第35話
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王城の上階では、コウェルズがミモザと共にフェントからの報告を静かに聞いていた。
ファントムが各国から奪い去った宝具が何らかの鍵であることは聞いていたが。
「--太古に封じられた“何か”を解放する鍵…」
フェントからの報告を反芻するように、コウェルズは静かに呟いた。
「はい。何が封じられたのかまでは分かりませんでしたが、七つの宝具がただの古代の武具でないことは確かですわ」
封じるとは、極めて物騒な話だ。
鍵と聞いただけならば秘密の部屋や宝物やらを思い描くものだが、封印となれば。
「エル・フェアリア創始まで遡るのは、さすがに無理だね…」
封じられた何かを探るには、あまりにも古すぎる鍵だった。
「封印に使用したなら、解放するのもまた同じ宝具で…どうしてそんな大切な宝具を他国に譲ったりしたのでしょうか」
「…解放出来ないようにする為だろう」
ミモザの問いかけには、コウェルズが答えてやる。
「強大で凶悪な代物なんだろう。簡単に解放などできないように他国に流し、万が一に備えて壊すこともしなかった」
他国との国交をより良いものとする為に渡したものではなく、真実はエル・フェアリアの封印の為に。
他国といえど王家に譲りさえすれば、それは国の宝物庫に保管される。宝物庫ともなれば、何より堅牢だ。たとえ国が滅ぼうとも、宝まで焼き捨てられるはずがない。
全ては、いずれ訪れるかもしれない凶事の為に。
「確実ではありませんが、その封印されたものの場所は、エル・フェアリア王城中央にあると」
そしてフェントの唇から漏れた封印の場所に、コウェルズとミモザは静かに凍りつくように固まった。
エル・フェアリアの王城中央と聞けば、思い付く場所はひとつしかない。
エル・フェアリアの王城は、政務棟や兵舎内・外周含め全てが左右対称になっているのだ。
その中で、王城内の中央となれば、示された場所は。
「…幽棲の間?」
その場所を呟くミモザの声は、完全に恐怖に震えていた。
かつて体験した恐怖を思い出すかのように。
「…ファントムの狙いがその開放なのだとしたら…」
「再びエル・フェアリアに戻ってくるだろうね」
ミモザの恐怖は幽棲の間そのものに向けられて、コウェルズはファントムの再来を危惧する。
大敗した相手が再び。
しかも今度は、コウェルズ達王族の恐れる場所に訪れようというのか。
「ですが…幽棲の間は“何も無い”場所では?」
幽棲の間に行ってはならないという言いつけを大切に守るフェントは、地下に降りたことが無いのだろう。首をかしげる姿に、思わず苦笑いを浮かべた。
「鍵によって開放され、ようやく開かれるんだろう。あそこは…“何も無い”が“何か有る”場所だから」
俯くミモザは思い出したくない様子だ。
「懐かしいね。昔あそこで肝試ししたんだよね?」
意地悪をする訳ではないがそう訊ねれば、思いきり睨まれてしまった。そういえばミモザとエルザはコウェルズがガウェとクレアと組んで無理矢理連れて行ったのだったか。
「お姉様までそんなことを?」
「そうだよ。私とミモザ、エルザ、クレア、ガウェ、フレイムローズでね」
目標にする姉が子供の頃に言い付けを破った事があるのが信じられないのか、フェントは目を丸くしている。
その姿が胸を苦しめるのか、諦めたようにミモザも肯定した。
「あそこには何もなかった…ですが、私達は確かに感じましたわ…何かが存在することを」
コウェルズがニコルと降りた時は、その何かは異常なまでの気を放って幽棲の間の内側までたどり着けないほどだった。
コウェルズが昔入った時は、幽棲の間の中を見ることが出来たというのに。
「ガウェもフレイムローズも感じなかった。だが王族は気付いた。ここにいたくないと切実にね」
