第34話
第34話
未成年ならすでに寝ているであろう時間帯。
夜の王城上階の通路を騎士と共に歩いていたクレアは、妹であるフェントの部屋から明かりがわずかに漏れている事に気付いて自室への帰路を変更した。
フェントの騎士達はクレアの登場に困惑しつつも頭を下げる。
「起きてるの?」
ただそれだけ訊ねれば、騎士達は心配そうな顔を見合わせて「毎晩」と答えて。
ファントムが訪れるより以前から、遅くまで。
最初は騎士達も眠るように注意したが、言うことを聞いてくれないどころか布団に潜って隠れてでも起きていようとするのだと。
その理由はひとつだ。
ファントムと七つの宝具の繋がりを見つける為に。
それはフェントの任となっているが、まだ13歳の娘が遅くまで起きて行うことではない。
「私がいくから」
「申し訳ございません。宜しくお願いいたします」
自分の騎士達も扉の前に待機させて、クレアはゆっくりと静かに響き渡るようなノックを二度行う。
中から返事はない。ということは寝落ちでもしたのか、集中しすぎて気付いていないのか。
後者であるとわかったのは、部屋の扉を開けて中を確認したからだ。
せめて目を悪くしないでほしいと騎士達が灯りを普段以上に用意した部屋は明るく照らされて、窓の近くのテーブルにフェントは目を近付けるようにかじりついて。
今以上に目が悪くなってしまったらどうするつもりなのだと呆れながら近寄れば、フェントは気配を察したのか顔を上げた。
「--…お姉様」
見つかった、とバツが悪そうに少しだけ眉を寄せて、苦笑いを浮かべて。
叱られると思ったのか首をすぼめるフェントの肩に手を置いて、怒らないから、と微笑む。
「もう夜も遅いのに、寝なくていいの?」
騎士達も心配していることを仄めかしながら訊ねれば、フェントはテーブルの中心にあった紙を手にしてクレアに渡す。
「…これ」
見てください。
消えてしまいそうな声で願われてそれを受け取るクレアは、読み進める度に眉根を寄せていった。
「…なに、これ…」
「他国から頂いた文献にも、似たような事が書かれてありました」
フェントが掻き集めた史料と文献の最重要部分を拾い上げたのだろう。
七つの宝具が何であるのか。
フェントはその扉を開きつつある。
「ファントムの狙いは…」
何重にも閉ざされた秘密の扉の鍵のひとつを、フェントは見つけ出したのだ。
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ラムタル首都に存在する王城の通路を当て処無く歩いていたパージャだが、途中で侍女達に捕まり少しばかり面倒な事になっていた。
早い話が昨夜手を出した侍女だ。
手を出したと言っても誘ってきたのは向こうで、諦める為に一度だけ抱いてほしいという願いを叶えてやったに過ぎない。
ミュズが悪夢に苛まれる真夜中。起こせばミュズは悪夢を覚えていて、悪夢とわかりながらも眠らせ続ける事が最善策で。
苦しむミュズを見たくなくて、苦しむ声を聞きたくなくて、逃れるように王城に降り立った先で侍女に捕まり告白をされ、無理だと告げれば一夜を迫られた。
きっと昨夜のパージャも、ミュズの悪夢をどうすることも出来ない自分に苛ついていたのだ。
でなければ何度も顔を合わせるだろう侍女に手を出すものか。
それでも一晩限りだと念を押して押されて共に過ごせば、案の定の今現在だ。
パージャに抱かれた侍女は涙を浮かべて俯き、やはり好きだ諦められないとパージャにすがる。その両横に張り付く侍女仲間達は、彼女の気持ちを知りながら手を出したのだからとパージャを責めた。
なんて面倒なのだろう。
妙な仲間意識の下で交際を迫られてワカリマシタと頷く男がはたしているのか。
いたとして上手くいくはずも無いだろうに。
ここで真面目に反論したとしても何の得も存在しない。
反論も男側の主張も、結局謎の団結力を見せるうら若き娘達には通じないのだから。
それなら諦めるように仕向けるべきだろう。
潔癖な年頃の娘達が嫌がるとすれば、やはり優柔不断すぎる金と女の話辺りだろうか。
今まで体験したえげつない恋愛事情を曲折しつつ現在進行形で語れば、当人よりまだ冷静な目を持つ周りの侍女達が次第にパージャの説得から当人への説得に様変わりしていった。
曰く「こんな男と恋仲になっても不幸になるだけ」
酷い言われ様だが思惑通りに事は運び、当人の娘はまだパージャを諦めきれない様子だったが他の侍女が連れて帰ってくれた。
