第28話
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新緑宮を抱き壊した炎が消えたのは、翌日の明け方近くの事だった。
死者13名、重軽傷者87名を出したファントムの一団との戦闘は、重苦しい陰鬱な空気を王城全体に満たしていた。
急所は外されていたとはいえ最も酷い傷を全身に負ったガウェの意識は戻らないまま。
アリアと医師団は休みなく動き回り、剣術訓練場近くの兵舎外周棟のひとつが医務室もあることもあり怪我人用の簡易医療棟としても使われる事になった。
王城から立ち上る炎と黒煙は王都城下のどこからでも確認することができ、王城正門には民衆が夜のうちから集まり、情報を欲しがり。
コウェルズは生きていたリーンを除く、民衆の知る“七姫全員”を従えて朝から正門に立った。
コウェルズはその説明演説で、民衆に真実を伝えなかった。
民衆は緑姫リーンが生きていることを知らない。
ファントムが示す狙われた姫は、誰が聞いても第六姫コレーを連想させたのだ。だからコウェルズは言い切った。
ファントムは現れたが、コレー姫は無事である、と。
六人の七姫。
姉姫達がコレーとオデットを守るような立ち位置で。
それを聞いた民衆が、どう結論付けるかわかった上で。
コウェルズは民衆に真実を隠した。
同時に王城全体に箝口令が敷かれる。
リーン姫の生存と、ファントムに拐われた事実を口外しない事を。
時期が来れば公表する。だが今はまだ口にするな、と。
そして、ひと通りの説明を終えたコウェルズは、護衛の騎士も付けずにただ一人でその通路を歩いていた。
薄暗い通路に響く足音は自分のものだけで、後をつける気配も存在しない。
王族の居住区画。
その際奥。
重苦しいカーテンで遮光された窓の向こうから洩れる光の筋にわずかに照らされて、コウェルズの黄金の髪は美しく揺れる。
同じく黄金の瞳は、普段の彼を知る者には想像もつかないほど冷たく、まるで感情が存在しない。
それもまたコウェルズの一面だった。
隠し続けてきた一面。優しい兄であり、優秀な王子であり、気さくな青年であり続けたコウェルズの、切り離せない心の一つ。
その一面を最初から知っていたかのように、コウェルズの向かう先の扉の前に立っていた男は嬉しそうに笑った。
「……」
その男を見据えて、コウェルズは邪魔な前髪を掻き上げる。
そんな仕草すら男は嬉しそうに眺めていた。
「決心なされたか…」
魔術兵団長ヨーシュカはそう訊ねる。
決心。
コウェルズの決断を。
それは、今のコウェルズにはわずかに癪に障る言葉だった。
「…知っていたのだな」
問い返せば、喉の奥で笑われた。
「リーン様が生存されていた件でしょうか?それとも他に何か」
「全てだ」
コウェルズの冷たい言葉も意に介さずに、ヨーシュカは嬉しそうに笑い続ける。
彼にとってコウェルズの決断は天にも登る気持ちだろう。
ヨーシュカは無能を嫌っていたのだから。
「…残念ながら全てではありません。我々が動いていたのは別の理由からです」
そして、コウェルズへの返答を。
「私も、知りたい事がひとつありましてね…あなたが選ばれるなら…私も知ることが出来るでしょう」
見上げてくるヨーシュカは老いている。
老いているというのに、なんて無邪気で嬉しそうな、子供のようにキラキラとした透いた目で見てくるのだ。
時代の移り変わりをその目に焼き付ける瞬間を楽しみにしているのか、それともその先にあるさらに未知の領域を望んでいるのか。
ヨーシュカから視線を外し、コウェルズはそっと扉に手をかける。