「…あそこでコレーが隔離されることにならなくて本当によかった…」
コレーがファントムの狙いの可能性であった時、魔術師団はコレーを幽棲の間に隔離してファントムに対抗するつもりだった。
コレーも幽棲の間に入ったことはないはずだが、コウェルズやミモザが頑なに幽棲の間を拒絶していたので肌で恐怖を感じていたのだろう。
だから魔力の暴発を起こした。
幽棲の間。視覚で見ただけならば何もない場所だ。
だが宝具を使って何かが解放されるならば。
それは幽棲の間に何かあると気付いて恐れるコウェルズ達王族にとってどんな影響をもたらすのか。
そしてそれは、ファントム--ロスト・ロードにも言える事ではないのか。
せめて何が封じられているのかわかれば。
考え込むように、こめかみを少しだけ押さえる。
室内にノック音が響いたのはそんな時だった。
「コウェルズ様、ニコルが到着しました」
わずかに開いた扉の向こうから、騎士の声が内容を告げてくる。
「入ってくれ」
命じれば、ニコルはやや疲れた様子を見せながらも入室して頭を下げた。
「--失礼いたします」
「突然呼び出して悪かったね」
「…いえ」
今日はニコルとの対話は予定していなかったのだが、急遽変更して呼び出したのだ。
ニコルは妙な噂を流されているアリアの傍にいたかっただろうが。
「ニコル?」
フェントはなぜニコルが訪れるのか理解できない様子だった。
「すまないが少しだけ待っていてくれ。じきにガウェが戻る。戻ってきたらクルーガーの元に向かうから」
ニコルが訪れたはいいが、役者はまだ揃ってはいない。待機を告げれば、ニコルとミモザが同じタイミングで眉をひそめた。
「…それは?」
「五年前の話をニコルも?」
ニコルは訳がわからないと。ミモザは今からの動きを知りつつ。
コウェルズはミモザに微笑みかけながら頷く。
「…失礼ですが、五年前の話をされるなら私は不必要では…」
五年前ということは、リーンが殺されたように見せかけられ、土中に埋められた件だ。ニコルはなぜその話しに自分が加わるのか理解し難い様子だった。
関係無いと言えば確かに関係無いだろう。だが。
「君のことはガウェには話しておく」
「な!?しかし…」
ガウェには、ニコルの正体を。
驚くニコルは、すぐに近くにフェントがいることを思い出して口を閉じた。フェントはニコルが従兄であることを知らないのだから。
「何の話ですの?」
「…何でもありませんよ」
フェントの疑問は当然の事だ。
「フェント、封印されたものが何であるか、君に調査を頼んでもいいかな?」
「あ、はい…わかりました」
フェントからの報告は終わり、今からの会話には必要無い。
「ありがとう。まだ君には知らせられない大切な話があるから、退出してもらえるかい?」
急かすようで悪いがストレートに告げれば、途端にミモザが険しい顔付きになった。
「お兄様、そんな言い方…」
「大丈夫ですわ、お姉様。では失礼いたします」
宝具の件を調べてくれたというのに無下にするかの様子にミモザは咎めるが、フェントはさほど気にしていない様子でおじぎをする。
自分の役目をはっきりとわかっているのだ。
退出するフェントは扉の外で自分の騎士に迎えられ、もう一度おじきを見せてから扉は閉められた。
フェントと騎士達の離れ行く気配を感じながら、数秒だけ沈黙が流れ。
「…正気ですか?私の話など…ガウェに知られたら」
先程の会話を続けるように、ニコルはわずかに食ってかかった。
ニコルは王族だとガウェには伝えておく。
だがニコルからすれば、自分が王族であった事よりも、ファントムの息子である事実の方が重いのだろう。
ガウェの目の前でリーンを奪い去ったファントム。
リーンを盲愛するガウェが、それを聞いたなら。
「それで君を逆恨みするほどガウェは愚かではないよ。君もわかってるだろう?」
「…ですが」
