第34話


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「--鍵?」
「ええ。フェントが文献を整理して、その可能性があると」
 コウェルズがミモザからその話を聞いたのは、クレアが真夜中にも起きているフェントに気付いた翌朝の事だった。
 クレアからその話を聞かされたミモザも捨て置けない内容だったのでコウェルズに伝え、コウェルズは考え込むように視線を落として宝具に考えを巡らせる。
「…ファントムに奪われた宝具が、何かの鍵…」
「ファントムはその何かを開けたいのだろう、と」
 かつてエル・フェアリアに存在した七つの宝具。
 他国に渡ってしまったそれらは国を滅ぼすほど威力の高い古代兵器であると聞かされていたが、それがここに来て何らかの鍵であるという事実は、別の問題を浮かび上がらせることとなった。
 宝具が鍵ならば、鍵穴はどこにある?そしてその先には何が。
「…フェントは今どこに?」
「自室でまだ目を通していない文献を読んでいますわ」
 宝具についてはフェントに任せきりで、コウェルズが鍵穴やその先を自ら調べるには時間が少なすぎる。
「…七つの宝具、リーン…鍵?」
 今どれだけ頭を使っても意味などほとんど無いのだろうが、鍵という単語はしこりのように胸に引っ掛かった。
「闇の七色とも関係があるのかしら…」
「…闇の七色…ファントム達の事だね…ニコルはファントムの仲間達が宝具を操っていた可能性を教えてくれたけど」
「まさか!どの文献にもエル・フェアリア王家にしか操れなかったと書かれていますわ!」
 有り得ないと首を横にふるミモザは、フェントの調べ上げた内容を全て信じているのだろう。
 大切な妹が頑張って調べてくれたのだからコウェルズも信じているが、完全に鵜呑みにすることは出来ない。
 いずれも古代文字での文献だ。何か落とし穴が有る場合の方が多いだろう。
「…もしかしたらエル・フェアリア王家の魔力に反応するのかもね。そしてファントムとリーンはエル・フェアリアの王家の血と魔力を引く」
 王家の者が手にしていなかったとしても、傍にいるだけで、あるいは予め王家の者が魔力を込めていたなら。
 考えだけなら無限に存在する。
 何にせよ宝具が鍵だというならば、早々に鍵穴とその先を知らなければならないだろう。
 ファントムが、ロスト・ロードがその先を目的としているだろうから。
「…伯父様にも困ったものだね。生きていたなら帰ってきてくれたらいいのに。隠し子がいるなら尚更だよ」
 暗にニコルの事を告げれば、ミモザの表情はまた曇った。
「…ニコルは王家に来ると?」
「いや、まだ拒んでいるよ」
 ミモザには地下での件を告げている。
 王城地下に存在する幽棲の間。
 そこはエル・フェアリア王家の血を引く者達には恐ろしい所だが、他者には何もない場所なのだから。
 ニコルは地下を恐れた。
 何かがあると確信して。
「…国王の件は?」
 そしてニコルに連なるように、ミモザは父親の件を口にする。
 未だに体を強張らせる様子は見ていて辛かった。
 それでも懸命に受け入れようとする姿は健気で、しかしミモザはコウェルズからの慰めは欲しがってくれないのだ。
 ミモザがヴァルツの胸で泣いた夜があるのを知っている。
 自分の方が歳上だからとヴァルツに甘えなかったミモザは、産まれて初めて婚約者に甘えたのだ。
 可愛い妹が自分以外の男に甘えた事実が少しばかりやるせなくて、だがコウェルズにはどうすることも出来なくて。
「父上の件が一番先に解決かな。ガウェが来ることだし」
「え?」
 自分の胸に生まれた寂しさを紛らわせるように、コウェルズはこの場にガウェが訪れることを告げた。
 本当は昨日の夕暮れの時点でガウェはコウェルズの元を訪れていたのだが、時間が合わずに今日に持ち越されたのだ。
 噂をすれば、都合よく扉を叩く音が響いて。
 扉を開いて現れるガウェを、コウェルズは微笑んで迎えた。
「やあ、ヴェルドゥーラ氏。昨日は悪かったね。君に頼みがいくつかあるんだ」
 騎士のガウェでなく、黄都領主に用がある、と。

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 人目を忍ぶように、こそこそと。
 簡易医療棟である兵舎外周棟に訪れたエルザだが、いくら自分自身がそっと動こうが後ろの護衛が隠れる気が無いおかげで全く隠れることが出来ていなかった。
 現在のエルザの護衛に立つのは隊長のイストワールで、彼は半ば呆れつつも頑張って隠れ進むエルザを見守る。