当分は女にすぐ手を出すヤリチン辺りで噂が流れるか。
それでも元をたどれば面倒な事になる可能性をわかりつつ手を出したパージャの甘さが原因なのだから甘んじて汚名を受けようではないか。
娘の方もどうせ自分に都合のいい話だけを周りに話したはずだから、手を出された被害者で通るだろう。
正直なところあまり女関係で妙な状況には陥りたくなかったが。
それは、ミュズがいるからだ。
変に気を持たれれば、パージャが靡かない八つ当たりはパージャの視線の先にいるミュズに向かう。
だからこれでいい。
パージャが悪者で。
どうせミュズは侍女達と仲良くはならないだろうから、気を付けてやるのはお鉢が回ることへの懸念だけだ。
そうこうしていれば通路の先に毛布の塊が右に左に危なっかしく揺れながら移動する様子を見つけて、パージャはふらりとそちらに近付いた。
毛布の塊が向かう先は一室しかない。
そしてその毛布を運ぶのは。
「やっほーミュズ。すっげー大変そうだね?」
パージャのみぞおち辺りまでしか身長のない小さなミュズの桜色の髪を見つけて、その隣に歩調を合わせた。
周りに溶け込むようにラムタルの侍女の制服を着るミュズは、普段と異なる様子が可愛い。
何を着させても可愛いが。
「パージャ…あ!」
いつもならここでミュズの満面の笑顔が見られるというのに、何故だか今日は何かを思い出すように表情が強ばり、そのままパージャを無視するように前だけを向いてしまう。
毛布に視界を邪魔されて歩きづらそうだが。
不機嫌というよりは困惑したように唇を真一門字に引き結ぶ様子は、それはそれで可愛いのだが。
「ミュズ、ミューズー」
無視されるような事はしていないはずだ。それとも光の早さでパージャの悪い噂が流れたか。いやそれにしたってミュズがパージャを無視する理由にはならない。
ヤリチンでもパージャだよ。以前そう口にしながら微笑んでくれたミュズだ。
蝶よ花よと大切にしてきたはずなのに、なぜかミュズは耳年増に成長してしまった。はたして誰の影響なのか。
「おーいミュズちゃん?」
どうしたものかと頭を撫でてみても、ミュズは無反応を決め込んで絡繰り人形のようにひたすら前を向いて進んでいく。心持ち歩むスピードが早くなるが、背の高いパージャの足の方が長いので無意味だ。
「ぐはぁ…お腹が…」
わざとらしくお腹を抱えても無視されて、これはいよいよ重大な何かをしでかしたのかと本気で頭を捻る。
思い当たる節は正直無い。
トイレやお風呂にまでついて来ようとするのはいつだってミュズの方だったし、理性で本能を押さえ込んでそれはあかんと拒否する毎日のパージャだったのだ。
ミュズが小さな頃は何度も一緒に入浴したが、今はしっかりやめさせている。理由は聞いてくれるな。
もしかして拒否し続けたからか?いやそんな悲しい、じゃなくて困るような事を受け入れられない。
「ミューズーミューズーミューズーミューズー」
やはり自分に非など見つからなくてミュズを呼び続ければ、ようやく立ち止まってくれるが。
「もう!パージャいい加減にして!」
振り返るミュズが急に立ち止まった為に背後にいたパージャは立ち止まれずにぶつかってしまう。
「わぷ!」
顔面を毛布に柔らかく襲われて、ミュズはバウンドして倒れそうになり、パージャは毛布を無視してミュズを助けるように抱き締めた。
お陰で真新しい毛布は床に落ちたが、ミュズが無事ならなんて事はない。
「セーフ」
細い背中を優しく引き寄せるように助けたというのに、つっかえ棒のように両手でピンとパージャの腹を押して離れられてしまう。
「もう!もう!!どうして邪魔するのよ馬鹿!!」
そのままポカスカと胸部を両拳で叩かれるが、騎士として無駄に鍛えたお陰か痛くも痒くもなかった。
「いやいや、手伝おうと思って呼んでたんだけど」
うーっと唸るミュズの両手首を片手で拘束して、落とした毛布を拾おうとしゃがみこんで。
「だ、駄目!!」
「…痛…グーで…」
すぐに手首を離してしまった為に、パージャはこめかみの片側を容赦なく殴られた。
「ごめんなさ…だから、手伝っちゃ駄目なの!!」
慌てた謝罪は、上書きするような更なる慌てっぷりに遮られて。
いったいどうしたというのだ。
「いいじゃんこんくらい」
「パージャは手伝っちゃ駄目!」
「なんで?」
頑固な様子はいつもの事だが、理由がわからない。
「なんでって…」
どもって視線をそらすミュズをしゃがみこんだ状態から見上げて。