言葉は無いが、納得も出来ないという表情だ。
仕方無いだろう。ガウェはそれほどまでにリーンを大切にしていたのだから。
それでも、ガウェには伝えておいた方が事はスムーズに進むのだ。
「で、気は変わったかい?」
「…いえ」
この件は終わりと暗に告げるように、コウェルズは答えのわかりきった質問をする。
ニコルは視線を逸らし、言葉を詰まらせて。苛めているつもりはないのだが、融通の利かない生真面目な性格は茶化すと面白い。
ニコルがどう足掻こうが、コウェルズはニコルの血を諦めるつもりはないのだ。
ただし順序を間違えば、なかなかの騒動になりかねないので気を付けなければならないが。
ガウェが訪れるまでに、どうやってニコルを頷かせるか。ゆっくりと考えようとしたところで、ミモザがコウェルズと代わるように口を開いた。
「…あなたが王族であることを拒むのは、ファントムのせいですか?」
ニコルが頷けない理由を知る為に。
「もしあなたのお父様でなく、お母様が王族であったなら、王族であることを拒まなかったかしら?」
父が王族である前にファントムだったから。
ファントムとして罪を背負っているからなのか、と。
「……申し訳ございません」
ニコルは少し考えるようにミモザを見つめ、やがて口先だけの謝罪を述べた。
語るつもりは無いという暗黙の宣言を受けて、ミモザはそれ以上の追及を諦める。
ニコルが拒む理由。
父が罪を犯したファントムであるという事も含まれているが、それよりもアリアの事だろう。
親族として近しくはいられるが、家族ではなくなる。
以前コウェルズが告げたものだ。
ニコルは異常に家族に執着する節がある。
アリアと家族でいられなくなるという事実が、恐らくはニコルの心を頑なにしているのだろう。
アリアの下劣な噂が流れ始めたので尚更だ。
コウェルズだって、妹達への卑劣な噂や詩は許せない。
だから、ファントムの噂が流れ始めた頃にガウェがリーンを貶める詩を詠った吟遊詩人の喉を潰した際、コウェルズはクルーガーに命じてフレイムローズを使い、愚かな詩を愚かとも思わない馬鹿もろとも潰させたのだ。
家族を守りたい気持ちならコウェルズにだってわかる。
「…まあその話は後にしようか」
愚かな吟遊詩人の詠った詩を思い出してしまい、コウェルズは怒りを消すようにわずかに早口になった。
「ひとまずは先に進められるものを進ませようと思っている。ガウェが戻ったら五年前の話を聞いてから、リーンが生きていた事実を公にする」
本当はガウェが来てから説明しようと思っていた内容を教えて。
「その際に父上にはリーンを貶めた悪者になってもらい、ファントムには生きていたリーンを救い出した勇者になってもらう。ファントムがロスト・ロード伯父上であることを言うか言わないかは、とりあえず後回しだけど、君の件が絡むなら言わなきゃいけないね」
今後の展開予定を聞いてニコルは目を見開き、ミモザは俯く。
コウェルズがミモザ達を思うように、ミモザにも父を思う気持ちがあるのだから当然だ。
「父上はその後に、心労が祟って亡くなられたことにする予定だよ。私が王位を継ぐのはさらにその後になる」
これには、ニコルに確認を取るように「構わないね?」と問うて。
王座などいらないと頷くニコルに、静かに微笑みかけた。
「ヨーシュカは私の王位継承には反対するだろうが、王が不在の場合、魔術兵団は動けないから放置、と」
万が一ヨーシュカがニコルの正体をばらすつもりなら、ニコルの王位継承権の返上を宣言させればいい。
エルザもいずれそれを行うつもりなのだから、いっそ同時に行っても良いだろう。
「問題はアークエズメルですわね」
七姫は奪われていないと宣言しながら、実際はリーンを奪われていた。コウェルズ達はリーンを奪い去ったファントムを英雄側に回すのだから、