 周りの王城騎士達もエルザに頭を下げるべきか気付かないふりをするべきかと、非常にやりにくそうにしていた。
「…エルザ様、堂々と会いに行けば宜しいでしょう?目的の相手は治癒魔術師のアリア嬢なのですから」
「…で、でも」
 エルザがこそこそと進む理由はニコルだ。
 侍女イニスの件から誤解を解くために、ニコルがエルザの部屋を訪れたのは二日前になるか。
 エルザに口付けただけでなく、初めて会った時から惹かれていたのだと告げたニコル。
 恋仲だと確信できるひと言をニコルがエルザに与えないのでまだ心は怯えており、同時にニコルへの思いをまだ王城騎士達に知られるわけにはいかないので忍び足になってしまうのだ。
 ニコルに会いたい。でも会ってしまったらきっとエルザは人目も憚らず盲目状態に陥るから。
「…成果を見せに行くのでしょう」
「……」
 昨夜ようやく、エルザはある偉業を成し遂げた。その成果をアリアに見せにいくのが、簡易医療棟を訪れた理由だ。決してニコルに会いに来たわけではない。ないのだが。
「アリア嬢もお暇ではないのですから、とっとと行ってさっさと戻りますよ」
「--おや、エルザ様。治癒魔術師に何か用件でしょうか?」
「はひゃあ!!」
 曲がり角を曲がる瞬間、その向こうから顔を出した魔術師の青年に話しかけられて、エルザが驚きすぎて飛び跳ねた。
 イストワールは青年の気配に気付いていたのでさらりとエルザの肩をつかんで支えてやり、少し頭を下げる。
「これは、モーティシア殿。ちょうどよかった。アリア嬢の手は空いておりますか?」
 階級こそイストワールの方が遥かに上だが、同じ隊長職としてモーティシアに敬意を見せる。
 その姿がこそばゆいのかモーティシアは少し困ったように微笑んで、律儀な礼を先に行ってから質問に答えてくれた。
「戻ってみなければ何とも言えませんが、急患はおりませんので姫の為でしたらいくらでも手は止められますよ」
 エル・フェアリア唯一の治癒魔術師は多忙だが、エルザの為なら何のことはないと。
 急ぐほどの患者がいない事はエルザの方でも確認済みなので、ならばとイストワールはエルザに目を向けた。
「それは有りがたい。さ、エルザ様。さくっと済ませますよ」
「は、はい!」
「ああ、ニコルでしたらおりませんので」
「っ!?」
 決心するように両の手を握りしめて目力を強くするエルザだが、さらりとモーティシアにニコルの不在を告げられて肩がびくつき眉尻が下がった。
「彼はどちらに?」
「昨日も遅くまでコウェルズ様達と話し合っていた様子でしたので、朝は休むよう命じてしまったのです」
 申し訳ございません、と謝罪するモーティシアはニコルとエルザの仲を知っているのだろう。
「これで恥ずかしがる理由も隠れる理由も無くなったでしょう。さ、行きますよ」
「…はい」
 目に見えてしょぼくれるエルザは、ニコルに会いたいという気持ちの方が強いのだ。
「…呼んできましょうか?」
「!!」
 さすがに可哀想になってしまい問いかけるモーティシアだが、エルザがパッと表情を明るくすると同時にイストワールが却下の手を上げてしまった。
「いえ結構。休むことも大切な仕事ですから。あれは強く命じなければ休まないですからね」
 かつてニコルはイストワールの下にいたのだ。その性格は、まだ数ヶ月共にしただけのモーティシアよりも理解している。
 イストワールの言葉に、喜びを見せようとしたエルザの表情がまた悲しげに伏せられた。
 今度は少しイストワールを責めるように不貞腐れながら。
「…可愛らしい反応ですね」
「でしょう?」
 その様子をまじまじと見つめながら、モーティシアが穏やかに微笑む。
 このわかりやすさは、騎士達が甘やかしたくなる気持ちもよくわかると。
 苦笑する二人に見守られながらエルザは不思議そうに首をかしげ、三人は揃ってアリアの元へと向かうことになった。
 医務室に使っていた部屋にはすぐに到着して、モーティシアが扉を開けて。
「アリア、手は空いてますか?」
 室内で治癒に訪れていた騎士とアリアとレイトル、アクセルが談笑している様子に、モーティシアは丁度治癒が終わってひと息ついたのだとわかった。
「はい、空いてますよ?」
 モーティシアの呼び掛けにアリアはすぐに扉に体を向けて、
「アリア」
「エルザ様!どうしたんですか!?」
 モーティシアの隣から顔を出したエルザに驚いて椅子から立ち上がった。
 アリアだけでなく、治癒に訪れていた騎士までもが。
 エルザ達はすぐに室内に入り、変わるように騎士が一礼した後に逃げていく。