王族の住まう区画の最奥。
その扉の向こうにいる男に会う為に。
普段は騎士達が開閉するほどの巨大な鉄と木の扉を易々と開け放ち、ヨーシュカと共に闇の室内に足を踏み入れて。
「…もう逃がしませんよ。…父上」
ぎょろりと怯えるように蠢く男の目玉を見下しながら、コウェルズは妖艶な微笑みを浮かべた。
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治癒魔術師護衛部隊には治癒魔術師であるアリアの護衛以外にも、有事の際は医師団の監修の下で医療の助手に従事する責務も与えられていた。
とはいっても魔術師達なら兎も角、元々護衛に特化した騎士達の出来ることなどたかが知れており、セクトルに与えられた助手業務も重い荷物を運ぶか怪我人に食事を運ぶ程度の簡単な作業に絞られた。
ただし、食事を持っていく先にいるのは怪我人ではなく捕らえられた魔眼のフレイムローズだったが。
見張りの騎士達と二言三言話してから、鍵を開けてもらう。
わずかに錆びた音を耳にしながら、特殊な結界の貼りついた牢に入り込んで。
その奥の簡素なベッドの上で、フレイムローズは膝を抱えて俯いていた。
「…少しも食べてないのか」
フレイムローズの前にあるテーブルの上には、セクトルが朝に持ってきた食事がいっさい手をつけられないまま残されている。
「……」
フレイムローズは口を開かなかった。
捕らえられたのが昨晩で、今まで何も口にしていない。
その程度ならまだ我慢できるだろうと思われるが、フレイムローズは昨晩の襲撃時に魔力を大量に操っているのだ。
空腹でないはずがなかった。
「…尋問に耐えられないぞ」
食事を取り替えながら、セクトルはフレイムローズの赤い髪を見下ろす。
食事は医師団がフレイムローズの精神面を考慮して、胃に優しい特別製のものに替えられている。
せめて少しだけでも食べてくれ。
胸の内は全ては語らず、それでもセクトルはフレイムローズの隣に腰を下ろして、弱々しくうなだれる肩を叩く。自分より背は高いはずの歳下の友が、今日はひどく小さく見えた。
「いくら赤都の子息だとしても…黙ったままだと拷問も有り得るんだぞ?」
「……」
貴族第二位のフレイムローズ。彼がセクトル達を裏切った先にいるのはリーン姫だ。
「…なあ」
「…どんな拷問も…」
せめて体力をつけて、口を開いてくれ。そう揺さぶるセクトルに、フレイムローズは寂しそうに笑いかけた。
どんな拷問だろうが。
「…リーン様が五年間受け続けた苦しみには敵わないよ」
「……」
五年間。
それは、リーンが亡くなったとされる五年前から。
「大丈夫だよ。ちゃんと話す。…話せる。でも食欲は無いんだ…」
セクトルを安心させるように笑ってくれるが、フレイムローズの頬は痩けてしまっており、心労と疲労は相当のものだとわかる。
それでも。
フレイムローズは、王家に絶対の忠誠心を持つ魔眼は。
王家の為に、リーンの為に。
リーンと同じ苦しみを少しでもわかろうと。
「…リーン様が五年間口にされていたのは、御自身の悲鳴と泥だけなんだよ」
セクトルはリーンがどのような状況下に置かれていたかなど知らない。だがフレイムローズがそう言うのだ。
姫を。
エル・フェアリアの宝を。
見るも無惨な容姿に変貌させたのは…
「あの方がいなかったら…リーン様はずっとひとりで…」
フレイムローズはファントムを語る。
ファントムがいなければリーンは見つからなかった。
見つからなければ、リーンは今でも。
ファントムは敵のはずだろう?
姫を狙う悪辣非道の盗賊のはずだろう?