「…確か、唯一ファントムの行方を未だに探している国、ですよね?」
ファントムにかつて宝具を奪われプライドを傷つけられた国からすれば許せない宣言だろう。
末姫オデットがいずれ嫁ぐ王国アークエズメルは、ファントムが奪った宝具を唯一今も探しているのだ。
「自尊心の塊のような国ですからね。上手く言いくるめないと」
許し難い浅はかな策略でオデットを早々に迎えようとしたのはつい半月ほど前で、エル・フェアリアの姫を、妹を軽んじられた怒りはコウェルズの中で今も燻っている。
「あっはははは!」
「お兄様?」
ミモザの思い詰めるような声がおかしくて、思わず腹から笑ってしまった。
笑い上戸のコウェルズの普段の笑い方ではない蔑むような嘲笑に、ミモザとニコルは何事かと思った事だろう。
「安心しなさいミモザ。アークエズメルが何を言おうが、こちらは痛くも痒くもないんだから」
プライドばかり高いだけの、離れた土地の小国の分際で。
「…ですが」
「オデットを体よく使おうと画策する国に、私が情けをかけるとでも?宝具の件は奪われた各国に話して回るが、アークエズメルはあえて最後に回してあげるよ」
アークエズメルはファントムの狙いがコレーだと言われた際に、婚約者のオデットを避難の為に保護すると宣った。しかし実際はコレーを“無事”ファントムに奪われた際に“姉を奪われた悲劇の姫”としてオデットを広告塔に打ち出し、自国の起爆剤にするつもりだったのだ。同時に大国エル・フェアリアですらファントムには敵わなかったという事実がプライドを緩和してくれると。
そんな事の為にオデットを使おうとした国への状況説明など、最後で充分だ。
「…人の悪い」
コウェルズの嘲笑理由を知って、ミモザもわずかに微笑んでくれる。
「それで何かあるとすれば、オデットとナノア王子の婚約破棄程度だろう。もしオデットとナノア王子が結婚を望むならエル・フェアリアに迎え入れれば良いだけの話だけど、オデットはそこまで彼に興味無いみたいだし。むしろこちらとしては破棄になってくれた方が有りがたいし」
オデットの嫁ぎ先を決めたのは父だった。
他にも魅力的な国はいくらでもあったというのに、父が何を血迷ったのか未だに謎だ。謎のまま死んでしまったが。
「簡単に言わないでください…国際問題ですわよ」
「エル・フェアリアは自由奔放な大国だから何でも有りだよ。ラムタルとも実質的に同盟関係みたいなものだし、国際的には敵なんていないも同然」
まわり全てが敵ばかりだった大戦当時でも、奪った土地を巡る争いばかりで、創始からのエル・フェアリア本土には何の傷も付いていないのだから。
その実力を以て、アークエズメルが何を言おうが簡単に捩じ伏せる。
「そんな考えでいらっしゃったら、いつかどこかの国に足元を掬われますわよ」
「上等だよ」
また戦が起こったなら。
わずかに精神が高揚したのは、自分の中にもエル・フェアリアの戦士としての血が存在する証拠だろう。
エル・フェアリアの男達はこぞって兵に志願する。
その理由は、実力があればどこまでも階級を上げられる制度と、エル・フェアリアの根本が戦の国であった名残なのだ。
どうやってアークエズメルを挑発しようかな。馬鹿げた思考に移るより先に、コウェルズはニコルが何かに気付いた様子を目にした。
ニコルは扉に目をやっており、誰かの気配に気付いたのだとわかる。
予定より少し遅れたが、この時間に訪れる者は一人しかいない。
「--失礼します」
その一人であるガウェは、普段通りノックもなく我が物顔で室内に入ってくる。
俯き加減だったガウェは両目をちらりと動かして、なぜニコルがここにいるのかと眉をひそめた。
「やあ、お帰り。…義眼を入れたのかい?」
「はい」
今のガウェには、両目があった。
生まれつき存在する左目はそのままに、右目に輝く宝玉は。
「…エメラルドか。君らしいね」