 誰も出ていけとは言っていないのだが、病み上がりで急に姫を目の前にするのは心臓に悪すぎたらしい。
「実は、見ていただきたいものが…」
 慌ただしさが消えて落ち着いたところでエルザが自ら用件を口にすれば、エルザの今回の目的であるアリアはきょとんと首をかしげた。
「あたしにですか?」
「はい…上手く出来るでしょうか…」
 頷きはアリアに、不安は自分自身に告げて、椅子に座ったエルザは背後のイストワールを見上げる。
「ここまで来て何を言っているのですか。さあ、パパッと済ませますよ」
 そのエルザの不安を一笑して、イストワールはエルザの護衛の証である緋の宝玉と刺繍の入った手袋を外してから、魔具の短剣を使ってわずかに血が滲む程度に自身の手のひらを傷付けた。
 アリア達が驚く中で、エルザは真剣な眼差しでイストワールの傷に両手をかざして集中する。
 エルザから発せられる緋色の魔力に申し訳程度の淡い白が交り始め、イストワールの小さな傷に降り注いだ。
 誰もが息を飲み、長い沈黙が訪れる。
 数分はかかっただろう。
 それでも皆の見守る中で、エルザはイストワールの小さな傷をゆっくりと確実に直してみせた。
 まだアリアのように完璧ではなく、よく見ればうっすらと傷の後が残ってはいる。それでも。
「で、出来ました…」
 はぁ、と安堵の息をつくエルザ。同時に周りは喜びに沸いた。
「傷を治せるようになったので、是非治癒魔術師に見ていただきたく」
 治った事実を見せるように手を開閉するイストワールに、エルザがわずかに頬を染めた。
「まだ時間もかかりますし、この程度の傷しか治せませんが…」
 謙遜するエルザとは裏腹に、アリアは満面の笑顔を浮かべて喜んだ。
「凄いです!コツさえ掴めばどんどん出来るようになりますよ!!」
「そんな簡単に…」
 すぐに出来ると言わんばかりの言葉にアクセルが少し慌てるが、モーティシアが彼に似合わない強い口調でそれを制した。
「素晴らしい事ですよ!」
 治癒魔術師でない者が治癒魔術を扱うには、相当の時間が必要なのだ。
 エルザは見事にその一歩を進んでみせた。
「で、でもまだ小さな傷しか癒せませんから…」
「その小さな傷すら、癒せる人間はこの国には今のエルザ様とアリアしかいないのです!」
 モーティシアの興奮した様子は珍しく、アクセルだけでなくレイトルもわずかに驚く。
「おめでとうございます!」
「これでエル・フェアリアの未来も明るくなりましたよ!」
 アリアは純粋に、モーティシアは先を見るように褒め称えて、エルザはさらに顔を赤くしてしまう。
「ま、まだ訓練はしなければなりませんし…アリア、また…訓練を見て下さいますか?」
「勿論です!」
 ファントムが訪れてからというもの、アリアは治癒ばかり行っておりエルザの訓練は完全に後回しにされていた。
 その事を思い出して、アリアの表情がわずかに沈む。
「あ…最近は行けなくてごめんなさい…」
「そんなことはありません!アリアには大切なお役目があるのですから!」
 申し訳なさそうに頭を下げられてエルザも慌てるが、アリアはすぐに気持ちを切り替えた。
「手が空いたら絶対に行きますね!あーあ、兄さん達もいればよかったのに」
 そして何の気もなく呟いたのだろう名前にエルザは反応を見せる。皆がそれに気付けるほどわかりやすく。
「ニコルならもうじき来ると思いますよ」
「エルザ様の口に合うかはわかりませんが、待つ間お茶を用意しましょうか?」
 アクセルがニコルの訪れる時間を見越して、レイトルはエルザの喉を潤す用意をしようとして。
「い、いえ!私はこれで!!」
「…だそうです。失礼いたしました」
 姫からすればはしたないほどに強く立ち上がって、エルザが慌てて出ていってしまう。そうなれば護衛のイストワールも後を追うしかなく、苦笑しながらも一礼をして、エルザの後について部屋を出てしまった。
「…エルザ様も忙しいんだね…」
 エルザとニコルの仲をいまひとつ理解できていないアリアは単純にエルザの多忙だと思い、足を運ばせてしまったことを悔やんでいる。
「さあ、残りを終わらせますよ」
 エルザの件が済んだならと先程の喜びを心の引き出しにしまい込んで、モーティシアはすぐに気持ちを切り替えて全員に命じて。
「--失礼いたします。モーティシア様とニコル様はいらっしゃいますか?」
 そこに訪れた侍女長ビアンカの姿に、イニスの件を知っている全員は固まり、室内の空気は一気にはりつめた。

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