だというのに。
ファントムとリーンの姿を見た者は誰もが口を揃えるだろう。
ファントムはリーンを奪ったのではない。
救ったのだ、と。
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「--…少し休もう」
くらりと傾ぐアリアに気付いて、レイトルはその肩を抱くように掴みながら強引に椅子に座らせた。
場所は簡易医療棟内の一室で、その部屋に治療を求めている怪我人はいない。
「でも…」
「休みなさい。長丁場になりますから、どこかで休むことも仕事の内です」
それでも立ち上がろうとするアリアを、今度は医師がややきつめの口調で止めた。
「…はい」
医師の言葉には素直に頷くアリアに、レイトルはわずかに安堵の交ざるため息をつく。
以前コレーが魔力を暴発させて多くの怪我人を出した際に、アリアはがむしゃらに治癒魔術を乱用して自らも数日長い眠りについてしまった。
今回は以前を遥かに凌駕する数の怪我人と酷い傷である為に、取り敢えずの応急処置を終わらせた後は、アリアは医師団の指示の元に怪我人達を癒す手筈になったのだ。
それはコウェルズの采配だった。
たった一人の治癒魔術師を上手く使いこなす為に、アリアの様子も窺いながら治療に当たるように。
アリアには医師の命令は絶対に聞くように強く言い聞かされている。
でなければ、また数日間眠られてしまっては困るから。
椅子に座らせたアリアにコップ一杯の水を渡して、レイトルも喉の乾きを癒すように一気に飲み干す。アリアの治癒魔術の精度を高める為に共についてまわるレイトルも、精神を削るような細やかな魔術の使用には疲れが生じていた。
体力は充分有り余っているが、気力がやられる。以前レイトルがアリアのサポートについた時の具合が良かったので、レイトルの仕事はアリアの護衛件サポートとしての役割になったのだ。
魔力の少ないレイトルだが、こんな形で魔具の操作訓練が生かされるなんて誰にもわからなかっただろう。レイトルも含めて。
「お疲れ様。ひとまずは死に至るほどの怪我は癒し終えましたから、急ぐ必要はありませんよ」
その様子を眺めていたのか、医師と代わるように別室から現れたモーティシアが、労いの言葉を優しくかけてくれた。
「…でも、ガウェさんがまだ目覚めてないですし…」
「やるだけのことはしました。後はガウェ殿の生きる力を信じるだけです」
それでも不満をわずかに見せるのは、アリアの体力もまだしっかり残っている証拠だろう。
その様子にレイトルとモーティシアは視線を合わせて安心するが、まだまだ動けると自分でもわかっているせいかアリアは不満を隠さない。
応急処置だけで、傷は治ってない者が沢山いるのだからアリアには辛抱ならないだろうが、だからといって。
コウェルズが医師団にアリアを任せるよう命じてくれて助かった。
レイトルやモーティシアでは、アリアの限界を図れずにアリアの動くままに任せてしまうところだ。
そしてまた深く眠らせてしまう。
「…ガウェなら大丈夫だよ。必ず目覚める」
最も酷い傷を受けて未だに意識の無いガウェは、先ほどまでモーティシアがいた、今は医師が向かった別室で昏々と眠り続けていた。
そのガウェを思ってくれるアリアの為に、レイトルは確信したようにガウェの無事を宣言する。
「リーン様が生きていたんだ。拐われたリーン様を救い出すまでは…ガウェは死んだって生き返るよ」
レイトルはこの中で一番ガウェを理解している。
リーンに忠誠を誓うガウェ。そのガウェが、目の前でリーンを拐われたままにするはずがない。
アリアとモーティシアはまだ不安そうだが、ガウェという男は、狂気が満ちるほどにリーンを思っているのだから。
「三人ともぉー…」
そこへ部屋の扉が開いて、やや疲れた様子を見せながらトリッシュが戻ってくる。後ろには同じく疲れ顔のアクセルが続いていた。
「どうしました?」
「ニコルを見なかった?」
労う為に椅子に促すモーティシアに、アクセルは自分の肩をもみながら訊ねてきた。
二人は医師達と共に怪我人の元に行っていたはずだが、ニコルに何か用ができたのだろうか。
見かけない兄の姿にアリアも困惑している。
アリアの側にニコルがいないなど。珍しいなんてものではないだろう。
ただでさえ城内が混乱しているのだ。正式な命令が無いかぎり、ニコルが一番アリアから離れそうにないものだが。