ガウェが遅くなった理由だろう。
義眼を作る為に部屋に戻ったはずだ。
ガウェが五年前まで使用していたリーン姫付きの証である手袋を取りに。
その手袋に装飾された、エメラルドの宝玉。
ガウェは己の魔力でエメラルドを瞳孔の大きさに削り、魔力を眼球に見立てた土台として瞳に嵌め込んだのだ。
黒い眼球と、緑の瞳孔。
リーンを思い描かせる、不気味な。
それにしても緑と黄の瞳が並ぶ様子は、ガウェの願望を表している様ではないか。
黄の隣に緑を。
ガウェの隣に、リーンを。
そして両の腕には、エルザの用意した新しいリーンの手袋が。
「…なぜ彼が?」
ガウェはニコルを目に映したまま、不思議そうな表情を変えない。ともすれば邪魔だと言い出しそうなほどだ。
「五年前の件について、ニコルも一緒に話を聞くからだよ」
五年前。
リーンが死んだとされたはずの新緑宮での件を。
ニコルという関係の無い存在に、コウェルズの決めた事である為に口にはしないがガウェは不満の色を消さない。
「関係無いと言いたげだね」
「…何か関係が?」
「無いよ」
さらりと茶化せば、ガウェだけでなくニコルも呆れ顔で固まる。
「お兄様、真面目になさって。…五年前のリーンの件については関係は有りませんが、全体を通すと無いとは言い切れないのです」
ここでコウェルズを戒めるのはやはりミモザで、ガウェにそれらしい説明を代わりに与えてくれた。
全体を通せば、ニコルは何て宙吊り状態の可哀想な立場にいることか。
しかも、どちらかと言えば悪い場所の上にいる。
ファントムの息子と見るか、ロスト・ロードの息子と見るか。
大半が前者を選ぶだろう。
「ファントムの正体が解ったんだよ」
まだ秘匿すべき情報だ。だがガウェには告げておく。
黄都領主なのだから。
ファントムの情報にガウェはすぐに食らい付くよう目をぎらつかせ、ニコルは緊張してしまう。
さあ、彼はどんな反応を見せるなか。
「ロスト・ロード・ホーリーネス・エル・フェアリア・クリムゾンナーシサス。それが本名。ファントムは私やミモザ達の伯父に当たる、44年前に暗殺されたとされた王族ロスト・ロード様だ」
エル・フェアリア王家の長ったらしい名前と共に、夢物語のような真実を。
聞かされたガウェは呆けたように時を止める。
恐らく思考が働いていないのだろう。
当然だ。誰がそんな話をたった一度で納得するというのだ。
「…馬鹿な」
ようやく口をついて出た言葉は、やはり否定だ。
「事実だよ。君ほどの使い手をいとも簡単に瀕死に追い込めたのも、ファントムがロスト・ロード伯父上であるなら説明がつく。まあそんな程度で正体が発覚した訳じゃないけど」
しかしガウェがいくら否定しても、真実に代わり無いのだ。
そして真実はまだまだ大量に残っている。
「…信じられません」
「信じられないついでにもうひとつ。ニコルも王家の血を引く事が発覚した」
さらりと、いとも簡単に。
完全にガウェの思考が停止することをわかりながら、隠すつもりも無いので重要事項を告げる。
見開かれた瞳は、ニコルの方を見なかった。
無意識にそれを拒絶したのか。
ガウェはコウェルズの言葉の意味を探すことも出来ずに唖然として。
「………は?」
たったそれだけ。
それだけが、ガウェがようやく頭を動かせた量だった。
「だからニコルはここにいる」
「…おっしゃる意味が解りません…」
「だろうね。はしょって言ってるから」
一からの説明もなく結果だけを告げたのだから、ガウェだけでなく誰も彼もが困惑するというものだ。
ニコルは今にも逃げ出したい様子で俯いており、コウェルズは万が一に備えてミモザに視線だけでニコルの側にいるよう命じた。
ミモザがガウェの視界を遮るようにニコルの近くに向かい、
「ニコル・スノウストーム・エル・フェアリア・インフィニートリベルタ。ニコルはロスト・ロード伯父上…ファントムの息子だ」