見上げるのも新鮮だなぁなんてこんな時にも考えてしまうのだから、やっぱり自分はミュズに甘い。そんな悶えるような胸中はひとまず隅に押しやり、
「大変そうな人を見つけたら手伝ってあげたくなるのは普通だよね?」
「そうだけど…」
とりあえず今は手伝い不要の理由を聞き出そうとパージャは心を鬼にする。
「今のミュズはこんなに重いもの一人で運んでて大変だっただろ?」
「そう…だけど」
「なら手伝ったっていいよね?俺は悪いことはしてないんだから。むしろ感謝されるべき立場でしょ。理由があるなら別だけど?」
「…それは」
弁の立つパージャについてこれないのかミュズは押し黙り、パージャは仕方ないとばかりに毛布を拾おうとして。
パージャと同じくしゃがみ込んだミュズに、毛布に伸ばした手の甲をパチンと叩かれた。
「……」
「……」
こうなれば意地だとばかりにパージャは左右の手を駆使して毛布を拾おうとするが、ミュズは伸ばされる手の甲を的中率100%で撃墜していく。
謎の攻防は一分は続き、折れたのはパージャだった。
「…何でそんなに頑ななの?前まで手伝わせてくれたじゃん。俺、ミュズの手伝いして感謝されたいだけなんだけど」
ミュズのありがとうが聞きたいと素直に告げれば「だって」と不貞腐れてしまう。
「だって、何?」
「……」
「黙るのってずるいよね?」
「…だって」
「だって、何?」
このまま無限リピートに陥るか、それともパージャが折れるか。しかし今度はすぐにミュズが諦めた。
「…ティーが、私達がよく一緒にいるから、恋人なの?って…」
ようやく聞かされた手伝い不要と無視の理由は、ファントムとガイアの息子であるルクレスティードの無邪気な質問だったらしい。
父と母のように。ウインドとエレッテのように。
いつも傍にいる二人は恋人同士なのかと。
いつもは「家族だ」と宣言するミュズがここまで頑なにパージャを拒んだのだから、相当ルクレスティードに問われたのだろう。
あの餓鬼、と両親を前にしても言える程度にはパージャもルクレスティードの面倒を見てきている。
「…子供にからかわれただけで真に受けるの?」
「そんなこと無いけど…」
そう言いながらもミュズはパージャを見ようとはしない。これはパージャを意識してくれている表れかと思う気持ちが顔を出すが、緩みそうになる頬を何とか引き締めた。
「無いなら良いでしょ。手伝うよ」
「だ、駄目!」
毛布に手を伸ばして、また叩かれて。
「…じゃあ今すぐあのバカ紫殴ってくる」
「駄目!!」
ルクレスティードへの八つ当たり発言には凄まじい拒絶を見せる。
歳はいくつも変わらないというのに、ミュズは自分がお姉さんでいられるルクレスティードには甘いのだ。
それが地味に癪に障って、パージャは溜め息をつきながら自分の膝に肘をついた。
「じゃあミュズが決めてよ。俺の次の行動。ミュズを手伝うのか、ティーがたんこぶ作って泣くか」
ここまで来たらパージャだって意地だ。
答えの解りきった二択を迫れば、ミュズはわずかに呻いてから、
「…手伝って…」
観念するように視線を合わせてくれた。
「リョーカイ!」
さっそく毛布を手にして立ち上がれば、驚いたようにミュズがパージャの腕にすがりついてくる。
「あ!全部はかかえちゃ駄目なの!」
「毛布はひとつでしょーが」
「私も持つの!!」
イヤイヤとすがられて悪い気はしないが、ひとつの毛布を二人でとなると。
少しばかり頭を捻ってから、パージャは毛布を折り畳み直した。
片側が質量の多い横長になるように畳み直して、軽い方をミュズに渡す。
「…じゃあ、これでいいか?」
「うん!」
端から見れば持ち運びにくそうなことこの上無いだろうが、ミュズは気にしていない様子だ。
そもそもミュズに不便な思いをさせるつもりはないが。
歩調を合わせて、目的の場所に向かう。
ミュズが手伝い要員に使われているということは、向かう先はリーン姫の眠る部屋以外にはありえないだろう。
リーンはこの王城でも秘匿されている。
知らされているのはバインド王が心を許した優秀な者達だけだ。
通路を進めばその先に現れるのは二人の男の守る扉で、一人の術者が結界を張り、もう一人の騎士が静かに見張る。
顔見知りになった二人に目礼をして、パージャはミュズと共に騎士に開かれた扉を通って。
ここでミュズの相手の目をじっと見るという癖が出てしまい、まだ若い騎士がわずかに照れたように視線を逸らす様子をパージャは見逃さなかった。
「…糸屑発見」