「いや、見ていないけど…さっきセクトルが話しかけていたのは知ってるけど…」
「どこにもいないんだって…」
どうやら部屋にいたメンバーの中ではレイトルがニコルを最後に見た人物らしく、見かけた姿を思い出し話すが、トリッシュは不満そうにだらけた。
この忙しい時にどこに行ったんだと言いたいのだろう。確かにそうだ。
恐らくトリッシュとアクセルの疲れ具合から見ても、二人は荷物持ちか患者運びにでも駆り出されていたのだろう。それこそ騎士達の仕事だろうに。
「もしかしたらセクトルと一緒にフレイムローズに会いに行ったのかも知れないよ」
セクトルがフレイムローズに食事を運ぶ係になったことは全員の知るところだが、それに付いていったのだろうと想像して、捕らえられたフレイムローズを思い、室内がシンと静まり返った。
「…大丈夫かな…フレイムローズ」
「あいつは俺達を裏切ってたんだ!…心配することなんてないだろ…」
ポツリと呟くアリアに、トリッシュは最初は激昂して、最後は消沈して返す。
それでも一貫した否定の言葉には、レイトルは黙ったままではいられなくて。
「何か理由があったのかも知れないだろ…」
レイトルはフレイムローズが裏切った場面には遭遇しなかった。その為に天空塔にいた者達がどんな状況だったのかはわからない。
だからというわけではないが、フレイムローズが悪いとは思えないのだ。
年齢のわりに子供じみてはいるが、フレイムローズが皆を、王家を裏切るはずが無いのだから。
「あなたらしくないですね、トリッシュ。フレイムローズとはあなたも仲良くしていたでしょう」
わずかに剣呑になる室内の雰囲気を緩和させるように、モーティシアは穏やかな口調をさらにゆっくりとしたスピードに替えて話しながら、慰めるようにトリッシュの肩に手を置く。
モーティシア達三人の中では、トリッシュが最もフレイムローズと親交があったのだ。
レイトルのように親交があるから裏切られても信じたいのか、トリッシュのように親交があるから裏切りに深く傷付くのか。
その根本は変わらず、フレイムローズを思っているというのに。
「…そういえば…パージャ殿が最後に言った言葉…」
ふと思い出したように呟いたアクセルの声は、静まり返る室内には異様なまでに響いた。
「言葉?」
レイトルとアリアは互いに顔を見合わせて困惑する。
その場に居なかったのだから仕方ない。
「確か、インフィニートリベルタ、と。…どこかの国名でしょうか」
「いや…ニコルに向かって言ってたんだ…アリア、何か知らない?」
パージャが立ち去る際、彼はニコルを目に映してニコルだけに向けてそう言った。
インフィニートリベルタ。
まるでニコルをそう呼ぶかのように。
「インフィニート…リベルタ?…聞いたこと無いです……」
ニコルの事ならアリアに、とアクセルは訊ねるが、アリアも首をかしげるだけだった。
「…そう」
「何かの名前みたいだよな」
「貴族にはいない名前だけど…国名や地名じゃないか?」
初めて耳にする名に全員が首をひねり、どこか異国の名ではないかと語る中で。
「--あ…」
まるで何かを思いだすかのように、アリアが口を開いた。
「…どうしたの?」
「ずっと昔に…ととさんから聞いたことがあるかも…」
記憶をたぐるように申し訳程度に俯きながら、アリアは脳内になおした記憶の引き出しを探り始める。
「どんな?」
急かすアクセルをモーティシアが静かに待つよう止めて。
「あたしがすごく小さい頃だから詳しくは…確か名前です。…でももっと長かったような…」
小さな頃。
ニコルと自分と、彼がいた。
途中で両親が戻ってきて、彼は帰ろうとしたがニコルに引き留められて。
彼がそれを口にして…両親がひどく悲しむような目を。
「思い出せる?」
「…ごめんなさい…思い出したら言いますね」
さらに急かすアクセルに、アリアは眉尻を下げながら謝罪で返した。
「昔の事なら仕方無いですよ」
なおも訊ねてきそうなアクセルの頭をポコンと軽く叩きながら、モーティシアは思い出してからでいいと微笑んだ。
「インフィニートリベルタ…」
知っている。
その名前を。
確かに名前だった。
だが、何の?
そこまでは、アリアも覚えてはいない。
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