「----」
「言っておくけど、ニコルはファントムの居場所なんて知らないよ。リーンの事もパージャの事も、何も知らなかった」
ガウェの思考がリーンを拐ったファントムへの憎しみに染まるより先に、コウェルズはニコルは何も知らないという事を告げておく。
ガウェがニコルに刃先を向けないようにだ。それでもガウェは凄まじい眼差しでニコルを睨み付けようとして、その視線を遮るように立つミモザの姿に何とか冷静さを取り戻した。
ガウェは王族付き騎士だ。
王族、特に姫を前にすれば、騎士としての本能が働く。コウェルズはそれを見越して、ミモザを移動させたのだ。
「正体が分かったのも数日前の事だよ。ニコルは未だに現実を受け入れようとはしないけどね」
「……」
「言葉にならない?まあ仕方無いよね。私だって理解するのに一晩かかったから」
ガウェはニコルに目を向け、頭を働かそうと躍起になる様だった。
「彼は自分の父がファントムであることに相当ショックを受けている様子なんだけど、事実は事実だからそれなりに動いてもらうことになったんだよ。君はリーン捜索に動いて、私はリーンがなぜあのような目に遭ったのか調べる。ニコルにはなぜ自分の父親が暗殺されたことになったのか調べてもらう」
「そんな命令聞いていません!」
「今言った」
ガウェとの対話の途中にニコルへの任務も告げれば、ミモザを押し退ける勢いでニコルが口を開く。
生真面目な分、黙らせる事も簡単だが。
「っ…私には、アリアの護衛という任務があります」
「君が少し離れた所で陣形が崩れるような人員を選んだつもりはないよ。レイトルとセクトルは言わずもがな、モーティシア、アクセル、トリッシュの三名もリナト魔術師団長御墨付きの秘蔵っ子だし」
個々の実力は確かなのだ。文句は言わせない。
「…ですが」
「それに44年前の事件を洗ったところで完全に真実が発覚するわけでもないだろうから気楽にすればいいよ」
知りたいのは、なぜロスト・ロードがファントムになってしまったのかという理由だ。
根本がわかれば、リーンや宝具の件も理解しやすくなるだろうから。
わからなければ仕方無いし、わかったならラッキー程度でいい。
「私も政務の傍ら伯父上暗殺の件について調べますので、あなた一人で背負い込む必要はありませんわ」
ミモザもニコルをなだめるように見上げながら告げる。
ニコルがぐっと言葉に詰まった所で、ようやく思考が正常に戻ってきたらしいガウェが改めてコウェルズに向き直った。
「…なぜ彼がファントムの息子であるとわかったのですか?」
詳しい理由を。
まだガウェはニコルの正体という事実だけを知らされて、その理由は聞かされてはいないのだから。
「ああ、それはね、クルーガーとフレイムローズから聞いたからだよ。君も知っていると思うけど“真実の結界”を使ってね」
ミモザとエルザが張った二重の結界。
その中では真実しか語ることは許されない。
「…ですが“そう思い込まされていた”のだとしたら?“真実の結界”には穴がある」
しかしその結界の難点を、ガウェは指摘する。
真実の結界は、言葉を発する人間の心理に作用するものなのだ。
ガウェが告げた穴に、ニコルはすがるような眼差しをコウェルズに向けてきた。
自分が王族でない理由が欲しいのか、まるで途方に暮れる迷子の子供が親の影を見つけたように。
だがその点についても、コウェルズはすでに動いている。
「確かに穴のある結界だよ。だから調べた。その結果ニコルは地下を、幽棲の間を恐れた」
ニコルの正体を知る為に、コウェルズは動いた。彼を連れて地下へ。
地下に存在する“何か”は、ニコルに反応するように幽棲の間にすら近付かせなかったのだ。
数年前にコウェルズ達が肝試しに降りた際、ガウェは共に地下に降りた。そして目の前でコウェルズ達が恐れる様を目の当たりにしている。