ミュズの注意をこちらに向けさせるように、同時に騎士に見せつけるように、パージャは有りもしない糸屑をつまむようにミュズの肩を抱く。
その直後に扉は閉められたので騎士の様子はわからないが、名残惜しむように髪に触れながら手を離せばミュズは不貞腐れて俯いてしまった。
「…もう。こんなだからティーにからかわれるの…」
ミュズは何の疑いもなくパージャが糸屑を取ってくれたと思っているのだろうが、肩を抱かれた事実も同時に胸に残った様子だった。
「あれ、俺感謝されてない感じ?ティーには言わせておけばいいじゃん。よく一緒にいるのは本当なんだし」
「嫌よ」
即答されて魂が抜け落ちそうになった。
唯一の家族として誰より大切にしてくれるのに、ミュズはパージャを男としては見てくれない。
結ばれたいと理性では思わない。だが本能はいつだって理性に牙を剥く。
「…俺って報われない感じ」
「何か言った?」
「んーにゃ。何も。で、起きたお姫様はどんな感じ?」
無理矢理話題を逸らす為にリーンの様子を訊ねれば、ミュズは少し複雑そうに眉根を寄せた。
エル・フェアリアに虐げられた可哀想な女の子。だがリーンはエル・フェアリアの姫だ。
エル・フェアリアを恨むミュズにはどうしても受け入れられない思いが残る。
たとえリーンの悲惨な姿を目の当たりにしたとしても。
「…五年間のことは記憶に無いみたい。あと体がいっさい動かせないから不思議がってる。10歳のまま時が止まってるよ」
リーンの身の回りの世話からは外されているのでリーンが目覚めた事しか知らないパージャは、骨と皮ばかりの人間がわずかに動く姿を想像して、少し身震いした。
可哀想だが、恐ろしい。
「今はお姫様の疑問は隠しちゃって、体に栄養をつけて、動かせるようになることに専念するんだって」
細い木の枝のような腕が忘れられない。
身体に栄養を取り込めば、せめてミュズくらいまでは人としての柔らかさを取り戻せるのだろうか。
自分の身にも起こりうるおぞましい苦痛。
リーンは五年もの間、暗く冷たく硬い土の中で生きていたのだ。
「…俺も何か手伝おうか?」
「駄目!」
もしかしたら自分も同じような目にあっていたかもしれない。そんな恐怖と自分でなくてよかったという思いの罪悪感から口をついて出た言葉は、ミュズに強い口調で切り捨てられた。
「また“駄目”…俺の優しさを返せ」
あれも駄目これも駄目。
今日だけで何度聞いたかわからない単語に辟易すれば、ミュズは慌てたように見上げてきて。
「あ、そうじゃなくて…ごめんね。違うの。お姫様、裸なの。…だから男の人は…駄目」
恥じらうように頬を染めて、窺うように見上げられて。
その仕草だけで無限に広がりそうになる妄想を押し退けたいのに、ミュズから目が離せない。
「こうやって手伝ってくれるだけで嬉しいよ。いつも助けてくれるもんね。ありがとう!」
「…どういたしまして」
コロコロと表情を変えるミュズは次に満面の笑顔を向けてくれて、辛抱しきれずに指先一本分の本能だけミュズに触れようとしたところで、
「お、いたいた」
後ろから聞こえてきた大きな声に全身から一気に力が抜けた。
ところ構わず声を張るなど、一人しかいない。
「…ウインド」
闇に青を交ぜた髪を目に痛い柄のバンダナで押さえるウインドは、今日は珍しく一人だった。
普段は自己主張型背後霊のようにエレッテの側を離れないというのに。
「ちょうどよかったぜパージャ」
「俺には最悪のタイミングだよ」
「なんでだよ!!」
パージャを探していたのか気楽に近づいてくる様子にムカついてミュズから毛布を取り上げ、肩を抱くように押して進む。
「さーあミュズちゃん、さくさく行こうね~」
「いいの?」
「いいのいいの」
「いいわけ無いだろ!待てって!大事な話大事な話!お前には命より大事な話だから!!」
邪魔をしてくれたウインドから離れる為に目的地に向かうが、何も持たず身軽なウインドに先回りされてしまった。
それにしても。
「…子供かよ」
「は?」
成人しているというのに子供じみた足の止めさせ口調に呆れることしか出来ない。
回り込まれたので足を止めれば、
「…用件。何だよ?」
「えっとよ、ファントムが呼んでる」
確かに命より大切そうな件に、パージャはわずかに表情を固めた。
違うか。
命より大切なミュズの為に、パージャはファントムの呼び出しに応じなければならないのだ。
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