか、ミモザに告げたのか。
恐らく両方になのだろう。
静かに立ち去る兄の後ろ姿を眺めながら、ミモザはもうひと雫だけ涙をこぼした。
-----