「ニコルは怖れた。だから、エル・フェアリアの王族なんだ…それも、王位継承権は私より上」
「コウェルズ様!」
「お兄様!」
王位継承順位に反応してニコルとミモザが咎めるが、さほど気にはせずに置いておく。自分が改めて王座を望んだことは理解している。今更それを否定するつもりはない。
「信じられる?」
「…いえ、まだ」
ガウェは困惑の色を濃く残しながら頭を横に振るが、否定的な様子は薄れていた。
「だよね。でも真実事実。エル・フェアリアの王族である以上、ニコルには義務が発生する」
大切な義務の為に、ニコルがどれほど否定しようが逃さない。
「…魔力の保護と次代の確保」
「そ。治癒魔術師確保より重要な責務。現存でエル・フェアリア次代を生むのはミモザと、私の婚約者のサリアだけ。しかもミモザとヴァルツの間に産まれた子供はもれなくラムタル行き。ミモザが一人しか子供を産まなかったら、結局サリアしか次代を産めないことになる。44年前の暗殺の件で、エル・フェアリア王族は直系以外廃れてしまったからね」
特殊なエル・フェアリア王家の血を絶やさない為にも、ニコルは重要な種なのだ。しかもニコルは。
「…コウェルズ様だけでなくニコルが王族男児だというなら、王家の魔力を持つ次代の幅が広がる。…エルザ様が治癒魔術を習得された暁には、ニコルの母上の血も交わり、王家の魔力と治癒魔術の力、両方を持った次代が産まれる可能性が高くなる」
早速状況を理解してくれたガウェに拍手を贈りたくなった。
「大正解。ついでに魔力の高い君がアリアの夫になれば、治癒魔術師の確保も楽勝になると思うんだけど」
この流れにつられてガウェも頷いてくれないだろうかとも願ったが、ニコルが驚くと同時に目を伏せられてしまった。
ニコルが説明を欲しがるようにガウェとコウェルズに交互に目を向ける。
恐らく理解してはいるだろうが、本心が拒絶しているのだろう。
「アリアの夫候補の最有力がガウェとトリックなんだよ。リナトは孫を推してるけど」
ニコルを抜けば、魔力の質が最も魅力的なのはガウェで、次点がトリックなのだ。
もっともコウェルズは、とある理由からトリックがアリアの夫となることは反対なのだが。
そしてガウェも、アリアを選びはしないだろう。
「…まあ君は、リーンを探し出すまではそんな頭にはならないんだろうね」
わずかに上げた眼差しをまた下ろして、まるで聞こえなかったかのようにガウェは無言を貫いた。
「ふざけないでください!アリアの将来を決めるのはアリアです!!」
ニコルはニコルで怒りを爆発させて、ミモザが押さえるようにその腕を掴む。
「言ったろ?優先順位は治癒魔術師より王家の魔力だ。君が王族であることを認めるなら、アリアの夫候補の件については白紙にすると」
「…っ」
昨日ニコルにくれてやった交換条件をもう一度告げる。
ニコルの血が手に入るなら、アリアは自由にしてやるとも。
勿論、表向きの話だが。
「まあ、ここで性急にならなくてもいいから、今は皆でクルーガーの元に行こうじゃないか。先にヨーシュカとリナトも待っているだろうから」
いまだに苛立ちを抑えきれていないニコルの心を置き去りにして、何もかもを先へと促す。
早く諦めて王家に来い。
自棄になってエルザに手を出すなら、それはそれで万々歳だ。
「さあ、皆仲良く揃って行こうか?」
自ら扉を開けてやり、ガウェとニコルがいるのでミモザと自分には護衛は不要だと待機していた者達に告げて。
長い沈黙の続く道程となった。
クルーガーとフレイムローズは未だに捕らえられた状態で地下牢にいる。
だがそれもじきに終わる。
五年前に何があったのか。
なぜリーンがあのような目にあったのか。
その話が終われば、クルーガーとフレイムローズは日の下に戻るのだ。
戻ってきたら。
…やるべき事が山積みではないか。
第35話 終